第119話「今度は私が……」
後方から感じる、憎しみに満ちた黒い波動と、迷走しそうになっている膨大な魔力の高まり……
だが、波動はいつの間にか消え、魔力は暴走せず、徐々に治まって行った。
そして、いつもの……エリンとヴィリヤに……
ダンには馴染みのある、落ち着いたふたりの気配に戻っている。
……ダンは、たった今起こった一部始終を知っていた。
悪魔王アスモデウスの手先となり、ダークエルフの一族を殺したオーク共に対する激しい怒りと憎しみから……
エリンが暴走しかけて、ヴィリヤが身体を張り、必死に止めてくれた事を。
ダンは、エリンから聞いていたのだ……
数に任せて襲って来た、オーク共が行ったおぞましい殺戮を……
何と……
オーク共はダークエルフの女性を犯して殺し、挙句の果てに死体をも犯して、喰らったという……
ダンは、万が一の事も考えていた。
もしもエリンに『異変』が起きたなら……
オークの群れをケルベロスに任せ、自分が戻るつもりであった。
だが、不要であった。
ヴィリヤは、ダンの願いを聞いてくれた。
聞くどころか、一生懸命頑張ってくれた。
オークとの戦いに赴いたダンは、それまで厳しい表情をしていたが、「ふっ」と和らぐ。
ヴィリヤが、エリンを「救ってくれた」事が凄く嬉しいからだ。
ありがとう、ヴィリヤ……
本当に良くやってくれた。
「きゅっ!」
ダンは心の中で礼を言い、軽く唇を噛み締めた。
急ぎ、念話を送る。
『ケルベロス! 急だけど、予定変更だ。俺達で……敵を殲滅する』
うおおん!
ダンの呼び掛けに対し、「全く問題ない!」とばかり、冥界の魔獣が短く吠える。
「にやり」と笑うダン。
どうやら咆哮には、返事だけではなく、違う意思も込められていたようだ。
『成る程! お前はそう来るか? じゃあ俺は先に、こう行くぜ』
ダンはケルベロスへ意思を伝え、魂に軽く力を込める。
体内魔力が、あっという間に高まって行くのが分かる。
否、魔力だけではない、傍らで見守る、見えない何者かの『憤怒』も感じる。
「分かっている!」というようにダンが頷く。
『汚らわしき魔族オークよ! 世界の女、全てを犯し喰らおうとする腐れ外道よ。高貴なる空気界王、オリエンスの底知れぬ怒りを存分に受けてみよ』
ダンの魔力が更に高まる。
さあ、魔法の発動だ。
『撃!』
ダンの手から「どひゅっ!」と音を立て、一陣の風が放たれた。
見た目は、大した事のない風だ。
戦い慣れしたオーク達は、そんな魔法風を怖れてはいない。
しかし!
急にダン以外の魔力が発生し、巨大に膨れあがる。
放たれたダンの爽風は、正体不明の魔力と合わさると、激しく激しく渦を巻き、巨大な竜巻となる。
竜巻は凄まじい速度で到達し、再びダン達を襲おうとしたオーク共を、すっぽり呑み込んだ。
ぎゃあああああああああああああああっ!!!!!
風にまかれたオーク共は生きたまま、全身を容赦なく、無残に切り刻まれて行く。
そして!
ダンが風の魔法を放ってから、ひと呼吸。
今度は、ケルベロスが思いっきり口を開く。
まるで顔の殆どが、巨大な口のようになっていた。
耳まで裂けた口の中……
鋭い牙が生え、長い舌が踊る真っ赤な空洞に、小さな炎が灯っている。
かあああああああああっ!!!
