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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第四章 家族 ~八級調教師編~
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第13話 前夜

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(八級)

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、止級研究所社長

・大崎…止級研究所総務部長、義悦の腹心

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師候補。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(仁級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(八級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・国司元洋…岡部厩舎の調教助手

・阿蘇、五島、千々石、大村、内田、成松…岡部厩舎の厩務員

・宗像真波…岡部厩舎の女性厩務員

・杉尚重…紅花会の調教師(八級)

・津軽信明…紅花会の調教師(八級)

 三月の岡部厩舎は、『テンキュウ』と『リンネ』以外にも勝ち星をあげた竜が出ている。

能力戦に出走した五歳の『ギンザ』、能力戦一に出走した六歳の『ヒエイ』『ツルガ』の三頭である。

下級条件とはいえ昇級わずか二か月の厩舎が一月で五勝を挙げたというのは、防府の厩舎棟ではかなり話題になった。


 だが残念な事に岡部は報道が大嫌いで、どの競技新聞も個別取材を拒否されている。

ならばと厩舎に詰めかけたが、こんな事をするようなら今後全ての取材を拒否すると脅されてしまった。

他の競技新聞からしたら日競新聞が頼みの情報源だったのだが、その日競新聞すら取材は拒否された。

日競新聞は防府支部の記者が岡部に非礼を働いたせいで不興を買ったと正直に説明した。

各新聞社はその記者の名前を公表しろと喚いたが、さすがに公表は控えたらしい。




 月が替わり四月となった。

八級の四月は『金剛(こんごう)賞』という重賞が行われる。


 八級では五つの宝石の名を冠した古竜重賞がある。

一月の『柘榴(ざくろ)賞』、四月の『金剛賞』、六月の『真珠(しんじゅ)賞』、八月の『橄欖(かんらん)賞』、十月の『黄玉(おうぎょく)賞』である。

金剛賞と黄玉賞が特三で他は平特となっている。


 それ以外の重賞は、十一月の新竜重賞が特三の『白浜(しらはま)賞』。

残りは世代戦と古竜戦の三冠。


 世代三冠は三月の『桜花(おうか)杯』五月の『優駿杯』九月の『菊花(きくか)杯』。

優駿杯が特二で他二つが特三。

古竜三冠は二月の『金盃(きんぱい)』七月の『熱波(ねっぱ)賞』十二月の『砂王(さおう)賞』。

三つともに特二である。



 土曜日の追切りを終えると、岡部は早々と『金剛賞』へ『サケキラメキ』を登録した。

事務の仁保(にほ)は先生が一番乗りですよと笑顔を振りまいた。

仁保はいつも長い髪を三つ編みにしており、少しお嬢さんな雰囲気である。

そのせいか調教師連中に非常に人気が高く、何かと用事を付けここに通い珈琲を飲んで行く調教師も多い。

他の事務員によると、山桜(さんおう)会の竹崎会長の外孫なのだとか。

まだ独身らしく、国司に嫁にどうかと強く薦められたことがある。


「まあ、最初に出したからって決勝で勝てるわけでは無いでしょうが、勝ったらゲン担ぎにはなりますね」


「みんな見習うてくれたら、うちらも仕事が楽になるんですけどね」


「調教の兼ね合いがあるから難しいんですよ」



 登録を済ませ、自分の厩舎へ戻ろうとした所、事務長から少し話がしたいと声をかけられた。

事務長は、(すえ)という人物で、年齢は五十代半ば、背が高く、細身で、眼鏡をかけている。

所属会派は尼子会。

陶は仁保に珈琲を二杯お願いすると、受付近くの小会議室へと案内した。


「先生、今回の『金剛賞』はどうですか? その手ごたえというか……」


「どうでしょうね。できれば勝ちたいですけども」


 言葉では殊勝な事を言っているが、その態度は相当自信があるという風にうかがえる。


「先生は、聞くところによると報道が大嫌いらしいですね」


「幕府で色々ありましたからねえ」


 そう言うと、岡部は厩務員時代の『サケセキラン』の事件を陶に聞かせた。

陶はいちいち頷いてじっくりと話を聞いた。


「なるほどねえ。それは嫌いにもなるわな」


