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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第四章 家族 ~八級調教師編~
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第5話 居座り

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(八級)

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、止級研究所社長

・大崎…止級研究所総務部長、義悦の腹心

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師候補。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(仁級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(八級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・国司元洋…岡部厩舎の調教助手

・阿蘇、五島、千々石、大村、内田、成松…岡部厩舎の厩務員

・宗像真波…岡部厩舎の女性厩務員

・杉尚重…紅花会の調教師(八級)

・津軽信明…紅花会の調教師(八級)

 翌日、部屋に梨奈を一人残し岡部は厩舎に出勤した。


 防府への転属が決まったという厩務員への連絡は年明けすぐに済ませてある。

二週目から研修に入りたいので一週目のうちに一度顔を出して欲しいと、具体的な研修の日程も伝えてある。

厩務員たちの防府への所属変更と研修手続きを済ませると、その足で津軽厩舎へと向かった。


 津軽厩舎の厩務員はどの人も精悍で顔もいかつかった。

厩務員は岡部のことを知ってくれており、よく来てくれた、中で先生がお待ちだと案内してくれた。


「よう来たな。どうや、防府は?」


「まだ天満宮行って(はも)食べただけですよ」


「そうかそうか。芸府(げいふ)で有名なお好み焼きや牡蠣、河豚(ふぐ)なんかも食べたら良え。あと、青魚も旨いでえ」


 岡部が麦酒や米酒の呑みたくなるものばかりと嬉しそうに指摘すると、津軽はがははと豪快に笑い出した。


「『獺祭(だっさい)』いう良え米酒があるんや。どうや? 今晩一杯」


「それが、まだ家の方が……」


「ああ、そうか。まだそうやろうなあ。そしたら落ち着いたら行こうな。うちの連中も楽しみにしとるから」


 津軽はまた豪快に笑い出した。

奥で作業している大浦騎手も嬉しそうな顔でこちらを見てうんうんと頷いている。


 津軽は、お茶をひと啜りすると愛用の壺のような湯飲みを机に置いた。


「お前八級の現状言うんは、どこまで聞いとるんや?」


「『パデューク』という輸入種牡竜の血が幅を効かせているという事を聞きました」


「うむ。ここにいるもんは、皆、それに煩わされとる」


 八級で足止めを食っている最大の原因がそれ。

恐らく紅花会の八級の調教師は全員口を揃えてそう言うであろう。


「実はその件で二つ気になることがあるんです。一つは竜が来たら、おいおい調べようと思っています」


「もう一ついうんは?」


