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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第三章 汚職 ~仁級調教師編~
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第37話 帰省

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(仁級)

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、止級研究所社長

・大崎…止級研究所総務部長、義悦の腹心

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…樹氷会の調教師(仁級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(仁級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・国司元洋…岡部厩舎の厩務員

・阿蘇、五島、千々石、大村、内田、成松…岡部厩舎の厩務員

・宗像真波…岡部厩舎の女性厩務員

・及川、中山、田村…紅花会の調教師、逮捕

・千葉、高木、神代…紅花会の調教師(仁級)

・平岩親二…紅花会の調教師(仁級)

・杉尚重…紅花会の調教師(仁級)

・坂広優…紅花会の調教師(仁級)

・浅利…竜主会監査部

・松浦…久留米競竜場元事務長、逮捕

 山陽道高速鉄道に乗り、岡部は一人皇都に戻っている。


 前日、久留米の百貨店で、奥さん用の襟巻、梨奈用のブローチ、酒にこだわりがあると自称する平岩推薦の米焼酎と麦焼酎を一本づつ購入。

数日分の着替えと背広を新たに新調した豚皮の旅行鞄に詰め、翌朝、在来特急に乗り込んだ。

太宰府駅内の百貨店で、辛子明太子、辛子蓮根、かすてらを購入、さらに缶麦酒と駅弁も購入し高速鉄道に乗り込んだ。



 昼過ぎには皇都駅に到着。

駅から外に出ると、駅前に奥さんが迎えに来てくれていた。

奥さんは岡部を見付けると、大声でこっちだよと叫んだ。

その声に周囲の人たちが岡部に注目した。

さすがに奥さんも少し恥ずかしかったらしく、ブンブン振っていた右手を小さく振りなおした。

今年は冬の到来が早かったようで、駅前には薄っすらと泥混じりの雪が残っている。


 鞄を後部座席に置こうと扉を開けると梨奈が座っており小さく手を振っている。

ただいまと梨奈に言うと、梨奈はニコリと微笑んで、おかえりと答えた。


 車を走らせるとすぐに奥さんは積もる話がたくさんあるんだよと言って笑い出した。

そこで笑い出したという事は、戸川が何かやらかしたか、自分がからかわれるかのどちらかであろう。


「随分と久留米ではご活躍やったみたいやね。新聞で見たよ」


 運転しながら奥さんが真顔で話題を振った。


「色々と大変でしたよ。報道にも何度も取り囲まれて」


「こっちでも中継で何遍も見たよ。その度に父さん指差して大笑い」


 岡部は不本意という感情を露骨に顔に出した。

