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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
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第47話 日野 

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師候補

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

・松井宗一…樹氷会の調教師候補

・武田信英…雷鳴会の調教師候補

・大須賀忠吉…白詰会の調教師候補

・松本康輔…黄菊会の調教師候補

・服部正男…日章会の騎手候補

・臼杵鑑彦…無所属の騎手候補

・板垣信太郎…雷鳴会の騎手候補

・田北鑑信…黄菊会の騎手候補

・村井貞治…白詰会の騎手候補

 数日後、研修終りに日野が呑みに行こうと誘ってきた。


 松井と武田が行こう行こうと囃し立てた。

大須賀と松本も誘ったのだが、何気にここまで三日連続で呑みに出ており、今日は休肝日だと爺臭い事を言われてしまった。


 日野が焼き鳥屋『串浜』に行ってみたいというので四人で向かう事になった。

いつものように人数分の麦酒と串焼きをお任せで注文。

日野は武田が注文している間、ずっとお品書きを見ていた。


「みんなは何がお薦めなの?」


 岡部は小赤茄子、松井はぼんじり、武田はうずらの卵と即答である。


「ぼんじりとか渋いとこ突くねえ」


 日野はそう言って松井に笑いかけた。


「焼き鳥って言ったら、ねぎま、鳥皮、ぼんじりって相場は決まってるんですよ」


「わかるなあ、それ。俺も鳥皮が好きでさ」


 気分が良くなった松井が赤茄子とかうずらなんて邪道だと主張すると、岡部は、じゃあ松井くんの分はいらないという事でと冷たく応答。

そんな事は言ってないと松井が焦り出し、日野は大笑いした。



 麦酒が届けられると乾杯した。


「例年だとさ、みんな学校の周りで呑むんだよ。だから色んな話できるんだけどさ。君たち全然会わなくてね」


「初日に見つけてから、ここ、皆のお気に入りで」


 うずらの卵の串を咥えながら岡部は説明。

日野も軟骨を口にする。


「わかる気がするよ。軟骨がこんなに旨い店初めて来たよ。これならいくらでも酒が進むわ」


 四人とも、あっという間に一杯目の麦酒を呑み終え追加注文した。



「例年って調教師候補の人たちってどんな話してるんですか?」


 焼けた赤茄子の熱い汁に苦戦しながら岡部は日野に尋ねた。


「調教の話や騎手候補との意思疎通が上手くいかないって相談をよく受けてるんだけど……君たちは、そういう悩みって無いの?」


 武田と岡部と松井で顔を見合わせている。


「……無さそうだよね。見た感じ」


「もう、そういう所は越えてしまったというか……」


 だろうねと言って日野は苦笑いをした。

実際日野の目から見ても、今年の調教師候補は何か信念のようなものを持って堂々と調教計画を立てているように感じる。

松本のような好不調の波の激しい者もいるが、それも個人の味で片付けられる範疇でしかない。


「君ら五人がさ、あまりにも例年と違うもんだから、実は教官たちは戸惑ってるんだよ」


 俺らも戸惑ってますよ、騎手候補の素行の悪さにと言って松井が大笑いした。

そんな松井を日野は、それだよそれと言って指差した。


「あっちも近年稀に見る素行の悪い年でねえ。教官がよく言い合ってるよ。こういう年には、ちゃんとああいう調教師候補が来るもんだって」


「絶対褒められてないですよね、それ」


 岡部がそう言って笑うと、武田も僕もそう思うと言って笑い出した。

日野は赤茄子の串を口に含み、あまりの熱さに驚いて吐き出すわけにもいかず涙目になっている。

そんな日野を岡部と武田が笑い合った。


「おかしいな、ちゃんと褒めたつもりだったんだけどな。教官たちは君たちの事を全員玄人臭がすると評しているんだよ」


 毎年一人いるかいないかくらいの人材が今年は五人全員。

とんだ当たり年だと教官たちが言い合っていると日野は説明した。

武田が麦酒を呑んで、これが普通なんだと思ってたと笑った。


「例年だったら、実習競走に騎手候補生を観戦させたりなんてしてないよ」


 先月の実習競争を一年生と二年生が観戦に来ているのは三人共気が付いてはいた。

だがその事に疑問すら持っていなかった。

毎年の恒例なのだと思っていたのだ。


「彼らも今の三年を見てきてるからね。上手く扱う君たちを憧憬の目で見てるようだよ」


 武田が照れて非情に恥ずかしそうにした。


「あまり大きな声では言えないんだけど一昨年が酷くてね。調教師候補同士で言い争いばかり。挙句の果てに勝敗を騎手候補のせいにし始めて。もう実習競争したくないという騎手候補が出る始末で」


