第２６話 菊花杯
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(八級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)
・戸川直美…戸川の妻
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、三宅島興産社長
・大崎…三宅島興産総務部長、義悦の腹心
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場（北国）の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場（南国）の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師候補。夫は中里実隆
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・松井宗一…紅花会の調教師(仁級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(八級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・国司元洋…岡部厩舎の調教助手
・阿蘇、五島、千々石、大村、内田、成松…岡部厩舎の厩務員
・宗像真波…岡部厩舎の女性厩務員
・斯波詮人…紅花会の調教師見習い
・杉尚重…紅花会の調教師(八級)
・津軽信明…紅花会の調教師(八級)
『菊花杯』を目前に岡部厩舎に来客があった。
現在、西国首位の秋山調教師と同期の武田である。
とくに二人で示し合わせたわけではない。
最初に秋山調教師が訪ねてきた。
岡部が珈琲を淹れていると、そこに武田が訪ねてきたのである。
「ほう！ 噂の『五伯楽』か！」
訪ねて来た武田を見て、秋山がそう茶化した。
「なんですかそれ？」
「君ら同期五人のことやがな。岡部、武田、松井、大須賀、松本。どいつもこいつも俊才やって、今、新聞の格好のネタやないか」
「報道はすぐ変な名前付けたがるんだもんな。そもそも初年度、僕、最下位だし」
岡部は不貞腐れた顔で秋山と武田に珈琲を差し出した。
「その最下位君が『夏空三冠』やろ。今仁級の三人も、松井と大須賀が首位、松本が二位やで。うちの同期も少しは見習って欲しいもんやわ」
「秋山さんの同期って、どんななんですか？」
「うちか？ うちは酷いで。俺以外全員仁級で全く芽が出ず燻っとる。順位も下の方の奴ばっかりや」
秋山は珈琲を啜ると豪快に笑い出した。
「学生時代も秋山先生だけが？」
「自分で言うんは面映ゆいんやけども、実習競走はずっと僕が首位やったね。君ら月替わりで首位変わってたんやってね。それも記事になってたわ」
「そうは言っても武田くんが圧倒的でしたよ。凄い安定してて」
君と松井くんの竜が酷すぎたんだと武田は謙遜した。
岡部くんの竜はガリガリ、松井くんの竜はとんでもない老竜、その二頭に勝たれてこっちは面目丸つぶれだと武田が言うと、秋山は大笑いした。
「でもさ。君ら昇級初年度やで。どんなに良え成績でも昇級できひんのやで。そこまで気張ることないやん」
「それ言ったら秋山先生だって、もう全休でも昇級できるでしょうよ」
小銭稼ぎする必要は無いと岡部が指摘すると、武田は岡部の顔をじっと見て、君がそれを言うのかと指摘。
秋山は飲んでいた珈琲を思わず吹き出しそうになった。
「実は俺は重賞最多勝を狙ったろう思うてたんや」
「思ってたってことは、今は違うんですか？」
秋山はビシっと岡部を指差した。
「今はお前から逃げ切り勝ちしたい思うてる！」
「逃げ切りも何も、先生はここまで重賞四勝じゃないですか。普通に逃げ切れるでしょ？」
残りは今回の『菊花杯』を入れて、『黄玉賞』『白浜賞』『砂王賞』の四つ。
恐らく秋山は新竜の受け入れはしていないであろうから『白浜賞』は出ないとして、古竜中距離戦の『黄玉賞』と古竜長距離戦の『砂王賞』が勝負所である。
「俺も先月まではそう思うとったんや。そやけど気づいてもうてん。残り四つの重賞取られて、初年度のお前に抜かれての昇級は、さすがに気分が悪いいうことに」
「まさかそんな……こっから四連勝とか……そんなに弾持ってませんよ。嫌だなあ」
岡部くんのこういう件は信じたらダメですと武田は真顔で秋山に訴えた。
秋山もうんうんと頷いている。
「どっからともなく隠し玉出してくるやつやからな。そんな戯言、絶対信じてやるかいな。俺はお前に勝った調教師として競竜史に名を刻むんや！」
夜の八時が近づく。
いつもと同じく内田が『サケギンザ』を曳いている。
『サケギンザ』は六枠十一番、直前人気は四番人気となっている。
一番人気は秋山の『タケノレンジュ』。
武田の『ハナビシコウホネ』は三番人気となっている。