「なんで『パデューク』の血が幅を効かせ続けられるのかということです。血が濃くなりすぎて、配合先選びが困難になっていくと思うんですが」


 津軽は丸太のように太い腕を組み、そこに目を付けるのかと感心している。



 ――自分もそこまで血統に詳しいわけではないがと断った上で津軽は説明を始めた。

かつて八級は、外国からの種牡竜の輸入で運営されていた。

血統というものに注目する者は、あまり多くは無く、どの輸入竜の仔が走りそうかという事だけが注目されていた。


 最初にその状況を変えたのは、ゴールから輸入された『マタティア』という竜だった。

『マタティア』が成功を収めると、生産界はこぞってこの竜の近親や直仔を輸入し始めた。

どれもそれなりに成功を収め、徐々に『マタティア』の血が八級を席巻し始めていた。


 そんな時期に一頭の竜が世界の生産界を塗り替える活躍を見せることになる。

ブリタニスの『パングロス』という竜である。

『パングロス』は現役時代、特筆するような成績では無かった。

『マタティア』は現役時代も伝説的な強さだった為、そこから考えれば初期の『パングロス』の評価は不当に低かったと言っても良いだろう。


 ところが『パングロス』の直仔は低評価を覆しまくり、世界の重賞を取りまくっていくことになる。

だが外国の状況に疎い瑞穂の生産界は『パングロス』よりも『マタティア』という雰囲気であった。

そんな時期に是が非でも『パングロス』の血をと躍起になったのが、雷雲会の先代会長、武田助信だった。


 瑞穂でも『パングロス』の血は大活躍だった。

ところが武田会長は思ったほどでは無いという印象だったらしい。

それ以降、武田会長はずっと『パングロス』以上の種牡竜を探し続けた。

そんな会長が惚れ込んだのが『パデューク』だった――



「『パデューク』は、その『マタティア』と『パングロス』、両方の肌竜(=繁殖相手の牝竜)と相性が良かったんや。ところが逆はあかんかってん」


「それなら『パデューク』の牝竜は付ける種竜がいなくなりそうですけど?」


 そうなれば牝竜が生まれても肌竜としての価値が無く、結果的に『パデューク』の価値は半減してしまうはず。


「それがやな『パングロス』のごく一部の種竜とだけ相性が良えらしいねん」


「それも当然、稲妻牧場がせしめていると」


「そっちは外にも解放しとるよ。超高額でな」


 もう何年も、稲妻牧場は『パデューク』系の最良の後継種牡竜作りと、その竜の牝竜に合う種牡竜探しを繰り返している。

今の主流は『パデューク』の孫『タケノカンキ』であり、曾孫世代に『ロクモンヤシュウ』『ジョウサエン』という良い竜がおり、そちらに徐々に切り替え出している。

これからは『ロクモンヤシュウ』『ジョウサエン』の産駒の牝竜に合う種牡竜を探していく事になるのだろう。


「しかしやり手ですね。武田会長は」


「そやな。俺もそう思う。自分とこの会派を伸ばすために八級を絞めるとか、中々やれへんことやで」


 毎年東西で五人づつ呂級へは昇格しているのだが、ここ十年以上、毎年半数以上が稲妻牧場系の調教師である。

購入会派と言われる会派に所属する調教師が呂級以上でぐっと減るのは間違いなくこの為だろう。


「仁級ではそういう事やれなかったんですね?」


「仁級もやっとったやないか。『ピエルドトゥーシュ』がそれやろ」


「いや、完全独占です」


 津軽は湯飲みを手にするとお茶を飲んで一旦喉を潤した。

 

