第11話 「落下」
「ぎゃ~っ、助けて~っ」
凄まじい速度で、身体が真下へ引き寄せられる。
吹きよせる風が、容赦なく「びしびし」と頬を打つ。
生まれて初めて体験する、怖ろしい感覚だ。
恐怖に囚われたエリンは、形振り構わず絶叫した。
死と隣り合わせの状況で、「恥ずかしい」などと言ってはいられない。
しかしエリンを抱えたダンは、同じように落下しているにもかかわらず……
動ずる事無く、真面目な表情で唸る。
「ふ~む。いきなり完璧にやるのはやはり無理か? 地上に出る筈が空中とは……計算を間違えたな。もう少し転移魔法の制御を練習しなくちゃいけないぞ」
落ち着いて、次回への改善点を模索するダンに対して、エリンは怒りさえ覚える。
「ダ、ダンったらぁ! 落ち着いて、そんな事言っている場合じゃないでしょうぉ! 落ちる、落ちる~っ! 何とかして~っ」
怖くて堪らないエリンは、固く目をつぶると、再び絶叫した。
今、ふたりは蒼く広大な空を、真っ逆さまに落ちている。
ダークエルフの地下王宮から脱出する為に、ダンは転移魔法を使用した。
ダンにとっては、初めての転移魔法の発動である……
発動前に制御をちょっとだけ気にしたダンであったが、その不安はやはりというか的中した。
地下王宮の真上、地上に出る予定の筈が、何とその遥か上の大空にふたりは投げ出されてしまったのである。
助けを求め、泣き叫ぶエリンを見たダンが困った顔をした。
「そんな事言ってもなぁ、俺にはどうしようも出来ない……精霊の機嫌が悪いんだ」
「精霊の? ききき、き、機嫌が悪い?」
「おお、さっきからやっているが、飛翔魔法が発動しないんだ。エリン、お前と俺が仲良くし過ぎるから、力を貸すのが絶対に嫌だと言っている」
「ええええっ!? ぎゃ~っ」
エリンは、ダンの言っている意味が分からない。
わけが、わからない。
そして、落下する恐怖から、また悲鳴をあげた。
一方、ダンは相変わらずマイペースだ。
ふたりの他には誰も居る筈がない、空中で何者かへ話し掛けているのである。
「なぁ、そんなに怒るなよ。仕方がないだろう? こいつ、ひとりぼっちになっちゃったんだ。可哀そうじゃないか」
「ダンったら! さ、さっきから、だだだ、誰と話しているのぉ?」
「空気界王だよ、ほら」
「へっ!?」
ダンに促された、エリンが目を開けると……
落下するダンとエリンの傍らを、同じように腕組みをしながら落下する、細身な少女が居る。
緑色の薄絹を纏い、整った顔立ちの美少女は、ふたりをジト目で凝視していた。
吃驚するエリン。
「あわわわわ!」
ダンは、改めて許しを請う。
「オリエンス、そろそろ勘弁してくれないかな。このままじゃあ俺達、死んじゃうよ」
少女の名は空気界王オリエンス……東西南北、世界全てに吹き抜ける風の源。
風の精霊達の支配者であり、あらゆる天候を司る上級精霊である。
敏捷にして快活。
しかしその反面彼女は気侭であり、奔放、そして残酷だ。
オリエンスは抜けるように肌が白く、優美で透明感に溢れている。
エリンは同性ながら、その美しさに感嘆してしまう。
「き、綺麗……」
最初、ふたりを見つめるオリエンスの眼差しは厳しかった。
しかしエリンが「綺麗」と言った瞬間。
落下するふたりの身体に、急激なブレーキがかかったのである。
「え?」
「ふう……どうやら機嫌が直ったみたいだな」
「ぴたっ」と落下は止まり、ふたりの身体は「ふわふわ」と浮いている。
封じられていたダンの飛翔魔法が、やっと発動したらしい。
ダンは大きく息を吐くと、空いている手をオリエンスに打ち振った。
オリエンスは、ダンを見て悪戯っぽく笑う。
「ちっちっち」
人差し指を突き出した手を、軽く左右に振るオリエンス。
エリンは呆然として、可憐な少女の姿を見つめていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ダンと彼に抱えられたエリンは、素晴らしい速度で飛翔する。
エリンの褒め言葉を聞いたオリエンスの機嫌が完全に直り、ダンは問題なく飛翔魔法を発動出来るようになったのだ。
周囲は、真っ蒼な大空。
純白の千切れ雲が、所々に浮かんでいる。
眼下には、濃い緑一面の森が広がる。
ところどころ、萌黄色の草原も見える。
太い線のように、流れている川も見える。
ふたりの見ている様々な景色が目に入っては、あっという間に後方に飛び去って行った。
その繰り返しである。
「すっご~い、ダン! エリンね、生まれて初めて見るわ! 綺麗ねっ! これが地上、これが大空なのねっ!」
頬に当たり、流れゆく風が気持ち良い。
ダンの大きな手が、しっかりとエリンの腰を抱えていた。
大好きなダンに抱かれ安心して、エリンが叫ぶ。
思いっきり叫ぶ。
「気持ち良い~っ! ダ~ン、行けっ、行け~っ! ぶっ飛ばせ~っ」
エリンはさっきの怖がりようはどこへやら、完全復活して元気一杯である。
「ははは、エリン……お前、明るくなったな」
ダンは、エリンが父の遺体とお別れした時の事を思い出していた。
別離の辛さに耐えられず、号泣したエリン。
まだ悲しみは、癒えていない筈なのに……
ダンは、そんなエリンがいじらしくなる。
エリンは、寂しさを忘れるかのように笑う。
「あはははっ! 大空を飛ぶってとっても楽しいの! そうでしょう、ダン!」
「ああ、そうだな」
「うんっ! 凄いよ、ダン。エリン達、古文書に出て来る鳥になったみたい。ううん、鳥より凄いよぉ」
満面の笑みを浮かべるエリンを、抱えてダンは飛ぶ。
ふたりが暫し飛ぶと、前方に小さな集落が見えて来た。
時刻は、そろそろ夕方だ。
西へやや傾いた太陽が、ふたりを真っ赤に照らしている。
「エリン、あの村の向こう側、山をひとつ越えた所が俺の家だ」
「へぇ! 楽しみ! ダンは勇者様だから皆に称えられて大きな家に住んでいるんでしょう?」
「おいおい、俺は勇者じゃないって言っているだろう」
「またまたぁ、謙遜しちゃってぇ」
「エリン……俺は静かにつつましく暮らしてる、誤解するなよ」
しかし浮かれるエリンの耳には、ダンの言葉など入っていない。
ダンは苦笑しながら飛び続け、やがてふたりは、ダンの家の前へ降りて行ったのである。
そして……
ダンの言った通り、エリンの目の前に勇者の住む大邸宅など無かった。
柵に囲まれたさして広くない庭にニワトリが遊び……
こけっこ~、こけっこ~
ばうばうばう!
大型の犬が、ダンに向かって吠えていた。
屋根の上には、丸くなった黒猫がのんびりと午睡をしている。
肝心のダンの家はというと、ちんまりと建っていた。
見るからに質素な、木造の平屋。
ダンの住む家は、そんな家だったのだ。
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