第12話 企業
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(仁級)
・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)
・戸川直美…専業主婦
・戸川梨奈…戸川家長女
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫、止級研究所社長
・大崎…止級研究所総務部長、義悦の腹心
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば
・長井光利…戸川厩舎の調教助手
・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手
・池田…戸川厩舎の主任厩務員
・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員
・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員
・荒木…戸川厩舎の厩務員
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(仁級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(仁級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手
朝、いつもの時間に起き、岡部と戸川は温泉に向かった。
二人にとって旅先での朝風呂はもはや大きな楽しみの一つとなっている。
太宰府の夜は那珂川の川辺に連なる屋台群が目玉と大崎は事前に調査してきており、ここで呑まなきゃ来た意味が無いと昨晩は大変意気込んでいた。
成沢も久々に旨い物が食えると大喜びであった。
岡部と戸川は朝早く起きるのが習慣になっているので、酒は普通に呑むものの、普段からあまり深酒はしない。
だが義悦たちはそうではないらしく、岡部たちが宿に戻った後も屋台をハシゴしていたらしい。
朝食をとろうと食堂へ向かったのだが、来たのはぼさぼさ頭の義悦だけであった。
「他の二人はどうしたんですか?」
「昨晩、私、先に帰ったんですよ。その時点で零時だったんですよね。あいつら、いったい何時まで呑んでいたんだか……」
そこまで言うと義悦は特大の欠伸をかました。
「じゃあ店じまいまで呑んでたんですか?」
「どうなんでしょうね。あの二人も普段慣れない南国の食事で苦労してますからね。私も昨晩はちょっと食べ過ぎたし」
そう言うと義悦は持ってきたお粥を食べ始めた。
今回、大崎が来ると言いだしたのは少し意外だったと義悦は粥を食べながら話し始めた。
大山は最近、次期社長という意識がかなり芽生えており、義悦が外出すれば大山は残るという事が多くなっている。
現状、首脳部で開発に直接携わっていないのは義悦と大崎の二人だけである。
大崎は総務と経理の両方を担当しており、とにかく人を使うのが異常に巧い。
一見おちゃらけた人物なのだが、仕事に関しては非常に思慮深く、義悦も参謀の一人として重宝している。
開発部の五人の取締役からの信頼も絶大である。
会社は常に人材不足で、毎月のように採用募集をしており、それを面接しているのも大崎である。
情報漏洩を防ぐ為、採用者の背景調査もしっかり行っており、その為に法務専門の人材も採用した。
開発部の面々は、大崎がいるから自分達が開発に専念できるんだと尊敬をしている。
今、大崎には大きな懸念があるらしい。
仕事内容の関係で成沢たちの開発部が大崎の総務部の下部組織のようになってしまっている事である。
このままだと後々、金鉱のはずの開発部の運営費を、居候のはずの総務部や経理部が算盤勘定だけで下げるような事が発生しかねない。
できれば大山に総務部と経理部をちゃんと制御できるようになって欲しいと考えているのだそうだ。
その為には成沢にはもう少し頑張ってもらわないと、そう義悦は楽しそうに笑った。
なんとか出発までには成沢も大崎も支度を整え合流してきた。
ただ明らかに今起きましたという風で、恥ずかしいやつらだと義悦に怒られている。
昨晩一体何時まで呑んでいたのかと義悦は問いただした。
二時くらいで店閉めるから帰れと言われたと大崎が笑うと、いつも顔突きあわせておいて何をそんなに話すことがあるんだかと義悦は呆れ顔をした。
義悦が帰った後、大崎は成沢に開発が終わったらどうやって会社を経営していくつもりか聞いていたのだそうだ。
成沢がまだ考えていないというから、会社を潰したいのかという話になり、気が付いたら閉店だったと笑い出した。
僕と大崎は軌道に乗れば経営から抜けるんだから、その後をお前がちゃんと考えないでどうするんだと義悦は成沢を叱った。
昨日同様、北西線に乗り天神駅の七駅先の小戸駅で降車。
駅を出てすぐ目の前で巨大な太宰府競竜場が建設されている。
工事中で中に入る事はできなかったが、外から見た感じで現競竜場の五倍以上という広大な厩舎棟が目に入った。
「周囲に家がかなり少ないですね。商業施設ばかりで」
それが岡部の最初の感想だった。
「そういう意味でも絶好の立地やな。宅地が多いとどうしても建設反対運動が激しなるからな」
「この土地って元々何があったんでしょうね?」
岡部の疑問に元々自然公園だったらしいよと義悦が回答した。
「それも絶好の立地やったんやな。ここしかないいう立地や」
この今津湾も比較的遠浅の地形だから、それも好立地だろうと義悦は言った。
成沢はそれを聞いて、輸送条件は浜名湖と大差無いなと渋い顔をして呟いた。
