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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第四章 家族 ~八級調教師編~
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第3話 防府

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(八級)

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、止級研究所社長

・大崎…止級研究所総務部長、義悦の腹心

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師候補。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(仁級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(八級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・国司元洋…岡部厩舎の調教助手

・阿蘇、五島、千々石、大村、内田、成松…岡部厩舎の厩務員

・宗像真波…岡部厩舎の女性厩務員

・杉尚重…紅花会の調教師(八級)

 昨年の泥沼だった一年とはうって変わって栄光の一年となったこの年も、残りあと数時間となっている。


 奥さんは酒盛りから外れ食べ終わった膳を片付けており、残った料理で岡部と戸川は焼酎を呑んでいる。

岡部の横では、酔った梨奈が可愛い寝息を立ててぐっすり寝ている。


「津軽はどうやった? 会ってみて」


「最初はあまり良い感触じゃなかったですけど、旨い酒教えてくれって言ったら、ほころびました」


 岡部の報告に戸川はむせるほど大笑いしている。


「あれは山賊みたいなやつやからな。酒さえあればニコニコしとる」


「厩舎の先輩と同じですね」


 大笑いしていた戸川は、岡部の指摘に笑うのをやめ、里芋の煮物を箸で取った。

その里芋の煮物を岡部に向ける。


「僕は旨い肴も無いとニコニコはせんよ」


「おみそれしました」


 二人が大笑いしていると奥さんが戻って来て芋焼酎を呑みはじめた。

どうやら奥さんは、芋焼酎を呑みながら濡れおかきをつまむという呑み方が気に入ったらしい。

防府だから来年も焼酎三本送れますよと言うと奥さんは満面の笑みで喜んだ。



 笑い声がうるさかったのか、梨奈が寝返りをうったので岡部は毛布を掛け直した。


「梨奈ちゃん、仕事上手くいってるんですか?」


「仕事の方はな。それ以外でちとあってな……」


 戸川は奥さんと顔を見合わせ困り顔をした。

奥さんが濡れおかきを食べながら、今年梨奈に起ったことをポツポツと話し始めた。



 ――昨年、会報を作成している光定が最上に、ぜひ梨奈に会ってみたいと申し出てきたらしい。

会長も戸川も酒田に連れて行くのは色々と無理があると言われ、光定もその件は諦めたらしい。

だが光定は、いつも送られてくる可愛い絵を書く女性に一目会いたいと強く願うようになっていた。

まだ見ぬ乙女に過度な幻想を抱いていたのだった。


 光定は戸川に皇都の大宿でこれまでの感謝ということで食事会をしようと思うがいかがかと申し出てきた。

だが戸川は、人見知りの凄い娘だから難しいと難色を示した。

会長も諦めなさいという話をやんわりとしたのだが、そこは光定も最上家の一門、それなりに強引さがある。

ならば『上巳賞』優勝の記事を書きたいので、戸川宅で取材をさせて欲しいと言いだしたのだった。


 四月上旬、光定は手土産として出羽の大吟醸とブレスレットを持ってやってきた。

戸川は梨奈に、これまでのお礼の品を持って来てくれるそうだとだけ伝えた。

梨奈は戸川に代わりに受け取って欲しいとお願いしたのだが、そんな失礼な真似ができるかと叱られてしまった。

やむを得ず梨奈は薄く化粧をし、余所行きの服で光定を出迎えることになった。


 光定の目にはそんな梨奈が非常にまぶしく映ったらしい。