「日競の吉田さんだけは、その頃からの腐れ縁でそれなりに付き合ってはいますけど」


 できれば報道なんて一切相手をしたくないというのが本音だと岡部は言った。


「実はね、先生。事務棟に事ある毎に先生に取材を受けるように言ってくれって要望がきてましてね」


「やむを得ないと思う時以外は受ける気は無いですね」


「じゃあ、ここで勝ったら受けていただけますか?」


 ここで勝てば、ほぼ間違いなく八級での重賞最年少記録、さらに言えば開業からの最短記録のおまけ付き。

どう考えてもやむを得ない状況であろう。


「勝ったら数日実家に帰りますので、その後であれば」


「勝ったら厩舎前は連日大変な事になりますよ? 昇級三か月での重賞制覇なんて前例が無いんですから」


 報道は隣の厩舎に平気で迷惑をかけてくる。

これまでの報道の姿勢を見れば火を見るより明らかだと陶は言う。


「僕が厩舎にいないのにですか?」


「いるいないは関係無いですよ。先生がいなかったら厩務員が取材されるだけのことです」


 その陶の発言に岡部は憤り、椅子をガタンと鳴らして立ち上がった。


「厩務員に手を出したら、持てる人脈を使えるだけ使って対応してみせます!」


「まあまあ、先生、落ち着いてくださいよ。そういう事態を回避するために、お話を詰めておこうと、ここに来てもらったんですから」


 岡部は再度椅子に座り直し、大きくため息をついた。


「昨年末の配属発表で、先生がうちに来るってわかった時は私は小躍りして大喜びしたんですよ」


「大迷惑でなく?」


「滅相も無い。何かと福原には水を開けられてますからね。脚光も浴びるだろうし、そうなれば売上も上がるだろうし、これで少しは大きな顔ができるなあと」


 陶の顔は明らかに顔がにやけるのを堪えている顔である。


「なんだか、皇都の本城さんも似たようなこと言ってた気がしますね」


「事務長の希望なんて、どこもそんなもんですよ。同級の競竜場が最大の敵なんです」


 福原競竜場の事務長は浦上(うらがみ)という名である。

何とかしてその浦上の鼻を明かしてやりたいと、陶は小者臭たっぷりの発言をかました。


「で、福原に勝つために陶さんは僕にどうしろと?」


「先生は電飾が派手ですからね。ともすれば取材取材で仕事にならんようになると思うんですよ。ですから、うちで正式に取材拒否してしまおうかと」


「それでどうするんです? そんなの報道が納得しないでしょ?」


 それだけでは当然納得はしないだろうと陶も言う。


「その都度、記者会見を開くということで交渉しようかと。もしその間に厩舎に突っ込む記者がいたら、その報道機関は会見場には入れないという事にします」


「本当にそれで厩務員の安全がはかれるなら僕としては願ったりですけど……」


 正直それでどうにかなるようには思えないと岡部は感じている。

記者はそんな事はお構いなしで、しれっと会場に入るだろう。


「何なら守衛に言って厩舎は緊急で警護をさせますよ。執行会も竜主会も相談すればすぐに許可をいただけるでしょ。ただし、その緊急の記者会見は絶対に拒否はできませんよ」


「頻度にもよるんですけど。毎日のように緊急と言われたら……」


「それはある程度こっちで日程調整しますよ。良い機会ですから報道協定も結んでしまおうと思ってます」


 なるべく低い頻度でお願いしたいと岡部は主張した。

岡部の主業務は記者会見では無いのだから当然の事である。


「で、もしそれでも破ったら?」


「即出禁です。それに合わせて入管証も新しくする予定です。顔写真入りで」


 それでも無視するようであれば警察沙汰にする。

許可を出していないのだから不法侵入という事で報道だろうが問答無用で逮捕案件である。


「個別に特定の記者と会う時はどうするんです?」


「そんなの、記者じゃ無く来客として入場してもらえば良いじゃないですか」


「ああ、なるほど! で、記者会見の司会って誰にやらせるんですか?」


 陶はそこまで考えていなかったようで、腕を組んで考え込んだ。


「そういうのって記者仲間にやらせると延々同じ質問を許可しますもんね。私がやるか事務の者にやらせるしかないでしょうね」


「ご迷惑をおかけします」


「先生に伸び伸びとやってもらって、良い結果をもたらしていただくためですよ」


 差し当たって『金剛賞』前後の報道を見て、これで良いか判断して欲しいと陶は述べた。




 『サケキラメキ』は予選を難なく一着で突破。

八級は呂級と同じく前哨戦は二戦なので、一次予選の次はもう最終予選である。

次戦への残留条件も呂級同様三着以内。



 最終予選の竜柱が発表になると、厩舎に津軽がやってきた。


「岡部、お前もう重賞出したんか! 初年度は昇級無い言うのに」


 岡部は自慢の珈琲を淹れると津軽に差し出した。


「昇級は無くても賞与が出せますからね」


