第14話 久留米
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(仁級)
・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)
・戸川直美…専業主婦
・戸川梨奈…戸川家長女
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、止級研究所社長
・大崎…止級研究所総務部長、義悦の腹心
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば
・長井光利…戸川厩舎の調教助手
・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手
・池田…戸川厩舎の主任厩務員
・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員
・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員
・荒木…戸川厩舎の厩務員
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(仁級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(仁級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手
山陽道高速鉄道に揺られて久留米駅に向かっている。
九州には西海道という島をぐるりと一周する街道が通っている。
西海道は、佐世保、佐賀、久留米、隈府、水俣、川内、霧島という西岸線と、太宰府、久留米、日田、府内、延岡、都於郡、都城、霧島という東岸線に別れている。
主街道は、久留米、隈府、霧島、都於郡、府内、久留米という環状線で、そこに佐世保方面、太宰府方面が接続している感じである。
西国で街道が近代化改装することになった時、最初に整備されたのは山陽道だった。
山陽道は元々平地が多く瀬戸内沿いに中小の都市が連立しており、皇都、芸府間が真っ先に整備された。
鉄道線が走るようになると、停車駅の置かれた福原、姫路、岡山、芸府は一気に発達。
その後、門司、下関間という狭い海峡に大きな橋が通され、街道整備は太宰府まで延伸した。
次に整備されたのが西海道だったのだが、最初の整備区間は、太宰府、久留米、隈府、川内という街道であった。
この時点で皇都から川内という西国の背骨に鉄道線と高速道路が整備された事になる。
当分はこれ以上の街道の整備は行われないであろう。
誰しもがそう感じていた。
ところが世界情勢がきな臭くなってくると国防の重要性が叫ばれることになり、海軍港への街道整備が急務となった。
西国の海軍港は、西から佐世保、芸府、田辺の三港で、佐世保と田辺への街道の接続が急がれる事になった。
そこで西海道の久留米、佐世保間と、山陰道の皇都、田辺間が整備された。
山陰道の田辺、下関間が追加で整備されると、大和郡、紀伊郡、阿波郡、土讃郡の四人の郡知事から南海道の整備を強く要請される事になった。
西国議会で南海道の街道整備計画が可決はされたものの、南海道を整備するには四国へと街道を接続しなければならない。
まず紀伊深山から、地ノ島、友ヶ島、淡路島由良を大橋で結んだ。
次に淡路島鳴門と阿波相ヶ浜を大橋で結んだ。
芸予佐田、高島、豊日関崎を、同様に大橋で結ぼうとしたのだが、距離的に予算が膨大になり、保守も困難になるとわかり地下道を掘る事になった。
地下道の掘削は非常に難航し、かなりの年月を擁した。
その間に、それ以外の南海道と西海道の久留米、霧島間の整備が完全に済み、後は掘削待ちという事になった。
掘削が終り地下道が貫通する日、南海道の各知事が泥だらけの掘削の人足たちと喜びあい地下道出口で酒宴をした映像は、西国のみならず全国に報道され感動を呼んだ。
久留米駅で高速鉄道を降り在来線に乗り換えた。
久留米の街は筑紫平野の東側半分で、西半分は佐賀市となっており、両者は筑紫川によって隔てられている。
久留米駅はその筑後川のすぐ南に設置されており、北の太宰府、東の日田、西の佐賀、南の隈府と、街道はこの駅を起点に十字に別れている。
