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競竜師  作者: 敷知遠江守
第五章 課題 ~呂級調教師編(前編)~
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第8話 吉川

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(呂級)

・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女

・岡部菜奈…岡部家長女

・戸川直美…梨奈の母

・戸川為安…梨奈の父(故人)

・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫

・大崎…義悦の筆頭秘書

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・大宝寺…三宅島興産社長

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(仁級)。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・杉尚重…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(八級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(呂級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手

・牧光長…岡部厩舎の調教助手

・垣屋、花房、阿蘇、大村、内田、成松…岡部厩舎の厩務員

・跡部資太郎…白詰会の調教師(八級)

・香坂郁昌…跡部厩舎の専属騎手

・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)

「これが、呂級の厩舎……」


 阿蘇たちは感動で打ちひしがれている。

新発田に至ってはポロリと涙まで零している。


 荒木と垣屋たちは別の意味で感動している。

荒木は新しく補充された厩務員が垣屋と花房だったことを喜んだ。

垣屋と花房は、岡部厩舎の場所が旧戸川厩舎だったことに感涙している。


 それぞれ違う思いで感動している厩務員たちを、岡部は珈琲を飲みながら温かく見守っている。

そんな岡部の目の前の机上には、『セキラン』を前に戸川と長井と一緒に撮った写真と、国司の形見の写真が置かれている。



 ある程度落ちつき少し騒がしくなり始めたところで、全員を集め伏見稲荷の御札の入った神棚に拝礼した。


「じゃあ、うちの厩舎の新年の恒例行事を始めようか!」


 岡部のその言葉を聞くと成松や服部たちは、うわ、今年もやるのかと、かなり嫌そうな顔をした。

新発田と垣屋たちは何のことかわからず首を傾げている。


 岡部は国司の遺品となってしまった毛筆の道具を取り出しニヤリと笑った。

もはや慣れたもので、荒木は水を持ってきて硯に墨を磨りはじめた。


 そんな荒木に垣屋が何をやるんだとたずねた。


「書初めですよ、書初め、全員ね」


 荒木が、ひたすら墨を磨りながら言うと、花房と新発田が露骨に嫌そうな顔をした。


 岡部は紙を前に手を合わせ精神を統一している。


「先生、そろそろ良えですよ」


「良し! じゃあ、僕から行くね!」


 岡部が書く文字は毎年決まっており、今年も『真摯』という字を丁寧に書いていった。


「こんなもんかな」


「なんや、年々上手なってますね。貴重な才能をこないな事に費やしてもうて」


 花房と新発田が思わず上手いと唸った。

服部と成松が、初回のあれからしたら、まるで別人だと笑いあった。

阿蘇と大村はそれを聞いて噴出した。


 その後、荒木、服部、新発田、阿蘇、大村、内田、成松と書初めをしていった。

成松まで終わると、垣屋、牧、花房と書いて行った。


 さすがに荒木は慣れたもので、阿蘇、大村、内田も、かなり慣れた感じだった。

服部と成松は、初回からすれば岡部同様かなり上達している。

垣屋は驚くほど達筆で、荒木とどちらが上手かという感じだった。

牧はそこそこ、花房ははっきり言って下手だった。


 今回、文字になっていなかったのは新発田。

新発田は、こういうのは苦手だと言って不貞腐れたが、内田から初回の先生の作品みたいと言われ、自分もこうなれるのかと岡部の作品を見てかなり希望を持った。




 書初めが終わると、服部、新発田、牧、荒木、内田、成松に残ってもらい、残りの人たちは来週から研修だからと言い含めて解散してもらった。

まだ陽も高いというに垣屋と花房は呑みに行こうと阿蘇たちを誘っている。


 七人で呂級最初の定例会議を行う事になった。


「会議がごっつい大人数になりましたね」


 荒木が一同を見渡しそう感想を述べた。


「そうだね。その分しっかり稼がないとね」


 岡部はそう言って笑った。


「まず役職と体制を言っておくね」


 そう言うと岡部は後ろの白板に体制表を記載していった。

岡部の横に服部を記載。

岡部のすぐ下に荒木を記載。

服部の下に新発田と牧を記載。

荒木の下に内田と成松を記載した。


「当面はこんな感じになる。牧さんと新発田が調教助手、荒木さんが主任、内田さんが筆頭、成松は副だね」


 副って何するんですかとすぐに成松がたずねた。


「特に何もないよ。内田さんの代わりに会議に呼ぶかもくらい。手当も無い」


 成松が何も美味しく無いと言うと一同は笑い出した。


「先生、この体制やと二人減になってまいますね」


「それなんだけどね、宗像が向こうに行った代わりに、松井くんが、若い人一人こっちに転厩させたいって言ってきたんだよ」


「それでも結構きびしないですか?」


 足りない部分に牧、荒木、内田が入るとしても、さらに一人夜勤要因が来たとしても、それでも勤務的にかなり厳しいだろう。


「まあ、秋までは新竜いないから。それにほら、後は主任さんの勤務作成の技術で何とか」


「でた。これだよ」


 荒木の態度に一同がまた笑い出した。



「当面牧さんは調教はやらない方向ね。服部と新発田に慣れてもらわないといけないから」


 最初は二人とも慣れていないから、指導もお願いしたいと岡部は言った。

牧がわかりましたと頷く。


「今年内田さんが試験受けて、来年牧さんが受ける順番にしたから、今年一年でしっかり調教計画学んでね」


 戸川先生に代わって自分が教えますからと言うと、牧は昔の事を思い出して顔を強張らせた。

それを見た荒木がぷっと噴き出す。

その後少し考え、自分が今年じゃダメなのかと牧はたずねた。


「実は、去年うちから騎手候補を出してて、そっちはもう内田さんにお願いしてるんです。で、去年、出羽郡の竜術大会優勝した子が、今年うちの会派から騎手候補として受験する予定なんだって」


