表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第三章 汚職 ~仁級調教師編~
137/491

第15話 開業

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(仁級)

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、止級研究所社長

・大崎…止級研究所総務部長、義悦の腹心

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…岡部厩舎の厩務員

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…樹氷会の調教師(仁級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(仁級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手

 翌日、遅れて荒木が厩舎にやってきた。


 岡部が服部に荒木を紹介すると、荒木は服部に握手を求めた。


「君が服部君か。噂は聞いてるで。一緒に先生を支えて行こうな!」


 ところが服部は握手には応じたものの、どうにも荒木とは熱意の差を感じる。


「僕と先生は一対です。荒木さんたちは支えてもろて。僕は先生と共にありますんで」


「なんや可愛くないこと言う子やな。先生の事何でも知ってるみたいな態度しおって」


 荒木も事前に服部が少しやんちゃなところのある子だという事は岡部から聞いている。

だが実際目の前でやんちゃなところを見てしまうと、荒木も少しやんちゃなところがあるだけに反発を覚えるものらしい。


「これでも僕、一年みっちりと先生のご指導受けましたから。先生の事やったらようわかってるつもりですよ」


「なんやそれくらいの事で。でかい態度すなや」


 そんな二人のやり取りを見て、岡部は、さっそく打ち解けてもらえたようで何よりと笑い出した。

すると服部と荒木は同時に、先生の目は節穴なのかと抗議した。



 岡部は牽制しあっている二人を横目に、事務机に着いて求人の応募者に一人づつ面談の連絡をつけていった。

その中の一人が既に厩舎棟にいるらしく、すぐに面談に来れるという事なので来てもらう事にした。


 連絡して十分もしないうちにその人物は厩舎に駆け込んできた。


 名前は国司(くにし)元洋(もとひろ)

年齢は荒木と同じくらいである。

背が低く痩せていて、いかにも騎手という印象を受ける。

年齢を感じて欲しくないのか、髪を濃茶に染めている。

顔は頬がこけていて目は優しく、鷲鼻が特徴的。


 国司に応接椅子に腰かけるように案内すると、岡部と荒木は対面の応接椅子に腰かけた。


 元々、国司は尼子会の椙杜(すぎもり)という調教師の専属騎手として開業した。

だが残念ながら椙杜調教師は成績不振により廃業。

その後も国司は自由騎手として尼子会の厩舎など交流のある厩舎の竜に騎乗し生計を立てていた。

八級以上では調教師の死亡以外で厩舎が解散になる事はほとんど無い。

だが仁級では調教師の廃業は特に珍しい事ではなく、厩舎の解散もよくある事である。

仁級では専属騎手も経験不足であり、代わりに騎乗を貰って契約騎手や自由騎手として昇級する調教師もかなり多い。

なので仁級や八級では自由騎手はかなりありふれた存在だったりする。


 残念ながら国司はそこまで騎乗依頼や調教依頼を貰えているわけではないらしく、毎日厩舎棟に来て同じ会派の厩舎に挨拶回りして、時に調教をさせてもらい、後は調整室に入るか食堂で交友を広げて一日を過ごしているらしい。



