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俺たちはエカテリーナに先導されて夜の森を抜け、甲冑に身を包んだ衛兵の守護する門を通って敷地の奥にあるレンガ造りの建物に入っていった。おそらくはここがヴィエッタ学園の校舎なのだろう。
学園に着くまでの間、誰1人として口を開かなかった。
アキュートは校則違反を犯した手前エカテリーナの逆鱗を恐れて何も言わず、プリムラもまた学部長のただならぬ雰囲気を感じ取って口を噤んでいた。
校舎に入った後、俺は2人とは別の部屋(「生徒指導室」と異世界語で書かれているのが理解できた)に通され、そこで1時間ばかり待たされていた。
扉は施錠されていた。それほど大きな驚きは無かった。この学園にとって俺は部外者なのだから。
「別に、逃げるつもりはないんだけどな」
室内に備え付けられた、おそらくは魔法を使用しているのであろう丸い照明器具に焦点を当てながら学園側の判断を待つ。
道すがら目に映った教室群は、冒険者を養成する学園といっても俺が通っていた高校と比べて大きな違いは見られなかった。もしかするとここは座学用の校舎で実技は別の場所で行われるのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えていると、控えめなノックと共に部屋の扉が開いて教員らしき女性が顔を見せた。
俺は彼女に案内され、今度は2階にある学部長室に通された。
「リラ先生、ありがとうございます。あとは私が」
部屋の奥で幅広の机に腰掛けていたエカテリーナはリラと呼ばれた教員を退出させると、瞬きひとつ見逃すまいといった風にこちらを見定める。
「それでは、教えていただけますか。貴方はいったい何者で、何を目的としてあのダンジョンに立ち入ったのですか?」
この手の人間に嘘や誤魔化しは通用しない。俺は部屋の中央に進み出ると、ありのままを話すことにした。
「──それで、貴方は異なる世界からやってきたもののなぜここに来たのかそしてどうすれば帰れるのかも分からない、と」
「やっぱり信じてはもらえませんか」
「ええ……いえ、そうですね……」
エカテリーナの反応はおおよそ予想通りのものだった。
無理もない。俺だっていきなり「異世界から来ました」なんて言う人間に出会ったらまずそいつの正気を疑う。
ただ、ここは魔法なんてものが存在するファンタジックな世界なので、俺は"そういう魔法"も存在するのではないかという希望も抱いていた。
「たとえばなんですが、異世界の生き物をこちらの世界に呼び寄せる魔法なんてものはあるんでしょうか?」
「召喚術、ですね。確かに、異界に住まう者たちと交信し、彼らの力を借りる魔術は存在します。
文献によれば、召喚の際にその世界に関する知識を刷り込むことで意思の疎通を手助けする技術もあると聞きます。
貴方の言う"無意識のうちにこの世界の言語が理解できる"という現象もそれなら説明がつきます」
「だったら──!」
「ですが、それこそありえないのですよ。召喚術はもう1000年以上前に禁術とされ廃れています。
このクリシュカに召喚術師はいませんし、仮に隠れていたとしても、1000年もの間逃げおおせてきた召喚術師がまさか召喚した人間を見失って尻尾を掴ませるような失策を犯すとは、とても……」
俺の希望は早くも打ち砕かれてしまった。召喚術は既に滅びた技術……それはつまり、俺が元の世界に帰還できる現時点でただひとつの可能性が失われたことを意味する。
開き直ってこの世界で生活しようにも、今の俺は当局から何らかの疑いをかけられている状態だ。どのような嫌疑なのかは、何となく想像がついていた。
「エカテリーナ学部長。……俺は、魔界から来た魔物だと思われているんですね?」
「……そう考えている者もいるでしょうね」
魔界に繋がっていると思しきダンジョンから出てきた正体不明の男。魔物の脅威に対して特に敏感であろうクリシュカの人間が見逃すはずがなかった。
