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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第三章 汚職 ~仁級調教師編~
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第5話 披露宴

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(仁級)

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…樹氷会の調教師(仁級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(仁級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・臼杵鑑彦…松井厩舎の専属騎手

 腰の腫れが酷かった『サイヒョウ』は、腫れが治まった段階で放牧に出される事になった。



 二月、戸川厩舎では『立春賞』に出す竜がおらず、比較的時間も空き気味だった。

この時期の呂級の厩舎の課題といえば、専らどの竜を引退させるかという事である。


 既に一頭は決まっている。

来月の『内大臣賞』が最後となる『サケセキフウ』である。

この事は既に報道にも知らせてあるのだが、長距離重賞四連続四着という凄いのか凄くないのかよくわからない成績で変に人気が出ているこの竜の引退を報道もかなり惜しんでいる。


 先月三浦調教師が来た際、今年の引退は二頭を予定していると通告されている。

今年の新竜は五頭いるという事なので、戸川厩舎としては合計三頭の引退を決断しないといけない。


「綱一郎君はどう思う? 残り二頭」


 戸川も散々悩んだ挙句、岡部に意見を求めた。

だが正直、岡部も非常に判断に困ってしまう。

どの竜もまだやれるという悩みではない。

逆に山を越えた竜が多すぎて二枠では足らないのだ。


「十二歳の『ショウケン』は完全に衰退期に入っちゃってますね。後は『ホウシン』『ハナサキ』もでしょうか」


 月初の定例会議はこの件で非常に長引いてしまっている。


「櫛橋はどう思うんや?」


「私は『ホウシン』『ハナサキ』やと思います。どっちも初卵の産卵はとうに済ませてますし、『ホウシン』なんて三回目の産卵です。さすがに限界やと」


 『ショウケン』には後一年だけ頑張って貰って来年引退という方向でどうかと櫛橋は提案した。


「それもわかるんやけども『ホウシン』は繁殖には入られへんよ。一勝しかしてへんからね」


「それやからって、もう十歳の牝竜を……」


 戸川はどうにも決断ができかね、長井にも同じ質問をした。

長井の回答は『ショウケン』『ホウシン』だった。

池田も一頭は『ホウシン』しかないという意見だった。


「そうやな。これまで何とか繁殖にって思うてやってきたけども、ここから『ホウシン』が二勝するんは難しいもんな」


 戸川は何か心に引っかかるものがあるようで岡部はそれが気になった。


「何か強い思い入れがあるんですか?」


「『ホウシン』の母竜が僕の厩舎の一期生やねん」


 池田はそういえばそうでしたねと、懐かしさにそれ以上の言葉を失った。


「『ホウシン』以外の仔は三浦さんとこに行ってもうてな」


 戸川が呂級に上がったばかりの頃、紅花会は呂級の質がかなり悪かった。

その後場長が今の氏家に代わってから、かなりの大鉈で肌竜の整理が行われた。

その結果、戸川厩舎に最初に預託された竜たちの内、今も血として残っているのはこの『ホウシン』の血だけなのだそうだ。


「血が途絶えるんですか?」


「どうなんやろう。絶えたとしても良え仔が出へんのやったら、やむを得へんのやけど」


「もし絶えないんだとしたら『ホウシン』の姉妹か姪に賭けるのが僕たちのやり方だと思うんですけど」


 岡部の一言に戸川ははっとし、岡部の顔を鋭い目つきで見た。


「君もちゃんと調教師になったんやな。今の一言で腹決まったわ」


 その後、最後の一頭も『ハナサキ』に決まり、戸川厩舎の牝竜三頭が今年の引退竜と決まった。




 数日後、戸川厩舎に珍しい来客があった。

岡部くんは今日いてますかと厩務員に尋ねる聞き慣れた声が事務室の外から聞こえてきた。


