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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第三章 汚職 ~仁級調教師編~
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第20話 一歩

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(仁級)

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、止級研究所社長

・大崎…止級研究所総務部長、義悦の腹心

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…樹氷会の調教師(仁級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(仁級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・国司元洋…岡部厩舎の厩務員

・阿蘇、大村、内田…岡部厩舎の厩務員

・宗像真波…岡部厩舎の女性厩務員

・及川、中山、田村…紅花会の調教師(仁級)

・千葉、高木、神代…紅花会の調教師(仁級)

・平岩親二…紅花会の調教師(仁級)

・杉尚重…紅花会の調教師(仁級)

・坂広優…紅花会の調教師(仁級)

 翌日、佐藤厩舎の竜と共に調教場へ調教に向かった。


 佐藤と二人観察台に昇り調教状況を双眼鏡で眺め、あれやこれや話をしていた。

すると順ちゃんその子誰と言って他の女性調教師が興味を示して近づいてきた。

だが佐藤が紅花会の新人さんと説明すると皆表情を曇らせた。


 岡部が丁寧に挨拶をすると、佐藤は、この子があいつらみたいにならないようにみっちり教育してやると言って笑った。

岡部がお手柔らかにと苦笑いすると、女性調教師たちは警戒を解き、今いくつなのやら、独身なのやら騒ぎ出した。

周囲の調教師が不快な顔をしたのが見えたので、他の方の迷惑になりますからと抑えてもらった。



 佐藤と二人で観察台から降りると、前方から一人の中年がこちらを睨みながら歩いてきた。

及川、中山とどこか共通の雰囲気のある男。

目つきが悪く、顔は四角くえらが張っている。

及川たちと違うのは頭頂部付近まで額が後退してしまっている事だろうか。


「なんや岡部、一人じゃ怖くて外に出られへんから母ちゃん同伴か?」


 岡部はその発言に気分を害し、その男を無視した。


「先生、この失礼な禿()は誰ですか? 先生のお知り合いですか?」


 君のとこの先輩だと思うと言って佐藤は引きつった顔をする。


「え? 僕こんな公然の場で他会派の先生に失礼な事を言うようなごろつきの事なんて知りませんけど?」


「ああん? とぼけるのも大概にせえよ! お前が挨拶に来へんから知らんだけやないけ!」


 中年男の大声に何事かと徐々に人が集まり出している。


「僕がまだ挨拶できてないというと田村って人くらいですけど……」


「わしが田村じゃ! お前舐めとんのか!」


 周囲からくすくすという笑い声が聞こえ、田村は笑い声の主を睨みつける。


「ああ、そうでしたか。僕の竜を盗んだ手癖の悪い人らしいと聞いて、挨拶する必要性を感じなくなってしまいましてね。そうですか、あなたが」


「ああん? わしが盗んだいう証拠でもあるんか? あるんやったら今すぐ出してみい! 事と次第によっては名誉毀損で出るとこでるぞ?」


 田村はじりじりと岡部ににじり寄り、代わりに佐藤が一歩また一歩と岡部から下がって行く。


「よくご覧になってくださいよ。周りにこんなに証人がいるじゃないですか」


「はあ? お前、頭イカレとんのか? こいつらがなんじゃ! わしが盗んだとこをこの中の誰かが見た言うんか?」


 田村はさらに岡部ににじり寄る。

岡部はそんな田村をふっと鼻で笑う。


「僕の竜の履歴を見てもらえれば証人になりますよ。この人たちなら履歴を見たらそれがどういう意味か全員理解できるでしょうからね。あなたには極めて難しい事かもしれませんけど」


「あのなあ岡部、お前と違うてな、皆暇やないねんぞ? 誰がそないな事に協力するいうねん。あほか!」


 くくくと岡部は喉を鳴らし、田村を挑発するような目で見る。


「先輩は人の竜盗む算段で忙しいでしょうが、この方たちは犯罪の摘発の為なら多少は時間を割いてくれますよ。今だって僕の新竜をどうやって盗もうか、毛の無い頭をひねってるんでしょ?」


