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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第四章 家族 ~八級調教師編~
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第1話 式典

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(八級)

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、止級研究所社長

・大崎…止級研究所総務部長、義悦の腹心

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師候補。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(仁級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(八級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・国司元洋…岡部厩舎の調教助手

・阿蘇、五島、千々石、大村、内田、成松…岡部厩舎の厩務員

・宗像真波…岡部厩舎の女性厩務員

・杉尚重…紅花会の調教師(八級)

 一張羅を身にまとい幕府にある執行会本部へと岡部は向かっている。

新人賞一名、八級への昇級者十名、呂級への昇級者十名、伊級への昇級者五名の昇級式典に参加する為である。


 前日には騎手の式典があり、服部と板垣が参加している。

騎手の昇級は調教師とは少し基準が異なり、専属騎手枠と自由騎手枠がある。

専属騎手枠は単純で所属する厩舎の昇級に合わせ自動昇級する。

今回で言えば、岡部厩舎の服部、武田厩舎の板垣、杉厩舎の原がこれに当たる。


 自由騎手枠は少々複雑で、自由騎手の内の上位五位に入っていて、なおかつ、ある一定の賞金獲得額だった騎手となっている。

大抵この枠で昇級するのは契約騎手で、厩舎からしっかり騎乗を貰えるような騎手がこれに該当する。

ただ昇級したとしても、契約を切られたり騎乗に恵まれないと容赦なく降級になる。

ごく稀にだが、鞭一本、己の腕だけで昇級してしまう騎手がいたりはする。


 今回、実は臼杵(うすき)が自由騎手枠で昇級基準を満たしてしまっている。

これはこれで極めて稀な例であるらしく、労働組合も所属厩舎とは別に昇級してしまって構わないか、臼杵にわざわざ確認を取ってきた。

臼杵はきっぱりと昇級を辞退し書面を書いて仁級に残留した。




 どうやら武田と同じ高速鉄道だったようで皇都駅で鉢合わせた。

武田が車掌にお願いして席を隣に移してもらい、岡部と一緒に幕府へと向かう事になった。


「武田くん、昇格おめでとう。『大栄冠』中継見てたよ」


「ありがとうな。大須賀くんと松本くんは、惜しくも上がれへんかったらしいな」


 大須賀も松本も昇級の狙える順位にいたのだが、二人とも『大栄冠』の準決勝で敗退してしまった。

結局東国の最終順位は、大須賀が七位、松本は九位であった。


「東国の方が質が高いとかなのかな?」


「多少はそういうんもあるんかもな。そやけど、あの順位やったら二人とも来年には上がれるやろ。松井くんもな」


 活動を再開した松井厩舎には、岡部厩舎からは竜は六頭しか転厩にならなかった。

内二頭は新竜で残り四頭は重賞級。

そこで引退手続きの進められていた、高木、神代(くましろ)の両厩舎所属だった竜を一時的に入厩させる事になった。

『大栄冠』の裏でその二頭が共に能力戦で勝利を飾り、高木、神代の両名は信じられんと言い合っていた。


「松井くん、諦めずに再開してくれて、ほっとしてるよ」


「正直、廃業するかもて僕も覚悟してたよ。僕やったら耐えられへんと思うわ」


「松井くんの奥さん、麻紀さんっていうんだけど、麻紀さんがずっと精神的に支えてくれたんだと思う。凄く賢い人だから」


 それを聞くと武田は何という羨ましいとため息交じりに呟いた。


「うちの華那ちゃんなん、信智が産まれてから僕の酒の量の話ばっかやで? まあ君は結婚とかには興味無いやろけども」


「いや、あるから! 普通にあるから!」


「ほんなら、あんまり独身謳歌しとると稲妻の会派から妙齢の娘を送り込まれて、会派移るはめになるで」


 そこから武田は自分をネタにして岡部を散々にからかって愉しんだ。




 執行会の本部に到着すると前回同様大量の報道陣に囲まれた。

その報道陣を掻き分け掻き分け、なんとか建物に入ると、既に幾人かの調教師が待機所で歓談していた。

その中に一人暇そうに窓から幕府の街並みを眺めている人影があった。