 岡部は急いで事務室の外に飛び出した。


「おお、武田くん! どうしたの?」


 岡部の嬉しそうな表情とは反対に、武田はぶすっとした顔をしている。


「どうしたのやないよ。酷いやないの! 僕いるて知っとんのに一か月も音沙汰無いやなんて」


「ごめん、ごめん。ずっと、『金杯』やらなんやらで……」


 武田も中継は食堂で観ていたらしく、なるほどと柏手を打った。


「あ、そうやったね。『金杯』優勝おめでとうな!」


「それ、中にいる戸川先生に言ってあげてよ」


 そう言うと岡部は武田を事務室に案内した。


「先生、僕の同期の武田くんです。雷鳴会の武田先生の息子さん」


という事は雷鳴会の会長のお孫さんかと戸川は驚いた顔をした。

武田は後頭部を掻いて照れている。


「……実はその事でちと問題が起きてもうてて」



 武田信英の父武田信宏は、雷鳴会の会長武田信勝の四男である。

信宏の兄はそれぞれ、長兄が会長補佐、次兄は競竜会の社長、三兄は宿の社長をしている。

末弟の信宏は幼い頃から、暇さえあれば北国の稲妻牧場に遊びに行っていた。

将来は分場をと会長の信勝は考えていたらしい。


 ところが信宏は調教師の道を選んだ。

信勝は会長業をしているだけあって大人物であり、信宏の決断を笑って受け入れた。

ただし一つ条件を出された。

その条件というのが長男は牧場に出せというものだった。


 信宏は三人の子をもうけたのだが、娘が二人で息子は末っ子の信英だけ。

しかも信英は学校を卒業すると調教がしたいと言って父の厩舎に入ってしまった。


 せめて牧場の関係者と縁組させたいと考えた信勝は、遠縁で幼馴染である雷雲会会長の善信に相談した。

善信は、とある情報を手にしており俺に任せろと胸を叩いた。

その数日後、善信の姉の孫娘の華那(かな)が信英の元に押しかけてくる事になった。

信英と華那は幼馴染であり、華那はずっと信英に憧れていたのだった。

信英も幼い頃から自分に懐いてくれる幼馴染の事を意識しており、祖父たちの目論見は大成功に終わった。



「実は僕ら結婚する事になったんよ。来月に」


「それはおめでとう! 武田くん何気に御曹司だから会の人とか全員集まっちゃったりして大変なんだろうね」


 その岡部の言葉で武田の顔が露骨に曇った。


「……それやねん、まさに。うちの華那ちゃんな、牧場育ちやから派手なんがごっつい嫌いなんよ」


「少人数でやりたいと? 無理じゃない?」


「おとんにも相談したんやけど、無理やろの一言で。華那ちゃんは華那ちゃんで披露宴やりたない言い出すし……」


 武田は頭を抱えだしてしまった。

岡部は救いを求めるように戸川の顔を見た。

つられるように武田もすがるような目で戸川を見る。


「先生、どないしたら良えと思います?」


「僕は彼女さんの意向に沿えるようにやるんが君の器量やと思うんやけどなあ。彼女さんはどれくらいの規模やったら我慢できるて言うてくれてはんの?」


「せめて一般の規模やって」


 それはまた厳しい要求だと戸川は笑い出した。


「先生、笑いごとやないですよ。こっちはもう板挟みで大変なんですから」


 戸川はすまんすまんと笑いながら謝った。


「それこそ、会長に相談したら良えんちゃう?」


「こんな些末な事をですか?」


「調教師として開業したら、会長や竜主とのやり取りは頻繁やぞ。良え機会やないかい」


 そもそも、些末も何も会長は家長なのだからそういう事を解決する義務がある。

武田の相談に乗って、他の一門と調整しないといけない立場の人という事である。


「もし会長にも無理やって言われたら、どないしたら良えか」


「それやったら結婚できへんかもしれんって脅したったら良えやん。そないな駆け引き覚えるんも、これからは大事やで」


 なるほどそういうものですかと武田は納得した。

戸川にお礼を言うと、何とか諦めずにやってみますと言って厩舎を後にした。




 数日後、岡部の元に武田から結婚披露宴の案内状が届いた。

会場は皇都の雷鳴会の大宿。


 出席者を見ると、家族の参加は会長夫妻、武田の両親、姉一家のみで、華那の方も祖父母と両親、弟だけだった。

それ以外は、双方の学生時代の友人と、武田の同期の調教師四人、板垣騎手、武田厩舎の関係者だけ。

それでもそれなりの人数にはなったのだが、一般の披露宴の人数程度には収まっただろう。

