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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第一章 師弟 ~厩務員編~
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第27話 外出

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の厩務員

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・坂崎…戸川厩舎の厩務員

・大野…戸川厩舎の厩務員

・垣屋…戸川厩舎の厩務員

・牧…戸川厩舎の厩務員

・花房…戸川厩舎の厩務員

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川…尼子会の調教師(呂級)

・南条…赤根会の調教師(呂級)

・相良…調教師(呂級)

・津野…相良厩舎の調教助手

・日野…研修担当

 朝三時、いつものように目が覚め、岡部は静かに食卓へ向かった。

食卓には戸川と奥さんがいて、戸川は新聞を見ながら朝食をとっていた。


 朝の挨拶を交わすと、戸川は真っ先に体に異常がないか聞いてきた。

また竜から落ちたと聞くと奥さんが非常に心配した。

落竜の件もあるし、大事をとって今日は休みという事になった。


 ただ突然休みと言われても、岡部には特にする事が思いつかない。

そんな岡部に戸川は、朝食を取りながら一つお願いがあると言いだした。



 お願いというのは梨奈の事だった。

梨奈は週末、家から一歩も出たがらない。

とにかく人見知りが酷く人ごみを極端に嫌う。


 口では旅行に行きたいなどと言うのだが、いざ旅行に誘うと、ああでも無いこうでも無いと理由を付けて結局旅行には来ない。

昔から外出のたびに熱を出す娘ではあったが、最近以前より体力が落ちてきたのか、ちょっと外出すると高熱を出し寝込んでしまうようになった。

このままではどんどん体力が落ち、いづれは起きられなくなってしまいかねない。


 これまで見てきて梨奈は岡部には心を開いているように見える。

もしかしたら岡部なら梨奈を外に連れ出せるかもしれない。

どこか近場に連れ出し外出する事に慣れさせて欲しい。



「というか、土曜って学校じゃないんですね」


「え? 綱ちゃんのとこは土曜って学校やったの?」


 奥さんは首を傾げ逆に岡部に尋ねた。


「午前中、半日だけ学校行ってましたね」


「同じ範囲勉強するんやとしたら、こっちより先生の仕事の効率が悪いんかもね」


「……ありえる」


 岡部が少しがっかりした顔で言うと、奥さんと戸川は大笑いした。


「近場やったらどこでも良えから、とにかく外に出してくれたら良えから」


 そう言い残し、戸川は食卓を立った。




 岡部も、戸川と自分の膳を流し台に持っていくと食卓を後にした。


 洗顔を終え、客間で新聞を読みながらテレビを付ける。

まずどうやって話を切り出したら良いかから迷う。

そもそも両親ですら手こずるのに、自分なんかでどうにかなるものなのだろうか?


 奥さんが客間に来てどこ行くか決まったのか聞いてきた。

どうしたものか悩んでしまい思わずうなり声をあげる。


 そんな岡部を他所に奥さんは球技の速報を見て、今日は皇都勝ったみたいと喜んでいる。

前日の球技は蹴球だったらしく、皇都が岡山に二対一で勝ったという速報が流れた。

蹴球の総当たり表を見ると皇都は八球団中六位。

何とも微妙な順位である。


 地元がサッカーで有名な県だった事もあり、岡部もサッカーが好きで小学校ではサッカー部に入っていた。

……クラブユースの子に全く歯が立たず挫けてしまったが。


「梨奈ちゃんはどういう場所が好きなんですか?」


「一番は自分の部屋やで」


 岡部は完全に言葉に詰まった。

奥さんにそれ以上の情報が無い事に言葉を失ってしまった。



 暫くテレビを見ていると梨奈が起きてきた。

客間に岡部を見つけると、今日お休みなんだねと言って食卓へ向かっていった。


 暫くすると梨奈が寝間着のまま客間へ飛び込んできた。


「母さんから、綱一郎さんが私に用事があるって聞いたんやけど」


「どこか皇都観光行きたいんだけど、土地勘が無くてね。良かったら案内頼めないかと思って」


 梨奈は耳を赤くして俯いた。


「どんなとこに行きたいん?」


「皇都って寺と神社って多いんだよね?」


「八百屋よりは多いんと違うかな?」


 この娘は何で寺社と八百屋の数を比べるのだろう?

それとも有名な比較の例えなのだろうか?