ケルベロスの口から、細く長く紅蓮の炎が放たれる。
「ごう」と音を立てて、伸びる炎は竜巻に乗り、巨大な火柱となった。
舞っている、破砕したオーク共の残骸に燃え移る。
もうこれで、お終いだ。
「ばちばちばち」と音を立てて、少し前までオークだった残骸が燃え盛る。
死骸はあっという間に、塵となった。
一瞬の出来事。
ダンとケルベロスは数分もかからず、オークの群れを消滅させていたのだ。
オーク共があっさり死に、ダンの傍らに居る者の感情が変わっている。
彼女は深い悲しみと、安堵の喜びを伝えて来た。
再び、ダンは頷く。
否、見えない存在へ深く深く頭を下げていた。
『オリエンス……ありがとう。お前もエリンを労り、ヴィリヤの事も好きになってくれたのか……』
ダンが静かに、念話でそう言った時。
先ほど、エリンとヴィリヤを包んだ穏やかな風が……
彼の頬を「そっ」と撫でたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『ダン……ヴィリヤが……』
ダンとケルベロスが戻った時、エリンは困惑していた。
オークとの戦いはとうに終わったというのに……
ヴィリヤはエリンを抱きしめたまま、まだ泣いていたのだ。
泣きじゃくるヴィリヤを見た、ダンの顔が優しくなる。
エリンにだけ念話で告げて来た。
『エリン、悪いが少しだけ……そのままにしておいてやれ』
『うん、分かった……でも、ごめんね……エリンのせいで……作戦、失敗しちゃった』
さすがにエリンは認識していた。
自分が暴走しかけたのをヴィリヤが懸命に止めてくれた事。
そして『作戦』が台無しになった事を……
しかし、ダンは首を横に振る。
『全然構わん。予定などは所詮未定さ、全く不確実なものなんだ』
『…………』
無言で項垂れる、エリン。
彼女の頭を「ポン」と軽く叩くダン。
そんな事より、ダンは伝えたい事がある。
とても大事な真実を。
『それより、エリン。……これがヴィリヤの素だ……彼女の本当の姿なんだ』
今、エリンに抱きつき、泣いているのが、本当のヴィリヤ……
エリンの心の中で、ダンの言葉がリフレインされていた。
『…………』
『俺はお前の本質も、ヴィリヤの本質も知っている』
『…………』
『ダークエルフとエルフ……種族のいわれなんか関係なく、お前達はお互いに正面から向き合え、理解し合い、慈しめ合える……いつかそんな日が来ると、俺は信じている』
ダンの言葉も気持ちも分かる。
エリンにだって分かる。
誤解していた……
ヴィリヤは、とても良い子だった。
仇敵のオークを前にし、我を失ったエリンを、しっかり守ってくれた。
嘘偽りなく、己の華奢な身体を張って。
しかし長年、エリンにしみついた種族間の確執は簡単には消えない。
それは……ヴィリヤも多分同じであろう。
『…………エリンには分からない』
果たして……エリンが正体を明かし、ヴィリヤと分かり合えたとしても……
ダークエルフとエルフ、全体の間柄は……どうなるのだろう?
エリンは自問自答したが、答えは出ない。
悩むエリンに、ダンが助け舟を出してくれる。
『いいさ、焦るな、エリン。駄目だったら、駄目でも良い』
『……分かった。でもダン、ひとつだけ、はっきりしてる』
『ほう、何がはっきりした?』
『うん! 今度はね、エリンがヴィリヤを守る! この子はとっても大事なクランの同志……なんだもの』
エリンの言う通りかもしれない。
ダンはそう思う。
不確定な未来の行く末で悩むより、目の前の確かな絆を信じた方が良い。
『そうか! 偉いぞ、エリン。ならば今度、ヴィリヤが辛い思いをした時に……お前が支えてやれば良い』
『だねっ! そうするっ! 絶対にそうするっ! エリンはヴィリヤを守るし、支えるよっ!』
『じゃあ……エリン……今度はお前から、優しくぎゅっとしてやれ』
『うん! 分かった』
ダンの言う事は分かる。
今のエリンは、一方的に抱かれただけ。
ヴィリヤを、抱いてはいなかったのだから。
なのでエリンは、手を「そっ」とヴィリヤの背中へ伸ばす。
「!?」
ぴくり!
エリンに優しく抱き締められ、泣き崩れているヴィリヤの身体が反応した。
驚いて、閉じていた目を大きく見開いたヴィリヤが……エリンを見る。
「え?」
ヴィリヤは更に、驚いてしまった。
目を閉じて自分を抱くエリンは、まるで慈母のような微笑みを浮かべていたのである。
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