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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第四章 家族 ~八級調教師編~
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第17話 警鐘

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(八級)

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、止級研究所社長

・大崎…止級研究所総務部長、義悦の腹心

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師候補。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(仁級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(八級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・国司元洋…岡部厩舎の調教助手

・阿蘇、五島、千々石、大村、内田、成松…岡部厩舎の厩務員

・宗像真波…岡部厩舎の女性厩務員

・杉尚重…紅花会の調教師(八級)

・津軽信明…紅花会の調教師(八級)

 朝、いつもの時間に目が覚めた。


 梨奈が自分の布団で可愛い寝息を立てて寝ていたので、起こさないように額にそっと唇を当て、静かに布団をたたみ部屋を出た。


 台所では既に両親が起きて食事をとろうとしていた。

岡部が朝の挨拶をすると二人も挨拶を返す。

特別な日が過ぎ去り、すっかりいつもの光景である。


「新聞は今日も、あの事でもち切りやな」


「日競さんだとうちら寄りですから、見ててそこまで不快じゃないですよね」


 かつては子日系の競技日報を取っていたと思ったが、いつの間にか日競新聞に変えたらしい。


「まあな。そういえば最近、髭もぐらを見かけへんのやけど、どうしてはんのやろうな」


「先日うちに来ましたよ。僕が日競を出禁にしたのに驚いて。わざわざ皇都から」


「そしたら、皇都にはおるんやな」


 直美の作った味噌汁を口にし、岡部は少し憮然とした顔をする。


「ご出世なされたんだそうで。今は副部長なのだそうですよ」


「はあ……まあ、記者として有能ではあったからな」


「厩務員時代から僕の追っかけしてたのを会社に評価されたんですって」


 岡部は嫌そうな顔をしたが戸川は大笑いした。


「吉田さんだけじゃないんですよ。久留米の時の番記者もなんです」


「まあ、そういう事もあるやろうな。君は報道嫌いで有名やもんな」


 そうなんだと直美が相槌を入れる。

岡部が報道嫌いというのは直美にとって初耳だったらしい。


「そうなんやで。僕のとこまで何とか口添えできへんかって言うてくるくらいやからな」


「『セキラン暴行事件』で報道が大嫌いになったって事になってます。便利な言い訳ですよ」


 なるほどねと直美が相槌を入れると、報道のあしらい方をご教授いただきたいくらいだと戸川は笑い出した。

 