 田村は激怒し岡部の顔に顔を近づけ睨みつけた。


「そんなもん、全部お前の被害妄想やんけ!」


「だから言ってるでしょ、履歴に書いてあるって。それと、あんまり興奮すると禿ますよ?」


 周りから再度クスクスという笑い声が漏れる。


 田村は顔を真っ赤にして歯をぎりぎりと噛みしめて怒り出し、岡部の胸倉を掴んだ。


「小僧! たいがいにせえよ! ほんまに名誉毀損で訴えるぞ、おら!」


「ならば僕は盗難で訴え出てやるまでです。あなたがやった事は登録法違反なんですよ。警察はあなたと僕、どっちを問題視するでしょうね?」


 岡部が冷たい目で田村を睨みつけると、田村は気圧されて手を離した。

既に周囲は大観衆となってしまっている。


 そこに及川と中山がどけと言って観衆をかき分けて中に入って来た。

及川と中山は岡部を見ると、田村に、朝っぱらからこんなクソガキを相手にするなと言って観衆の外に連れ出した。



 三人が群衆をかき分けて出ていくと紅花会の千葉と平岩が近寄ってきた。


「お前大丈夫なんか? あいつらにあんな態度とってもうて」


 千葉がかなりおどおどして聞いてきた。


「千葉さんがそんな風に恐れるから、あいつらも図に乗るんですよ。結果として会の評判も悪くなっているんです」


 真正面から痛い指摘をされ、千葉は目を反らして黙り込んでしまった。


「お前はあいつらの事を知らないから。あいつらに後で竜取られても知らないぞ?」


「あいつらに竜を勝手に転厩させる権限なんてありませんよ。誰宛てってのは会の方で決めるんですから。それを無理やり変更するのは登録法の違反です。つまり窃盗ですよ」


 それはそうなんだがと言って平岩は口ごもった。


「あいつらにそんな建前は通用しないんだよ……」


「それは平岩さんが毅然と突っぱねれば良いだけの話です。きっとここにいる皆さんが力になってくれますよ」


 平岩がバツの悪そうな顔をして周囲を見渡すと、首を縦に振る調教師が何人もいた。




 厩舎に戻ると松井が応接椅子に座って勝手に珈琲を淹れて飲んでいた。


「大立ち回りご苦労様。大丈夫なのか? あんな事やっちゃって」


「戸川厩舎時代にこういうのに対処する方法を学んでてね」


 そう言い終わると一人の記者が厩舎に入ってきた。

記者は日競新聞の卜部(うらべ)と名乗り岡部と松井に名刺を渡した。


「こういう事だよ」


「いやいや。こんなもん記事にしたら君の会派の評判は地に落ちるぞ?」


「そういうのは記事の書き方一つらしいよ?」


 事前に確認してもらいますから大丈夫だと思いますよと言って卜部は笑顔を作った。


「最悪の場合、競竜場の外で危害を加えられかねないからね。匿名でも記事にしてもらって揉めているという痕跡を残しておかないとね」


 岡部は淹れ終わったばかりの珈琲に口を付け、あちっと言って舌を出した。

そんな岡部を松井は呆れた顔で見ている。


「どっからこんな奇策を学んだのやら……」


「皇都で『セキラン』を扱ってる時に多方面からだよ。主に武田会長からね」


 竜主会の会長をまるで長年の友人かのようにいう岡部に松井は面食らった。


「武田会長と知り合いだとは聞いてたけど、まさかそんな事まで……」


「あ、いけね。どっかで連絡しとかないと武田会長に怒られるかも」


「おい!」


 それをお茶らけていう岡部に、松井は呆れ果ててしまった。

そんな二人を卜部はケラケラ笑って楽しそうに見ている。


「だけどさ、実際のところ現状を記事にしたところで、あいつらがそんな匿名のもんを気にするとは思えないんだけどなあ」


「実は記者の前ではちょっと言えない効果を期待してる」


 今の段階では自分にも言えないような何かがある。

つまりこの件には、まだ表面に見えていない何かがあると岡部は考えているという事だろう。


「つまりはそっちが本丸って事か」


「詳しくは後であそこで震えてるやつにでも聞いてくれ」


 そう言って岡部は外で遠巻きに見ている臼杵を指差した。


「今朝からなんか余所余所しいと思ってたんだよな。そうか、あいつここで何か見たのか。なるほどな、どうりで」


「僕のとこに来る客、どいつもこいつもチンピラみたいなのばかりで困っちゃうよ」


「おい! 今なんで俺の顔を見て言ったんだよ!」


 心外だ、俺ほどの紳士が他にいるか、そう言って松井は憤りながら珈琲を啜った。




 その日の午後、一人の男性が岡部厩舎に面接に訪れた。

以前、母親同伴で訪れた成松である。


「長らくお待たせいたしました」


「もう来れないと思ってたよ」


 岡部は応接椅子の成松の対面にゆったりと腰かけた。


「両親ば説得するのに、がばい時間がかかってしもうて」


 そうなんだと短く言うと、じっと成松の目を見た。


「どういう結果になったのか教えてもらえるかな」


「結局、両親を説得すっとは無理やったです」