披露宴は大げさな催しなどは一切なく、お互いの両親と武田会長からの挨拶のみで、友人からの演説も無く、ほぼ歓談で終始した。


 武田と華那はそれぞれの席に二人で挨拶にまわり酌をして回っている。


「雷鳴会の御曹司のわりに、ずいぶんとこじんまりしてるんだな」


 大須賀は周囲を見渡しながら麦酒を片手に岡部に感想を漏らした。


「奥さんが会の知らない人とか武田一門がわんさか集まるの嫌ったんだって」


「いやいやいや、会の知らない人って……だって、どっちも武田一門なんでしょ?」


「奥さんの方は外孫だけどね」


 岡部と大須賀は仲良く酌をして回っている武田たちと暖かい目で見つめた。


「しっかし、それでよく一門が納得したよな」


 松本も武田たちを見ながら言った。

松本も知人に黄菊会の蘆名会長の親族がいるらしく、結婚の時一年近く揉めたのを見てきたのだそうだ。


「披露宴は奥さんの意向を通したんだよ。その代り結婚式は一門の意向で、甲府の神社でかなり盛大だったそうだよ」


「武田くんも、かなり苦労したんだろうな」


「だろうね。なんせうちの厩舎に泣きついてきたぐらいだからね」


 松井がそれを聞いて、それはよっぽどだと言って笑い出した。



 そこに武田が華那と一緒に現れた。


「えらい盛り上がってたみたいやけど何の話してたん?」


 松井が悪戯っぽい笑顔で武田夫妻を見た。


「結婚前から尻にしかれてるらしいって話をしてたんだよ」


 武田は照れる風も無く平然と松井に酌をする。


「君らの気持ちがようわかったわ。結婚はなにかと大変や」


 それを聞いた松本が、この程度で何を言ってるんだと真顔で指摘した。


「まだ発走機に入ろうとしてるとこじゃねえか。本番はこれからだぞ!」


「君らを悪い見本や思て、うちらは上手くやっていくつもりや」


 それを聞くと大須賀たちが爆笑した。


「みんなそう言うんだよ。最初はな。気が付いたら鞍上に鞭で打たれてるんだ」


 松本が華那から酌を受けると武田を見てにやりと笑った。


「武田くんが動かんようなら、容赦なく鞭を入れたら良いよ。男ってのはそうされないとまともに走らないんだから」


 そう言って松本は鞭を入れる仕草をした。

遠慮なくビシバシやりますねと華那が微笑むと、武田は、お手柔らかに頼むなと顔を引きつらせた。


 この後いつ頃新婚旅行に行くんですかと板垣が軽い感じで武田に問いかけた。


「いや、ちと今、華那ちゃんが飛行機があかんから。紀三井寺で落ち着いた後かな」


 岡部と板垣は、そうなんだ程度の反応だったが、松井、松本、大須賀は、結局それかよと呆れ顔をした。



「松井くん、実地研修は何とかやれてる?」


 武田たちが別の机に酌に行くと、岡部は心配そうに少しやつれた感じの松井を見た。


「そんな顔するなよ。先生以外、目も合わせてくれないけど、先生がちゃんと指導してくれてるから俺は大丈夫だよ」


 岡部は無言で松井の顔を見つめた。


「なんだよその顔は。最初からわかっていた事だよ。後、たった二か月じゃん。それが終われば自分の城が持てるんだぞ? そう考えれば我慢できるよ」


「立場は変わったのに態度は変わらないんだね」


 岡部が切ない声を発すると、松井も吐息を漏らした。


「やつらからしたら、地位や立場云々じゃなく、そもそも自分たちより年下の上司がありえないんだよ」


「戸川厩舎の人たちが、できた人ばかりなだけなのかなあ」


「そうじゃないよ。こっちのやつらが偏屈なんだよ。それよりさ、服部大丈夫かな?」


 松井の口から服部の話が出ると岡部の顔が曇った。

心配だと言って板垣もつらそうな顔をする。


「まだ未勝利だって僕も聞いた」


「久留米の結果を新聞で見てるけど、今月に入って騎乗も無いみたいだな」


 ついにそこまでにと呟いて岡部はため息をついた。


「臼杵の胃が死ぬのが早いか、僕らが行くのが早いか……」


「臼杵の胃が死ぬ方が早かったら、ちょっと面白くはあるな」


 それを聞いた板垣は笑い出したが、岡部は渋い顔をした。


「面白がっていられないよ。その後始末考えたら」


「後始末かあ。そうだな、服部にそんな仕打ちをした始末はつけてやらないといけないだろうな。久留米に行くのが待ち遠しいよ」


 松井はそう言って岡部の肩に腕を回した。

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