「君はもうそれで押し通せるようになってもうたもんな、ほんま羨ましいわ」


「……その吉田さんから警告がきています」


 その一言で戸川の表情が急に険しいものに変わった。



 朝食が済むと二人は客間に移動した。

直美がお茶を淹れて、岡部の手土産の外郎と共に客間に持ってきてくれた。


 岡部はこれまでの経緯をじっくりと説明した。

セキラン襲撃事件、その後の子日、日進の逆恨み。

そこから翼賛党、社共連と水面下で牽制しあい、国家公安委員長の更迭と労働党経治会の壊滅に至った事を話した。


「あれから暫く話を聞かへん思うてたら、そないなことに……」


「久留米で色々あったおかげで僕への攻撃は諦めたそうなんですが、その代わりに戸川家が……」


 戸川は外郎を黒文字という竹の串で切って口に運んだ。

その後でふうと鼻から息を漏らした。


「戸川家いうか……実質僕か」


「梨奈ちゃんもでしょうね」


「梨奈は日競使うて君が直接何とでもできるやろ。僕は一体、何をされるんやろうな……」


 何をされるかはわからない。

だが最悪犯罪に巻き込まれる可能性すらあると岡部は考えている。


「容易に手を出させないための例の騒ぎなんです。牽制なんですよ。あれ」


「なるほどなあ。競竜の全調教師がお前らの敵なんやでって事なんやな」


「組織に対抗するには、組織を持ってするしかありませんから。竜主会も執行会も労組も味方に見せました」


 戸川は茶を啜ると、机の上で手を組み、少し呆れたような顔で岡部を顔を見た。


「一体全体どっからそんな手を思いついたんやか……」


「実は、久留米で蒲池が使ってきた手を参考にしまして……」


「はあ。なんや知らん間に随分と手練れになっとるなあ」


 そんな事をさせる為に調教師にしたわけじゃないのに。

そうぽつりと戸川は呟いた。

岡部は何ともバツの悪いものを感じた。


「本城さんと相談して、警備の強化をそれとなくするべきだと思います」


「本城なあ……あいつ今年で任期切れで交代なんや。来年から別の者が来るんよ」


「ならば今年のうちに。今の件が片付くまで数年はかかります。それ以降は安全になるでしょうから」


 これから行われる裁判は万に一つも新聞側に勝ち目は無いだろう。

何故なら、これまで取材と称して無法な行動をとりすぎて証拠が揃いすぎてしまっているから。

問題はどれだけの件が裁判所で認められて、賠償総額がいくらになるかというだけ。

裁判が結審となれば新聞社は倒産を余儀なくされるだろう。


「裁判が終われば、新聞は変な組織抱える資金力が無うなるいうわけか」


「紅葉会の織田会長も、来年から執行会の大改革に乗り出すそうですから」


「ほんま君、八級調教師の顔の広さちゃうで、それ。重鎮も重鎮やぞ」


 戸川は呆れ果てた顔でお茶を啜った。



 梨奈は目を覚ましてかなり驚いた。

昨夜、朝になったら、おはようの口づけなんてしちゃうのかもなどとドキドキしながら眠りについた。

ところが目が覚めたら隣の布団で寝ているはずの岡部の姿が無かったのである。


 慌てて涙目で階段を降り、台所に向かう途中で客間に岡部の姿を見つけた。

その場でへたり込んだ梨奈に、岡部は全く動じることもなく、おはようと声をかけた。

おはようと力無く挨拶を返すと、急に安心したらしく便所へ駈け込んで行った。


 朝っぱらから騒がしい娘だと戸川は茶を啜りながら呟いた。



「僕と三浦さんが言うた通り、八級は君には余裕やったやろ?」


 外郎を切りながら戸川は笑い出した。


「最初それがどういう意味かわかりませんでしたが。確かに僕の一番得意な分野ですね」


「なんせ君がうちの厩舎でやってはった事やからね。僕もすっかり忘れとった方針やった」


 あまりに呂級昇級後上手くいかない事が多すぎて、色々試行錯誤している間にどうやら大切な調教方針を見失ってしまっていたらしい。

それを『セキラン』で君が思い出させてくれたと戸川は微笑んだ。


「よほどの事が無ければ来年は昇級できると思いますよ」


「そしたら、皇都で一緒にやれるな!」


「琵琶湖に行かなければね。というか琵琶湖に先に行って待っていてくださいよ」


 どうせ一緒にやるなら呂級じゃなく伊級が良い。

そう岡部に指摘され、それもそうだと言って戸川は笑い出した。


「先日、会長から聞いたんやけどな、今年も新竜に良えのがおるらしいんよ」


「おお、良いじゃないですか! 今度こそ伊級昇級が叶いますかね」


「『タイセイ』が『内大臣賞』で引退してもうたから、暫くは『ヨウゼン』だけやと諦めとったがな。また良い竜が来るいうんやもんな」


 会長が松井君と見に来てくれと言っていたのを岡部はふと思い出した。

それを聞くと戸川は、以前氏家が幼竜に良い竜がいると言っていたのを思い出した。


「頑張ってますね。氏家さんたちも」


「ほんまやで。感謝で頭が上がらへんよ」



 朝食を取り終えると梨奈はすぐに客間にやって来た。

今日一緒に防府に行きたいから、これから準備するので待っていて欲しいと言いだしたのだった。

時間はあるから焦らずゆっくりやったら良いと岡部は微笑んだ。

張り切りすぎて熱が出てしまったら大変だからと。


 絶対置いてったら嫌だからねと梨奈は何度も釘を刺して荷造りに行った。

そんな梨奈に戸川は荷造りくらい事前にやっておけと悪態をついた。