「なんや、金に困っとんのか? あれか? 風俗通いか?」


 ごく自然に津軽が下世話な話をするので、岡部は飲んでいる珈琲を思わず噴き出した。


「違いますよ! 従業員への労いですよ。僕の分は車の月賦に消えてます」


「ほう! 車買うたんか!」


 羨ましい話だと言って、津軽は岡部をからかった。


「税金対策ですよ。車は必要経費にできますからね」


「勝てる調教師は違いますなあ」


 津軽は珈琲を飲むと、がははと笑い出した。



「津軽さんだって、先月調子良かったじゃないですか」


「あの呑み会のおかげや。あれで、いきなり光明が見えた」


 お前と杉のおかげだと言って、津軽は軽く頭を下げた。


「本当に厩舎では誰も気づいて無かったんですか?」


「首脳は誰もや。騎手の大浦すら気づいてへんかった。というかうちの会派の他の奴らも全員気付いてへんと思うなあ」


 そんなになのかと呟き岡部は目をこすった。


「杉さんもすぐに気づいたって言ってたから、実はそこまで大したことではなかったんだなと……」


「お前は杉の事を知らんすぎや。あれは将来の伊級やって嘱望されとったんやぞ?」


「戸川先生も杉さんの名前出したらすぐにわかったくらいですからね」


 土肥の研修では同期相手に負け無しだったらしい。

実際に最終の実習競争を津軽も見たそうだが、確かに良い竜に仕上げていた。


「俺も、あいつが開業するって戸川さんから聞いた時は、きっとあっさり俺を踏み越えていくもんや思うてたからな」


「戸川先生も怒ってましたね。貴重な逸材を潰されてたって」


 実は津軽は、杉が久留米に行ってから全く昇級して来ない事から及川たちの無法を知った。

だがわかっていても、本社係長の姉崎に問い合わせるくらいしかできず、姉崎も上司の砂越から睨まれたくないという理由から行動が起こせず、どうにもできなかった。


「まあ去年の豊川みたいなショボイところもあるやつやからな。身内の木幡(こわた)ですら侮っとったみたいやし」


「お酒も二舐めで熟睡ですしね」


「あれな! 俺もびっくりしたわ!」


 津軽は珈琲を飲むと豪快にがははと笑い出した。



「どうや、決勝は行けそうなんか?」


「どうでしょう。能力戦の時に比べれば、かなり肉は付きましたけど」


 ただそれはあくまで筋肉が付いたというだけであって、技術のようなものが身についていない。


「見てると、毎週、坂路(はんろ)(=調教用に作られた長い坂道)におるんやな」


「末脚を鍛えないと勝負になりませんからね。でもここ勝てたら平路で追いますよ」


 やはり平路で追わないと競争心のような内面の強みのようなものが身に付かない気がする。

戸川先生は坂路好きでやたらと坂路に竜を送り込んでいたが。


「そういうのって、どこで学んだんや?」


「戸川先生の下ですよ。仁級にしたって、八級にしたって、呂級からしたら、おさらいみたいなもんですもん」


「俺は八級出やから呂級は知らへんのやけど、呂級ってそういうもんなんや」


 戸川先生も同じ厩舎の出だが、上の級の話をする時に『知らない』という事をあまり口にしなかったなとふいに思い出した。

思い起こせば三浦先生も同様であった。


「仁級の均衡調整、心肺増強と、八級の脚力鍛錬、それを足したのが呂級って感じですかね」


「よう戸川さんが呂級からが本番言うてたんは、そういう事やったんやな」


「わかったら一緒に呂級でやりましょうよ!」


 岡部はにこやかな顔で言うのだが、津軽は煽られていると感じている。

目を細めて非常に渋い顔をする。


「お前が呂級で待っててくれるんやったら、そういう事もあるやろな。そやけどどうせ俺が呂級這い上がった時には、お前もう伊級やないかい!」


「そんなのわかんないじゃないですか。呂級で躓くかもしれないし」


「躓く要素なんか、どこにも無いやろがい!」


 つまらん謙遜しくさってからにと津軽はじっとりとした目で岡部を見ている。


「実は、呂級行ったら厩務員を順次調教師に流して行こうと思ってるんです。だからその教育で厩舎の能力が下がると思っているんですよ」


「今から、そないな事まで考えとんのか……」


「それが三浦先生の悲願でしたから……」


 その岡部の発言に津軽は珈琲を吹き出しそうになった。

岡部は何かおかしなことを言っただろうかという顔をしているが、津軽はそれすらも可笑しくてたまらなかった。


「岡部よ! まだ生きてて、それも現役の人に対してやな、その表現はあかんと思うで?」


 今頃三浦先生くしゃみが止まらんぞと津軽は大笑いした。




 翌週、『サケキラメキ』は最終予選もきっちりと一着で突破し決勝に駒を進める事となった。

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