第25話 説明
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(仁級)
・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)
・戸川直美…専業主婦
・戸川梨奈…戸川家長女
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、止級研究所社長
・大崎…止級研究所総務部長、義悦の腹心
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば
・長井光利…戸川厩舎の調教助手
・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手
・池田…戸川厩舎の主任厩務員
・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員
・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(仁級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(仁級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・国司元洋…岡部厩舎の厩務員
・阿蘇、大村、内田、成松…岡部厩舎の厩務員
・宗像真波…岡部厩舎の女性厩務員
・及川、中山、田村…紅花会の調教師(仁級)
・千葉、高木、神代…紅花会の調教師(仁級)
・平岩親二…紅花会の調教師(仁級)
・杉尚重…紅花会の調教師(仁級)
・坂広優…紅花会の調教師(仁級)
・松浦…久留米競竜場事務長
「岡部! アホかお前!」
調教が終わり厩舎に戻ると、高木と平岩が岡部厩舎に押しかけてきた。
珈琲を淹れて二人に差し出すと、平岩は、外暑いんだから冷やしとけよと文句をつけた。
「聞いたぞ! 砂越課長を怒らせたんだってな! それはさすがにやりすぎなんじゃないのか?」
「いやあ、最初からもの凄く感じが悪くて、つい……」
「『つい』何て軽い気分で喧嘩買ってるんじゃないよ!」
平岩があまりにも大声で怒鳴るので岡部は指で耳に蓋をする。
「でもですよ、それを最上家の人間に思いっきり見られて、向こうも失敗じゃないですかね?」
「その最上家ってどうせ京香さんだろ? 単なる関連会社の一社員じゃないか! そもそも最上家なんて、会長以外は全員別会社の人間じゃないか!」
平岩の指摘で、先日京香が『砂越たちの下した決断は会長でも覆せない』と言った意味がようやく理解できた。
会長は単なる本社の最高責任者にすぎないという事なのだ。
反対意見は言えるが、それが反映されるかどうかはまた別の話という事なのだろう。
「どうせ喧嘩買っても買わなくても、あいつの結論は一緒だったんですよ。だったら、せいぜい第三者の前でその仮面を外してやろうと思いましてね」
「つまり、お前の会派追放の方針はもう決定事項と?」
砂越が会派追放を武器に調教師を支配しようとしている屑だという事を第三者に見てもらい、噂を本社に流してもらえれば、やつの主張に疑問を抱く者がでるはず。
疑問を抱かれれば、少なくとも自分の会派追放は決定事項では無くなるはず。
「あいつは会派追放を伝家の宝刀だと思ってたようですけどね。ずっと抜き身じゃ意味が無いんですよ。完全にやり方を誤ったと思いますね」
「ほんとか? 誤ってるのはお前の方だったりしないだろうな?」
平岩の指摘に岡部は少しバツの悪そうな顔をする。
「可能性は……ありますけど……」
「お前な……」
平岩は呆れ果てた顔をした。
平岩がある程度言いたい事を言ってくれていたらしく、その間高木は黙って珈琲を飲んでいた。
だが平岩が黙ったので、そこからは高木の出番となった。
「あまり大きな声では言えへんけども、僕らは皆お前に期待しとる。お前やったらあの三人を何とかしてくれるんやないかってな」
「着々とその準備はしてますけど?」
高木も小さくため息をついて、少し呆れた顔をする。
