第48話 質疑応答
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師候補
・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)
・戸川直美…専業主婦
・戸川梨奈…戸川家長女
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女
・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女
・長井光利…戸川厩舎の調教助手
・池田…戸川厩舎の主任厩務員
・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員
・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員
・荒木…戸川厩舎の厩務員
・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手
・日野…研修担当
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」
・松井宗一…樹氷会の調教師候補
・武田信英…雷鳴会の調教師候補
・大須賀忠吉…白詰会の調教師候補
・松本康輔…黄菊会の調教師候補
・服部正男…日章会の騎手候補
・臼杵鑑彦…無所属の騎手候補
・板垣信太郎…雷鳴会の騎手候補
・田北鑑信…黄菊会の騎手候補
・村井貞治…白詰会の騎手候補
日野と『串浜』に行った数日後の事、岡部と武田は教務員室に呼び出された。
教務員室に行くと、自分の事務机に着いている日野という非常に珍しい光景を目にする事になった。
日野は二人が来たのを確認すると手を振って招き寄せる。
「わざわざ来てもらってすまないね。実は君たちに一つお願いがあってね」
二人は顔を見合わせて首を傾げる。
絶対に面倒な話だと岡部も武田も直感で感じた。
「毎年この時期に、調教師候補に騎手候補の二年生と懇談をしてもらってるんだよ。今年は君たちにお願いしようと思ってね」
武田も岡部も、あからさまに面倒という顔をしている。
そんな二人に笑顔を向け続ける日野の顔も若干引きつり出している。
「で、何で僕たちなんですか? 五人なんだから五人呼べば良いのに」
「一番年下だから。騎手候補と年齢が近いからね」
ふうんと少し疑いの目で見る岡部から、日野は必死に視線を反らした。
「そないな事、急に言われても。懇談って何をしたら?」
武田の発言で日野は元の笑顔に戻った。
これで岡部も逃げれない、そう確信した。
「ようは雑談だよ。調教師になる君たちの目線から話をして欲しいんだ」
日野はニッと笑顔を岡部に向ける。
露骨に渋々という表情を岡部は日野に向けた。
二人は促されるままに騎手候補二年の教室へと向かった。
教室前の廊下はシンと静まりかえっている。
武田が授業中なんですかと問うと、日野は、君たちをお行儀良く待っているんだよと言って笑った。
教室の前まで来ると、日野は二人に呼ぶまでここで待っていて欲しいと言い教室に入って行った。
暫く何かを話している声が聞こえ、大きな歓声の後二人を呼ぶ声がする。
岡部と武田は呼ばれるがままに教室に入っていった。
教室では坊主頭の男の子が八人、耳までの長さの髪の女の子が一人、計九人の子が静かに座っていた。
教卓は取り除かれ、そこに二脚の椅子が置かれている。
教官がその椅子の前に立つように二人を案内すると、騎手候補を立たせ一礼させた。
武田と岡部もつられて一礼をする。
教官が騎手候補を着席させると、日野も二人に椅子に座るように促した。
「君たちの要望に応えて、特別に武田君と岡部君に来てもらった。各々、まずは一問づつ質問をして欲しい」
日野の発言に武田はさっきと言ってる事が違うと抗議した。
岡部はやっぱりなと呟いて天井を仰ぎ見た。
毎年の恒例行事みたいな風に言っていたと武田が文句を言うと、日野は、そのまま言ったら君ら面倒がって来ないだろと反論。
その様子に騎手候補は一斉に笑い出した。