それを奥さんは横目でちらりと見たようでクスリと笑った。


「そやけど、ずっと心配してはったんよ。毎朝、新聞じっくり読み込んで。また何かあった、何で連絡が無いんやって」


「こちらに電話した時、初めて強く叱られて、ちょっと挫けましたよ」


 そういえば綱ちゃんにあんなに怒ってるの初めて見たかもと言って奥さんはまたクスリと笑った。


「あの日、厩舎でも何かあったらしくてね。帰ってきてからずっと苛々してはったから」


「そうだったんですね。じゃあ、悪い時にかけちゃったんですね」


 私たちも話したかったのに勝手に電話切ったから、あの後ちょっと喧嘩になったと言って、梨奈が笑い出した。

奥さんと梨奈は、今日は今日で朝からずっと廊下をうろうろしていて邪魔くさかったと大笑いした。



 戸川家に着くと岡部は荷物を手にゆっくりと外観を眺め見た。

白を基調とした家には、所々、薄っすらと雪が残っている。


 家に入ると真っ直ぐ客間へと向かった。

客間には家の主がどかりと座って新聞を読んでいる。


「ただいま帰りました!」


「なんや、ずいぶんと遅かったやないかい」


 岡部はニヤリと笑うと鞄を畳に置き、米焼酎と麦焼酎を戸川に渡した。

戸川はおおと感嘆の声をあげ、これ結構するやつだろと言って満面の笑みで二本の瓶を抱えた。

茶菓子にとかすてらを渡すと奥さんは、じゃあお茶を淹れると言って台所へ向かって行った。

梨奈が何かを言いたげにじっと見ているので、お土産だと言って翡翠のブローチを渡した。

梨奈が、わあわあと小さな喜声をあげていると、奥さんがお茶を淹れて持ってきてくれた。


 岡部は奥さんに、襟巻と辛子明太子、辛子蓮根を渡した。

すると戸川は辛子蓮根を掴んでまたもおおと感嘆の声をあげる。


「辛子蓮根やないかい! ようこれ知ってたな」


「居酒屋で食べて、戸川さんが好きそうだなって思いまして」


 わかってるじゃないかと言って戸川は大喜びした。



「日競の記事見たで! 最後二か月で十四戦十三勝、二着一回やってな。新人の成績やないで!」


 大したものだと言って戸川は満足気な顔をする。

奥さんと梨奈は凄いと言って岡部の顔を驚いた顔で見ている。


「日競さんは大げさなんですよ。そもそも同期ではどん尻だし」


「そこまでがそこまでやからしゃあないよ。にしても今年の新人は質が高いんやな」


 丁度開いた新聞に新人の成績の記事が載っていたらしく、戸川はそれを指差した。


「松本くんなんて重賞で決勝に残ってましたもんね」


「その子が四位なんやろ? ありえへんよ。どんだけ質の良え年なんや。大豊作にもほどがある」


 戸川から新聞を奪い取った奥さんと梨奈が新聞記事を見て、ああでも無いこうでも無いと言い合っている。


「研修の時もみんな手強かったですからねえ」


「あの感じやと四年後には全員仁級にはおらへんのやろうな。首位争った二人なん来年には八級昇格かもな」


 五人しかいない寂しい期ではあるが、それでも全員が八級昇格となれば、それはそれで前代未聞の事であり、『花の期』なんて言われるようになるだろうと言って戸川は笑い出した。