 日野の話は三人にはにわかに信じられなった。

そもそも騎手候補と調教師候補は開業後も一緒に仕事をする仲である。

それが実習とは言えそこまでこじれてしまったら、開業後の仕事に差し障ってしまう。

少なくとも岡部たちはそう感じているからこそ、騎手候補を事ある毎に窘めるのだ。


「そんな状況でどうしたんですか?」


「毎日、教官が立ち会ったよ。それでも何かにつけて喧嘩ばっかりで。教官が見てるから暴力が振るえないからって精神的に追い詰めたりしてね。それはもう大変だったよ」


 日野の話を聞き、武田はクソすぎると吐き捨てるように言った。

その最悪の状況をあいつらは一年の時に見てるんだと松井は呟いた。


「後、毎年どうしても稲妻牧場系とそれ以外で衝突しがちなんだよね」


 所属していた厩舎の雰囲気がそういう雰囲気だったりする事があるからやむを得ない所はあるんだがと言って日野はぼんじりの串を咥えた。


「そういえば、稲妻って何で下宿が別れてるんですか?」


「単純に候補者が多いってのもあるんだけど、調教師候補間の揉め事の原因の多くは(ねた)(そね)みでさ。別れてた方が揉め事が減るってのもあってね」


 別れる前は稲妻の調教師候補とそれ以外の調教師候補が寮で殴り合いの喧嘩をする事もあったんだよと日野は岡部に言った。

それを聞いた松井が、しょっちゅう遊びにくる武田は稀有な例って事だと笑った。



 麦酒をぐっと呑むと、岡部が少し真面目な口調で話し始めた。


「一昨年の調教師候補を僕は知ってるんですけど、この土肥に来て思った事があるんですよね」


「絶対良い話じゃないよね。その感じ」


 日野が顔を引きつらせ尋ねると、岡部は、ええまあと言って神妙な顔をした。


「これまで見てきて、教官と騎手候補の間に、絆というか、師弟のような信頼関係が築けていない気がするんですよ」


 岡部の意見を聞いた松井が、あれは過去に絶対何かあったと俺も感じていると同調した。


「あったとしたら例えばどんな?」


「あくまで推測ですが、稲妻牧場系の騎手候補を教官が露骨に贔屓(ひいき)していたとか。それに板垣たちと服部たち双方が反発したというような」


 岡部の推測に日野は目を丸くして驚いた。


「まるで見てきたような事を言うんだな」


 日野はそれまでの軽い態度では無く真剣な顔付きになっている。


「それとも誰かから聞いたのか?」


「という事はそういう事が実際にあったと……」


 三人の視線を集めた日野は、後頭部を掻いてからこくりと小さく一度頭を垂れた。


「あった。彼らが一年の時に正しくその通りの事が。だけど何故それがわかった?」


「僕の知ってる一昨年の調教師候補の方は、表面のみしか見れない人でしたが、その人がやたらと稲妻の騎手候補が優秀だと言っていたので」


 日野はこの段階でやっと岡部の言っている人物が能島だという事に気が付いた。

それと同時にこの話題を出して失敗したという表情をした。


「だけど、たったそれだけの事では先ほどの推論には行きつかないよね?」


「服部たちが喧嘩をした時に、教官には理由を言わないのに僕たちには素直に話す。それは僕たちなら色眼鏡無しで見てもらえると思ってるからではと」


「つまり裏を返せば、教官が色眼鏡で見ていたという事になるわけか」


 岡部は大きく頷いた。

大した洞察力と推理力だと日野は嘆息した。


「厩舎にいた人なら、誰でも稲妻牧場との壁は経験します。だけどそれは、多感な年代に見せつけるべき光景じゃないと思うんですが」


 せめて学校くらいは平等に騎手候補を扱うべき。

それが教官による指導の基本の()だと思うと岡部は主張した。


「俺も同感だよ。だけど思ってる事ってのは表に出やすくてね」


「それを、あの子たちは敏感に感じ取っちゃうという事ですか」


 日野と岡部が苦い顔をすると、武田と松井もなるほどねと渋い顔をした。