「じゃあ、何でそれが会派に次々に喧嘩売って追放になりそうな事態になってるんや」
「それが必要な事だからです」
そんなわけあるかと、隣で平岩が指摘した。
高木も額に手を当て、話にならないという仕草をする。
「なあ、説明してくれへんやろか? 僕ら君ほど頭良えわけやないんでな」
「今はできません。まだ、そこまで行ってないんです」
高木はそれを聞くと、再度小さくため息をついた。
「そしたら、僕らは君に何をしてやったら良えんや?」
「発生する出来事に一喜一憂しないで欲しいです。それと何か聞いたら教えてください」
高木は岡部が一貫して自分たちを戦力外として扱う事にかなりガッカリし、またため息をついた。
どうやら平岩も同じように感じているようで、苛々し膝を揺らしている。
「……そうやな。船頭が多いと船は山に登る言うしな。僕らは君の足を引っ張るかもしれへんもんな」
「申し訳ありません……」
「気にせんで良えよ。千葉さんと神代にも、君のやってる事は静かに見守ってくれって言うとくわ」
二人の調教師は珈琲を飲みほすと、やれやれと言いあって帰って行った。
六月の最終週、残り三頭をそれぞれ出走させた。
『ナズナ』は古竜能力戦一の長距離に出走させたが、全く歯が立たず最下位に終わった。
『ハンテン』は古竜能力戦一の中距離に出走させ三着。
『スイヘイ』は世代戦未勝利戦の中距離に出走し二着だった。
七月に入り厩舎の定例会議が開かれた。
「先生、会派追放の話が厩務員たちの耳に入ったようで、かなり不安がっています」
国司が真剣な顔で岡部に忠告した。
「でも、今かなり厳しい局面で……」
「僕や荒木はある程度わかってるし、やんわり説明もしてますけど、それももう限界ですわ」
この厩舎はどうなってしまうのか?
我らにも生活があるのだから。
厩務員たちからはそういう指摘がされているらしい。
荒木もそう聞いているようで、うんうんと頷いている。
「だけど、今、彼らから外に情報が漏れるわけにはいかないんですよ」
「先生、政治工作が重要なんはわかりますけども、自分の足元もちゃんと見んと! 変なとこで躓くことになりますよ」
戸川に事前に指摘されていた事を改めて国司に指摘され、国司たちの忠告に従う必要があると岡部は強く感じた。
「じゃあ、どうしたら良いと思う?」
「先生の口から説明をした方が良えと思います。それを聞いて辞める言う者がでるかもしれませんが」
国司の進言を聞き、荒木も横から進言した。
「先生、僕も国司に賛同です。内から足引っ張られでもしたら先生も困るでしょ?」
それでも岡部はかなり渋った顔をしている。
荒木はここで引いたら岡部厩舎が危ないと思ったらしく、さらに進言をした。
「先生、彼らは自分らが蚊帳の外やいうのが気に食わへんだけなんです。ちょっと顔見せたら落ち着くんですよ」
「……わかった。場を設けよう」
数日後、岡部は休みの厩務員も呼び出し、事務室で説明の場を設けた。
人数分椅子があるわけではないので、事務室の床に座り込んでいる者が出ている。
ある程度静かになったところで、岡部は皆に言っておかないといけない事があると言って話を切り出した。
自分が会派の会長から久留米の現状調査と対処をお願いされた事、思いのほか病巣が深く対象が会派内にまで及んでいる事、その結果、今会派追放という話が出ている事をかいつまんで説明した。
最後にこの話が外に漏れると対処に失敗する可能性が大きいので、絶対にこの場だけに留めて欲しいと言い含めた。
「それを開業の合間に先生はずっとやってきたと? 信じられんたい!」
阿蘇が心底驚いた顔をした。
「それを新人の先生にお願いする、そん会長もだいぶ酷な事する人たい!」
大村は驚きよりも同情するような目で岡部を見た。
「まあ、そこはほら。それだけ信用されてるって事だし、付き合いが深いからね」
「思いの他、がばい先生たい!」
皆、顔を見合わせて笑みをこぼした。
「で、突然こげんこつ聞いて、僕らは何をしたら良かと?」
大村はかなり不安そうな顔で岡部に尋ねた。
「この事は当面、僕たちだけの秘密にしておいてほしい。口の端にも絶対乗せないように。もし洩れたら厩舎は解散だと覚悟して欲しい」
