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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第四章 家族 ~八級調教師編~
202/491

第18話 斯波

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(八級)

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、止級研究所社長

・大崎…止級研究所総務部長、義悦の腹心

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師候補。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(仁級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(八級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・国司元洋…岡部厩舎の調教助手

・阿蘇、五島、千々石、大村、内田、成松…岡部厩舎の厩務員

・宗像真波…岡部厩舎の女性厩務員

・杉尚重…紅花会の調教師(八級)

・津軽信明…紅花会の調教師(八級)

 現在、岡部厩舎には八頭の竜が預託されている。

そのうち『金剛賞』を勝った『キラメキ』は放牧中。

先月、七歳の『リンネ』が能力戦三に勝利し、重賞級の竜が三頭になった。

また『ギンザ』が能力戦に勝利し重賞級になっている。

ここまで惜しい競争が続いていた『ツバキ』と『リョウブ』も能力戦二を勝利。

これで岡部厩舎の所属竜は、全ての竜が勝ち星を挙げた事になる。




 次の『真珠賞』に向けて『テンキュウ』の調教方針を国司と相談していると、厩舎に競竜会のいろはがやってきた。

今年の新竜の預託証を届けるためと、会報に載せる『金剛賞』の対談のためである。

どちらもそこまで時間がかからず、対談についても写真を数枚撮影し、軽く雑談しただけで終了した。

だが、そこまではあくまで岡部厩舎に来るついで。

いろはの真の用件はそこから先にあった。


「先生、凄いじゃない! うちは八級の重賞なんて、毎年四場で一勝か二勝できれば良い方なのに」


「良い竜を選んでもらったおかげですよ」


 岡部は少し恥ずかしがりながら珈琲を飲んで謙遜した。


「同着って言うのも良かったのよ! 会員さん、もの凄く興奮してたわよ!」


「僕はすっきり勝ちたかったんですけどね……」


 いろはがこんな風に手放しで喜んでいる時は、何かしら頼み事がある時である。

岡部も徐々にだが気が付き始めている。


「それと聞いたわよ。結婚おめでとう」


「ありがとうございます」


 本気で照れる岡部を初々しくて可愛いと言っていろはは笑い出した。


「うちの子二人とも振ったんだってね」


「そうだったんですか? 光定さんのことは聞いてましたけど」


 京香さんが僕の事をねえと、岡部は初めて聞いたという顔をする。

言われてみれば、以前戸川がそんな事を言っていたような気がしないでもない。


「あんなにわかりやすく好意をよせてたのに気付かないとか……先生、ほんと人には興味ないのね」


「それよく言われるんですけど、僕はそんな事無いと思ってるんですけどね」


 複数の人に言われている時点で、どうしてそんな事は無いと言い切れるのやらといろはは呆れた顔をする。


「じゃあ、先生、盛岡の斯波(しば)先生って知ってる?」


「……名前だけ」



 ――かつて紅花会には斯波詮二(せんじ)という伝説の調教師がいた。

仁級も八級も二年で駆け抜け最短で呂級に到達。


 当時、紅花会は宿も経営しておらず、会派としての規模が非常に小さかった。

牧場も生産規模が非常に小さく、特に北国の牧場は単なる放牧場という規模だった。

そのお世辞にも良いとは言えない環境で、斯波は独自の理論と緻密な調教計画で重賞を取りまくり、わずか五年で伊級に昇級したのだった。


 伊級でもその理論は通用したらしく、着実に順位を上げていった。

斯波の成功に伴い紅花会も規模が少しづつ大きくなっていった。


 斯波は元々騎手上がりで、斯波の子も孫も騎手になった。

斯波には、詮政(あきまさ)光詮(みつあき)という子がおり、どちらも騎手としてはそれなりの成績を残し調教師に転向した。

調教師になった二人の子は父の下で指導を受けたのだが、残念ながらそれほど学び取れはしなかったらしい。

斯波は後進の育成に全く関心が無く、実子二人以外の弟子がほとんどおらず、斯波厩舎出身の調教師は非常に少なかった。

