第1話 囮罠
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(八級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・岡部菜奈…岡部家長女
・戸川直美…梨奈の母
・戸川為安…梨奈の父(故人)
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、本社社長
・大崎…義悦の筆頭秘書
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・大宝寺…三宅島興産社長
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(仁級)。夫は中里実隆
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・松井宗一…紅花会の調教師(八級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(八級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手
・阿蘇、大村、内田、成松…岡部厩舎の厩務員
・杉尚重…紅花会の調教師(八級)
・跡部資太郎…白詰会の調教師(八級)
・香坂郁昌…跡部厩舎の専属騎手
長い一日が過ぎ去ろうとしている。
空には冬の特徴的な三連星が瞬いているが、新月で月はほとんど見えない。
病院まで大宿の送迎車が来ており、岡部たちは一旦皇都の大宿へ向かった。
車で来ていた者は車を運転し大宿へ向かった。
松井夫妻と武田は自宅へ帰って行った。
大宿に入ると、受付横の待合所で義悦と大崎が珈琲を飲みながら待っていた。
岡部たちが到着したのを見て受付まで来たのだが、最上が目を瞑って首を横に振ったのを見て二人は大きくため息をついた。
直美は熱を出して寝ている菜奈を抱え、岡部も熱を出してぐったりしている梨奈を背負い大宿へと入ってきた。
二人はすぐに部屋を案内してもらい、熱を出してぐったりしている二人を寝かせた。
部屋に入った時点で直美は少し気分が落ち着いたらしい。
一旦家に戻り着替えやら喪服やら当面の荷物を取りに行きたいと要望。
岡部自身も、今後の機動力確保のために競竜場に車を取りに行きたいと考えていたところだった。
受付横の待合所で最上たちが何やら話し合いをしている。
岡部が一旦伏見の家に戻りたいと言う話をすると四釜の顔が曇った。
かなり危険なので四釜が運転をすると言いだした。
自分の家に戻るのが危険と言われたことに岡部は不安を覚えた。
宿を出発する前に、四釜が念のためと言って加賀美に連絡を入れており、いったい何が起こっているのかとかなり不安感を抱いた。
戸川宅から少し離れた場所で四釜は車を停めた。
そこから先は警察によって厳戒態勢が取られている。
その先では報道が取材をしようと戸川宅を取り囲んでいる。
車から降りると、すぐ近くに加賀美が織田会長と警察と共に立っており、その横には日競の吉田が部下数人を引きつれ侍っていた。
織田は岡部を見ると戸川はどうなったかとたずねた。
岡部が無言で首を横に振ると、織田は大きくため息をついた。
こっちは御覧の通りの有様だと織田は戸川宅を指差した。
ここに来てどうにかしようと試みたのだが、報道と野次馬を全く制御できていない状態だと。
四釜は岡部に、どうやってこの状態で家に入ろうというんですかとたずねた。
岡部の顔には感情というものが見えない。
戸川の死を告げられて号泣した後から、ずっとこの表情である。
「加賀美さん、警察はこれ撮影許可出してるんですか?」
「出してるわけないでしょ。というか出すわけないでしょ」
「じゃあ、こいつらを写真に撮れば、証拠として何かしらの違反で逮捕できますよね」
岡部の指摘に加賀美と織田は目を丸くして驚いた。
これまで自分たちが手をこまねいていた状況を、岡部は来て瞬時に対策案を出したのだ。
警察は織田の顔を見てその手があったと言い合った。
罪は軽微だが道交法違反とか盗撮で逮捕はできると岡部を見て頷いた。
