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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
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第44話 空腹

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師候補

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

・松井宗一…樹氷会の調教師候補

・武田信英…雷鳴会の調教師候補

・大須賀忠吉…白詰会の調教師候補

・松本康輔…黄菊会の調教師候補

・服部正男…日章会の騎手候補

・臼杵鑑彦…無所属の騎手候補

・板垣信太郎…雷鳴会の騎手候補

・田北鑑信…黄菊会の騎手候補

・村井貞治…白詰会の騎手候補

 話は一週間ほど前に遡る。


 武田が下宿にやって来て、たまには外に呑みに行こうと誘ってきた。

岡部たちも良いねえと乗ってきて、じゃあどこに呑みに行くかという話になった。

と言っても、もう外も暗くなっており今から新規開拓も無く、『海坊主』『升吉』『串浜』のどこかに選択肢は限られている。

近場で良いだろうという事になり、三人は学校近くの居酒屋『海ぼうず』に向かった。



「なあなあ、紅花会の宿って近所だとどこがあるん?」


 岡部は記憶を頼りに、修善寺、駿府、下田、吉田、鎌倉と都市名を列挙していく。

武田はニッと笑い松井のコップに麦酒を注ぐ。


「なあ、松井くん、どこ行きたい?」


「そうだなあ。今の中だと吉田かなあ」


 武田は松井の回答がかなり予想外だったようで眉をひそめた。


「吉田? 吉田って何があんの? 僕、今の一覧の中で唯一知らん場所なんやけど」


 岡部も名前は挙げたものの、武田同様、吉田に何があるのか全く知らない。

不思議そうな顔をしている二人を見て松井は笑い出した。


「忍野ってとこに、でれ綺麗な池がある。後、うどんが旨い」


「ほな、そこ行こうや!」


「行こうやはいいけど、宿の方は取れるのかねえ?」


 二人は同時に岡部の顔を見た。

岡部がいつ行くつもりなのと尋ねると武田が即答で明日と回答。

松井が武田の額を無言でぱちんと指で弾くと、武田は額を両手で押さえて痛がった。


「来週末、一部屋三名で泊まれるか調べてみてよ。泊まれるなら取っちゃって」


 松井は目で抗議する武田を無視し岡部に指示した。


 岡部は携帯電話を取り出し紅花旅館会の電子紹介場を調べてみる。

紹介場の情報では『空き有り』となっている。

一旦騒がしい居酒屋から出て吉田の小宿へ連絡を入れる。

やはり空き部屋はあるそうで、紅花会から支給されている会員番号を言って予約を入れてもらった。



 電話を終え居酒屋に戻ろうと入口の扉を開けると、こっそり店から抜け出ようとしていた坊主頭三人組と鉢合わせた。



 岡部は真顔で服部を見ると右手で奥襟をつまみ、左手で臼杵の奥襟をつかみ、板垣に付いてくるように顎で合図し席に戻った。


「おう、岡部くん宿どうやった? って……何やそれは?」


 状況が全く理解ができないが、あまり良い状況ではないという事だけは武田もはっきりと理解した。

松井は臼杵たちを見るとすぐに事情を察し冷たい目で見つめた。


「食い逃げ犯を捕まえた。現行犯だ!」


「食い逃げって何? 何で板垣がここにおんの? どういう事なん?」


 臼杵と服部の奥襟を掴んで手が塞がっている岡部は、顎で武田の背後の伝票を見るように指示。

言われるがままに伝票を見た武田はその中に三人分の丼物の注文票を見付け豪快に噴き出した。


「板垣!! これはどういう事や!」


 板垣は武田を見ず恨めしい目で服部たちを見て黙っている。

その板垣の態度にムッとした武田は、ちゃんとこっちを見ろと叱った。


「しかし、君らようわかったな」


「二度目だからね」


 岡部は半笑いで答えたが、松井は呆れ果てた顔をしている。

さすがに岡部たちも体裁が悪く、周囲の客の目もあり、服部たちを隣の席に座らせた。



「しっかし、前回といい今回といい、よく俺たちがここにいるってわかったな。前回は学校で話していたから聞こえていたかもしれないけど、今回は完全に突発でこの店に来たのに」