「俺はね岡部君、先日の武田君の説教が心に沁みたんだよ」


「『会派は武器じゃなく道具だ』ですか?」


 武田が麦酒を吹き出し、むせながら、僕の発言をこするんじゃないと文句を言った。

そんな武田を無視し日野は話を続けた。


「それも良い。でも俺が心に沁みたのはそこじゃない。『会派は選民思想を持てなんて言ってないはずだ』ってとこなんだよ」


 どんだけ僕の発言をこするんだと武田が抗議すると、松井は、良い事を言ったんだから誇れよと笑った。

岡部もまあまあと言って笑って武田を宥める。

そんな三人の光景を見て日野はクスリと笑った。


「稲妻系の子は優秀な子が多いという見方が行き過ぎて、稲妻系の子だから優秀となり、稲妻系以外は質が悪いとなっていくんだよ」


「なるほど、そうやって武田くんの言う選民思想になっていくのか……」


 岡部と松井は合点がいったという顔をした。

だが武田はこれまでの厩舎での雰囲気で何となく感じてきた事らしい。


「良くないよね。俺もそう思うよ。だけどそれを正すのは極めて困難なんだよ」


 それは人の性みたいなものだから、そう日野は説明した。


「だけど、それにもめげずに品行方正でいれば、教官もいづれはその眼鏡を外すだろうに」


 岡部の発言に日野は無言で首を横に振った。


「品行方正を心掛けている臼杵は、外してもらえているように見えるかい?」


 岡部が松井を見ると、松井は目を伏せて無言で首を横に振った。


「なあ、君たちはどうしたら良いと思う? 俺には中々答えが出せなくてさ」


 そう言って日野は三人に問い掛けた。

三人は顔を見合わせ黙り込んでしまった。



 岡部は小赤茄子の串を食べた。

何かに気付いたようではっとした顔をする。


「そうか……そういうことか。だから……」


 岡部の呟きに日野は注目した。


「昔、戸川先生から聞いた言葉があるんですよ。『成績でものを言え』、この世界でよく言われている言葉だって」


 松井がはっとして『成績でものを言え、結果だけがものを言う』かと呟いた。

武田もそういう事かとはっとした。

『成績が全て、成績だけはごまかしができん』と父の口から何度も聞いたと言った。


 日野もなるほどと三人の顔を見回した。


「目に見える結果を出して、自分の主張を証明してみせろって指導すれば良いって事か……」


 日野は何度もこくこくと首を縦に振る。


「どうせ学校を卒業したらそういう世界なんですから、学生時代からそれに慣れさせても損は無いですよ。同じ現実を見せるのでも、絶望ではなく希望を見せた方が」


 岡部の説明に日野は大いに賛同した。

だがそこでふと一つの疑問が浮かんだ。


「だけど、そうなると、結果が出せなかったら絶望してしまう事になりかねないかな?」


「全てにおいて劣っているなら、それはもう……。でも一点でも良い箇所があるならそれを突破口にすれば良いと指導すれば」


 武田が岡部の説明をそれを聞いて手を打った。


「それ、今、君があの竜に対して実際にやって見せてる事やんか!」


 武田が岡部の肩を叩くと岡部は親指を立てて得意気な顔をする。

長年の悩みが解消されたと言って日野は麦酒を呑みほすと、嬉しそうな顔で四杯分注文した。



「なるほどなあ。君たちさ、教官の素養があるよ! もし調教師で芽が出なかったら学校に来なよ」


 日野がニコニコ顔で言うと、三人はギロリと日野を睨んだ。


「縁起でもない事を言わないでくださいよ!」


「僕たちは琵琶湖に行くんですよ! この人は何て事を言うんだか……」


「絶対芽が出るまで調教師やったる!」


 三人は猛反発して日野に迫った。

日野もさすがにその迫力に押され爆笑した。


「すまん。つまらん事を言った。今のは忘れてくれ」

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