「吉田さん、写真機貸してください。無理やり押し入って写真撮ります」
吉田はニヤッと笑うと、今四台あるので全部どうぞと言った。
岡部は加賀美と四釜の三人で写真機を構え、警察の先導で報道の中に無理やり入って行った。
騒ぎの中心に行くと三人で背合わせになり写真を撮りまくった。
すると、先導した警察が、道交法違反と盗撮の証拠を撮った、全員逮捕しろと大声で叫んだ。
警備をしていた警察が一斉に警棒と手錠を出し報道を捕まえようとした。
その場にいた報道は蜘蛛の子を散らすように逃げ出したのだが、幾人かは逮捕され警察に連れていかれた。
報道が警察に逮捕された事で、近隣住民たちも家路についた。
さらに怪しげな連中も姿を消した。
車を降りた直美は戸川宅のあまりの惨状に絶句。
直美の車はめちゃめちゃになっており、家の窓ガラスは多くが割られ、壁も投石によってそこかしこに大きな穴が開いている。
岡部は家に上がると、侵入者がいないか確認しながら、そこら中の雨戸を閉めてまわった。
何でこんなひどい事ができるのよと言いながら、直美は泣きながら自分と梨奈と菜奈の荷物をまとめている。
岡部は自分用の荷物を四釜に預けると、義母さんをお願いしますと言って吉田の元へと向かった。
「さきほどの写真、もしかしたらやつらの工作員が映ってるかもしれないので、現像して警察に引き渡してください」
吉田はかなり驚き、すぐに部下に写真機を預け、現像でき次第競竜場に届けさせますと返答した。
加賀美は車に織田、岡部、吉田を乗せ皇都競竜場へ向かい、事務棟の大会議室に入った。
そこは臨時の捜査本部となっており、連合警察の管理官と丹羽が待機していた。
どうやら本部にも戸川が亡くなったという報が入ったらしく、岡部の顔を見ると丹羽はやるせないという顔をし、お悔みの言葉を述べた。
「木村はまだ見つからないのですか?」
そう岡部が問うと、警察の管理官は四方手を尽くしているのですが未だにと渋い顔をした。
「吉田さん、何か情報はありませんか?」
「さっきちらっと聞いたんですが、犯人が竜十字やいうんは間違いないんですか?」
「間違いありません」
岡部はこういう場合、いつも推測だと前置きをする。
それがきっぱりと言い切ったという事は、どうやら自分たち報道が手にしていない何かしらの情報を岡部は得ているのだと吉田は察した。
「それやったら一つだけ心当たりがあります。ただ詳しい場所までは……」
「何でも良いんですよ! 警察も手詰まりなんですから!」
岡部の表情は鬼気迫ったもので、吉田も恐怖に背筋が凍った。
「皇都の近くに竜十字の支部があるらしいんですわ。表の商売は大陸との貿易店やって聞きます」
それを聞いた管理官は捜査には上がってきていない情報だと言った。
「場所は全くわからないんですか?」
「申し訳ないんですが。そもそもあくまで噂やし。そやけど匿われとるんやとしたら、恐らくそこやないかと……」
何でも良いとは言ったものの、さすがに情報が曖昧過ぎる。
せめて町の名前だけでもわからないと、そういう奴らである、どんな行動に出るかわかったものではない。
「ところで、何でそこが竜十字の拠点だと思われているんですか? 外見は雑貨屋なんですよね?」
「前々から危険な情報として報道の中に出回っとったんです。警察の人ら言葉が通じへん言うて、あんま関わらへんようにしとるらしくて。そやけどそこ、銃やら麻薬なんかも扱うてるらしく」
拠点というから、てっきりやくざの組事務所のようなものを全員想像していた。
だが今の話では、ほぼ軍事砦のようなものらしい。
「つまり、そこは治外法権になっているんですか?」
岡部の問いに吉田は、さあと言って警察の方を見た。
岡部たちが管理官を見ると、歴代の国家公安委員長から国際問題になるから見て見ぬ振りをしろと言われていたと言って管理官はうな垂れた。
管理官は非常にバツの悪い顔をし、都警に何か知らないかとたずねた。
だが、首を横に振られてしまった。
しかしそれはある意味で大きな情報ではあった。
都警が知らないということは周辺の郡の可能性が高いと岡部は瞬時に判断した。
