【完結】競竜師

第五章 課題 ～呂級調教師編（前編）～

第１６話 競り

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(呂級)

・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女

・岡部菜奈…岡部家長女

・戸川直美…梨奈の母

・戸川為安…梨奈の父（故人）

・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫

・大崎…義悦の筆頭秘書

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場（北国）の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場（南国）の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・大宝寺…三宅島興産社長

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(仁級)。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・杉尚重…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(八級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(呂級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手

・巻光長…岡部厩舎の調教助手

・垣屋、花房、阿蘇、大村、内田、成松…岡部厩舎の厩務員

・十河留里…岡部厩舎の女性厩務員

・跡部資太郎…白詰会の調教師(八級)

・香坂郁昌…跡部厩舎の専属騎手

・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)

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　岡部、杉、最上、四釜の四人で北国へと向かった。

室蘭空港から苫小牧駅へ行き、そこから車で日高の古河牧場へと向かった。

　古河牧場に着くと参加費を支払い入場、その際に一人一冊競売(きょうばい)情報の冊子を貰った。

「結構、参加費取るんですね」

　受付を通った早々に岡部が最上に言った。

「そりゃあな。冷やかしで観光客に入場されたら困るだろうし、この冊子作るのもかなり金かかってるだろうからな」

　最上は辺りをキョロキョロしている杉と岡部を暖かい眼差しで見守っている。

　会場では、所狭しと幼竜が並んでおり、入口から見て右手が呂級、左手が八級となっている。

どの幼竜もお披露目とばかりに、この日のために毛を刈り整え、綺麗に刷毛をかけられ、ピカピカにしてもらっている。

「すごい頭数ですね。これ全部、古河牧場の生産なんですか？」

　呂級の幼竜を眺め見ながら岡部がたずねた。

「さすがの古河さんでも単独でこれだけの竜は生産できないさ。半分以上は提携している個人牧場の生産だよ。小さな牧場では、生産はできても、なかなか馴致《じゅんち》（＝競竜としての教育的な調教）まではできなかったりするからな」