 じゃあ一年待ったら試験が各段に楽になるじゃないかと牧は大喜びした。




 会議が終わると全員解散とし、岡部は一人事務室に残って研修の申込と受託の申請を記載した。

その後、北国牧場に連絡し、世代戦の二頭を先行で入厩してもらうよう手配した。

電話を切ると入厩の申請書を記載し、全ての書面を持って事務棟へ向かった。


 申請の各書面を見た浅利は、事務処理の手際が良いですねと苦笑いした。

昇級した先生、まだ誰も申請なんて持ってきてませんよと。

なんなら年末の競りで購入した竜の編入の申請すら誰も持ってきていないと。



 事務棟から帰ろうとすると吉川きっかわ調教師と鉢合わせた。

その恰好は、いつもの動きやすい恰好ではなく、休日に家でくつろいでいるような恰好であった。


「おお、岡部! まさかここまで最短で駆け上がってくるとはなあ」


「吉川先生もお元気そうで。今日は緊急出勤ですか?」


 吉川は岡部の問いには答えず、後でお前の厩舎に挨拶に行くと言って事務棟に入って行った。



 珈琲を淹れて待っていると吉川が現れた。


「戸川の厩舎を使わせるとか、事務棟も酷なことしよるな」


「僕が希望したんですよ。義父さんに見守ってもらえるかもって」


「そうかそうか。なるほどな。そういう考えもあるわな。他人やないんやもんな」


 そういう頭の柔らかさは相変わらずだと言って吉川は笑った。

気のせいだろうか、以前に比べ今日の吉川はどこか老け込んでいるように感じる。


「で、先生はどうされたんです? そんな格好で」


「調教師を辞めることにしたんや」


 岡部は耳を疑った。

事の重大さに比べ、あまりにもあっさりとした返答であった。


「その、先生が辞めてしまったら、尼子会は……」


「その尼子会と揉めて辞めることにしたんや」


「何があったんです? その、差支えなければ」


 ふむうと吉川は吐息を漏らして頭をぽりぽりと掻いた。

真白に色の抜けた髪が一本机に落ちる。


「うちの会派な、小さいながら牧場を持っててな。いつか大きなる日が来る思て、ずっと踏ん張ってたんや」


 吉川は珈琲を一口飲んで、おっと声をあげた。

そこから吉川は少しだけ昔話を始めた。


 ――吉川佐経(すけつね)の師は上村(うえむら)武頼(たけより)という呂級の調教師であった。

まさに愛弟子という感じで、吉川は上村から調教技術の全てを授かった。

ついでに上村の娘の一人も授かった。

上村は尼子会の先代会長小早川宏平(ひろひら)に、かなりの逸材が今度開業すると吉川の事を宣伝した。

少なくとも呂級まではすぐに来れるだろうから、会をあげて支援してやって欲しいと。


 小早川会長はその言葉を信じ、先行投資だと言って北国に小さいながら牧場を開き、八級と呂級の生産を行う事にした。

吉川も期待に答え、仁級をわずか三年で突破。

さらに八級も三年目で突破できそうな雰囲気であった。


 そんな折、上村が急死した。

小早川会長はそれにがっくり来てしまったらしく、急速に覇気のようなものを失っていった。


 結局、その後吉川は八級を抜けるのに五年かかった。

吉川が呂級に昇級すると、小早川会長は会長職を息子の肇平(としひら)に譲って隠居してしまったのだった。


 上村が亡くなってから、牧場は呂級の生産を止めてしまっており、吉川厩舎に預けられる竜は非常に質の悪いものになっていた。