 松井はかなりご立腹で臼杵の顔を見ている。


「実はここの店、学校の寮からよく見えるんですよ! 松井さんたちが入っていくの見えちゃったんです!」


「見えちゃったんです! じゃねえよ! こそこそたかりに来おってからに」


 臼杵の回答に松井は呆れ果てた。


「板垣! 何でお前までたかりに来とんねん!」


「二人に誘われたんですわ。僕は良くないって言うたんですけどね」


 板垣は一人良い子になって巻き込まれた体を装った。

だが残念ながら、ただで好きな夕飯食えるって言ったらニコニコで付いて来たじゃないかと服部にバラされてしまった。

そんな板垣を武田も不愉快そうな目で見ている。


「いや、あの……旨いもん食わせてもらえる言うから」


「あのなあ……」


 武田も目を覆った。


「服部、まさかお前、前回のあれ、気づいてないとでも思ったのか?」


「いえ、岡部さんが気づかへんわけない思うてました。それで見逃してくれてるんやから黙認やと」


「確信犯かい!」


 岡部も呆れ果て思わず苦笑いした。



 服部たち三人は、話が違うだの、お前のせいでバレただのとニコニコしながら言い合っている。


「お前ら何でこんな事するんだよ! 食い逃げは普通に犯罪行為だぞ?」


 松井の呆れながらの質問に、臼杵はお腹が空いているからと真っ直ぐに回答した。

あまりの真剣な訴えに松井も一瞬言葉に詰まった。


「しょうがないだろ? 自己節制も授業のうちなんだろうから」


 諭すように言う松井に、臼杵だけじゃなく服部も板垣も納得いかないという顔をする。

僕らは育ち盛りなんだから腹が減るに決まってると板垣が居直った。


「いや……まあ、それはそうなんだろうが。何も、こそこそする事ないだろ?」


 松井の発言に服部たちは顔をほころばせた。

顔を見合わせて今の聞いたかと言い合っている。


「つまりそれは、ちゃんと挨拶したら食わせてくれる言う事ですね!」


 服部が松井にキラキラした目を向ける。

松井はその迫力に気圧され、引きつった顔でそこまでは言っていないと苦笑いした。

なんだよぬか喜びさせやがってと言って服部たちは不貞腐れた。


「寮でちゃんと飯食えるんじゃないの?」


「あない病院食やなくて、もっと旨いもんが食いたいんです!」


 いつになく真剣な表情の板垣に服部と臼杵が同調して松井を説得にかかる。

どうやら岡部、武田、松井の中で松井が一番与しやすいと判断したらしい。

板垣たちの気迫に松井は完全に気合負けしてしまった。


「二年間食べてきた物じゃん……」


「二年間、我慢してきてもう限界なんです!」


 松井は反論の術を失い、岡部と武田に助けを求めるように困り顔を向けた。

臼杵と服部は二人で松井の服の袖を引いてわかってもらえますよねとなおも同意を求めている

あまりの臼杵たちの真剣な訴えに岡部は我慢できず笑い出した。

武田は、あまりにもくだらない訴えにため息をついた。


「板垣、お前夕飯はどうしたん? まさか夕飯もがっつり食べて、今、丼と小鉢食うたわけやないよな?」


「まさかあ。夕飯そこそこにここに来たに決まってるやないですか」


 板垣はそんな大食漢じゃないとケラケラ笑って武田の腕をパンと叩いた。


「お前、さっき誘われて渋々みたいな事言うてたやんけ。しっかり計画的やんか!」


 武田の指摘に板垣は一瞬しまったという顔をしたが、すぐに笑い出した。


「食べ始める前に、服部たちから武田さんたちの情報得たんですわ!」


「得たんですわ! やないわ、ドアホ!」


 板垣の間抜けな回答に武田も怒る気力を完全に削がれ、再度ため息が漏れた。



「武田さんたちは、どうやって呑み屋で呑む金、捻出してるんですか?」


 結構頻繁に呑みに行こうと誘い合っているようだが、よくそんなに呑みに行く金がありますねと板垣は真顔で武田に尋ねた。


「うちらは会派所属の社員待遇やから普通に給料出てるからな。松井くんたちみたいに家族おる人もおるし。だってうちら研修やもん」