ブレスレットを手渡されると、梨奈は消え入るような声でお礼を述べ部屋から消えた。


 その一件から梨奈は、会報の仕事がかなり精神的に苦痛になっているらしい。

もしかしたら少し心傷になってしまったのかもしれないと二人は心配している――



「夏に綱ちゃんのとこに行った時は、久々に楽しそうにしてはったんやけどね」


 そう言って奥さんは苦笑いした。


 そこまで聞くと岡部は寝ている梨奈の頭を優しく撫でた。


「今度、松井一家と北国の牧場に行く事になっているんです。その時に梨奈ちゃんも一緒に連れ出してみましょうか?」


「ええ! 綱ちゃん私も! 私も行きたい!」


「みんなで行きましょう」


 奥さんは来年また遠くに旅行だと大はしゃぎした。

僕は厩舎次第かなと戸川は苦笑いした。


 そこでちょうど年が明けた。

三人は新年の挨拶を交わすと、初詣に伏見稲荷に行くことになった。

じゃんけんの結果、今年の梨奈を起こす役は岡部になった。

梨奈は岡部に起こされると、極めて不機嫌な顔をした。



 二日後、岡部は防府(ほうふ)へと向かった。

防府競竜場は、防府駅を降り、市内周遊の路面電車に乗り換え防府天満宮駅で降り、少し歩いた所に鎮座している。

天満宮に参拝した後、競竜場の厩舎棟の守衛へ向かった。


 守衛には既に話が通っており、調教師免許を提示すると事務棟へ向かうように案内された。

事務棟は守衛を抜けてすぐ左手で、そこそこの大きさの建物である。

受付で挨拶をすると、仁保(にほ)春香(はるか)という女性が事務手続きをしてくれた。


 仁保は一体何歳なのだろうと岡部も気になるほどの童顔である。

目がぱっちりしていてかなりの垂れ目、丸顔で鼻が低い。

少し茶みかかった髪は少し長めで後ろで縛っている。

背もかなり低く、手も小さい。


 仁保は、長丁場になることを見越して二人分の珈琲を淹れて説明に臨んだ。

仁保が説明した内容は、基本的には久留米とあまり変わらないものだった。

新しい事と言えば、寮の利用はできるが、あくまで一時的なもので、今月中に新居を探して欲しいと改めて説明された事くらいだろうか。

厩務員と騎手の研修は二週目頭を予定しているので、恐らく後から来るであろう杉さんにそう伝えて欲しいと仁保にお願いした。

最後に厩舎棟の配置図と厩舎の鍵を渡され、仁保は岡部に微笑んだ。


「岡部先生、防府競竜場へようこそ!」



 事務棟を出ると、厩舎棟をじっくりと見学しながら自分の厩舎へと向かった。

竜房は仁級にくらべ背が高く、全体的な大きさは呂級のそれに近い。

事務室は外から見る限り、呂級と仁級の間くらいの大きさだろうか。

この感じだと伊級の事務室は相当大きなものなのだろう。


 岡部厩舎の看板を事務室の壁に差し込み、鍵を開けて中に入ってみる。

事務室は二部屋で、手前の部屋が事務部屋、奥の部屋が会議室になっている。

ただ、どちらも呂級に比べかなり狭い。


 窓を開けて空気の入れ替えをし、バケツに水を汲み一通り水拭きをする。

簡単な掃除が終わると、事務部屋の事務机の後ろの壁に『紅地に黄一輪花』の紅花会の会旗を貼った。

久留米の厩舎は昨年のうちに明け渡しており、清掃して鍵も返してきている。

神棚にしまっていた御札も、高良大社(こうらたいしゃ)に収めてきている。

先ほど防府天満宮で大麻を貰ってきており、それを神棚にしまい拍手を打つ。

書類の状態を確かめ、電脳を設置し、給茶の用意をして開業の最初の準備を終えた。



 一通りの準備を終えると鍵をかけ競竜場を後にした。

仁保にも改めて指摘されたのだが、早急に住む家を決めないといけない。

再び防府駅前に戻り不動産屋へ向かった。


 岡部にとって基本的には家というのは寝に帰る場所であり、酒が呑めればそれ良いという性分である。

防府も久留米同様、独身の調教師は食堂で夕飯を取ることが多い。

岡部も久留米時代は、食堂で夕飯を食べるか、厩務員や調教師仲間と酒場に行くかであった。


 防府は高速鉄道の駅のある防長(ぼうちょう)郡の郡府であり、比較的家賃の平均は高めだった。

その中で一件の部屋を案内され、内見させてもらうことにした。


 その部屋は天満宮前の東西の大通りから一本入った宮市町というところの建物で、三部屋で一件という長屋風の建物の道路側の部屋だった。