騎手候補の質問は多岐にわたってはいたが、一巡目は調教師を目指したきっかけや、競竜に触れるきっかけなどから、普段休日は何をしているかなど、すぐに答えられるようなありふれた質問ばかりであった。
だが、二巡目に入ると質問も込み入ったものになっていく。
その中にいくつか印象深いものがあった。
一つ目は白詰会の子で武田宛てのもの。
確か入学式の時に下級生代表で挨拶した子で、確か香坂とかいう名前だったと思う。
質問の内容としては、稲妻牧場系から抜けて他の会で勝負してみたいと思った事があるかという質問だった。
武田は香坂に、君はどうなんだと逆に聞き返した。
正直、稲妻の枠が鬱陶しいと感じる事があると香坂は回答した。
どんなに上手く騎乗しても『稲妻の子』と大括りされて個人を評価してもらえない。
それならいっそ稲妻の枠を出たいと思ってしまう。
武田はそれを聞くと大きくため息をついた。
「お前の目標は何や? 竜に乗って競走に勝つ事違うんか? 牧場と調教師がそれを手助けしてくれとるんやぞ? それが不要言う事なんか?」
香坂は武田の思わぬ威圧に大きくたじろいだ。
「自分の力で何でもやれる思うてるうちは、お前には何もできへん。お前は一人で生きてるんと違うねんぞ?」
香坂は黙って俯いてしまった。
「自分をよう見つめ直せ。周りに感謝せい。それができひんのやったら稲妻の方がお前の事を必要とはせんやろうな」
武田の説教が終わると周りはシンと静まった。
後に聞いた話によると、この香坂という子は同期で一番成績が良く大将格だったのだとか。
それまでは自分中心なところがかなりある子だったのだが、この日を境に皆で腕を磨いていこうとやたらと言うようになったのだそうだ。
二つ目は渓谷会の子で岡部宛て。
その子は何をやっても誰にも勝てないのだが、こんな自分が勝負していくにはどうしたら良いかというものであった。
岡部はじっくりと考えた。
そして一言だけぽつりと言った。
「竜に対し人一倍真摯に向きあったら良いよ」
その言葉に全員が首を傾げた。
それを見た武田は爆笑した。
もう少し詳しく言ってあげないとわからないよと日野もからかった。
「竜をよく見る。竜の事をよく考える。その思いの強さで勝負したら良い。技量や知識なんてものは、後からいくらでもついてくるよ」
岡部の説明は一部の騎手候補にしか理解されなかったようで、渓谷会の子もポカンとした顔をしている。
そんな事で勝負できるようになるのと渓谷会の子は問い返した。
岡部はその言い方に露骨に不愉快という顔をする。
「そんなこと? 君は僕の信念をくだらないと一蹴する気なの?」
岡部の叱責に渓谷会の子は酷く動揺した。
「君の事を思ってしてくれる指摘を、そうやってハナからくだらないと軽視するような性格だから、何一つ上達しないのと違うの?」
決してそんな事はと渓谷会の子は俯いた。
「君はさっき『勝負していきたい』って言ったよね? それなら徒手空拳じゃ勝負にならないよね? 勝負に一番重要な事は己の武器を知る事だよ。末脚の無い仔に追い込み戦術させたって勝てっこないだろ?」
渓谷会の子は顔を上げ岡部の顔を見つめた。
その目は少し涙ぐんでいる。
「僕は君が今後周囲と勝負していくための一番強力な武器を提示してあげたつもりだったんだけどなあ」
岡部の助言が終わると、渓谷会の子は大声でありがとうございましたと言い頭を下げた。
この一件以降、この渓谷会の子は人が変わったように黙々と授業に取り組むようになったらしい。
三人目は紅葉会の子で岡部宛てだった。
内容は稲妻系の会派に入りたいと思った事はあるかというものだった。
岡部は思わず武田を見た。
それは僕も興味があると言って武田が意地の悪い顔をする。
岡部は考えた事も無かったと一笑に付した。
「そしたらさ、例えばやけど、明日から雷鳴会……いや、雷雲会で開業できるいわれたらしたい?」
騎手候補そっちのけで武田が岡部に興味津々で尋ねた。
「どうかなあ。紅花会以外での開業なんて微塵も考えてなかったからなあ。そもそも、さっきも話したけど、僕は次期会長からの要請で調教師を目指す事になったからねえ」