「杉さん、昇級おめでとうございます」


「おお、岡部か! 宣言通りちゃんと昇級したったぞ。最後二着っちゅうんは、ちと、しまらへんかったけどな」


 そう言って杉は岡部の肩をパンパン叩いて笑い出した。


「二着っていったって、ほんの少しの差じゃないですか。八級で巻き返したら良い話ですよ」


「その前に、まずは久留米に帰らへんようにせんとやけどな」


 げらげら笑いながら杉は岡部の背中を嬉しそうに叩いた。


「八級の昇級先ってどっちになるんでしょうね?」


「さあなあ。仁級への降級者とか引退者の兼ね合いもあるやろうからな。お前はどっちが良えんや?」


 普通に考えれば皇都に近い福原だろうか。

だが防府なら久留米のように地の物を買って戸川たちに楽しんでもらえるとも思う。


「そうですねえ。旨い酒か肴がある方でしょうか」


「わかるわそれ。久留米はどっちも旨かったもんな。どんだけ嫁に内緒で呑みに行ったことやら」


 すぐ寝るのにと、思わず口を突いてしまいそうになるのを岡部は必死に堪えた。



 杉と歓談していると係員がやってきて式典が始まる旨を知らせてきた。

式典会場は前回三冠の祝賀の時に使用した大会議室だった。


 式典は執行会の朝比奈会長の挨拶から始まった。

次に来賓として竜主会の武田会長が挨拶。


 この年は伊級の国際挑戦に変更が無かった為、伊級の表彰は無かった。

その為表彰は呂級調教師の昇級からだった。

次に八級調教師の昇級の表彰になった。

伊級も呂級も行き先は西国か東国かだけなので、そこまで注目は浴びない。

報道の注目はやはり記事になる仁級調教師。


 最初に呼ばれたのは西国一位の岡部だった。

詰めかけた報道陣は『夏空三冠』を制した若き俊英がどこに配属になるかじっと耳を傾けている。

朝比奈会長もその雰囲気に気が付き、配属先の部分でわざと一旦区切り報道を見回した。


「防府への所属変更を命じるものとする」


 朝比奈がそう読み上げると、周囲から「おお」という低い歓声が起き写真機の音が響き渡った。

最後に新人賞の表彰で式典は終了した。



 式典が終わると執行会本部の最上階に宴席が用意されていた。

岡部と武田は麦酒の瓶を持つと、まずは朝比奈会長と武田会長に挨拶に伺った。

二人への挨拶が終わると、先輩調教師へ次々と酌をしてまわった。

二年で昇級した若き八級調教師は呂級調教師にも伊級調教師にもウケが良く、どの調教師からもさっさと上に上がってこいと発破をかけられた。


 中央の机から料理を取ると杉の元へ行き三人で歓談した。


「また岡部くんとは一緒にやれへんのやな。福原やなんて」


「先輩方から言われたように、さっさと皇都へ行くしかないね」


「君は杉さんと同じとこなんやな。また伏魔殿みたいなとこちゃうやろな」


 それを聞いた杉が岡部の顔を一瞥し、あんなことは二度とごめんだと苦笑いした。

岡部も杉を見て静かに頷く。


「それはもう久留米だけで十分だよ。防府では平和に過ごしたい」


「ほんまに? 君、平和に耐えられる体質なん?」


 それを聞いた杉が噴出して笑い転げた。


「ちょっと! 人を天性の問題児みたいに言わないでよ!」


「そら言うよ! 君、久留米でどんだけ暴れた思うてんねん! 紀三井寺にもよう聞こえてきたで?」


「いや、それはさ、自己防衛じゃない」


 武田も杉も非常に冷たい目で岡部を見つづけている。

岡部の口から乾いた笑い声が漏れる。


「……防衛してもしきれないから大掃除させてもらっただけの事で」


「……重賞荒稼ぎしたんも、その一環やとでも?」


 武田のじっとりした視線に耐えられず、岡部は視線を反らした。


「松井くんの無実を晴らす為に、仁級の発言力考えたら三冠が必要だったんだよ」


「君のせいでどんだけ仁級の昇級が荒れた思うてんねん」


 ほんとだよと杉も岡部の腕を肘で突いた。

二人とも心に余裕が無いと岡部が指摘すると、生意気なことを言うのはこの口かと二人から頬をつねられた。




 帰りは三人で一緒に帰ることになった。

武田お薦めの百貨店で、奥さんと梨奈への土産としてハンカチとセーラー帽を購入。

杉は、これが好きなんだと言って濡れ煎餅を購入した。


 一つ購入し、その場でひとかじりした岡部は眉をひそめて杉に耳打ちする。


「あの、これ、なんだか生焼けみたいですけど」


「あほか! こういう煎餅なんや! 文句たれんと戸川先生に買うていけよ。これ米酒にごっつい合うんやぞ」


 米酒に合うという部分に武田が強い興味をそそられたらしい。

武田も味見に一枚購入しひとかじりした。


「これで米酒呑むんですか?」


「米と米やからな。合わへんはずが無いやろ。俺はこれを肴に米焼酎を呑んどるんや」