係員の合図で、それぞれの騎手が各々の竜に騎乗し競技場へと向かって行った。
発走者が旗を振ると発走曲が鳴り響き、競技場に照明が集まってきた。
――
世代三冠戦最後の一冠『菊花杯』の発走時刻が迫ってまいりました。
速さの桜花杯、強運の優駿杯、最後の一冠は強さの菊花杯と言われています。
どの竜がこの世代で最も強い竜なのか。
三頭が回避して全十五頭、順調に枠入りが進んでいます。
全竜体勢完了、発走！
全竜、綺麗な発走。
エイユウサモンが押して行きます。
外ニヒキホナミも並んでいく模様。
少し控えて、内イナホトッパオー、中ヤナギダイカン、外にユキノハナドケイ、サケギンザ。
その後ろ、クレナイカジン、タケノレンジュ、ロクモンベットウ。
少し離れて、ハナビシコウホネ、チクギョクズイ、ジョウサンポウ。
後方、ソクシャホウ、トモエケンザンオー。
最後方に、ミズホヒグラシ。
各竜一団となって正面直線から曲線へ。
先頭はエイユウサモン、二番手外ニヒキホナミ。
二頭並んで竜団を率い、まもなく二角を回ろうといったところ。
一番人気タケノレンジュは中団やや後ろ。
優駿杯勝ち竜ですが、距離が延びてもその能力は全く遜色無く予選を突破してきております。
各竜向正面中間点付近を疾走。
前半の走破時計は平均。
ほぼ展開の影響は無いでしょう。
昇級初年度の厩舎からハナビシコウホネとサケギンザ二頭が出走しています。
サケギンザは先頭やや後ろ、ハナビシコウホネは後方集団。
対照的な位置取り、果たしてどのような結果となるか。
千百間の長丁場です。
竜団はこれから三角へと侵入します。
曲線に入り、やや隊列が詰まってまいりました。
優駿竜タケノレンジュ、まだ中団を保持。
ソクシャホウ、トモエケンザンオー、加速を始め前との差を縮めにかかります。
全竜一団となり始めています。
四角を回って最後の直線に入りました！
最内サケギンザ、空いた隙間を綺麗に突き先頭に躍り出る！
ああっとタケノレンジュ前が塞がる！
大外からハナビシコウホネとジョウサンポウ！
ここから長い坂を登ります！
先頭サケギンザ、坂を力強く登って行く！
タケノレンジュ、空いた隙を上手く捌き坂を登って行く！
大外ハナビシコウホネも坂を登る！
直線残り半分を切った！
先頭サケギンザ、坂を登り切り一気に加速！
内からタケノレンジュが一気に上がって来る！
外からはハナビシコウホネ！
ハナビシコウホネ、もの凄い剛脚だ！
内タケノレンジュ、サケギンザに迫る！
大外からハナビシコウホネ！
ハナビシコウホネ、タケノレンジュ、サケギンザに迫る！
サケギンザもう一度前に出る！
サケギンザだ！
サケギンザ終着！
二着争いは微妙！
三冠最後の一冠は、サケギンザがもぎ取りました！
――
『サケギンザ』は競技場をゆっくりと一周した。
観客席に差し掛かると歓声は一際大きなものとなった。
服部は何度も何度も拳を天に突き上げる。
その都度歓声は大きくなった。
「完璧や！ 狙った通りの展開や！ 完っ璧や！」
服部は大興奮のまま検量所にやってきた。
大喜びで内田から鞍を受け取ると、弾むように検量へと向かって行った。
内田は、先生やりましたねと涙ぐんでいる。
岡部厩舎としては重賞は二勝目になるのだが、前回は同着で単独の優勝はこれが初めてである。
検量から戻った服部は岡部の手を取り、やりましたと大喜びした。
そんな岡部陣営を秋山と武田は指を差して悔しそうな目で見ている。
翌日、岡部は事務長の陶から記者会見を開いて欲しいとの要請を受けた。
岡部は受ける気はないと断ったのだが、参加記者は厳選するし、一人では無いからと説得された。
秋山、岡部、武田、三人同時の記者会見。
さすがに二人が受けると言っているのに、それも先輩の秋山が受けると言っているのに、自分が無視するわけにいかず、渋々、参加することになった。
会場では、比較的少ない記者数に不釣り合いな大量の中継用の撮影機が設置されていた。
前回の事がある為、会場はご機嫌取りの雰囲気があり、記者たちは三名を『西国期待の星』と持て囃した。
質問も非常に緩いもので、今年二度目の三人で上位独占だったが、どんな気分かといった感じの質問が多かった。
岡部と武田はまだ昇級資格が無いが、それについてどう思うかという質問もあった。
それについては岡部も武田も回答は同じだった。
下に落ちない以上、上がれないというのも公平だと思うという回答であった。
賞金が貰えないわけじゃないから、従業員のためには重賞挑戦するのは当然のことだと武田が言うと、記者からは感嘆の声が洩れた。
秋山はそんな両脇の二人の後輩を見て、一年先輩として絶対に負けられないと敵愾心むき出しに鼻息を荒くし記者の笑いを誘った。
来年昇級したいと思っているので、試せる事は今のうちに全部試してしまいたいと岡部が言うと、記者たちはざわついてしまった。
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