「うちは開業したてですけど、当面は専属騎手に経験を積ませる方針ですので、騎手は間に合っているんですけど」


「雇っていただけるんやったら騎手の方は廃業しますよ」


 国司はにこやかな顔でそう言ってのけた。


「何でそこまでして?」


「昨年の実習競走を見させてもらいました。それでこの人やったらと。さらに新聞の記事読んで人生を賭けよういう気になったいうわけです」


 岡部は隣の荒木の顔を見て困り顔をした。

年齢的には荒木同様管理職候補という事になる。

だが仁級は二人も管理職を抱えられるほど実入りの良い級ではないのだ。


「調教助手を雇うような懐事情じゃないかもしれませんけど?」


「厩務員で良えですよ。先生の下でやれるんやったら」


 国司は一貫してにこやかな顔をしている。

人当たりは良さそう、岡部はそう感じながらさらに質問を続けた。


「御家族はそれで納得いただけてるんですか?」


「今より安定する言うたら、そっちのが良え言うてくれました」


 岡部は応接椅子から立ち上がると、事務机から申請書を二枚持ってきた。

一枚は厩務員契約申請書、もう一枚は騎手登録抹消申請書。

その二枚を記載してもらうと、岡部は国司に握手を求めた。


「ようこそ、岡部厩舎へ」




 先輩に挨拶回りに行ってくるので留守を頼むと荒木に言い残し、岡部は服部と二人で(さか)広優(ひろまさ)厩舎へ向かった。


 坂は年齢的には先日の大谷よりも少し下という感じだろうか。

その温厚そうな目は実に好意的に感じ、真ん中で別けた髪がかなり好青年に見える。


 口角の上がった口元から非常に優しい声が発せられ、応接椅子に座るように促された。

岡部と服部で案内されるがままに応接椅子に腰かけると、開業の挨拶をし、服部への騎乗竜の提供に御礼を述べた。


 坂は、同じ会派なのだからそんなにかしこまる事は無いと言って微笑んだ。


「僕より下は廃業してもうてね。僕は開業五年目やいうに未だに紅花会では一番下っ端や」


「何で先輩たちは廃業を選んでしまったのですか? 預託される竜の問題ですか?」


 坂はそれまでの穏やかな顔を一気に曇らせ視線を落とす。


「やってられへんのや。君もそのうちわかるよ」


「坂さんも、やはり辞めようと?」


「このままやと上に行くんは困難やからな。遅かれ早かれやろうね」


 そう言うと坂は大きくため息をついた。

だがすぐに新人を前にする態度じゃなかったと気づいたらしく、精一杯の笑顔を作った。


「もし僕でお役に立てるような事があれば遠慮なくお願いします」


「君の噂はそれなりに久留米にも届いてるよ。昨年末に豊川でも聞いたし。遠慮なくそっちお邪魔させてもらうわ」


 坂は岡部の顔を見て力無く笑った。

岡部と服部は改めてよろしくお願いしますと挨拶して坂厩舎を後にした。



 次に(すぎ)尚重(なおしげ)厩舎へ挨拶に伺った。

先ほどの坂厩舎は岡部厩舎から少し北に行った場所、杉厩舎はそこから少しだけ西に行った場所にある。


 杉は見た目だけでいえば坂と同年代という印象を受ける。

坂に比べるとかなり背が小さく、温厚そうな坂に比べ、かなりやんちゃそうな顔をしている。

恐らく優しそうな目だった坂に比べ、少し細い目をしているせいでそういう印象を受けるのだろう。


 杉はやってきた岡部を見ると憐れみの表情を浮かべた。

どこか疲れ果てているような感じもうける。


「君もえらいとこに来てしもうたもんやな」


 そう言うと席を立ち、応接椅子に座るように案内。

自分も対面の応接椅子に腰かけた。


「僕はまだ来たばかりですから何もわかりませんけど。先生は何か困り事でも?」


 岡部の質問に杉は困り事かと呟き、厩舎の外に視線を移した。


「君もそのうちわかるよ。もう他に挨拶は行ったんか?」


「今さっき坂さんのところに。杉さんで二人目です」


 杉は小さく頷くと、右手の人差し指をくいくいと曲げて岡部に顔を近づけた。


「それやったらうちで止めといたら良えよ。後は行かへんほうが良え」


「この後、平岩(ひらいわ)さん、神代(くましろ)さんと順番に挨拶する予定ですけど」


「それやったら悪い事は言わへんからその二人で止めとけ。特に及川、中山、田村の三人はくれぐれも対応に気付けえや」


 小声でそう言うと杉は姿勢を戻した。


「わかりました。そうします。それと、もし僕でお役に立てることがあれば遠慮なく」


 杉は俯いて、無言で手を振った。

新人に何を期待する事があるんだ、そういう態度であった。



 その後、平岩親二(ちかじ)、神代勝洋(かつひろ)両調教師に挨拶に伺ったのだが、何かに怯えるような態度で冷たくあしらわれてしまった。



「これで服部に竜を都合してくれた先生は全てか。思った以上に厳しい状況みたいだな……」


「そうや! 臼杵のとこ行ってみません? 松井先生にも、まだ会うへんのでしょ?」


「そうだね。ちょっとからかいに行ってみようか!」




 松井の厩舎は、岡部の厩舎からは中央通路を挿んで真反対に位置している。

通路のすぐ近くに平岩厩舎があり、そこからさらに奥まった場所である。


 もちろん松井厩舎も竜房に竜はまだ一頭もいない。

すでに看板がかけられており、中央に針葉樹が描かれその前に黒字で松井厩舎と書かれている。


 事務室の扉の枠をコンコンと叩くと松井もこちらに気が付いた。


「こっちはどんな感じかなって様子見に来たよ」


「見に来たよも何も、昨日の夜着いてさっきここを開けて、今旗貼ったとこだよ。そっちはどうなの?」


 松井の後ろには『勿忘草色に白の針葉樹』が描かれた樹氷会の会旗が張られている。


