第122話「価値観」
「絶対に! 絶対に! 許せないっ!」
ヴィリヤの怒りは凄まじかった。
今迄、ダンにも見せた事がないものだ。
このように……誰にでも逆鱗は存在する。
逆鱗とは、竜の顎の下にある逆さに生えた鱗である。
ここでいう竜は西洋の竜と違って東洋の竜の事。
東洋の竜は伝説の神獣。
普段は大人しい性格で、人に害を為す事はないらしい。
しかし!
81枚ある鱗の中で、逆鱗に触れるのだけは禁物なのである。
もし触れれば、竜は激怒し、触れた者を容赦なく殺すというのだ。
エリンの逆鱗は……
一族を惨殺した悪魔と、オークを始めとしたその眷属。
そして、ヴィリヤの逆鱗は……
敬愛する祖父と自分の拠り所である誇り高き旧き家……
それを貶められた……
謎めいた存在から、ふたつの大切な宝物を貶められたから。
「あいつ、殺すっ!! ぶち殺すっ!!!」
ヴィリヤの怒声が、迷宮に響き渡る。
ダンはエリンをじっと見た。
先ほどの『約束』を履行するよう促したのである。
ダンとエリンが交わした約束……
それは我を失ったエリンを助けたヴィリヤが、万が一辛くなった時に……
逆にエリンが支えてやるというものだ。
だが、エリンは首を横に振った。
とても辛そうな表情である。
首を振ったのは、「これだけは、出来ない」という意思表示だ。
悔しそうに、歯を噛み締めている。
ダンは知っている。
エリンは真っすぐ過ぎる性格で、約束はしっかり守る。
しかし、『これ』だけは駄目だ。
今のヴィリヤを支える為には、エルフの一族を認めなくてはならない。
素晴らしいと、称えなくてはならない。
ダークエルフがエルフを「認め、称える」など……出来ないのだ。
ダンは微笑み、頷く。
これまでの経緯から、エリンが拒否したのは、仕方がないと思ったのである。
エリンが、エルフ――アールヴ一族全体を受け入れる為には……
納得させる理由が、もっともっと必要である。
ヴィリヤひとりの献身くらいでは、全然足りないのだ。
こうなったら……
エリンに代わって、ダンがヴィリヤをなだめ落ち着かせるしかない。
そのヴィリヤは悔し泣きをし、地団駄まで踏んでいた。
「ダンっ! 悔しいよう! 腹が立つよう!」
「そうだな、ヴィリヤ」
「そうよっ! お祖父様は私の誇りなのよっ! 日々、皆の為に働いてるっ、ろくに寝ないで一生懸命に働いていらっしゃるのっ!」
「…………」
「アールヴの為にっ! そして人間の為にもっ! お祖父様はっ! み、身を粉にして働いていらっしゃるわっ!」
「…………」
「それを知りもしないでっ! あいつに、何が分かるというのっ!!!」
ヴィリヤが、ひときわ大きく叫んだ瞬間。
「すまない」
届いた謝罪の声。
ハッとしたヴィリヤが見れば、ダンが頭を下げていた。
傍らのエリンも、吃驚して見守っている。
「え? ダンが? 何故謝るの?」
戸惑うヴィリヤが尋ねると、
「いや、俺もお前の祖父がどのような方か、知らないからな」
ダンが祖父を知らない?
そんな!