 その後、玄関に大きな旅行鞄を二つ用意したところで、防府の部屋の広さを考えろと直美に怒られてしまった。

その日の夕方、少し早い夕食を四人で取り、岡部と梨奈は防府へと帰って行った。




 翌日、岡部が出勤すると、ちょっとした問題が発生していた。


 その問題を岡部に報告してきたのは宗像であった。

宗像が話があると言ってきた時点で岡部は何となく嫌な予感がした。

できれば予想が外れていて欲しいと願ったのだが、残念ながらそういうわけにはいかなかった。


 宗像の話によると、服部がどうやら事務の仁保に手をつけてしまったらしい。

しかもそれを吉弘に見られたのだとか。

先日、その件で杉が岡部厩舎に乗り込んできたらしい。

岡部は宗像を下がらせると、服部を呼びつけようとした。

だがその前に杉が押し掛けてきた。


「岡部! お前、部下の管理はどないなっとるんや!」


 杉は珈琲を飲み、皇都土産の八つ橋を食べながら、なるべく平静を装って話しだした。


「私生活にまで踏み込まないのが、うちの方針でして……」


「そらどこもそうやけども! そやけどもや、専属騎手はそれではあかんのと違うか?」


「そう言われましてもねえ……僕も自分の私生活で手一杯でして……」


 そう言い訳しながら岡部は珈琲を口にする。

そんなどこか逃げ腰な態度の岡部を、杉はさらに追い込んでいく。


「おお、そうやったな。結婚したんやってな。おめでとう!」


「ありがとうございます」


「既婚者になったんやったら、手癖の悪い未婚者の部下はほっとけへんはずやんな?」


 杉の追及に、岡部は目を覆って大きくため息をついた。


「わかりました、わかりましたよ! 服部と一度、話をしてみますから……」


「うちのと付き合うてるとこまでは黙認した。そやけどもや! 味見だけして逃げるんは絶対許さへんからな!」


 杉は帰り際、なんで田北なんだ、吉弘じゃなかったのかよと変な事を言っていた。



 杉が帰ると岡部は服部を呼びつけた。

服部は焦燥しきった顔をしている。

岡部は、隣に荒木、服部の横に国司という体制で、腕を組み冷めた目で目の前の服部を問い詰めた。


「何がどうなったら、僕がお前の下半身の事で文句言われなきゃならんのだ!」


 服部は平謝りだった。

さすがにかなりバツが悪いようで、泣きだしそうな顔で事の顛末を話し始めた。


 ――そもそも服部が吉弘と付き合いだしたのは久留米の時らしい。

たまたま食堂で何度も一緒になり、臼杵と共に吉弘、田北と四人で遊ぶ事も多かったのだそうだ。

その頃、厩舎の事実上の解散騒ぎの後で臼杵が傷心だった。

それを癒してあげようと吉弘が服部に言った事で付き合いが始まった。


 金剛賞後の中傷騒ぎの数日後、服部は町で偶然仁保に会った。

報道対応色々大変だねと仁保が言ってきて、それに服部が、そうなんですよと、いつもの人懐っこい笑顔で応答した。

そこから徐々に会話が弾みだし、お酒を呑みに行くことになった。


 酔うと人との距離間が壊れるのが服部の酔い方である。

仁保はそんな服部を可愛い、可愛いと言って、繁華街をべたべたして歩いていた。

悪い事にそこを吉弘に見られたのだった。

夜の繁華街で、仁保と吉弘は喧嘩になった。


 結局、服部はどちらにも振られる事に。


 吉弘へ謝罪をさせようと、田北は服部を居酒屋に呼びつけた。

だが思いのほか傷心している服部に、田北は同情してしまったらしい。

そのまま一晩を過ごしてしまい現在に至っている――



 そこまで聞いて、岡部は目頭を摘まんだまま黙ってしまった。

猿かこいつは、理性は無いのかと、荒木は呆れ果てた。

国司は、相手の娘さんたちも大概だと言って大笑いしている。


「で、どうしたいんだ、お前は?」


「先生……僕、どうしたら良えんでしょうか?」


「知るかよっ!」


 何でこんなことにと言って服部は頭を抱えた。

そんな服部に国司がたずねた。


「そもそも、本命は誰なんや?」


「誰なんやろ……僕にもわからへんのです……」


「……あのなあ」


 口を挟んだ自分がアホだったとばかりに国司は目を覆った。

服部はすがるような目で岡部を見る。


「先生のお薦めは誰ですか?」


「知らんよ! そんなの!」


 岡部はあまりにも服部がアホな事を言うので、机を叩いて怒り出してしまった。

荒木も呆れ果てて言葉を失っている。


「わかった。服部! 僕もお前を親御さんから預かった手前、責任がある」


「はい」


 服部はその場で姿勢を正した。

そんな服部を荒木と国司は、非常に冷たい目で見ている。


「一つ賭けをしよう。どれか重賞に勝った段階で、その三人のうちの一人に求婚しろ! 良いな!」


「えっ……そんな……」


 思った以上に岡部の出した提案が厳しいもので、荒木と国司は顔を見合わせておどけた顔をしている。


「もし手を抜いたらわかるからな! その時は契約を切る!」


「そ、そんなあ……」


「私生活には関わらないようにしてたけど、こうなってしまったからにはそうも言ってられない。お前の親御さんに申し訳がないんだよ!」


 服部は立ち上がりパンと顔を叩いた。


「どれかなんて猶予はいりません! 来月の『真珠賞』でかたを付けます!」

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