二階建てで一階と二階合わせて一部屋となっている。

一目見て岡部はこの部屋が気に入った。

朝の早い岡部にとって道路側の部屋というのは、他の部屋の迷惑にならず非常にありがたい。

即日部屋を契約し、鍵を貰い、電気や上下水道の窓口に連絡し、その日は一旦久留米の寮へと帰った。



 翌日昼頃に、高速鉄道に乗って戸川一家が久留米に到着した。


 部屋に入って早々三人は唖然とした。

玄関には、布団、掃除用具、大きな鞄が一つ置かれていただけだったのである。

念の為奥さんが部屋の中を一通り点検したのだが、それ以上の荷物は無かった。

荷物を買ったばかりの岡部の車に乗せると、戸川と奥さんは電車で、岡部と梨奈は車で、別々に防府に向かうことにした。

途中、久留米競竜場に寄り寮の鍵を返却、そのまま新居へと向かった。


 電車で来る方が少し早かったようで、岡部たちが家に到着すると既に戸川たちが待っていた。

荷物を降ろすと岡部と戸川は電気屋へ向かった。

洗濯機は近所に硬貨式の洗濯場があるので当面はそこで良いとして、冷蔵庫が欲しかった。

色々見て回った結果、腰より少し低い程度の小型の冷蔵庫を購入。


 家に戻ると奥さんが何もする事が無いと言って休んでいた。

乾式の珈琲を飲むくらいしかできないと、かなり不満顔だった。

しかもカップも一つしか無い。


 梨奈はここまで来るだけで精神的にも肉体的にも限界だったようで、二階の奥の部屋で座布団を枕に毛布をかぶり横になって眠っている。

二階の手前の部屋――リビングにあたる部屋で奥さんは岡部に説教を始めた。


「綱ちゃん! ほんまにご飯ちゃんと食べてはったの? 毎晩お酒やなかったやろうね?」


「競竜場の食堂で厩務員と一緒に食べてたんですよ」


「ほな休みの日はどうしてはったんよ」


 奥さんの容赦ない質問に、岡部はたじたじになっている。


「それは、その……酒場に……」


「呆れた。これやから男の子は」


 僕もそんな感じだったよと戸川は大笑いしている。

そんな戸川を奥さんはきっと睨む。


「綱ちゃん。綱ちゃんは一人や無いんやで? 厩務員さんたちの生活が綱ちゃんの肩にかかってるんやからね?」


「以後、気を付けます……」


「若いうちに無茶してはったら、それが後に響いてくるんやから!」


 さすがに岡部も返す言葉が無くなり、しゅんとしてしまった。

戸川はそれを憐れに感じ、今日くらい何か良いものを食べさせようじゃないかと言うと、奥さんは憮然としながらも説教を終わらせた。



 完全に熟睡してしまって起きない梨奈を一人部屋に残し、駅近くのハモ料理の店で夕飯をとる事になった。

一口食べて戸川は、皇都に帰る時、これ買ってきてくれとせがんだ。


「僕は福原やったからな。防府は遠征でしか来たことなかったんやが、なかなかに新鮮なもんやなあ」


「久留米は一年半しかいませんでしたからね。なんだか移動移動で」


「腰を据える暇も無いってか?」


 四年前には皇都にいた。

三年前に土肥に行き、一昨年に久留米、今年が防府である。

戸川も昔は似たような状況で呂級まで駆け上がったので、その気持ちがわからないでもない。


「贅沢な悩みを言っているのはわかっていますけどね」


「そやで。皆早よ移動したいって思うとんのに移動できひんのやからな。そやけど、君はこないなとこでじっくり腰を据えとる場合やないよ。はよ皇都に来て一緒にやろうや!」


「まだ八級の竜の顔も見てないのに、またそんな事を」


 八級を抜けたらもうすぐ、早ければ再来年だと言って戸川は嬉しそうに米酒を飲んだ。


「そうそう、先日豊川で氏家さんから聞いたで。君宛ての竜、一頭良えのが買えたらしいぞ!」


「おお、良いですね! どんな仔か楽しみです!」



 部屋に戻ると梨奈は結構な高熱を出していた。

やむを得ないから熱が引いたら電車で送り返してくれと言って戸川は困り顔をした。

奥さんも面倒をかけるねと申し訳なさそうに岡部に言った。


 二人は梨奈を残し、高速鉄道でそそくさと皇都へ帰ってしまったのだった。

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