「八級ってそんなに簡単に昇級できるもんなんですか?」


「仁級は基本やからな。基本がしっかりできとったら上がれるんよ。逆に言うたら基本がしっかりできてへん奴がそんだけ多いいう事やな」


 何のために研修をやっているのやらと悪態をついて戸川はお茶を啜った。


「でも五枠しか無いんですよね?」


「東西でそれぞれ五枠やからな。結構多い思うけどなあ」


 戸川は、かすてらを一口食べて、なんだこれ旨っと驚いた。

奥さんは、これ定期的に送ってよとせがんだ。



 かすてらを食べ終えると、梨奈が、そろそろ始めようかなと言って客間から出て行った。

今日は梨奈ちゃんがおつまみ作るんだってと奥さんが嬉しそうにしている。


「梨奈ちゃんって今年意匠の学校卒業ですよね? 来年からどうするか決まってるんですか?」


「それなんやけどな。来年早々、光定さんが皇都に挨拶に来たい言うてはるんやって」


「毎回見てますけど、会報、かなり良い感じになりましたもんね。本格的にって思うんでしょうね」


 岡部がそう言うと、戸川は豪快にため息をついた。

それに続いて奥さんもため息をつく。


「そやけどな、会いたない言うてんねん」


「は? 一人で会うのが怖いとか、そういう問題ですか?」


「知らん。別に捕って食われるわけや無し。会うだけやったら会うてやったら良えのにって思うんやけどな」


 あの娘の人見知りは理解不能と言って戸川は天を仰いだ。

どうしてああなのかと奥さんも頭を抱えてしまった。


「ですけど、お仕事のお話ですからねえ。先方が会いたいと言ってるのに会わないわけには……」


「それなんよな。そやけども、何言われてもずっと黙って下向いとんのが目に浮かぶわ」


 その光景は岡部も容易に想像がつく。

私が立ち会わないとダメかなあと奥さんもあまり乗り気じゃない様子だった。




 夕方、準備ができたよと言って前掛けをかけた梨奈が料理を次々に運んできた。


 麦酒は買ってあるらしいが、戸川も奥さんも岡部の買ってきた焼酎が気になって仕方が無い。

奥さんは台所から水と氷を持ってくると、水割りを作り始めた。

戸川は呑み比べがしたいらしく、器をもう一個台所から持って来た。


 梨奈が、これどうやって呑んだら良いのかなと岡部に聞くので、たっぷりの果汁水で割ると良いよと教えた。


「おお、麦と米、全然味が違うんやなあ。どっちも旨い事には違いないが、完全に好みの問題やな、これ」


 戸川は水で薄めず原酒のまま飲み比べをしている。

岡部は麦焼酎を水で割って呑み始めている。


「今回は買ってきませんでしたけど芋もかなり旨いんですよ。すみません、さすがに三本持ってくるのは重くって」


「事前に送ったら良かったやないかい! そない言われたら余計に呑み比べしたなるやないか!」


「次回はそうしますよ。来年を楽しみにしてください」


 奥さんも呑み比べしたようで、全然味が違うと驚いている。

梨奈は麦酒の感覚で酒を注いだ為かなり濃かったらしく、うわっと声をあげ、どんどん薄めている。



 ある程度酒が進むと、戸川が、そろそろ向こうで何があったか報告してくれと促した。

岡部は酒を呑みながら、年初からすでに嫌がらせがされていたという所から順々に厩舎襲撃事件までを話した。

戸川は、それをずっと渋い顔で黙って聞いていた。

奥さんと梨奈も一緒に聞きながら酷い話だねと言って眉をひそめた。


 襲撃事件のあらましを聞くと戸川は目頭を指でつまんで唸ってしまった。


「同期が華々しい活躍しとる裏で、君は四頭の竜を後生大事に使うとったんか。ようそこまで我慢しはったな」


「同期との争いよりも重要な事がありましたからねえ。我慢も何も」


「そう言えば、向こう行く時は一年は様子見るとか言うてはったものな」


 そう言うと戸川はゲラゲラ笑い出した。


「まさか、あんな大ぴらに好戦的にしかけてくるだなんて思ってもいませんでしたからね」


「三浦さんもずっと案じとったんやぞ。小まめに連絡入れてきてたんやからな。砂越が逮捕された報を聞いて、嬉しそうにうちに電話してきはったよ。仕掛けどころが一流の勝負師のそれやって褒めとったわ」