「『パデューク』でそれができたんは、『パングロス』の一部の種牡竜を見つける事ができたからやろ」


「ああ、そっか! それがなければ逆に稲妻牧場の方が締め出されかねないのか!」


 ただ単に『パデューク』系の種付け料を超高額に設定すれば、当然他の牧場からの恨みを買う事になる。

稲妻牧場さんは別料金と言われて吹っ掛けられたり、稲妻牧場さんはお断りと言われ種付けを拒否されかねないのだ。


「簡単に血の独占言うけどな、稲妻牧場もスレスレの判断でやってるんやと思うぞ」




 津軽厩舎を後にし、自厩舎に鍵をかけると、岡部は急いで家路についた。

お昼を惣菜屋で購入し家に帰ると、梨奈はかなり体調を戻し暇そうにしていた。


「ねえ、綱一郎さん、この部屋、電視機無いんやけど?」


「競竜の中継以外見ないからね」


 梨奈はあっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロしている。


「ねえ、ご飯はどこで食べてはったん? ちゃぶ台すら無いんやけど?」


「久留米では家でご飯食べなかったからね」


「お酒ばっかり呑んではったんや」


 母さんと同じ事言うんだねと喉の奥まで出かけたが、何を言われるかわかったものではなく必至に飲み込んだ。


「どうやらだいぶ顔色が良くなったようだから、今日中に皇都に帰れそうだね」


「嫌やっ!!」


 梨奈は岡部からぷいと顔を背けると、すまし顔で窓の外を見る。


「ええ? な、なんで?」


「私、しばらくここにお泊りするんや」


 梨奈は岡部から顔を背けたまま、とんでもない事を口走った。


「いやいやいや。僕仕事あるから居座られても困るんだけど」


「母さん私の荷物置いてってくれはったから、大人しう待ってられるよ?」


 そう言うと梨奈は大きなリュックサックを岡部に見せた。


「いや、そういうことじゃなくてね。布団も一つしかないし、日用品なんかも無いし」


「うん。そやから後で買いに行こっ!」


 梨奈はにっこりと笑って岡部の方を見た。

そんな梨奈を岡部はじっとりとした目で見ている。


「皇都に帰れば、買わなくても済むでしょ!」


「暫くここにお泊りするの! 決めたの!」


 なぜか怒ったような態度をとる梨奈に、岡部は理不尽さを強く感じている。


「とりあえず皇都に電話入れようよ」


 岡部に言われ、梨奈は口を尖らせながら、渋々皇都の戸川宅に電話をした。

岡部は奥さんなら、ちゃんと梨奈を窘めてくれるはずだと考えた。

電話をしている梨奈の顔が少し楽しそうなのが気にはなったが。


「どうだったの? 電話」


「暫くこっちで観光する言うたらね、良いわね私も残ったら良かったやって!」


 梨奈の回答に岡部は思わずズッコケそうになった。


「どういう事? 帰って来いって言われなかったの?」


「迷惑かけたらアカンよって言われたよ」


 それは普通に考えれば、迷惑になるからさっさと帰ってきなさいという事であろう。

普通に考えれば。


「綱一郎さん、お酒ばっか呑んではるみたいって言うたらね、ちゃんとご飯も食べるようにって私からも言うてって」


「う、うん」


「そやからね、ご飯、作ったげる!」


 嬉しそうに手を合わせて言う梨奈に呆れ、岡部は眼を覆った。


「お仕事はどうするの? 意匠の仕事あるんでしょ?」


「電脳持って来たから大丈夫。そやから、買い物に行こっ!」


 岡部は大きくため息をついた。

この感じでは今日の説得は困難だと諦め、長期戦を覚悟したのだった。



 近くの総合商店に行き、小さなちゃぶ台、安い布団、梨奈の着替え、日用品を買って一旦家に戻った。


 梨奈は台所に行くと、岡部に、夜、何が食べたいと聞いてきた。

岡部は渋々、お好み焼きが食べたいと言うと、じゃあ今度は八百屋だねと楽しそうに手を合わせた。

岡部の部屋は、鍋はおろか包丁一本無く、夕飯の材料以外にも調理器具、茶碗、皿、箸など、買わねばならない物がたくさんだった。

結局、家に帰る頃には、岡部は両手に大荷物になっていた。



 家に帰ると梨奈は買ったばかりの桃色の前掛けを掛け、調理器具を一通り洗い、夕飯の仕込みを始めた。

思った以上に梨奈のお好み焼きは美味しかった。


「奥さんのお好み焼きより美味しいかも。何が違うんだろ?」


「わかる? 味付き乾麺をね、小さく砕いたもんを入れてみたんよ!」


「なるほど、それでちょっと醤油っぽい味がするのか」


 さすが綱一郎さん、わかってると、梨奈は大喜びである。

だが岡部は、お好み焼きを食べながらも、今後どうしたものかとまだ考えていた。


「芸府って、うちらと違うお好み焼きがあるんでしょ? 今度食べに行こうね!」


「いやあ、暫く昇級準備が本格化するから連れて行けないかも」


「落ち着いてからで全然良えよ?」


 梨奈はまたもやすまし顔で言うのだが、岡部はそんな梨奈をじっとりとした目で見る。


「……いつまで居る気なの?」


「何でそないに必死に追い出そうとしはんの? 私がそばにいたら何が困るん? やらしいお店行けへんとか?」


 梨奈の指摘に岡部は思わず食べている物を噴き出しそうになった。


「行かないよ、そんなとこ!」


「ほんまに?」


「行きません!」


 だったら何も問題無いよねと梨奈はニコリと微笑むと、ゆうげの後片付けを始めた。

梨奈の畳みかけに屈してしまい、岡部は完全に交渉に失敗したとうなだれた。



 入浴後、梨奈はまた熱を出して寝込んでしまったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。  押し掛け女房、襲来(往路両親同伴)―――ってとこですかw  防府の親分が知ったら大笑いするかぶっ飛ばしに来るかのどっちかしか想像が出来ませんw  同期と厩舎の面々?―…
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