「……なら、こういうのはどうでしょうか?」
翌日、岡部と直美は、大崎と四釜を交え、通夜と葬儀をどうするか話し合った。
梨奈は一日経って多少状態が回復しているが、まだ熱が引かず起き上がれるという状況ではない。
寝台に横になりながら、隣の寝台で眠っている梨奈を虚ろな目で見つめている。
菜奈もまだ熱が出たままだった。
そのため、あげはは梨奈と奈菜の二人を看病している。
小児科の話だと奈菜は扁桃腺が腫れてしまっているらしい。
最上も昨日の事ですっかり疲弊してしまい朝から休んでいる。
通夜はその日の夜、葬儀は四日後と決まった。
通夜は戸川の親戚と最上夫妻だけの参加となり、弔問受入れはごく親しい者以外は葬儀でということになった。
四釜と二人で夕刻までに通夜の準備をしておくので、岡部先生はそれまで休んでいてくれと大崎が言った。
岡部は深々と頭を下げ、直美と共に梨奈と菜奈の元へと向かった。
夕方、紅花会の斎場に戸川の親戚が集まってきた。
梨奈はまだ熱が出ているのだが、それでも父の通夜とあって無理を押して斎場に向かった。
奈菜も暖かい恰好をさせて岡部が抱きかかえている。
親戚たちは梨奈を見ると、こんなに大きくなって、旦那さんまでもらって、子供まで設けて、あの病弱だった娘がと顔をほころばせた。
親戚たちからしたら幼少から知っているだけに今の梨奈が信じられないのだろう。
しばらくすると寺の住職が現れた。
◇
その頃、戸川宅では警官が食事を取るため交代の時間となり、一時的に警官がいない時間ができた。
それを見た三人の男が戸川宅に近づき火を付けた。
交代の警察が現れると犯人は逃げ出した。
◇
斎場では住職がお鈴を鳴らした。
木魚がポクポクと叩かれ朗々と経が読まれ始めた。
◇
戸川宅の警察たちは犯人が付けた火を消すと、戸川宅の前の道路で篝火を燃やし、事前に協力依頼していた消防を呼んだ。
消防は警笛を鳴らしながら数台の消防車を戸川宅へ向けて走らせた。
◇
斎場では参列者の焼香が始まった。
最初は喪主の直美、続いて梨奈、岡部の順で焼香していった。
焼香の煙が喉に絡んだらしく、奈菜がこほこほと咳込んで泣き出してしまった。
◇
戸川宅から逃げた放火犯は、私服警官によって密かに後を付けられた。
三人は戸川宅から少し離れた場所で消防車の音を確認。
別々に用意していた車に乗り南へと車を走らせ、郡境を超え西府の枚方市に入った。
市内のとある輸入雑貨屋に三人は別々に到着。
三人の後を付けた警察から連絡を受け、連合警察は機動部隊を雑貨屋付近に隠れて集結させた。
◇
斎場では一通り焼香が終り、住職が再度木魚を叩き経を読みはじめた。
◇
三人の警察が閉店作業中の雑貨屋を訪ねた。
中から出てきた人物は、言葉がわからないという態度を取りニヤついた。
三人の警官は強引に中に押し入ろうとしたのだが、二人が銃で撃たれた。
それを合図に、待機していた連合警察の機動部隊が一斉に雑貨屋へ突入。
雑貨屋には広い地下室があり、そこで激しい銃撃戦になった。
多くの怒声と銃声が雑貨屋周辺に鳴り響く。
雑貨屋から逃げ出てきた者も漏れなく外で待機していた警察に捕まった。
◇
斎場では住職が経を読み終え、通夜は滞りなく終了した。
住職が帰ると、岡部の携帯電話に加賀美から連絡が入った。
岡部は斎場を抜け外に出てから電話に出た。
何となくだが、あまりこうしたやり取りを梨奈に見られたくないと感じたからである。
「先生、罠はしっかり発動しましたよ」
「そうですか。で、首尾は? 木村は?」
すぐにそう問われ、加賀美は一瞬言葉に詰まった。
「枚方の奴らの拠点は壊滅しました」
「そうですか。で、木村は?」
岡部からしたら竜十字の拠点などどうでも良い。
問題は犯人がどうなったかである。
「見つけたそうですよ。ですが……」
「まさか……」
「襲撃の時に流れ弾に当たったのか、仲間に殺されたのか、はたまた自殺か。いづれにせよ銃で撃たれて亡くなっていたそうです」
恐らくは口封じだろうと岡部は感じた。
竜十字にとって木村は単なる捨て駒だったのだろう。
「それ以外には何か見つかったのですか?」
「明日、明るくなってから徹底調査の予定だそうです」
それでは遅い!
