第42話 披露宴
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(仁級)
・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)
・戸川直美…専業主婦
・戸川梨奈…戸川家長女
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、止級研究所社長
・大崎…止級研究所総務部長、義悦の腹心
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば
・長井光利…戸川厩舎の調教助手
・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手
・池田…戸川厩舎の主任厩務員
・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員
・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(仁級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(仁級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・国司元洋…岡部厩舎の厩務員
・阿蘇、五島、千々石、大村、内田、成松…岡部厩舎の厩務員
・宗像真波…岡部厩舎の女性厩務員
・及川、中山、田村…紅花会の調教師、逮捕
・千葉、高木、神代…紅花会の調教師(仁級)
・平岩親二…紅花会の調教師(仁級)
・杉尚重…紅花会の調教師(仁級)
・坂広優…紅花会の調教師(仁級)
・浅利…竜主会監査部
・松浦…久留米競竜場元事務長、逮捕
・蒲池…松浦の代わりの久留米競竜場事務長
岡部と荒木は、櫛橋と中里の結婚披露宴に出席する為に豊川に向う高速鉄道に揺られている。
豊川までの道中、新たに配属されてきた蒲池事務長の事を荒木に話した。
荒木は話を聞くとすぐに、もしかしてあの三人と松浦に関わりのある人物かと聞いてきた。
感じの悪い人物だからと言ってすぐに犯罪者と結びつけるのはちょっとと岡部は笑ったが、荒木は険しい表情を崩さなかった。
披露宴はそれなりに大きな規模となっていた。
二人の親戚一同、学生時代の友人、厩舎関係者が揃っているのだからそれくらいの人数にはなるだろう。
二人の両親は式が始まるまで最上夫妻に交代で挨拶をしていた。
食事は非常に豪奢で、大女将が奮発したであろう事が容易に想像される。
酒も食事も非常に旨く、どの机の料理も次々に消費されていく。
新郎新婦は最上夫妻と長く談笑してから別の机に酌にまわった。
そろそろ岡部の席の順番だというところで携帯電話に連絡が入り、やむを得ず席を外す事になった。
電話の相手は加賀美であった。
雷雲会の武田会長の筆頭秘書を務めている人物である。
「先生、浅利から話聞きましたよ。私はその蒲池とかいう人物に会っていないのでよくわかりませんが、あの図が本当だとしたらとんでもない話ですね」
「僕の妄想にすぎませんよ。全ての根拠が真っ白なんですから」
「どんな調査だって最初の一歩は根拠の無い妄想からでしょ。その裏を取って行くのが捜査ってもんですよ」
ただ普通は、あそことあそこが怪しいという程度で、あそこまで綺麗に関係図を書いたりはしないと言って加賀美は笑い出した。
「日曜日のこんな時間に、わざわざそんな事を言いに連絡してきたんですか?」
「まさか。いくら私が休暇日に仕事させられてるからって、それに岡部先生を付きあわせるほど――」
「じゃあ、何があったんですか!」
どうやら加賀美は何か用事があったのに急な呼び出しを食らったらしい。
その恨みを岡部にぶつけてきたのだ。
こちらだって元同僚の結婚式を抜け出して電話に出ているというに何という迷惑な。
「あの図の一部の裏が取れたそうですよ。蒲池と松浦はかつての同僚で同じ仁級の担当でした」
「それだけでは、その二人が連携しているという根拠にはならない気がするのですが?」
岡部の指摘に加賀美は黙り込んでしまった。
どうやら脳内で何かしらの情報の整理をしているらしい。
「そうか……竜主会が公表してない情報があるのか。じゃあこれはここだけの話という事でお願いしますね」
「いや、そんな情報あまり知りたくないんですけど……」
知ったら確実に面倒事に巻き込まれるのが目に見えている。