ヴィリヤは、ダンへ何度も話した筈だ。
祖父ヴェルネリ・アスピヴァーラの素晴らしさを。
アールヴ史上、最強と謳われる英雄の事を。
「ええっ!? だ、だって話したでしょ、私からっ! お祖父様の事はっ!」
「ああ、確かにお前からは聞いた。だが実際に会った事はない」
「う…………」
……ダンの言う通りだ。
確かに祖父とダンは会った事がない。
いつか引き合わせようとは思っていたのだが……
そんなヴィリヤの気持ちを読むようにダンは言う。
「だから、この迷宮の探索が終わったら、会おう。そしてお前の祖父と話そう」
「そ、それって…………」
「お前が誇りにする祖父。素晴らしいアールヴのソウェルに、俺は会ってみたくなったからだ」
「…………」
ダンが祖父ヴェルネリと会う。
一族の長ソウェルと会う……
もしかしたら……何かが起こる。
ヴィリヤは、そんな予感がした。
期待、そして不安……
そう思ったヴィリヤが見れば、ダンの表情は……変わらない。
淡々と話している。
「会えば、俺は俺の価値観により、自分の判断をする。お前の祖父に対する認識が出来るだろう」
「ダンの判断……認識」
「ああ、お前が祖父を敬愛するのと、全く同じにならないかもしれないが……少なくとも今よりは理解が出来る筈だ」
「…………」
確かに、論より証拠……
出来るだけ早く祖父に会わせたい!
ヴィリヤがそう思った瞬間。
ダンが一転、悪戯っぽく笑う。
「うん! お前のお祖父さんは多分、悪い人じゃない……俺の勘がそう言っている」
「多分? 悪い人じゃないって!? 酷い! お祖父様は優しいし、素晴らしい人なのよっ!」
「ははは、期待しているよ」
「もう何よっ!」
ヴィリヤは拗ねながら、嬉しい。
やはりダンと話すのは楽しい。
大好きなダンと、もっともっと話していたい。
謎の存在により損なわれた機嫌は、もう完全に直っていた。
ここでまた、ダンが真面目な顔付きとなる。
「ヴィリヤ」
「何?」
「物事はな、いろいろな人が違う角度から見ると、違った趣き、受け取り方になる場合がある。そうなると異なる見方、考え方、意見が生じて来る。それが各々の価値観に直結するんだ」
「…………」
ダンはまた何かを教えてくれそうだ。
ヴィリヤの表情も真剣になる。
「例えれば……そうだな、狼と兎なんてどうだ?」
「狼と兎?」
何だろう?
唐突に?
動物の話をするなんて?
ヴィリヤは、怪訝な眼差しを投げる。
対してダンは、
「狼から見れば兎は単なる食料、つまりは餌。逆に兎から見れば狼は怖ろしい敵だ」
「ええ、そうね。兎は増えすぎると農地を荒らすから困るけど……可愛いわ」
「狼はどうだ?」
「狼は怖ろしいわ……群れで襲って来る……下手をすればアールヴや人間も殺されるわ。私は魔法があるから大丈夫だけど……」
そう……
狼は怖ろしい肉食獣だ。
だがマスターレベルの魔法使いならば、単なる獣。
所詮、敵ではない。
「そうだな、俺もヴィリヤと同じだ。しかし狼を強さの象徴として称える者も居る。彼等から見たら、狼は神か英雄に等しい。俺達と見方が全然違う」
「……そ、そうかもしれない」
「ならば、分かるだろう? さっきのあいつも一緒さ」
「え? だ、だって……」
納得がいかない!
何故狼と兎の話と、さっきの『あいつ』が同じなのだろう?
そんなヴィリヤの疑問に、ダンは答えてくれる。
「同じさ。多分、あいつにはあいつのアールヴに対する見方がある。俺は奴がそう考える根拠が知りたい。それがこの迷宮の謎を解明する事に繋がると思う」
「迷宮の謎を解明……もうひとりのソウェルが居るって事も?」
「ああ、あいつは冒険者達の失踪にも絡んでいるだろう……絶対にそうだ」
「分かったわ……私も、知りたい……ダンが知りたい事は私も知りたい」
ダンを見て、うっとりするヴィリヤ。
そんなヴィリヤを見て……
エリンは複雑な感情が湧き上がる。
ダンの話が、迷宮探索の鍵になると納得しながら……
妻として、ヴィリヤに対する嫉妬、そして……
ダンがアールヴの長に会ったら、果たしてどうなるのか?
という、大きな不安が混在していたのである。
いつもご愛読頂きありがとうございます。
※当作品は皆様のご愛読と応援をモチベーションとして執筆しております。
宜しければ、下方にあるブックマーク及び、
☆☆☆☆☆による応援をお願い致します。