「中でも一番古い寺ってどこ?」


「確か広隆寺やったと思う。太秦の」


「じゃあそこに案内してもらえないかな?」


 長い沈黙が客間を支配した。

梨奈は耳を赤く染め指をもじもじし続けている。

長く息を吹くと梨奈は重い口を開いた。


「乙女は準備に時間かかるよ?」


「のんびり待ってるから。よろしくね」


 梨奈は客間から飛び出すと、あっちの部屋こっちの部屋とばたばたした。

その間、岡部はのんびり新聞を見て待っている。

お待たせと言って現れた梨奈は、藍色に黄色の花が散りばめられたワンピースに、芦色の大きなキャスケット帽をかぶっていた。




 駅前大通りを二人で並んで伏見駅に向かう。

梨奈から太秦駅で降りると言われ、切符を購入し濃い紫の皇都鉄道に乗り込んだ。

電車は伏見駅を発つとと、鳥羽駅、皇都駅を過ぎ四条駅に到着。

四条駅で降りると、本線から東西線に乗り換える。

四条駅を発車した濃い紫の電車は、壬生駅、西院駅を過ぎ太秦駅に到着した。



 駅から外に出ると、すぐ目の前に広隆寺の楼門が現れた。

中に入ると梨奈は、あっちが太秦殿でこっちが太子殿でと案内していった。

奥に行くと霊宝殿があり、その中を見て回ることにした。

これが超有名な弥勒菩薩像だよと梨奈は言うのだが、残念ながら岡部にはピンとこない。


「あんまり勉強できなかったからなあ。でかくて古いちょっと格好良い木造人形としか……」


 岡部の感想に梨奈はケラケラと笑い出した。

本人に言ったら気を悪くするだろうが、こういう時の笑い声は奥さんにそっくりだ。


「そやけど、当時でもちょっと格好良い木人形くらいの印象の人が多かったらしいよ」


「そうなんだ。僕の方では仏教が凄い大事にされたとか習ったような気が……」


「統治者側ではね。そやけど多くの人は今の綱一郎さんと一緒よ。弥勒ってなんぞって感じよ」



 二人は来た道を少し戻り右の道を進む。

梨奈はここが聖徳太子を祀る桂宮院だよと案内した。


「聖徳太子はさすがに知ってるよ。なんか、昔の政治家だよね。何とか十二とか何とか十七とか……」


「もう曖昧やなあ。叔母さんの摂政やった方よ」


 あまりに岡部が何も覚えて無くて、梨奈は笑い出してしまった。


「思い出した! 枠番みたいに色分けしたんだよね」


 官位十二階を競竜の枠番の色と比べる人に初めて会ったと梨奈は笑いが抑えきれない。


「こっちでは聖徳太子言うたら、十七条憲法の『和を持って尊しとし』の方が評価されてるかな?」


「……聞いたことない……気がする」


 絶対忘れてるだけだと言って、梨奈は岡部の肩をパンと叩いた。


「十七条憲法の第一条よ。喧嘩はあかんよって」


「お偉いさんが、わざわざそんな事を憲法にするなんて、よっぽど喧嘩が多かったんだろうね」


 急に岡部が核心を突いた事を言い出し、梨奈は真顔で考え込んだ。


「もしかしたら内乱多発でちょっとした戦国時代やったのかもね」



 広隆寺を後にした二人は、近くで昼食を取る事にした。


 梨奈はお好み焼きと言ったのだが、岡部は、小料理屋の方が好きな物が食べやすいと、小料理屋に行く事になった。

岡部は(はも)の湯引きの梅肉添えを、梨奈は生麩田楽を注文。

梨奈は汚れるといけないと、左手首にはめていた薄桃の髪輪を外して鞄にしまった。


 少し待つと、和装の女性が膳を運んできた。

梨奈は田楽をちまちまと食べて、美味しいと言って岡部の顔を見た。


「鱧って初めて食べたけど、思ってたより味が薄いんだね」


 岡部がそう言って笑うと、梨奈も微笑んだ。


 食事を終えると岡部が、ここは自分が出すと言って財布を出した。


「何やのそれ! そんなんを財布にしてはんの?」


 もっとちゃんとした財布買おうよと言って、梨奈はケラケラ笑い出した。

会計を終えた岡部は、笑っている梨奈に店を出るよう促した。


「財布なんて、お金が入って落とさなければ、それで良いと思うんだけどなあ」


「あかんよ! お財布はね、お金にとってのお布団やで。綱一郎さんかて、ちゃんとした布団やないと疲れが取れへんでしょ?」


 梨奈の説明に岡部は妙に納得した。


「じゃあ、今度、財布を買いに行くの付き合ってよ」


 梨奈は頬を赤く染め、唇を噛んで頷いた。



 小料理屋を出て、この後どうしようと岡部が言うと、梨奈は行きたい所があると言いだした。


 太秦駅から二駅戻り壬生駅で電車を下車。

そこから通りを北に進むと梨奈のお目当ての店に到着した。


 そこは店内で食事のできる甘味処だった。

梨奈はずっと来たかったと言ってはしゃいでいる。

さっきお昼食べたばかりなのにと岡部は思ったが、さすがに声には出さなかった。


 席に案内されると梨奈は、あれにしようか、これにしようかと迷っている。

暫くすると、町娘のような格好の店員が注文を聞きに来た。

梨奈は白玉ぜんざいと抹茶を注文。

岡部はみたらし団子と珈琲を注文した。