 成松の表情から何となく察しはついていた。

前回の感じから説得さえ叶えばと思っていたのだが非常に残念である。


「そっか、わざわざ報告に来てくれてありがとう」


「ばってん、先週、成人しまして。家を出て来てやりました。やけん採用ばお願いします」


 一瞬二人の時が止まり静寂が訪れた。


「僕は言ったはずだよ? 両親どちらかを説得してからおいでって」


「そいばってん、未成年やけんダメやとも言いよったばい?」


 岡部は右手で顔を覆った。

成松が横に大きな荷物を置いていた事が最初から気にはなっていたのだ。


「……言った。確かに言った」


 成松はしてやったりという感じでニコニコしながら岡部の顔を見ている。


「わかったよ。採用するよ。寮も手配する。ただし一つだけ条件を設けてもいいかな?」


 成松は不安げな顔をし何でしょうと聞き返した。


「今後も両親の説得は続けて欲しい。そこがどうしてもダメなら、せめて身内の賛同者を見つけて欲しい」


 成松は大きく首を縦に振り、よろしくお願いしますと元気に言った。



 岡部は成松に、すぐに役場へ行き戸籍謄本を発行してもらうように指示し、その間に事務棟へ行き厩務員の採用が決まったので寮の手続きを行って欲しいと菊池に申請した。


 事務室に戻ると成松は何と父親と共に帰って来ていた。


「勝明ん父です。こん度は愚息が御迷惑ばおかけしまして……」


 成松の顔には殴られた痕があり、黙ってうなだれている。


「どのようなご用件でしょうか?」


「こん愚息が何を言うたかわからんばってん、こん話は無かったことに……」


 岡部から威圧感のようなものを感じ、成松の父は額から流れる汗をハンカチで拭き取っている。


「どうしてそれをお父さんが?」


「こん母親が、がばい怒っとりまして……」


 またあの母親か。

そう岡部は憤ったが口から出ないようにぐっと我慢をした。


「ですので! それをなんで成人した息子さんではなく、お父さんが言ってきてるんです?」


「これはまだ子供で……」


 馬鹿にして。

岡部は聞こえるか聞こえないかの小さな声でそう呟いた。


「彼は成人した大人ですよ。あなたは息子さんがやりたいという事をあなたの身勝手な思いで諦めさせるんですか?」


「まだ学校行っとる身分で大人ば言われても……」


 岡部は成松の表情を確認した。

成松は悔しそうな顔で下唇をぎゅっと噛みしめている。

それが成松の意思、そう岡部は察した。


「お父さんは今、仕事は何をされているんですか?」


 突然面接が始まり、成松の父は少し戸惑った表情をする。

戸惑いながら、自動車の部品製造会社で設計の仕事をしていると答えた。


「もし社内で全く自分にできそうもない分野の仕事を強要された時、お父さんはその仕事を平然と行う事ができますか?」


「……仕事やけん、やる思いますたい」


「毎日金の為だって厭々仕事に行って。それで結果が出せずに毎日怒られて。それでも平静を保って仕事ができますか?」


 成松の父は黙ってしまった。

それが会社勤めというものだと成松の父もわかってはいる。

幸いにもそういう事はこれまで無かったが、先輩、同僚、後輩で、そうやって辞めていった者を何人も目にしている。


「では、自分がやりたいと思う仕事だったらどうでしょう? それなら怒られても前向きに捕えられるんじゃないでしょうかね」


「……仕事は金ば得る為にするもんですたい」


「息子さんはそこの優先順位が違うんですよ。好きな仕事をしたらお金が貰えたなんですよ。それが考えられるちゃんとした大人なんです」


 成松は岡部の言葉に何度も首を縦に振って父の顔を見ている。


「……そげん事言われても、ようわからんですたい」


「わからないのに、なぜ反対できるんです? 明確な理由がないのに反対するのは不自然な事ですよ?」


 岡部は成松の父の発言にすぐに反論した。

それを責められていると感じたようで成松の父は反発した。


「なら先生はどげんしたら良か思うんですか!」


「やりたいと言えるものがはっきりとある場合はやらせるべきだと思います。好きこそものの上手なれって言いますよね。それを見守るのも親の務めでは無いでしょうか?」


 まさに正論。

ぐうの音も出ないほどの。

何とか反論の言葉を探したが何一つ思いつかない。

成松の父は諦めてゆっくりと息を吐いた。


「先生ん言う事が正しか思います。これん母は私が説得してみます。愚息ばよろしうお願いします」


 そう言うと成松の父は深々と頭を下げた。


「彼が家に帰った時に、差向いで盃交わしながら仕事の愚痴でも聞いてあげてください。社会人の先輩として」


 成松の父は良い酒を用意しておきますと言って息子の顔を見て微笑んだ。

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