それが無かったら、今頃、まだ戸川厩舎で調教助手をしていたはず。
「そやけど、雷雲会の会長とも懇意なんやろ? そういう話もあったかもしれへんやん」
「いやまあ……現にあるけど、それ以上に紅花会の会長と懇意だからねえ」
雷雲会から勧誘がある、その告白に騎手候補たちは一斉に騒めき立った。
「つまり、そこまで稲妻牧場系に価値を見出してへんいう事なんやな」
「そういう事になるのかもね。だってさ、僕が活躍できたら紅花会の牧場も同じように大きくなるかもしれないじゃん!」
騎手候補から一斉におおと感嘆の声が上がる。
岡部も武田も、あまりの反響の大きさに少し怯んだ。
「まあ、普通の人やったらそうはならんやろうって言うやろうけど。君は『サケセキラン』でその可能性を見せとるからな」
武田の口から『サケセキラン』の名が出ると、それまで行儀よくしていた騎手候補たちが一斉に口々に思い思いの事を喋り始めた。
一斉に喋っているので何を言っているのかイマイチ聞き取れないが、皆、かなりの熱量で『サケセキラン』について語っているらしい。
彼らは『サケセキラン』騒ぎの只中に入学した子たちだからと日野が二人に説明した。
日野が騎手候補たちに『サケセキラン』の厩舎の人だと説明すると歓声が沸き起こった。
四人目は唯一の女性で桜嵐会の子だった。
質問は二人宛てで、女性だけの会派についてどう感じるかというものだった。
武田は一言、くだらんと一蹴した。
「男性がどうの女性がどうの、そんなんどうでも良えわ。重要なんは良い成績出して上に上がる事や。その大目標の為には、そんなん些末な話や」
桜嵐会の子はそんな武田の態度が癪に障ったらしく、じゃあ女性の厩務員も積極的に採用してもらえるんですかと質問した。
「やる気のある人やったら男女なん関係あらへんよ。その上で女性特有のもんが障害になるんやったら対応考えるわ」
そうは言うが現実問題として、女性厩務員は白桃会と桜嵐会の厩舎以外ほとんどいないと桜嵐会の子は追及した。
「汗臭いおっさんと一緒に仕事するんが嫌やから違うん?」
その回答に男の騎手候補から笑いが起きた。
桜嵐会の子はそれに怒りだし、岡部さんなら真面目に答えてくれますよねと、きつい目を向けた。
「そんな目をしても回答は武田くんと変わらないよ。やる気があるなら男女の姓差は関係ない。そんなのどの厩舎も同じだと思うけど?」
それなら何で呂級以上に女性調教師がいないと考えるのかと桜嵐会の子は質問を続けた。
「そうやって、君みたいにすぐ感情的になって冷静に対処できない人が多いからじゃないのかな?」
武田が岡部の皮肉に笑い出した。
男性にも感情的になって冷静さを欠く人は多いと思うと桜嵐会の子はむきになった。
「うん多いと思うよ。だけどその人たちは、男性だからを言い訳にして思考停止したりしないよね」
そりゃあ相手も男性だから当たり前だわなと武田は爆笑した。
「女性だから、男性だって、そんな事言ってるうちは何も見えてこないと思うな。女性であるということを生かして何ができるかって考えないと」
武田が良い事を言うと囃し立てた。
「櫛橋さん見たら、この子も考え大きく変わると思うんだけどねえ」
「ああ、確かにな。男性の僕らがいくら口で言うても、中々理解はしてもらえへんやろうね」
櫛橋さんというのは戸川厩舎の筆頭厩務員をしている女性だと岡部が説明すると、桜嵐会の子は、そんな人がいるんだと驚いた。
「別に女性だけの会派を否定はしないよ。男性と一緒に仕事したくないという女性は結構多いだろからね。だけどそれで結果が出ていないうちは、そんなのに何の意味があるのって思われるだけだと思うなあ」
桜嵐会の子は、あまりの岡部の辛辣な意見に眼に涙を浮かべた。
「竜に対して細やかで優しい気配りが櫛橋さんにはできるんだよ。それは彼女が見出した、女性の自分だからこそできるという、彼女だけの武器だと思うんだよね」
君にはそういうのあるの?
そう岡部は問いただした。
桜嵐会の子はこれから探したいと思いますと言って泣き出してしまった。
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