　ここにいる牧童さんたちも多くは個人牧場の牧童さんだと最上は説明した。

岡部も杉も「へえ」と言って再度幼竜を眺め見た。

「ここにいる個人牧場の生産した竜って登録した際の生産牧場名は個人牧場になるんですか？」

「いや。古河牧場名義になってるな」

「え？　じゃあ生産者配当金は……」

　岡部が何を言いたいのか察し、四釜が噴き出した。

最上も無言で頷いた。

「生産配当金は一旦全て古河牧場に支払われるよ。だけど、そこから各牧場にちゃんと支払われておるよ。もちろん手数料を引いてな」

「なかなか良い商売してますね。古河さん」

「竜主やらずに牧場一本で生計を立ててるんだからな。そりゃあ、あっちこちで手数料は取るだろ」

　当然だが足下を見たり上前をはね過ぎれば、すぐに悪評が立ってそっぽを向かれてしまう。

個人牧場としても、どこかの会派と契約して分場として経営していくという道があるのだから。

これだけの竜が揃えられるという事は、それだけ古河牧場が個人牧場を手厚く保護している証拠だと最上は説明した。

「しかし、この山ほどいる竜の中から、これという一頭を探すんですね」

　どうしたものやらと言って岡部は杉の顔を見た。

杉もあまりの頭数に少しげんなりした顔をしている。

「君だって毎回節が太くて云々という話をするだろ。一つ基準を設けて見てまわったらどうかね」

「なるほど！　じゃあ杉さんとちょっと見て周ってきますね」

「では、私は先に競り会場で四釜と待っておるよ」

　こうして岡部と杉は、最上と四釜と別れて竜を見て周る事になった。

「どうですか、杉さん。良い竜いました？」

　岡部と杉は貰った冊子と実際の竜を見比べながら一頭一頭見て周っている。

「そうやなあ。値段がいくらなんかわからへんいうんは選びづらいな。安いんやから、こんだけ走れば御の字やいう仔もおるやろうしな」

「この冊子の『競売価格』っていうのが目安なんですかね？」

「いやあ、どうなんやろ。そんなん、あくまで最低限の市場評価なんと違うか」

　ただ高い金額が設定されている竜が必ずしも良い竜というわけではない。

もしかしたら、買いに来ている人たちの間ではそうなのかもしれない。

だが、岡部たち調教師からしたら必ずしもそうではない。

「もうこうなったら、金額考えずに抽出していくしかないんですかね」

「まあ、それしかないやろな。高かろうが安かろうが、走らな意味無いからな」

　ごもっともと言って岡部は笑い出した。

「杉さんは、どんな仔《こ》が好みなんですか？」

「そうやなあ。おっぱい大きい娘《こ》かなあ」

　岡部は非常に冷たい眼で杉を見続けた。

「冗談やがな。最低限は節が太い仔やな。できれば脚の長い仔が良えな」

「まあ、節が太いのは必須ですよね」

　先ほどから見て周っているが、岡部も杉も、骨の節が細い仔はそれだけで選別の対象外としている。

「そういうお前はどうなんや？　節以外には」

「そうですね。全体的に骨格ががっちりしてて、怪我と縁の無さそうな仔ですかね」

　それを聞いた杉が、くくくと喉を鳴らした。

「前に見たけどお前の嫁さんヒョロヒョロやもんな」

「妻のことは、今関係ないじゃないですか！」

　杉は、仲の良いことは結構なことだよと言って冷やかしてきた。

　半分ほど見て周ったところで、岡部は一頭の黒毛の牝竜の前で足を止めた。

脚を少し揉むと、持っていた紙に番号を記載した。

　高校生と思しき女の子の牧童が、「どうですか？」と不安げな表情で聞いてきた。

かなり期待できると思いますと笑顔を向けると、牧童はとても嬉しそうな顔をした。

「ずいぶん、ずんぐりした仔を選ぶんやな」

「この時期、あれだけずんぐりするってことは、肉が付きやすいってことじゃないかと」

　見た感じで胴が長く長距離竜っぽいのに、あれだけずんぐりする。

つまりは早い時期から活躍が見込めるという事になる。

産卵の関係で競争生命の短い牝竜にとって早熟性が高いという事はそれだけで高評価である。

「まあ足も長かったし、走りそういうたら走りそうやな。目標は『重陽賞』いう感じやな」

「もし競竜としてそこまでじゃ無くても肌竜では」

「なるほどな。そういう選び方もあるわな」

　一通り見て周り岡部も杉も三頭の竜を抽出した。

岡部の方にも杉の方にも『サケセキラン』の仔が一頭づつ入っている。

　競り会場に向かい、最上と共に乳個をつまみに葡萄酒を呑んでいた四釜にその紙を手渡す。

四釜はその紙を持って入札予定の申請をしに行った。

　しばらくの間、杉も岡部も枝豆と唐黍の素揚げをつまみに生麦酒を呑みながら、最上と歓談して競りの開始を待った。

「この年代から『セキラン』の仔が走り出すんですね」

　岡部がそう最上に言うと、最上は少し遠い目をした。

「あれは良い竜だったな。バラバラだった多くの心を一つにまとめ上げてくれた」

「あれから、もう六年なんですね。どうなんですか、評判のほどは？」

「氏家の話だと年々評価が上がってるそうだ。来年からは種付け頭数を抑えないといけないかもと言っていたよ」