はっきりと言い切られた事で、厩務員たちは不安がって互いに顔を見合わせた。
「そがん厳しか状況なん?」
「はっきり言って厳しい。問答無用で君らにも危害が及ぶ事になるかもしれない。その時は竜と自分の身をしっかり守って欲しい」
そこまでの事態になっているのかと、厩務員たちは言い合った。
ある程度は想像していたが、想像していた何倍も状況が悪いといったところだろうか。
「当面ってどんくらいになると?」
「恐らくこの感じだと来年には持ち越さない感じじゃないかな?」
何でそんな計算ができているんだろうと言って阿蘇と大村が笑い合った。
内田は他の厩務員たちとは少し違う心配をしているらしい。
「先生は、これまでずっと休み無しでここまで来とうです。いつお休みばとると? うちら先生ん体が心配で」
岡部としてはかなり想定外の質問だったようで、しまったという顔をした。
「ああ……実は先月休む予定だったんだけどね。ちょっと用事が入っちゃって……」
「もし倒れられたら、うちらもどげんしたらよかかと」
「実は労組にも怒られててね。さすがに無視できなくなってて……」
労組に怒られるのはかなりマズイのではと内田が指摘すると、岡部は渋い顔で頷いた。
「まだ休みは取れんと?」
「そろそろ毎週木曜に休みをもらおうと思ってますよ。その日は荒木さんと国司さんにお任せする事になると思う」
「それを木曜日に言われても……」
内田の鋭い指摘に場が暖かい笑いに包まれた。
「もし何かあったら、すぐに僕に報告してきてほしい。もし僕が不在なら荒木さんや国司さん、何なら服部でも」
それを聞くと宗像が手を挙げた。
「私、調教場ば竜曳いていくと、よう田村ちう調教師に尻触られるんやけど」
「それでどうしてるの?」
「最近は他の方に代わってもらってます」
あの野郎。
そう声を絞り出し、岡部は鋭い目つきで虚空を睨みつけた。
「それって田村って人だけ?」
「中山とかいう先生も……」
「もしそういう事があったら隣の佐藤先生に相談したら良いよ。僕の方からも相談しておくよ。それこそ労組に呼び出されて、下手すれば一発で調教師免許剥奪だから」
宗像が晴れやかな顔でわかりましたと言って頷いた。
恐らくかなり悩んでいたのだろう。
成松が、そこまで良い尻なのかねえと言うと、宗像は成松の顔を無言で睨んだ。
成松は宗像のあまりの迫力に、こそっと内田の後ろに隠れた。
「成松、お前がケツ派だってのは今のでみんながわかっただろうけど、そういう事は女性の前では、もう少し繊細にな」
「す、すみませんでした」
「あの歳で、もうケツ派とはなあ」
説明会が終わり厩務員を解散させると、国司は荒木と笑いあった。
「歳は関係無いやろ。趣味趣向の問題なんやから」
岡部は珈琲を飲みながら一仕事終えたというような顔で二人の話を聞いており、服部は給湯の珈琲の殻を長靴の入っている棚の珈琲の殻と交換している。
「なんや、荒木は知らんのかいな。女性への趣向言うんはな、上から下に移っていくもんなんやで」
「そんな話、聞いた事ないわ」
そう言って荒木が笑うと、国司は咳払いをした。
「若い頃は顔が可愛い言うててな、そのうち乳に行くねん。そんでケツに行って、最後は脚や」
「そしたら乳派の僕はまだまだ青いんやな」
「僕は成松と同じケツ派や」
そう言っておっさん二人はゲラゲラ笑いあっている。
不意に荒木が、服部はどこ派だと聞いた。
「僕、どっちか言うと乳派かも」
「『どっちか』なん言うてるうちは、まだまだやな」
国司が服部をからかうと、服部は、そもそもここは女気がなさすぎると不貞腐れた。
岡部は、それを隣の厩舎で言ってきてみろよとからかった。
服部は何か恐れたような顔になり無言で首を横に振った。
「そう言う先生は、どこ派なんですか?」
国司は遠慮なく岡部に聞いた。
荒木も服部も、それは僕も気になると言って岡部を見ている。
「僕は鎖骨だよ。鎖骨の形が気になる」
「……変態やん」
「おい!」
国司の一言に岡部は即座に抗議した。
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