その数少ない出身者が戸川の師の坂井政二である。


 詮政、光詮の兄弟が八級に昇級した頃、先代会長が亡くなった。

そして後を追うように斯波調教師も他界した。


 詮政、光詮兄弟は順調に呂級まで上がったのだが、残念ながらそこで頭打ちになった。

詮政には、詮利(あきとし)という子がおり、叔父光詮厩舎の専属騎手として大成した後、引退。

調教師に転向し、現在、八級盛岡に所属している――



「で、その斯波先生がどうかしたんですか?」


「斯波先生に詮人(あきと)って甥っ子がいてね。昨年、騎手引退して、今、調教助手しながら調教師になる勉強してるんですよ」


「斯波家って、うちの会派の元勲のような一族らしいですよね。大成してくれると良いですね」


 まるで他人事のように言う岡部であったが、いろははその言葉を聞き逃さなかった。

口角を上げ不敵に微笑む。


「先生もそう思ってくれるのね! じゃあ先生のとこで受け入れてくれるわね?」


「えっと……話が唐突過ぎて全然見えないのですけど?」


「斯波先生からのお願いでね、岡部先生のところで教育してもらえないかですって」


 余計な事を言ったという顔をして岡部はいろはから顔を背けた。

一方のいろはは珈琲を手に勝ち誇ったような顔をしている。


「何で僕に? 自分のところで教育し続けた方が一貫した教育ができるじゃないですか」


「自分の所だと所詮は八級止まりになるだろうからって」


「僕のところならそれ以上いけると?」


 上の級に上がれるか否かは個人の資質が大きいはずだから、どこで教育を受けても大差ないはず。

であれば今のまま一貫した教育をする方が結果的に良い影響があるように岡部には感じる。


「叔父さんは叔父さんなりに甥っ子を評価してるみたいよ。で、それ以上に岡部先生を評価してるのよ」


 紅花会の未来のためと思って。

いろはは拝みこむように手を合わせてそう言った。

そんな風に言われてしまっては、岡部としても受けないわけにはいかない。


「で、いつから来るんです?」


「先生さえ良ければ明日からでも」


 いろはの回答に岡部は非常に悔しそうな顔をする。

つまりは岡部が受ける事を前提で話は進んでいたのだ。

いろはは説得できるという自信を持ってここに臨んでいるのだ。


「で、調教師試験は、いつ受ける予定なんですか?」


「去年、騎手希望の子が受けてて、今年試験受けて再来年に研修って予定ね」


「……わかりました。いつでも良いですよ」


 いろははその場で電話を借り、盛岡に連絡を入れた。

その姿を見て、岡部はなんだかはめられたような気分に陥った。




 私生活では岡部は結婚式の準備を梨奈と詰めている。

梨奈は、昔両親とよく長命水を飲みに行った敦賀(つるが)気比(けひ)神宮で神前式が良いと希望を出している。

敦賀であれば、皇都からも酒田からも北陸道で来れるから良いかもしれないと岡部も賛同した。


 ところがここに来て、そもそも結婚ができないという事態に陥った。

その原因は戸籍であった。


 戸籍上では岡部と梨奈は義理の兄妹であり、入籍の手続きが受理されなかったのだった。

一時的に孤児縁組を解除しようとしたのだが、それだと今度は岡部の戸籍が無くなってしまい、それはそれで入籍できないと言われてしまったのだった。


 やはり婿養子が良いのではないかと岡部は戸川に相談した。

困った戸川は、最上に結婚式の招待状を送るついでにその事を相談した。

最上はそれを聞くと高笑いし、簡単な方法があると戸川に言ったのだった。


 最上のいう『簡単な方法』、それは岡部を最上の養子とする事であった。

戸籍上、最上の子と戸川の子との結婚という事であれば何も問題は無くなるだろうと。


 後々面倒な事になりかねないので財産の相続権は全面放棄している。

その辺りの手続きの為、最上の筆頭秘書の四釜(しかま)が、防府の大宿に滞在し対応してくれている。


 四釜は最上が社長の時代から秘書を務めている人物である。

詳しい年齢はわからないが、最上より少し下という程度の相当な歳である。

長年最上の無理難題を解決してきたせいか頭髪は見事に真っ白。

口髭を生やしているのだが、こちらも真っ白である。

筆頭秘書というより雰囲気はまるで執事である。


 四釜は、最上夫妻から式は今月末の吉日で調整してくれと言われており、そちらも岡部と共に準備を進めている。




 三日後、早くも斯波詮人が岡部厩舎に挨拶にやってきた。


 年齢は三十代中盤で、荒木、国司より少しだけ下である。

いかにも元騎手という感じで小柄でやせ型。

顎の先にもさもさとした髭を残しており、それ以外の髭は綺麗に処理している。


 岡部は挨拶を済ませると、すぐに竜房に向かった。

事前知識を全く与えず、この中で良いと思う順番を教えて欲しいと試験を出した。