　そんなになんですかと杉が驚いた。

「うむ。見栄えが良い仔が多いそうでな。稲妻の『ソルシエ』系に対抗していけるかもという評判らしい」

　そこに四釜が帰ってきた。

四釜は椅子に座らず、少し慌てた表情で岡部にたずねた。

「岡部先生、本当にあの竜が一番で良いんですか？」

「何かあったんですか？」

　岡部だけじゃなく、杉と最上もどうしたんだと四釜にたずねた。

「いえね、どの竜がどれくらいの競売人数かって一目でわかるんですけど、あの竜、うちしか入れてませんでしたよ」

「じゃあ、掘り出し物じゃないですか！」

　岡部は嬉しそうな顔をするのだが、四釜は何を言ってるんだという顔をする。

「普通に主取(ぬしと)り物件だと思いますけど……」

「主取りって？」

　えっとですねと言って、四釜は競売の仕組みの解説を始めた。

　冊子に書いてある競売価格というのは、生産者が最初に入札に入れる金額の事である。

つまりは他に誰からも入札が無ければ生産者の買い取りとなる。

それが『主取り』。

ようは売買不成立という事である。

　今回の競りは初回なので、実はどの竜もかなり競売価格が強気に設定されてる。

この先、来月、再来月と何度も競りは行われるのだが、その都度競売価格は下げられていく。

買手側からしたら初回の競りは話題となっている竜の奪い合いであって、競売価格の安い竜は見向きもされない。

徐々に競売価格が下がっていく事で、買い手側の購買意欲と折り合っていく感じなのである。

「じゃあ、あの値段でもかなり高額な設定なんですね」

「そうですね。確かに初回にしては、あの竜格安ですね」

　四釜は競売冊子にじっくりと目を通した。

「この竜、五番目の仔で、上四頭全て未勝利で、肌竜（＝母竜）が大きく評価を落しているみたいですね」

「種《たね》（＝種牡竜）は全部一緒なんですか？」

「全部同じ『ナイトシェード』系の『クレナイゾウイ』ですね。何かこだわりがあるんでしょうかね」

　競りが始まった。

さすがに初回だけあり、元々前評判の高かった竜以外は多くが主取りになっていった。

『サケセキラン』の産駒がかなり好評だと言うのは入札の多さからも良く分かった。

　先に例の岡部の竜の順番になった。

先ほど見た女の子の牧童がカチカチに緊張しながら、ずんぐりとして見栄えのしない竜を曳いて台上中央の品評場へとやってきた。

　競売人の木槌が鳴り競売価格が発表される。

だが予想通り、どこからも入札の声は挙がらない。

牧童は思った以上の反応の悪さに泣きそうになってしまった。

「先生、本当に良いんですね？」

　岡部が四釜を見て大きく頷く。

四釜が入札の声を挙げると、周囲が一斉に四釜の方を見た。

元々一件しか入札希望の申請は無く、競売人は木槌を叩き即座に取引は終了。

　牧童はうって変わって晴れやかな顔で、目に涙をにじませ、ずんぐりした竜を曳いて台上を下がっていった。

　その光景を見て渓谷会の小笠原会長が最上の隣の席に座った。

最上に比べるとずいぶんと背が低いが、かなり細身で年齢は最上と同じか少し下といった感じだろうか。

頭髪は完全に真っ白となっている。

「珍しいじゃないですか。紅花会さんが初回の競りに来るだなんて」

「急に呂級の調教師が増えたものでね、竜が足りなくなってしまったんだよ」

「それはまた景気の良いことだなあ。さっきの竜は誰の見立てなんです？」

　最上は無言で岡部を指差した。

小笠原が岡部の顔を見て微笑む。

「自分の竜は自分で選んだらどうかという話になってね」

「おお！　岡部先生が見込んだ竜なのか！　やはり我々とは、どこか見るところが違うんでしょうな」

　あの格安の竜を仁級、八級で三冠を取った調教師が選んだのかと、小笠原は再度冊子を開き先ほどの竜の写真を見つめる。

「そちらはどうですかな？　成果の方は」

「良い竜には金を惜しまないよ。それでちゃんと利益も出しているしね」

　小笠原はまだ岡部の落札した竜の写真に釘付けとなっている。

「じゃあ、今日買った竜は来年の秋には、エイユウの冠名で走るんですな」

「『サケセキラン』の仔も買いましたよ。頭数こそ少ないが、どれも見栄えの良い仔で目移りしたよ」

　最上は一杯やらないかと言って葡萄酒を差し出したのだが、小笠原は競りは真剣勝負なのだから競りの間は酒はやらん事にしていると言って丁重に断った。

　その後、杉が選んだ竜の競りが始まった。

こちらは岡部の方とは異なり何人かの競り合いになった。

最上は、岡部の方の竜が格安だったから、浮いた資金をこちらに投入しろと四釜に命じた。

ところがこちらも元々の競売価格がそこまで高く無く、高くなったとはいえ、それでもかなり安く済んだ。

結局、当初の予算からしたら三分の一くらいで済んでしまったのだった。

　最上は二人を、無欲なことだなと言って笑った。

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