それでも吉川は呂級で踏ん張り続け、なんとか会長と二人三脚でここまでやってきた――



「ところがや、ここに来て尼子会がある会派の傘下に入ることになったんや」


「もしかして紅葉会さん?」


「ほう! ずいぶん耳聡いんやなあ。そや、紅葉会や。僕、稲妻系が大嫌いなんやけども、あの会派も同じくらい好きや無いねん。大会派でございますいう態度しくさって」


 そう言うと吉川は拳をぎゅっと握りしめた。


「でも、それはそれなんじゃないですか?」


「僕はな、会長に言うたんや。紅花会さんを見習うてけて。これから良え調教師、どんどん送り出してったるさかい、牧場の生産規模を拡大してったら良えって」


 実際に盟友のように仲良くしていた戸川にはそれができた。

ならばうちがやってやれないはずがない。

そう言って会長を焚きつけていた。


「でも、別に紅葉会さんの傘下でも、拡大していけるんでは? あそこを利用して拡大していくという手もあるでしょ」


「かもしれへん。そやけどもやな、僕になんの相談もなくあっこの傘下に入る事にしたいうんは、僕の言葉を信用できひんくなったいうことやろ。僕はそれがどうにも許せへんかったんや。なんや裏切られたような気いしてな」


 こっちは二人三脚でやってきたと思っていたのに。

向こうはとっくにこっちに見切りをつけていただなんて。

吉川は憤って拳で自分の膝を叩いた。


「で、小早川会長と喧嘩になったと……」


「喧嘩にすらならへんよ。もう決まったことなんやって言われた。それも部長にや。三年前に競竜部の部長が代わりよってな。そっからいまいち反りが合わへんねや」


「でも吉川先生だって、これまで筆頭調教師として、色々と我慢されてやってきたんでしょ?」


 吉川は岡部の顔を一瞥すると珈琲を飲んだ。

大きくため息をついてから、ぼそりと呟くように喋り始めた。


「戸川がおったからな……あれも色々と苦労しとったから。戸川が頑張ってるから僕もって思うて、ここまでやってきたんやわ。おらんようになってからの一月、どうにも心に穴が開いたようになってもうてな」


 吉川は岡部を見ずに横の壁を見て呟いた。

岡部は黙ってうつむいてしまった。


「まあ、あれや。周囲の同年齢のやつらは、定年で続々と会社辞める年齢やからな。僕もここらできっぱりと引退しようって決めたんや。『頃合い』いうやつやな」


「引退されて、今後をどう過ごすつもりなんですか?」


「竜券を買うてみたい。しこたまな」


 急に晴れやかな顔になり目を輝かせた吉川に、岡部は思わず吹き出した。

そんな岡部を見て吉川も豪快に笑い出した。


「それにや、呂級以上の調教師は、引退後はそれなりに引く手があるもんなんや。実は出入りの記者から競竜の番組に解説で出てくれいう誘いがあってな。落ち着いたら受けよう思うてるんや」


 岡部は、これまで色々とお世話になりましたと言って頭を下げた。

君が来てから色々な事があって何かと楽しかったと吉川は微笑んだ。

最後に吉川は、呂級で一緒にやろうという約束を反故にしてしまってすまないと謝罪した。


 こうして吉川調教師は皇都を去って行った。

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