その為、久留米の街は交通の要衝として、太宰府、府内、霧島と共に発展している。
久留米の競竜場は、この十字路の中の東の大分方面へ在来線で二駅行った久留米競竜場駅の前に建てられている。
列車を降りると、目の前にそこそこ大きい競竜場が姿を現した。
競竜場の裏手の厩舎棟へ向かい、守衛に挨拶をし、事務の担当者の到着を待った。
事務棟から一人の女性が岡部を迎えに来てくれた。
女性は名を菊池というそうで、年齢は岡部より少し上という感じ。
そこそこ長い髪を束ね、大きな眼鏡をかけている。
事務棟内の会議室に案内されると、菊池は珈琲を淹れて厚い封筒を持って戻ってきた。
菊池は寮の契約からやりましょうと言い契約書を差し出した。
岡部は菊池に言われるがままに記名し印を押していく。
次に菊池は寮の地図を渡し、寮と言っても普通の貸部屋なので近隣住民の迷惑にならないように心掛けてくれと忠告をした。
「独身のようやけん、食事は三食ここん食堂でもすませられるばい。それとも先生は、お酒ん方が好いと?」
「その時の気分によりますね」
この地のお酒は強いですからほどほどにと言って菊池は屈託の無い笑顔を向けた。
次に人事の話になり、菊池は封筒の中から薄い封筒を出した。
この中の応募者の履歴書を見て、実際に面談をして、採用ということになったら事務棟へ申請して欲しいと説明。
呂級の戸川厩舎から一人転厩が決まっている旨を伝えると、既に皇都から届出が出ており処理済みとの事であった。
そこまで説明すると菊池は喉が乾いたようで珈琲を飲んだ。
基本的には厩舎の事務室に申請の用紙があるので記載して事務棟に届け出てくれれば良いだけだが、わからなければ直接相談でも構わないと微笑んだ。
最後に厩舎の鍵束を渡すと、厩舎棟の地図に印をし、さっそく自分の厩舎をご覧になってみてくださいと言って顔を上げ岡部の目を見た。
「岡部先生。久留米競竜場へようこそ」
「これから何かと御迷惑おかけすると思いますが、よろしくお願いします」
岡部は旅行鞄に厚い封筒をしまうと、残りの珈琲を飲み席を立った。
自分の厩舎に辿り着いた岡部は、事務室の鍵を開けた。
どうも暫く使用していなかったようで、空き部屋独特の臭いが鼻をついた。
先ほど菊池から封筒と共に厩舎の看板を貰ってきており、事務室の隣の何もない溝に看板を差し込んだ。
看板は会派で作成してくれて、開業の際に祝いとして競竜場に事前に送付してくれている。
看板の意匠は会派によって統一されており、紅花会は赤い縁取り、白地に中央に大きく厩舎名が黒で書かれ、厩舎名の前に可愛い黄色い花が一輪描かれている。
少し離れて看板と事務室の中を無言で眺めてみる。
ここが自分の城かと思うと砦のような小城ではあるが、実に感慨深いものがある。
旅行鞄を応接椅子の上に置き申請書の棚を確認。
呂級の事務室と比べると部屋の大きさは三分の一ほどしかなく間取りも一部屋のみ。
奥に小さな黒板と白墨が置いており、その横に小さな事務机が置かれている。
研修の卒業式で調教師免許の賞状と共に賜られた、『紅地に黄色い一輪花』の紅花会の会旗を作業机の後ろの壁に貼った。
事務室の外に出て竜房へ向かい誰もいない竜房を眺める。
一通り道具の状態を確認した後、事務室に戻ってくると、どうにも酸っぱいような独特の臭いが気になった。
竜房に行きバケツに水を張り、事務室に戻って窓を開けて掃除を始めた。
「……先生、待ち遠しかった……四か月、ほんまに長かった……」
懐かしい声が聞こえ事務室の入口に視線を移すと、服部が小さく震えながら泣きそうな目で岡部を見つめていた。
「お待たせしちゃったね。ここまで大変だったみたいだね」
「……ほんまにしんどかったです」
岡部は雑巾をバケツに入れると、服部に近づき肩に左手を置いた。
「もう一人じゃないから。これからは僕がいるから」
服部は堰を切ったように泣き出してしまった。
服部が泣き終わると、岡部はこれまでの騎乗履歴を聞いた。
服部は新聞をちゃんと取っておいたようで、それを渡した。
一月は紅花会の九つの厩舎のうち、四つが竜を用意してくれている。
翌月からぱたりと騎乗依頼が無くなり、三月は杉厩舎と坂厩舎が少し竜を用意し、先々週に日章会の大谷調教師が竜を用意してくれて初勝利をあげている。
「まずはこの日章会の大谷功吉先生に挨拶に行った方がいいだろうね」
服部は岡部の提案にあまり乗り気ではないようだった。
