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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
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第45話 富士

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師候補

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

・松井宗一…樹氷会の調教師候補

・武田信英…雷鳴会の調教師候補

・大須賀忠吉…白詰会の調教師候補

・松本康輔…黄菊会の調教師候補

・服部正男…日章会の騎手候補

・臼杵鑑彦…無所属の騎手候補

・板垣信太郎…雷鳴会の騎手候補

・田北鑑信…黄菊会の騎手候補

・村井貞治…白詰会の騎手候補

 岡部たちは山中湖に向かって駿豆(すんとう)鉄道に揺られている。


 朝、ゆっくり出発。

修善寺駅で乗り換え、中伊豆線で三島駅に着くと東富士線に乗換え、御殿場駅で一旦降車した。


 駅を出るとすぐに富士山が目の前に鎮座しており三人は大感動だった。


「おお! 富士山がでれでっかい!」


 松井は腰に手を当て目の前の富士山を見ている。

御殿場の駅は富士山からは少し離れているのだが、それでもこれだけ大きく見える。

それだけ富士山という山が大きいという事であろう。


「ごつい威圧感やね! で、ここで降りてどこ行くん?」


 どうやら武田の感動は数分と持たなかったらしい。

もう次の目的地の話をし始めた。


 ここからちょっと行ったところに蒸留酒の蒸留所があるらしい。

岡部が説明すると武田はまた興奮しはじめた。

肉の加工工場も併設しているらしいと言うと松井も富士山より酒になってしまった。


「僕、蒸留酒は乳固をつまみに呑みたいんやけどあるんかな?」


 送迎車に乗り込むとすぐに武田が二人に尋ねた。


「さあなあ。俺は乾き詰肉で呑みたいから嬉しい限りだが」


 松井も武田も今にも涎が零れ落ちそうであった。




 駅から送迎車で十分程度行ったところに蒸留酒の蒸留所があった。

受付で見学の申し込みをし、一通り蒸留所内の見学をさせてもらった。

残念ながら見学そのものは三人ともあまり興味をそそらなかったようですぐに飽きた。

だが最後に試飲をしていただきますと案内されると三人は小躍りした。


「う、うめえ!!」


 蒸留酒の水割りを作って貰い三人は同時に口を付ける。

最初に岡部が旨さに感動し声を絞り出した。


「いつも思うけど、岡部くんは美味そうに酒を呑むなあ」


「いやあ、蒸留酒って普段呑まないけど、こんなに美味いんだね」


 そう感じてもらえただけでも、ここの施設としては大成功であるだろう。

幸せそうな顔をして水割りを呑む岡部を松井は楽しそうな顔で見ている。


「まあ、そもそも値段が高いからな。通は原酒のまま呑むらしいけど値段考えたら中々な」


 岡部は松井の言葉に目を見開いた。

 