「昨日来て、服部に竜都合してくれた厩舎を回って来た」


「ああ、俺も落ち着いたら回らないとな」


 岡部は勝手に接客椅子に座ると、臼杵に久々だねと挨拶した。

臼杵もニコリと微笑むと、お久しぶりですと頭を下げた。


「僕の見てないとこで服部が暴れたりしてなかったかな?」


「泣いたり叫んだり毎日情緒が不安定で胃に穴が開くかと思いましたよ」


 そう言って臼杵がお腹をさすりながら泣きそうな顔をすると、服部が余計な事を言うなと臼杵の尻をつねった。


「それは申し訳なかったね。松井君にいびられて胃に穴が開きそうな時は僕のとこに逃げて来たら良いよ」


 久々に岡部の冗談を聞いた松井は、つまんない事を言ってるんじゃないと笑い出した。


「そっちは人は集まりそうなの?」


「だからさっき来たとこなんだって。まだ履歴書すら目を通せてないよ」


 松井は事務机の上に置かれたままの分厚い封筒を指差した。


「じゃあ従業員まだ誰も決まってないんだね」


「そりゃそうだろ。そっちはどうなの?」


「二人決まったよ。一人は戸川厩舎から付いてきてくれて、もう一人は騎手廃業するんだって」


 得意げな顔をする岡部に、松井は聞くんじゃなかったと言う顔をした。

そんな二人を見て服部と臼杵は学校の頃そのままだと言い合って笑い合っている。


「相変わらず手際の良いやつだなあ。俺もそこそこ落ち着いた時点でそっちに遊びに行くよ」


「待ってるよ。臼杵も遊びにおいでよ」


 臼杵は、はいと元気に返事をした後で、服部と腕を突き合ってじゃれ合った。




 翌日から岡部厩舎では厩務員の面談が続いた。


 厩舎の収入は『預託料(よたくりょう)』という竜の管理費が基本収入である。

だが仁級の預託料は圧倒的に安く、それだけでは人件費を賄うには全く足りない。


 競走で上位に入線すると賞金が支払われるのだが、その賞金の多くは竜主のものとなる。

残りを生産者、厩舎、調教師、騎手で分配する。

残念ながら呂級以上と違い、仁級は賞金も圧倒的に安く厩舎運営をしていくだけでもギリギリで、会派からの支援金で補っている。


 仁級の厩舎も呂級と同じく竜房の数は十と決められている。

夜勤が二人というのも呂級と変わらない。

仁級で夜勤担当を二名、日勤五名を確保しようとすると、どうしても調教助手を雇う余裕はない。

年齢の高い国司、荒木を日勤専門に付ければ、残りは夜勤の担当できる若者をという事になってしまう。

あくまでそれは九人の厩務員を集められる事が前提の話。

残念ながら現在、岡部厩舎への求人応募は国司を含め六人しかいない。


「全員採用したとして三減はさすがに厳しいなあ。新竜来るまで竜が二減だとしても」


 岡部は履歴書を見ながらため息をついた。


「僕も国司さんも夜勤入るとしてもカツカツですね」


 荒木も困り顔で岡部を見た。


「問題はそれよりこの女の子だよ。さすがに夜勤やらせる気にはならんから、今回はちょっと遠慮してもらうしかないかなあ」


「人手不足や言うんを伝えて夜勤やれるか聞いて、無理やいうんやったら遠慮してもろたらどうですか?」


 岡部の意見と荒木の提案を聞いて国司が首を傾げた。


「何で女の子の夜勤はあかんのですか?」


「そりゃあ何か過ちあったら困るじゃない」


 国司はその説明に目を細め、何を言っているんだという顔で再度首を傾げる。


「久留米には女性だけの厩舎もありますよ。そういうとこは普通に女性も夜勤やってますけど?」


「それは周りに他の女の子がいるからでしょ?」


「そんなん関係無いと思いますけど。それで問題になるようやったら、さっさと労組に突き出したら良え事やし」


 人が足らないのだから、そんなつまらない事を考慮している場合じゃない。

そう指摘する国司に岡部も納得し、まずは会ってから決めようという事になった。



 ここまで、阿蘇、大村、内田と採用が決まって行き、残りは宗像(むなかた)真波(まなみ)という女性と、成松(なりまつ)勝明(かつあき)という未成年の子だけになった。


 宗像は私服で構わないという案内を素直に解釈して、普通に久留米の街にでも遊びに来たかのような恰好でやってきた。


 短く切った髪は亜麻色で、目が大きく、かなり顔は整っている。

勝気な感じではあるがかなり美形、そんな印象を受ける女性だった。


「女性だけの会派もあるのに、どうしてうちの厩舎に?」


「私、女子高出やけん、もう女同士でどうこういうとに飽き飽きして」


 その宗像の発言を聞いて岡部は噴き出しそうになった。

どうやら荒木も同じ事を思ったようで必死に笑いを堪えている。


「それなら他にも厩舎いくつもあると思うんだけど?」


「どうせやったら新規開業ん先生ん下で、一からやりたか思いまして」


 つまりは松井か自分どちらでも良かったが、何となく岡部厩舎を選んだと言ったところであろう。


「夜勤もしてもらうことになりますけど?」


 その指摘に宗像は首を傾げた。


「夜中は竜、寝とうですよね? それって他ん業種の夜勤に比ぶたら、大した事なかと思うとですけど?」


「そこまで覚悟していただいてるなら」


 そう言って岡部は宗像に握手を求めた。

嬉しそうな顔をして宗像は両手でその手を握り返した。


「よろしくお願いします。先生!」


「もし何かあったら、ちゃんと相談してね」


 宗像が事務室から退室すると、荒木はどっかの誰かを彷彿させると言って、堪えていたものを一気に放出するかのように笑い出した。

よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