 という事は三浦も薄々、砂越が何かやましい事をしているという風に感じてはいたという事だろう。

岡部が大崎を頼ったようには三浦には頼れる人がおらず、(ほぞ)を嚙んでいたのだろう。


「会長と武田会長が謝罪会見してるの見た時は、本当にこれで良かったのか不安になりましたけどね」


「あれなあ。会長から聞いたんやけどな、君、武田会長に事前連絡したやろ? 会長、武田会長にかなり心配されたんやそうやで」


 これが引き金となって紅花会が崩壊や解散になってしまったりしないかと武田会長は心配したらしい。

もし支援できる事があるようなら遠慮なく言ってくれとまで言ってくれたのだそうだ。


「会長怒ってますかね?」


「怒っとる! かなり怒っとる! 事が済んだのに何で連絡が無いんやってな!」


「あ……しまった……」


 岡部は泣きそうな顔で天井を仰ぎ見た。

明後日、会長によく怒られてきたら良いと言い、戸川は酒を呑んで爆笑した。



 岡部は料理を食べると梨奈ちゃんは随分料理の腕が上達したねと褒めた。

梨奈は嬉しくなり、肉団子には生姜を刻んで落としてみただの、揚げ豆腐の餡に入れる挽肉を甘辛く煮てみただのと説明を始めた。


「網ちゃんは、そうやってすぐ褒めるんだから! あまり甘やかすと調子に乗るよ?」


 そうなったら後が大変なんだからと言って奥さんは岡部を窘めた。

せっかく頑張ったんだから良いじゃないと言って梨奈は頬を膨らませる。



「豊川は一人で行くん?」


 戸川は肉団子が気に入ったらしく先ほどから肉団子ばかり食べている。


「いえ。服部に来るように言いました。戸川さんは?」


「今年も櫛橋や。なんせ会長も三浦さんも連れて来い言うてうるさいからなあ」


 基本豊川に来る調教師は男性ばかりで、随員に女性がいるかいないかというような状況である。

櫛橋のように社交的な女性がいると会長も三浦も楽しいのだろう。


 岡部は枝豆をプチプチと鞘から出して口に入れている。


「で、あっちの方はどうなってるんです?」


 岡部の顔を見てニヤリとして、豊川に行ってからのお楽しみだと笑った。



「そういえば、年初あれだけ調子良かったのに伊級に上がれなかったんですね」


「それやねん……秋、うち酷かったんよ。結局『サイヒョウ』は怪我治らへんし、新竜の『ヨウゼン』は体質がまだ弱て重賞出せへんし、おまけに『タイセイ』まで怪我して」


 一時は呂級首位を走っていたのだが秋は重賞の決勝に全く縁が無く、おかげで気付いたら定位置の六位だと言って戸川は悔しそうな顔をした。


「え? 『タイセイ』怪我したんですか?」


「いや、重症やないよ。そやけど時期が最悪でな。先月末に調教場のえぐれに足取られて捻挫や」


 うわ、それはと言って岡部は眉をひそめた。


 その横で梨奈が、これなんだろうと言って辛子蓮根を口にした。

戸川はあっと声をあげたが遅く、梨奈は、ひぃと言いながら水を飲みまくった。


「そういえば『カンゼオン』はどうしたんです? 『重陽賞』期待できそうでしたけど」


「僕、もうその名前は聞きたない! 秋初戦、普通に走ったから『重陽賞』に出したら、予選でまた逸走しおった。僕もう嫌や、あの仔……」


 また福屋にチクチクやられてと言って戸川は本当に参った顔をした。

その後、梨奈が齧って放置した辛子蓮根を口に運ぶと、しかし、この蓮根は旨いなと言って酒を呑んだ。



「砂越のやつ、君の会派追放が決まりそうやって嬉しそうに伝えにきよってなあ。ほんま腹立ったわ」


 岡部は砂越の名前が出ると厩舎に来た時の様子を戸川に話した。


「うちでも君の事屑呼ばわりしとったから、長井も池田も櫛橋もずっと睨んどったわ。帰った後、櫛橋が竜の餌用の塩を撒いてたぞ」


 逮捕されたと聞いて、戸川厩舎では、みんな清々したと言い合っていたらしい。


「しかし、何であんなに偉そうにできるんですかね? そもそもうちらの支援が仕事ですよね?」


「『管理課』なんて名前やから立場が上やと勘違いするんやろうな。ほんまやったら管理課やのうて支援課やのにな」


 そう考えると組織の名前というのは意外と重要だと言って焼酎をちびりと呑んだ。


「後任の方、呂級の係長だそうですね」


「えっ! 課長、六郷(ろくごう)になるん? うわあ……それは中々に大変やな」


 戸川の話によると、六郷は砂越よりも少し年下で、呂級の係長時代、金をかければ成果が出るというなら、いくらでもかけてみたら良いと放言するような人物だったらしい。


「とにかく金をかける時の成果に異常にこだわるんや」


「あまり好ましい人じゃないと?」


 戸川は腕を組み、目を閉じて考え込んだ。


「砂越みたいにクソではないよ。あれは最悪やったもん。そやけども課長っていう器かいうと……」


「ですが課長になれば、考えや態度も変わるかもしれませんよ?」


 そう言われ戸川は岡部の顔をじっと見た。

確かに調教師になった君がこんなに喧嘩早くなるとは思わなかったと言って奥さんと二人で笑い出した。

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