 武田が気圧され気味に回答すると、板垣はこれだよと言って服部と臼杵を言いつけるような目で見た。

そんな服部と臼杵は、こっそり岡部たちの頼んだ枝豆を頬張っている。


「僕らは学費しか出てへんのですよ? 駄菓子一個、食べられへんのです!」


 板垣も勝手に蒲鉾を手にし武田に抗議を始めた。


「金貰たら、君ら小学生みたいに全部買い食いして使うてまうからやろ?」


「否定はしません!」


「せんのかい!」


 武田と板垣の小気味良いやり取りに、岡部と松井が同時に噴き出した。

臼杵が調子に乗って薩摩揚げに手を伸ばし、松井がその手をぴしゃりと叩いた。


「夏休み実家帰って、旨い物食わしてもらえてたのに、またこっち戻って病院食生活に逆戻りですよ? そらうちらかて息抜きみたいに食いたい思うもんが食いたいやないですか」


「……で、何が食いたいんよ?」


「僕は肉が食べたいです!! お腹いっぱい! 甘辛のタレたっぷり付けて」


 服部は甘いものが食べたいと言い、臼杵は揚げ物が食べたいと言いあっている。

武田は困り顔をして後頭部をポリポリ掻いた。


「あと半年我慢せえよ……」


 武田の言葉に板垣の態度が居直ったような態度に変わった。


「そないに我慢させられたら、うちら限界迎えて暴れるやもしれませんよ?」


「なんや、脅す気かいな。学校に報告したってもええんやぞ!」


 武田の恫喝を板垣は鼻で笑った。

板垣は目を細め口元を歪めた。


「そうなったら武田さんたちも困るんやないんですかね? 前回、武田さんたちも始末書書かされたて聞きましたよ?」


「……ずいぶん交渉が上手なったやないかい」


「おかげさまで」



 服部たちは口々に、甘いものやら、揚げ物やら、肉やらと囃している。

岡部は武田、松井と顔を見合わせた。

武田も松井も打つ手無しという諦めの表情をしている。

最後に残った岡部が三人の相手をする事になった。


「服部、僕たちが食べさせた事で自己節制できなかったら、僕らが怒られるんだよ。それはわかるよね?」


「ええ、自己節制はちゃんとしますよ! そやから旨いもん食わせてくださいよ!」


 服部の欲望駄々洩れの発言に、岡部は笑いを堪えるので必死だった。


「寮の食事はちゃんと取りなよ。その上でどうしてもって時は僕らに言ってきなよ」


「腹一杯食わせてくれるんですか!」


「お前、今の話ちゃんと聞いてた? 腹一杯食わせられるわけないだろ! 少しくらいならって言ってんの」


 服部たちはお互いの手を顔の前でパチリと合わせ歓声をあげた。

交渉成立だと三人は大喜びしている。


「で、どれくらいの頻度で食べさせていただけるんですか?」


 臼杵が岡部の顔を目を輝かせて見ている。


「ご褒美だからなあ、月一くらいかなあ?」


 あまりの頻度の低さに三人は露骨に納得できないという顔を岡部に向けた。


「せこいなあ。そうだ! 月末の実習競走の結果で回数増やしてくれるとかどうですか?」


 ご褒美があれば実習にも今以上に身が入るし、競争にも気合が入ると臼杵たちは言い合った。

どうですかと三人は岡部に詰め寄った。

だが岡部はそんな事では身を引かない。


「いやあ、実に残念だ。僕らにもやっと慈悲の心が芽生えて、君たちの些細な願いを叶えても良いかもと思い始めたところだというに」


 岡部はそう言うと服部たちから顔を背けた。

松井と武田は笑いを堪えるのに必死である。

服部たちはまるで終着目前に落竜でもしたかのような気分になり、顔を見合わせて狼狽えている。


「先生方! 月一のご褒美、楽しみにしています!」


 三人は岡部たちの返答を聞かず、一方的にお礼を言って、有無を言わさず大喜びで寮に帰って行った。



 岡部たちは麦酒を呑み、大きくため息をついた。


「で、僕ら何の話してたんだっけ?」

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