「どうしたの? 大谷先生と何か揉めでもしたの?」
「そうやないんですけど……あまり気分の良え方やないですよ」
「それでも、うちの専属騎手が世話になったんだから、お礼に伺うのが筋というものだよ」
服部に大谷厩舎の位置を聞き二人で厩舎に向かった。
仁級の調教師は呂級以上と異なり、そこまで高齢という人はいない。
逆に岡部のように二十代という人もそれなりにいる。
これが八級になると年齢の幅がかなり広がり、さらに呂級になるとぐっと平均年齢が上がる。
伊級の平均年齢は異常に高く、引退間近という調教師もそれなりに多い。
大谷はそんな仁級の調教師にあって、それなりに若い部類であろう。
顔はいかつく、眼光が鋭い。
髪も短く刈っており、一見すると反社の人にも見える。
細身ではあるが、背が高い所を見ると騎手上がりでは無いのだろう。
岡部が大谷にお礼を述べると、大谷は岡部には目もくれずじろりと服部を見た。
「服部、ここに来たいうことは期待して良えいう事か?」
「その件は、きちっとお断りしたはずです」
服部は露骨に不快そうな顔をし、大谷から視線をそらした。
「お前の親父さんは、うちの会派が天塩にかけたんやぞ。ちゃんと教えてやったやろ」
「それを踏まえた上で僕は紅花会を選んだんです」
服部が自分の目を見ずにおどおどした態度で拒絶した事に大谷は苛立った。
「その結果がこのザマやんけ! うちの竜乗らへんかったらまだ未勝利やぞ? この四か月でお前もようわかったやろ!」
大谷は事務机をバンと叩いて強い口調で指摘した。
だが、服部は萎縮する事無く目を閉じ首を横に振る。
「何もわかりません。僕の先生は来月から開業なんです」
「お前にろくに竜も世話せんかった会派やぞ? そこの若いのかて、お前をその程度にしか扱わへんのが目に見えてるわ」
服部はまだ反論しようとしたのだが、それまで黙って聞いていた岡部がそれを制した。
ここまで大谷は事務机に着席し、やや体を後ろに倒した姿勢で応接している。
その机の前に二人は立たされていて、傍から見たら説教を受けているかのような状況だった。
「その話は、せめて年明けまで保留にしてやってはいただけませんか?」
「五月が来年かて同じ事やろ。なんや土肥では良え競走したそうやけどな、ここは土肥とは違うんやで?」
「先生も調教師の端くれなら、やってもやらなくても同じなんていうような、つまらない考えは止めましょうよ」
その岡部の発言に服部が過敏に反応し、何を言い出すんだという顔で岡部の顔を見た。
大谷は露骨に苛ついた表情をしている。
岡部は来た時と同じく飄々とした態度のままである。
「何やと? 端くれやと?」
「仁級は一番下の級なんですから、端くれで間違いないのでは?」
「それやったら、お前も端くれやんけ」
大谷は激怒し事務机に拳を叩きつけた。
大きな音が鳴り、服部が体をびくりとさせる。
だが岡部は動じない。
「ええ。端くれですよ」
「なんやお前、人の厩舎にわざわざ喧嘩売りに来たんか?」
「先ほど聞いていただいた通り、お礼を述べに来ました。もしそう感じるのでしたら、御自分のここまでの発言を振り返っていただければ」
岡部の作り笑顔に苛つき、大谷は再度事務机を拳で叩く。
「不愉快や! 目障りやからさっさと消え失せろや!」
「では、これで失礼させていただきます」
岡部たちが退室すると、厩舎から、クソが!っと言う大谷の声と机を蹴る音が聞こえてきた。
岡部は何食わぬ顔で服部を連れて自分の厩舎に戻った。
「あの……先生、ほんまにあれで良かったんですか?」
「僕はちゃんと礼は述べたよ。ちゃんと筋は通した」
当然の対応だとでも言わんばかりの岡部に、服部は言葉を失い何度も岡部の顔を見ている。
「何となく気づいてましたけど、先生、口喧嘩に慣れてますね」
「それ、あまり嬉しくないなあ」
向こうが怒っただけでさっきだって喧嘩をしたつもりはない。
そう言ってのける岡部に服部はゲラゲラ笑い出した。
「先生といると、なんやスカッとしますわ」
「別にお前を喜ばすためにやったわけじゃない。向こうの態度が気に入らなかっただけだよ」
岡部は憮然とした顔をしたが、服部は笑い続けた。
久留米に来て初めてこんなに笑った。
岡部先生はやはり岡部先生だ。
服部はやっとこの日が来たのだと強く実感していた。
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