 すぐ寝るのにと喉の奥まで出かかけたが、岡部は必死に飲み込んだ。

武田は良い事を聞いたと言って大量に購入している。


 戸川に買っていけと言われれば買わないという選択は無い。

岡部も濡れ煎餅と濡れおかきが一緒になったものを購入した。


「杉さん、よくこんなの知ってましたね」


「幕府へは呂級の観戦で友人と何度か来たことがあってな。たまたま見つけたんや」


 杉は濡れおかきを帰りの電車で食べるようにと一袋余計に購入した。




 戸川宅に帰ると、どうやら一日かけて大掃除をしたらしく、戸川も奥さんもぐったりしていた。


 岡部はお土産をそれぞれに手渡した。

今日は父さんの祝賀会だからすぐに晩酌の準備をすると言って梨奈は台所に出かけていった。


 奥さんは岡部のお土産を目ざとく見つけ、何を買ってきたのとたずねた。

杉に言われた通り濡れ煎餅の説明をすると、戸川と奥さんは、それまでのダラダラはどこへ行ったのか、しゃっきりと立ち上がり台所に向かった。

戸川は米焼酎と水を、奥さんは水割り用の器をそれぞれ手に持って、満面の笑みで戻ってきた。


 まだ梨奈の準備ができていないというのに、ちょっと試してみようと、奥さんがさっさと濡れおかきの袋を開けてしまった。

戸川も戸川で米焼酎の蓋を開け注ぎ始めてしまった。

二人はおかきを肴に米焼酎を呑み、思った以上に合うとご満悦だった。


 岡部も呑もうとしたら梨奈が客間に入ってきた。


「何でこの人たちは晩酌の配膳まで待てへんのやろ……そないお菓子なん食べて」


 梨奈はかなりご立腹で腰に手を当て仁王立ちになった。



「で、八級はどこになったんや?」


「防府だそうです」


「あっちの方になったんか。防府いうたら(はも)やな。梅肉をちと付けてな。あれがまた米酒に合うねん」


 父さんはすぐ酒の話にもってくんだからと梨奈が苦言を言うと、戸川は、だんだん母さんに似てきて口うるさくなったと呟いた。

それには奥さんが黙っておれず、どこのだれが口うるさいんだってと戸川を問い詰めた。

二人の女性に詰め寄られた戸川は岡部に助けを求めたが、岡部はそっと目を反らした。


「防府の住居はどないするんや? 正月やから不動産もやってへんやろ? 僕の時は寮があったけども、それも無いんやろ?」


「一か月間だけ寮が使えるらしいですよ。その間に見つけろってことらしいです」


 開業準備しながら部屋まで探さないといけないのかと戸川は渋い顔した。


「仁級の寮の方はどうなるんや?」


「それも引っ越し先が見つかるまでは借りていられるらしいです」


「ようは仮宿として寮使わせてもらえるいうだけか。ほな借家見つかったら連絡してくるんやで。引っ越し手伝いに行くから」


 梨奈はどうにも自分の作った料理の減りが遅いと感じたようで、濡れおかきを三人の前から没収した。



「でも厩務員の方々に無理させなくて良かった点はほっとしてますよ。厩務員あっての厩舎ですからね」


「それはほんまにそうやで。それで良え人材は入ったんか?」


 岡部は梨奈の作った(ぶり)大根を食べて旨さに思わず声をあげた。

その反応に梨奈がご満悦の顔をする。


「みんな良い人ですけど、若い二人が特に良いですね。ただ、爺やが口うるさいのが難点で」


「爺やって荒木か!」


 戸川は噴出して大笑いした。


「もう一人いるんですよ。国司さんって爺やが。僕の為に騎手廃業までしてくれて」


「三浦さんが言うてた通り、期待のできる調教師の下には、良え人材が集うもんなんやな」


「全員八級に付いてきてくれるそうですから、新規採用しなくて済みましたよ」


 戸川は岡部から鰤大根を貰って食べて旨いと唸った。

その反応に梨奈が勝ち誇ったような顔で喜んだ。


「防府いうと、確か同じ厩舎でやってた津軽がおったはずやなあ」


「同じ厩舎というと、例の『竜に真摯に』の先生ですか?」


坂井(さかい)政二(せいじ)先生な。そこで僕が主任してた時に厩務員しとったんが、今防府におんのや」


 名前言わなかったっけと戸川は言うのだが、恐らく初耳だと思う。


「どんな方なんですか? その年齢とか」


津軽(つがる)信明(のぶあき)いう名前で、歳は僕より少し下や。親分肌のやつやから頼ったらきっと力になってくれる思うわ」


「わかりました。向こうに行ったら真っ先に挨拶に伺います」


 その岡部の発言に戸川は首を傾げた。


「明後日、豊川で挨拶したら良えやんか。なんやったら僕が付き添うたろか?」


「親分肌だったら、そういうの嫌うと思いますので、一人で乗り込んでみますよ」


 戸川は岡部の顔を見るとニヤリと笑った。


「いらん喧嘩せんようにな!」

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