「え? 水で割らないでも呑めるの?」


「通は原酒のままを好むらしいな。ただ、俺も呑んだ事あるけど喉が焼けるだけだぞ?」


 松井の説明に岡部だけじゃなく武田を興味を持った。

時間内であれば無料で呑ませてもらえるのだから、どうせだから原酒を呑んでみようという事になった。


「う、うめえ……」


 岡部はもはや声にならないという表情をしている。

武田も初めて呑んだが原酒も良いとニコニコしている。


「うえ、喉が焼ける。君らよくこんなの平気な顔で呑めるな」


 松井はあまりにも酒が強すぎて少し呑んでは水を追っかけで飲んでいる。


「原酒の方が麦を感じるよ! 味にしても、香りにしても」


 岡部の感想に武田も同調している。

そんな二人に松井は呆れた顔をする。


「酒が強すぎてわからないよ。香りなら水割りの方が香った気がする」


 断然原酒だと二人は譲らず、松井は付き合い切れないと言って笑い出した。



 三人は試飲時間を終えると、隣接の食事処で昼食をとった。

それぞれ詰め肉と燻製肉の定食を注文し、水割りを付けてもらった。


「この太い詰め肉香草が入ってるね。肉汁がすごい!」


 岡部が満面の笑みで詰め肉を頬張ると、武田も幸せそうな顔で詰め肉を口に運んだ。


「これ、ごっついお酒に合うね! 僕、乳固が一番やて思てたけど、これも良えね!」


 このピリ辛の味が癖になると岡部は箸が止まらない。


「塩胡椒の味付けのせいか、麦酒でも旨そうだよね!」


「あ、わかるわ、それ! こっちの燻製肉もごっつい旨くて酒に合うわあ」


 岡部と武田はニコニコ顔で酒を呑んでいる。

バレたらかみさんに殺されると苦笑いしながら松井は呑んでいる。


 食事後、岡部は『富士』という蒸留酒を二本と詰め肉を購入して皇都の戸川宅へ送付した。




 御殿場駅から終点の吉田駅までは特急で一駅だった。


 到着すると三人は真っ直ぐ紅花会の小宿へ向かった。

受付を済ませ部屋に向かい、早々に浴衣に着替え温泉へと向かった。


「くう! たまらん! この大自然の隠れ湯みたいな風呂、最高や!」


 武田はタオルを頭に乗せ、湯舟でだらりとしながら喉の奥から吐き出すように言った。


「これ、今年改装したばっかりっぽいね。多分、修善寺が思いのほか上手くいったからこっちも改装したんだろうね」


 岡部は周囲を見渡しかなり満足気な顔をしている。

言われてみれば修善寺と同じ雰囲気を感じると松井もかなりご満悦だった。


「そうそう、さっき聞いたんだけど、今日ゆうげは『ほうとう』の膳なんだって」


 ほうとうは美味しいって聞くから楽しみと岡部が言うと、松井も最高だなと目を細めて喜んだ。

だが武田が首を傾げた。


「『ほうとう』って何? 僕、そんな料理聞いた事ないし、名前から想像もつかへんのやけど?」


「かぼちゃの入った味噌煮込みうどん的な物……だったと思う」


 岡部の説明では全然美味しそうに聞こえない。

武田は露骨に怪訝そうな顔をする。


「え? ゆうげ、味噌煮込みうどんだけなん?」


 それを聞いた松井があまりの量にびっくりするぞと武田をからかった。

松井は以前一度食べた事があるらしく、見た目に騙されて大変な事になったらしい。

その時の事を思い出して松井は苦い表情をした。

岡部と武田は顔を見合わせ首を傾げた。



 ゆうげの膳は、ほうとう、牡丹肉の小鍋、山菜おこわのちまきだった。

三人は米酒を注文し乾杯。

まずは噂のほうとうを頬張った。


「なあ、この『ほうとう』、いくらなんでも鍋小さすぎへん?」


 武田が小声で松井にこっそり囁いた。


「これなあ、最初は小さいって思うんだよ。見た目だけでな。後で笑っちゃうほど腹に溜まるんだ」


「正直、全然実感無いんやけど。ところで、この『牡丹』って何やっけ? 食べた感じは豚っぽいけど」


 煮えた牡丹鍋を一枚食べて武田は松井に尋ねた。


「『牡丹』は猪だよ。猪を家禽化したのが豚だ」


「どおりで豚っぽいわけや」


 松井が牛肉だって家禽化した水牛だと説明すると、武田は水牛なんて食べた事無いからわからんと笑い出した。


「野生肉にはさ、何でか花の名前が付いてるんだよね」


「知ってるで。馬が桜やろ?」


 武田は嬉しそうな顔をして、どうだと言わんばかりの顔をする。

その表情に松井と岡部は笑い出した。


「ほう。じゃあ『紅葉』と『柏』はわかるか?」


 松井が二人に尋ねると、すぐに岡部が柏は鶏肉と答え、笑いながらほうとうを頬張った。


「いつも行く『串浜』の品書きに『かしわ』って書いてあるもんな。ちなみに『紅葉』は鹿だ」


「なんで紅葉なんやろ?」


 武田が首を傾げて岡部の顔を見ると、岡部も知らないと言って首を横に振った。

そんな二人を松井はふふふと不敵に笑った。


「花札の絵柄だよ! 『牡丹』も『紅葉』も」


 岡部と武田は感動しておおと感嘆の声をあげた。


「確か、『桜』は馬肉の色やんな。ほな『柏』は、なんで鶏肉なんやろ? 形も似てへんし色も似てへんし、花札の柄にも無いし」


「俺もうっすらの知識なんだけどな、柏ってのは紅葉するらしくてな、その色が鶏肉の色って聞いた気がする」


 松井の説明に岡部はそうなんだとかなり驚いている。

いつか酒の席で話してやろうと岡部は笑い出した。

松井が急に静かになった武田を見ると、武田は苦しそうな顔でげっぷをしている。


「どうした? 急にえらそうな顔して?」


「別に、僕、何も威張ってへんよ……」


 武田の反応に岡部は笑い出した。

実は全く同じやりとりを戸川としたことがある。

どうやら松井も同様の経験があるらしくすぐに武田の勘違いに気が付いた。


「『えらそう』は俺の実家の方言だ。西国だとしんどそうな顔って言えば良いかな?」


「へえ、そうなんや……でも、今そんなんどうでもええわ。お腹ぱんぱんや。もう何も入らへん」


「そうだろ? だから言ったんだよ!」




 部屋に戻り、少しお腹がこなれたところで再度温泉へと向かった。

武田は温泉にゆったりと浸かると、独り言のように言葉を紡いだ。


「なあ、岡部くん。一緒に西国で開業しようや」


 それを聞いて松井も岡部に注目した。


「なあ、戸川先生と一緒にやりたないん?」


 岡部としては、その質問には答えるべくもない。


「個人的には西国なんだよね。でも会派としては東国なんだよ。東国の呂級の先生がそれなりの年齢でね」


「君が西国でやりたいんやったら西国で良えやんか。会派の都合なんてもんを一介の調教師である君が考慮する必要がどこにあんねん」


 武田の言う事は岡部も思わなくはない。

きっと三浦も同じ事を言ってくれるだろう。

だが最上会長はどうなのだろう?