 梨奈は抹茶をすすりながら、岡部に相談があると言い始めた。


「実はね、進路の事なんやけどね。家を出て進学しようか働こうかで悩んでてね」


 思った以上に重い悩みに岡部は少し驚いている。


「働くとしたらどこで働くの?」


「父さんの伝手で競竜場やろか」


 明らかに体力が無さそうで人見知りが激しい梨奈に、競竜場で何の仕事があるのか、岡部は少し考え込んだ。

だが思った以上に何も浮かばなかった。


「進学だったらどこに?」


「西府や皇都は無理やけど、太宰府(だざいふ)やったらいけるんかな」


 太宰府がどこなのかいまいちピンと来ないが、少なくとも近くでは無さそうである。

だとすると一人暮らしという事になるだろう。

それもそれで、やっていけなさそうに感じる。


「その歳でそんなに遠くにねえ……」


「進学してから就職しても、どうせすぐに結婚して仕事も辞めるやろうから、もったいないんよね」


「別にそんなにすぐに結婚しなくても、仕事続けたら良いんじゃないの?」


 岡部の指摘に、梨奈は気分を害したらしく口を尖らせた。


「嫌や! すぐ結婚したいもん。お嫁さんになりたいんやもん!」


「まだそんな歳じゃないでしょ」


 梨奈はここまでの会話で、どうにも何か噛みあっていないものを感じた。

梨奈の顔から笑顔が消え目が座り始める。


「ねえ、綱一郎さん。私の事、いくつやと思ってるの?」


 豹変した梨奈の態度で、岡部は何か虎の尾を踏んだ気がした。

少なくとも当初思っていた中一では無いのだろう。

岡部の目が泳ぎまくった。


「ち、中三くらいかなと……」


「高二や!!!」


 梨奈は軽く机を叩いで抗議する。


「わ、若く見えるね……」


「そういうんは幼くっていうんや!」


 岡部の焦っている態度に、梨奈は何かを思い出し耳を赤く染めた。


「ねえ、何で私のこと中三やと思ったん?」


「いやあ、従妹に小四の娘がいて、何となくその娘と映って見えて」


 小四の女の子という部分が梨奈には異常に引っかかるものがあった。

普通に学生服で登校している自分に、なぜ目の前のこの人は小学生と映してみたのか。

その答えは一つである。


「もしかして、脱衣所の事いうてんの?」


「いや、雰囲気だよ」


 岡部は必死に弁護したつもりだろうが、梨奈からしたら全く弁護になってはいなかった。


「それ見た目やったら小四って事やん! しまいには泣くよ?」


 梨奈は完全にへそを曲げてしまっている。

ここからの巻き返しをどうするか、岡部は必至に頭を回転させた。

だが残念ながら、これと言って良い案は浮かばなかった。


「どうしたら大人っぽく見えるんやろうか……」


 梨奈は遠い目をして寂しい声を絞り出した。


「その左手の薄桃の髪輪、それが似合うような長い髪になったら、見えるかもよ?」


 梨奈は耳元の髪を指で摘まんで毛先を見つめる。

その仕草が何となく、非常にいじらしく感じる。


「ねえ、髪伸びたら、また髪輪買うてくれる?」


「そんな安物じゃなく、もっと良い物買ってあげるよ」


 岡部の言葉に梨奈は、顔をぱっと明るくして喜んだ。


「ほんまに?、そしたら私、もう髪切らへん!」


「いや、でも美容院はちゃんと行こうね」


 その岡部の一言で、嬉しそうにした梨奈の顔が一気に曇った。


「知らんおばちゃんが、わあわあ言うてくるから苦手なんよね……」


 梨奈は、すっかり当初の笑顔を取り戻していた。




 その夜の食卓で、戸川は梨奈の顔を見ると、綱一郎君を皇都案内してあげたんだってねと、しらばくれて尋ねた。


「広隆寺に行ったんよ。網一郎さんったら、しょっぱい財布使うてるんよ」


 梨奈は、嬉しそうにクスクス笑った。

いつもより明らかに声が大きい。


「まだお給金出てへんからな。そういえば給料日来週やね」


 そう言うと、戸川は岡部の方を見て微笑んだ。

岡部は楽しみですと言って微笑み返した。


「綱一郎さんたらね。私の事小四やと思うてたて言うんよ。酷ない?」


 奥さんが食べていた物を吹き出し咳込んで笑い出した。


「ちょっ! 母さん汚いわ!」


 梨奈は奥さんから少し距離を取って怒った。

ごめんごめんと、奥さんは笑いながら噴出したご飯粒を片付ける。


「僕はちゃんと中三だと言いましたよ」


 岡部は真顔で梨奈に指摘した。


「高二や!」


 梨奈も間髪入れずに真顔で訂正した。

戸川も笑って咳込み始めた。

奥さんは完全に笑い転げてしまって机に突っ伏してしまっている。


「これに懲りず、またどこか案内してね」


「……気が向いたらね」


 梨奈は照れながらも、岡部の顔をちゃんと見て答えている。

その隣で奥さんも戸川もまだ笑い続けている。


「あんたら、いつまで笑てんのよ!」

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