そんな岡部の気持ちを察した加賀美がまあまあと笑いながら宥めた。
「実は紅花会さんの収賄なんですがね、これまでの調査の結果である程度開始時期がわかっているんですよ」
「それは初耳ですね」
「竜主会が連合警察から報告受けて、どこにも情報開示せずにそこで止めてるんですよ。模倣されたら困りますからね」
今の話を踏まえて先ほどの蒲池と松浦の件を考えると、何となく加賀美が言いたい事がわかってきた気がする。
「つまりは、その時期にその二人が同僚として働いていて、その後に松浦が事務長として久留米に来たと。じゃあまさか蒲池が全ての元凶?」
「さすがにそこまでは現時点では。ですが関係者である可能性は極めて高いんじゃないかと思いますね。それと……」
「まだ何かあるんですか?」
実はそっちが休日に緊急出勤させられた案件だと加賀美は恨みがましく言った。
岡部はそれには何も言わず、黙って続きが話されるのを待った。
「例の図の可児の口座の件なんですがね、先生から指摘されたので警察に捜査を依頼したんですよ。そうしたら、開設の際の書類が可児の筆跡と一致しなかったそうですよ」
つまりは誰か別の人物が可児の名で口座を開設したという事になる。
警察の話によると可児が自殺する前にほとんどのお金が現金で引き出されており、現在口座には少しの小銭しか残っていないらしい。
「口座開設の際の身元確認はどうしたんでしょうね?」
「一時的に保険証を盗んだんじゃないですかね? あれ顔写真が無いですからね」
「完全に犯罪行為じゃないですか!」
公文書偽造やら、銀行法違反やらその一件だけでもそれなりに罪は重くなるであろう。
「もしそれが蒲地の行為だと裏取りができれば、それだけで蒲池を逮捕できるでしょう。で、どうします? 判明した時点で逮捕しちゃいますか?」
「久留米に来た理由が不明なままというのはマズくないですか?」
「なるほど確かに。じゃあ、引き続き奴は泳がせるように浅利に言いますよ」
念の為、可児以外の当時の蒲池と松浦の同僚の氏名を聞いて手帳に書き留めた。
披露宴会場に戻って戸川と最上に別室に来てもらい、先ほどまでの事を報告した。
金の行方がまだかなり不明と聞いたが、それがこれなのかと最上がたずねた。
まだわからないが、しっかり社内で調査して紅花会内での全貌を解明すべきだと岡部は進言。
まだ事件は終わって無かったのかと戸川は嘆息した。
「『紅花会の組織犯罪に久留米を巻き込むな』『小身の紅花会は小身らしくしてろ』『小身が粋がるな』」
「なんやそれ?」
「それが蒲池が僕に浴びせた言葉です」
それを聞くと戸川は最上と顔を見合わせ、二人で憮然とした表情を浮かべた。
「その蒲池とかいうやつは、どこの会派のやつなんだ?」
最上は、かなり苛ついた態度でそう聞いてきた。
「蓮華会だそうです」
「真田さんのところか……武田さんはこの事を知ってるのか?」
「電話は武田会長の筆頭秘書の加賀美さんからでした。恐らくは雷雲会だけで止まっているんじゃないかと」
明日、武田会長と話をして真田会長に話を聞きに行ってくると最上が言い出した。
だが岡部は、今は泳がしている所なのでそれは止めた方が良いと指摘した。
披露宴に戻ると式はほぼ終了の時間となっていた。
岡部は残りの時間、出された料理をゆっくりと堪能した。
するとそこに櫛橋が一人で現れた。
「ずいぶんやないの。私の披露宴を中座したりして」
櫛橋はぶすっとした顔で麦酒を注いだ。
「すみませんでした。重ね重ね」
「うふふ。冗談や、冗談。忘年会のあの件なら何も気にしてへんから。むしろ感謝してるんよ」
岡部が先日の事を未だに気にしている事が櫛橋には意外だった。
櫛橋はあの時点でも特に岡部には怒ってなんていなかった。
ただ岡部の思い通りに操られている気がして少し不快なだけだったのに。
「そう言っていただけると……」
「だって、あなたのおかげで披露宴の費用全額会持ちなんやもん。責めるいわれが無いいうもんよ」
岡部は白粉で真っ白に化粧した櫛橋の顔を見て、えっ全額?と驚いた声を発した。
櫛橋は白の振袖で真っ赤な口紅の引き立つ口元を隠し、くすくす笑い出した。
「ええ全額。披露宴に意見をまとめて出してもらえたら全部出す言ってくれてね」
「大女将はそういう豪気なところがあるんですよね」
岡部があげはの席を見て小声で言うと、櫛橋はまたもクスクス笑い出した。
「言うてくれたんは女将よ」
「えっ? そうなんですか? 徐々に気性が似てきたんでしょうかね?」