そう考えると、どうしても悩んでしまうのだった。


「松井くんは何で僕と一緒の所にするの?」


 岡部に話を振られ松井は湯で顔を濡らした。


「俺は東国の出なんだよ。出身厩舎が西国で。だからどっちでも良いんだよ。どっちでも良いなら、楽しそうな方を選びたいってもんだろ?」


 岡部と一緒という事にすれば、同期は東国を選べは四人、西国を選べば三人。

どっちを選んでも楽しくやれそうに感じる。


「僕と一緒にいたら楽しいと?」


「『同期の誰かと一緒にいたい』が正解かな? 愚痴言いあったりしてさ。要は今が最高に楽しいんだよ!」


 そっかと言って岡部は微笑んだ。

松井もそんな岡部の顔を見て微笑んだ。


「そう言えば、卒業したら実地研修なんだよね? その……大丈夫なの?」


「会派が何て言ってくるかは知らんけど、まあそうなるだろうね。でも、別に四か月だけじゃん!」


 四か月の実地研修。

松井にとっては開業までの我慢の四か月なのだろう。

だが岡部にとっては、戸川厩舎で過ごす最後の四か月なのだ。


「たった四か月か……」


 岡部はだらりとし高い天井を仰ぎ見た。

暫く無言で天井を見続け、何かを思い出したように鋭い目で武田を見た。


「わかった。西国にするよ!」


 実は武田としては希望はしていたが期待はしていなかった。

岡部は少し求道的なところがあり、戸川と同じ西国では甘えが出てしまうと考えるだろうと感じていたのだ。

それだけに岡部の決意は寝耳に水であった。


「以前僕に調教師になるように勧めてくれた先生が言ってたんだ。望まれて進める人は少ないんだぞって。武田くんがそこまで望んでくれるんだ。僕はそれに答えようと思う」


「そしたら三人で一緒に皇都を目指そうな!」


 武田の発言に松井が笑い出した。


「なんで琵琶湖じゃないんだよ、大津を目指せよ!」


「そやな。一緒に大津に行こう!」


 松井が拳を突き出すと、武田と岡部も拳を合わせた。




 翌日、朝から温泉に入り、朝食を取り、送迎車で忍野八海へ向かった。


「でれ綺麗な場所だな! 何か幻想的だ」


「ほんまやね。ごっつい透き通った湧き水や」


 松井は湧水の溜まった小さな池の水の綺麗さに驚いている。

武田は大量に流れる川を覗き込んであまりの綺麗な水に感動している。


「おい、向こうに大量に湧いてるとこがあるみたいだぞ!」


 三人は忍野八海の中でも一番大きな池へと向かった。


「これ全部富士の雪解け水なん?」


「おそらくな。夏場に来たらさぞ涼しかったと思うなあ。水が流れてるせいか少し肌寒いな」


「何言うてんの爺臭い。この時期来て良かった思うで。よう見てみ、紅葉が最高やん!」


 松井は紅葉なんかより『爺臭い』の一言に過剰に反応し、武田に俺はまだ若いと何度も主張した。




 忍野八海を一回りすると、三人は送迎車で吉田駅に戻ってきた。


 駅の近くのうどん屋で昼食にした。

店に入るとうどんを注文。


「ほうとうじゃなくて良かったの?」


「もう、ほうとうは良えよ。今食ったら帰り電車で戻してまうわ」


 岡部がからかうと武田は大笑いした。

そんな二人に松井は、これを普通のうどんと思ってると痛い目みるぞと不敵に笑った。


 そこにうどんが運ばれてきた。

一見すると普通のうどんである。

乗っているのは甘辛く煮た肉と茹でた甘藍。


 一口食べると武田が小声で松井に囁いた。


「なあ、この店のうどん、茹でがちと足らんのと違う?」


 それを聞いた松井が、これが吉田のうどんなんだよと爆笑した。

この圧倒的なコシの強さが特徴なんだと。


「そしたら、この辺どこで食べてもこの硬さなん?」


 多分瑞穂一の硬さだと松井は大笑いしている。


 岡部は噛むようにうどんを食べると、つゆを啜った。


「休みに伊勢でうどん食べたけど、対極に位置する代物だね」


 コシの強いうどんというと、土讃(とさん)郡が有名だけど、こっちの方がコシが強いと思うと、松井は力説した。


「それでまた、このつゆが絶品やな。ちとからいけど」


「これ、多分、味噌溶いてるよね?」


 慣れると旨く感じると岡部と武田は言い合っている。

俺はこのうどんが好きなんだと、松井は幸せそうな顔をした。


「確かに、また食べたくなる味な気がするね!」


 岡部は嬉しそうに松井の顔を見た。

武田は全て食べ終わると、思ったより腹に溜まると苦しそうにした。

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