斯波はパッと見ですぐに赤毛の『テンキュウ』を指差し、これが圧倒的だと言った。

一通り見て回り、次は間違いなくこれでしょうと青毛の『リンネ』を指差した。

その後は一頭づつ竜の体を揉み、うんうんと頷きながら順位を付けて行った。


「なぜ、上位二頭はこの順位だったんですか?」


「筋量だけならこっちの青毛の方が凄いです。でも、節々の太さは断然こっちの赤毛ですよ」


 さすがは元騎手、さらに現役の調教助手。

竜の素質を見抜く力は申し分ないと岡部は判断した。


「今後伸びそうと感じる仔はいますか?」


「骨格だけで言えば、この芦毛の若い仔でしょうか。体は細めですが脚が長く、長距離に良さそうですね」


 どうですかと斯波はかなり自信有り気に岡部の顔を見た。


「概ね僕の見立てと同じですよ」


「じゃあ最初の試験は合格ってことですね」


 岡部が笑顔を向けると、斯波はほっとした顔をした。



 事務室に戻ると、岡部は内田を呼び出した。

斯波と一緒に調教計画を学ぶ気は無いかとたずねると、内田は二つ返事で了承した。

一人で学ぶより二人の方が何かと切磋琢磨できると思うと説明すると内田も賛同してくれた。


 戸川が自分に対し行ってくれたように、実際に一頭の竜を付けて、研修形式で取り組んでもらう事にした。

内田には『ツルガ』を、斯波には『ヒエイ』を見させることにした。

現在六歳の『ツルガ』と『ヒエイ』は、どちらも能力戦二を戦っている最中で、共に本格化は来年以降と思っている。


 岡部は二人にそこまでの方針を説明すると、会議室に呼び調教の基礎を説明。

内田はここまで二年近く岡部の下で厩務員をしていただけあり、難しいと言いながらもかなり理解したらしい。

だが斯波には相当難しく感じたらしく渋い顔をし続けた。




 その日、防府駅近くの串焼きが自慢の『居酒屋 太夫』で斯波の歓迎会が開かれた。

既に話は広まっているが、岡部が結婚したこともここで公表された。

岡部は皆さんのおかげで『金剛賞』を勝って求婚することができましたと一同の笑いを誘って乾杯した。


 毎回呑み会と言っては問題を起こす若い三人組は、今回席を分散され、服部は岡部の、成松は荒木の、宗像は国司の隣に座らされた。


「正直な話、初日の講義で挫けそうですよ……」


 乾杯して早々に斯波は泣き言を言い出した。


「えっ? 斯波先生のとこでも指導受けてたんですよね?」


「叔父はここまでしっかりした理論があったわけじゃありませんでしたからね」


 それはこれだけきっちりとした理論で調教していれば、昇級早々に重賞を取るというものだと斯波は納得の表情をする。


「理論と言われても……僕は戸川先生の教えのままやってるだけですからね」


「戸川先生は確か坂井先生の教えでやってるんですよね。案外、叔父より、そっちの方が曽祖父の方針に近いのかもしれないですね」


 叔父は何事も大雑把でと斯波は麦酒を呑んで苦笑いした。


「その……具体的に何が違うんです?」


「どこそこの筋肉を鍛えると実際の競走ではどこに反映されるかってやつですよ」


 斯波以外は仁級から岡部厩舎に所属しており、斯波の言っている事がいまいち理解できないでいる。


「でもそんなの、多かれ少なかれ、どこでもやってることじゃないんですか?」


「冗談言っちゃいけませんよ! 生物学者の研究課題ですよ。普通」


「えっ? そうなんですか?」


 国司は元々別の厩舎に所属していたため、岡部の理論が非常に細かいという事に気付いているが、荒木は戸川と岡部しか知らない為、これが普通だと思っており、かなり驚いている。


「普通はどこの厩舎も速度上げる為には一杯で追おうとか、その程度ですよ?」


 最初難しかったけど、これが当たり前なんだとばかりと内田も苦笑いした。


「でも、先生に付いてみっちりやれば、確実に上でやれるという確信は持てますね」


「僕には、いまいちよくわかりませんが、学べるものは少しでも学んでいっていただければ」


 そう言って岡部は斯波の器に麦酒を注いだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 戸籍関係どうすんのってだいぶ気になってましたがこうきましたか 最上さんがちゃっかり岡部さん身内に引き入れてる手腕は流石ですね 紅花会確実に最上さん当代でバリバリ上がってる感じが大好きです
[良い点] 更新お疲れ様です。  戸川師にしてみれば、自分の師匠の師匠の孫が、自分の義息子の弟子になるとか、娘の結婚共々目出度い事の特盛り状態ですね。 [気になる点]  ただ、こうなるとこの後どんな揺…
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