岡部はそう強く指摘した。
「残党に火を付けられて隠滅されないように、今の内からやった方が良いと思います!」
「なるほど。そう警察に進言しますよ」
そう言うと加賀美は近くの警察に指示をした。
そのやりとりが電話越しで聞こえてきた。
「それと、政治家も動かしておいた方が良いかと。翼賛党と社共連の政治家に横槍を入れられないように。以前のように証拠を握り潰してくるかも」
「わかりました。そちらは明日、竜主会の緊急会議で周知しておきましょう」
加賀美との電話を切ると、岡部は斎場の裏口へと向かった。
そこに日競の吉田が車の中で待機していた。
その車に岡部も乗り込んだ。
吉田も報道の一員である。
報道はこういう極めて身内だけの場面を写真に撮ろうとする悪癖がある。
そのため、どこで写真を撮られるかわかったものではない。
そういった写真で後々どういう話になるかわかったものではないため、こうして裏口に隠れているのである。
「うまくいったそうです。犯人の木村は銃殺されていたそうですが」
「用事が済んだらさっさと処分ですか。何がしたいんやら」
喪服姿の岡部は大きく息を吐いた。
「日競さんは……どこまで僕と心中できるんです?」
「新聞としてできるとこまでです。主筆とはそういう話ができていますから」
「では、もしも新聞協会を敵に回してくれと言ったら?」
あまりにも覚悟のいる質問に吉田は息を飲んだ。
「なるほど……そう言う事ですか。そしたら敵を協会から追い出し、協会そのものをこっちに付けますよ」
「どうやって?」
「中傷事件の時にわかったんです。かわらと政経は向こうには付かへん。そしたら数ではこっちが優勢やって」
かわら新聞と政経新聞がこちらに付くなら心強いとは思う。
だがここまでの感じから、どう考えても日競新聞が孤軍奮闘する姿しか想像ができない。
「前回そうだったからって今回もそうだとは限らないのでは?」
「いや、おそらくそうなると思います。多分彼らもうちらと一緒で、未だにやつらとは一線引いとるんですわ。今回の暴挙が竜十字の仕業いうんはすぐに知れるでしょうから、間違いないと思います」
岡部は小さく頷いた。
以前の『七・一三事件』の説明から吉田の予測はある程度納得できると感じた。
「そういえば、協会の会長って幕府日報だって聞きましたけど?」
「新聞協会の会長なん単なる雑用ですわ。何の権限もあらしませんよ」
岡部は静かに目を閉じ少し考え込んだ。
かっと目を見開くと吉田の肩を掴んだ。
「おそらく向こうは明日の朝刊から動いてくると思います」
「そしたら、うちらもこの事記事にして先手打ったりますわ!」
特報による戦だと吉田は目を輝かせた。
「では、今から競竜場に行って加賀美さんから詳細を聞いてください。それを記事にしたら、かわらと政経にもまわしてください。できれば通信社も抱き込みたいです」
「はあ? 何を言うとるんです? 特報なんですよ? それを他社に共有て……」
「特報だからですよ! 利も共有して釣るんです! それとも孤軍で戦いたいんですか?」
岡部の剣幕に吉田は思わず後ずさった。
「わかりました。すぐに仕事に移らせてもろてよろしいでしょうか? かわらたちに紙面空けてもらわなあきませんから」
「頑張ってください。期待してます!」
岡部が車から降りると、ではと短く言って吉田は車を急発進させた。
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