視察を終えた五人は、小戸駅から天神駅へ戻り、駅近くのもつ鍋屋に入店した。
名物であるもつ鍋と麦酒を注文し乾杯した。
当初は止級の話で盛り上がっていたのだが、徐々に会社の話に移っていった。
「実際、会社経営に切り替えたものの、今の研究開発のみでは先細りは確実なんだよね」
大崎はそう言って義悦を渋い顔で見た。
「それを販売したとしても一時金が入るだけで、双竜会さんたちからの援助金が無くなるだろうから経営は火の車になってしまう。それでは私たちが経営から抜ける事ができないんだよね」
「そうなんだよね。何か安定して実入りのある別の事業を模索しないと。柱を多く建てないと会社の基盤が弱いからね」
成沢はそれを聞くと、大崎たちはそういう知識が凄いよなと素直に感心した。
「いやだからさ、それを君らもちゃんと考えてくれって言うんだよ。成沢」
「まあまあ、大崎。ここで言ったところですぐに良い案が出るわけじゃないさ」
「まあね。あれだけ言っても、五人の幹部からは船の保守工場を作る以外の案が出ないんだもんな」
大崎は成沢を見て思わずため息をついた。
成沢は苦笑いをし、非常に居心地の悪そうな顔をする。
少し場の雰囲気が悪くなったと感じた義悦は、戸川に、何か事業の種になりそうな案は思いつかないかと尋ねた。
「そないな事急に言われてもな。僕も専門家やないからねえ。前に綱一郎君が言うてた船の知識使うて海運会社やるくらいしか」
「海運会社か! 竜以外のものを輸送する会社って事ですか!」
義悦はその手があったかと頷いた。
うちの運送会社は陸と空だけで海運は手つかずだから良い案だと大崎も納得した。
海運って国内でそんなに需要があるものなのかと成沢が素朴な疑問を大崎にぶつけた。
「普通は陸路の方が輸送は早いよ。街道整備がきっちりとされてるからね。ただ瑞穂には街道が繋がっていない場所があるだろ?」
「そうか、南国か!」
成沢は大崎の説明に納得したようで、ぽんと掌に拳を置いて納得の仕草をした。
「奄美、沖縄、台湾のような本州から近い所はもう既に他の会派がやってるんだけどね。小笠原の離島なんかは手薄だからね。そこを拠点にして割り込んでいけば」
「船と人がいればやれる問題なの?」
「当然、営業で仕事を取ってこないといけないだろうね。だけどどのみち船ができれば営業部に頑張ってもらう必要があるから」
大崎の説明に、営業部は開発がひと段落した段階でそもそも作らないといけない部署だからと義悦は微笑んで説明を付けたした。
義悦は岡部にも何か良い種は無いかと尋ねた。
「そんな事言われても僕も会社経営なんて全然わからないし」
「そうしたら質問の仕方を変えましょう。岡部先生がうちの取締役だったとしたら、どんな業務をやってみたいです?」
「そうですねえ。離島で止級の生産をするかなあ」
その場の四人全員、岡部の言った意味がわからず無言になった。
義悦たちだけじゃなく、戸川まで目を細め岡部の顔をまじまじと見ている。
「えっと……離島に止級の牧場を造るって事?」
義悦もそう聞くのが精一杯だった。
「そうですね。止級の竜だって広くて綺麗な海岸で飼育されたいと思うんですよね。それに南国牧場は伊級もやるから手一杯だろうし」
「それはわかるんだけど、なんで離島なんです?」
「だって大型の竜運船作るんでしょ? それなら空っぽで走らせるんじゃなく、本州から物資も持ち帰ったり持って行ったりしたら良いじゃない」
最初に岡部の言う事を完全に理解したのは大崎だった。
「そうか、物資輸送も一緒にやれば、相対的に竜の輸送費は下がるのか」
最初はそう呟いただけであった。
だが、さすがに普段から経理をやっているだけの事はある。
岡部の言う案は考えれば考えるほど超巨大事業になるという事が想像できた。
想像ができると興奮して思わず席を立ちあがった。
「そうか! 牧場ができれば人が住むからそれに合わせて医療や商業の施設が必要になるんだ! そうなれば経済規模が上ってさらに輸送量も上がるんだ!」
「島の開発事業か!!」
義悦も思わず興奮して立ち上がった。
これは本気で検討してみるべきだと完全に興奮している。
止級で人気の竜が出れば観光客も呼べるかもしれないと、さらに岡部が指摘した。
「そうだよ! 会は宿もやってるんだから、どこかの離島を丸ごと開発しちまえば! 何なら観光施設や商業施設もうちでやれば!」
完全に義悦は興奮してしまっている。
どうやら義悦には何か大きな事業が見えたらしい。
視野をもっと広く持てと指導しなかったから目先の案しか出なかったのかもと大崎が言うと、義悦もかもしれないと言って納得した。
成沢はこれが発想の転換ってことなのかと感動ている。
「最上! 早く手を付ければ一番条件の良い島を開発できるぞ!」
「それはわかるけど、でも、さすがに会長に相談しないとだな。帰ったら計画を練って企画書を本社に提出してみよう。祖母にも相談しないとだな」
小笠原本島まで海路で繋げられれば、紅花会の観光事業は相当盛り上がると義悦は目を輝かせた。
新婚旅行は小笠原でなんて事ができるかもと成沢が言うと、義悦も非常に楽しそうにした。
食事を終えると五人は宿に戻った。
別れ際、大崎は岡部に握手を求めた。
「最上と大山から噂は聞いていたんですけど、さっきの件で、二人が何であなたをそんなに頼りにしてるのかよくわかりましたよ」
「僕は本当は門外漢なんですけどね……」
「まあまあ、そう言わず。これからも俺たちに知恵を貸してください」
大崎は岡部の背中をパンパン叩いた。
戸川はそんな岡部を見て、また大変な事に首を突っ込みおってと笑い出した。
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