「女将が聞いたら怒るで、それ」
櫛橋は岡部の顔を見て微笑むと、空いた器に麦酒を注ぎ、ゆっくり食べてくれて良いからと言い残して中里のところに戻って行った。
帰り際、中里から話がしたいと呼び止められ、先ほどの別室に案内された。
櫛橋は着替え長いからという事で先に控室に向かった。
「こうして二人だけでじっくりとお話しするのはいつ以来でしょうね。忘年会の時はそんな時間ありませんでしたからね」
「そうですね。昨年の春の研修以来でしょうか。『上巳賞』の時は危険な役回りを引き受けてくれて、ありがとうございました」
岡部が頭を下げると、中里はこちらこそありがとうございましたと言って頭を下げて笑い出した。
その後で上体を少し後ろに反らせ少し遠い目をした。
「アレは楽しかったなあ。あの一夜は三浦厩舎に入って最も楽しい勤務だった。あの時、俺が自責の念にかられてたから抜擢してくれたんでしょ?」
「ええ、まあ。当日の当番だったというのも、もちろんありますけどね」
あの日岡部は、犯人が通路のどちらに逃げるかわからないからと、高城と中里に通路の別々の入口に立ちはだかるようにお願いした。
そして、犯人が来なかった方の人は近くの厩舎で電話を借り、大森事務長に連絡を入れてくれとお願いした。
岡部は犯人は逃走するだろうから中里の方に逃げるだろうと予測していた。
実際には厩務員に紛れて逃げようとしたようで高城の方に逃げたのだが。
「俺にも『セキラン』を守れたというのは、あれからもの凄い自信になったんだよね。おかげでこうして美鈴ちゃんとも。あれが無かったらきっとそんな勇気は無かったと思う」
「遅ればせながら、結婚おめでとうございます」
岡部が深々と頭を下げると、中里もありがとうございますと言って頭を下げた。
「美鈴ちゃんもね、他に気になる人はいたらしいんだけどね」
「へえ、そんな人がいたんですね」
中里は不思議そうな顔をして岡部の顔をしげしげと見た。
いつもはあんなに鋭い人なのに自分の事になるとこんなに鈍いのかと、中里は可笑しくて仕方がなかった。
「どうも、その方は年上の女性には興味が無いらしいって俺に言ってきたんだよ」
「中里さんはそれで納得なんですか? そんな誰だかの代役みたいな……」
中里は再度岡部の顔をしげしげと見て噴出した。
最初のはもしかしたらとぼけて言った、もしくは照れてそんな事を言ったのかもと思っていた。
だが本当にわかっていないと思ったら可笑しさに耐えられなくなってしまった。
「最終的に俺を選んでくれたんだからそれだけで嬉しいですよ。それに俺が美鈴ちゃんでもその人を選びたいって思うだろうしね」
岡部はごちそうさまですと苦笑いした。
「櫛橋さん、調教師になるって事ですから、これから大変ですね。何かと」
「三浦先生からちゃんと支えてやれってきつく言われてますよ。代役は逆立ちしても無理だろうが、補佐ならできるはずだからって」
おかげで毎日調教計画の勉強で頭がゆだりそうだと中里は泣き言を言った。
「三浦先生、何が何でも櫛橋さんを調教師にするんだって息巻いていましたからねえ」
「それは俺も知ってる。俺もずっと複雑な気分で話を聞いてたもん」
中里の話によると、三浦は『上巳賞』の後、櫛橋たちが帰ってから毎日のようにあの娘を調教師にと言っていたらしい。
二方向から強い風が吹けば、きっと紅花会は生まれ変わると言って。
「もしかしたら何十年ぶりの女性呂級調教師の誕生なんて事になるかもしれませんよ?」
「三浦先生もそう言うんですよね。先生は本気で美鈴ちゃんがそこまで行けると思います?」
これまで白桃会や桜嵐会で女性の調教師は何人も開業してきた。
当然櫛橋のように大きく周囲の期待を背負って開業した人もいたはずである。
だが、結果は競竜史上でも呂級調教師は数えるほどしかおらず、伊級に至っては未だに一人もいない。
中里としては、どうにも自分の新妻がそんな競竜史上の偉人になるようには思えないのだった。
「出走する以上勝つ可能性は零では無いって言いますよ。同じように開業する以上は可能性は零じゃないんじゃないですかね?」
「なるほど、そうですね。美鈴ちゃんと二人で一つでも上の級を目指してみますよ。先生もお見捨てなきよう」
中里は椅子から立ち上がり岡部に握手を求めた。
「共に伊級を目指しましょう!」
岡部もその手を取って固く握手を交わした。
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