「私個人としては、そのような戯言を真に受けているわけではありません。
人間に化けられるような知能の高い魔物がこのような荒唐無稽で穴だらけの弁明を思いつくはずがありませんから」
「穴だらけですか……はは」
「人間社会に潜入することが目的ならあの2人のどちらかを始末して成り替わった方が確実ですからね。
逆に彼らを助けたことで貴方という存在の安全性はある程度担保されたと言えるでしょう。
……ただ、それでもこのまま解放というわけにはいかないのですよ。貴方には謎が多すぎる」
「では、今のところ元の世界に帰れるあてもないし自由も制限されるということでしょうか」
「そうなりますね。……ごめんなさい。貴方も早く家族のもとに帰りたいでしょうにね」
エカテリーナは大きく息を吐いて眉間に指を這わせる。彼女もまた自身に課された責務と感情の間で板挟みになっているのだろうか。
こんな時に不謹慎だったが、俺はここまで自分のことを真剣に考えてくれる人間がいることに動揺と喜びを禁じえなかった。
それと同時に申し訳なくもあった。正直なところ、俺はそこまで熱心に帰りたいとは思っていなかったし、何より俺には"帰りを待っていてくれる家族"などいないのだから。
……だからこそ、あんなことを口走ってしまったのかもしれない。
「そんなに申し訳なさそうな顔をしないでください。俺なら大丈夫ですよ。それに、両親はきっと今頃喜んでいるはずですから」
「……喜んでいる?」
「あ、いえ、何でもありません」
失言だった。こんな発言は自分の立場をさらに危うくするだけだというのに。
いなくなって喜ばれるような子供なんて、それこそろくでもない人間だと言っているようなものだ。
厄介なことにエカテリーナは俺の言葉を深く受け止めたようで、机の上で腕を組みながら顔を伏せ、長い間押し黙っていた。
柱時計の振り子の音だけが部屋に響く。時刻は既に0時を回っていた。
これから自分の身にどのような仕打ちが言い渡されるのだろうか。どこかに収監されるのだろうか。それとも中世の異端審問のような拷問が待ち受けているのだろうか。
だが、エカテリーナの口から出てきたのは意外な言葉だった。
「そういえばダンジョンを探索したそうですね。どうでしたか?」
「どう、って……?」
さながら「今日の晩御飯美味しかった?」とでも聞いているかのような口振りだった。
質問の意味が理解できなかった。何か見つけたかとか、中の様子はどんなだったとか、そういった類のものですらない、あまりにも漠然とした問いかけだった。
エカテリーナの意図がまるで掴めない。だから俺は、正直に思ったことを口にすることにした。
「充実していました」
刃物を持ったゴブリンに襲われて、凶暴なオーガに追い回されて、最後は危うく生き埋めになるところだった。もう1度やれと言われてもお断りだ。
それでもあの時、仲間たちと共に命がけでダンジョンに挑んでいたあの瞬間、俺は今までの人生で1番"生きていた"。
全てに絶望して死んだように暮らしていたあの頃にはなかった熱い何かが体の中を満たしていたのだ。
「なるほど」
短く返事をしたエカテリーナは引き出しから何かの紙切れを取り出すと、羽ペンにインクを滴らせて流れるような速さで文字を書き込んでいく。
「クリシュカは病に蝕まれています。魔物と、それを吐き出し続けるダンジョンという名の病魔がこの国の寿命を刻一刻と削っているのです。
このままではいずれクリシュカはダンジョンに滅ぼされてしまうでしょう」
「は、はあ……」
何やら妙な展開になってきた。唐突に国家を憂い始めるエカテリーナにとりあえず相槌を打ちながら先を促す。
「クリシュカの騎士団は皆精鋭揃いですが、今の彼らは地上の魔物たちで手一杯。
何より組織としての効率的な運用を第一義とする彼らでは、時に大胆な戦略が必要とされるダンジョンの探索などままなりません。
だからこそ冒険者が必要なのです。洗練された"群"ではなく、死をも恐れぬ蛮勇と型にとらわれない独創性に満ちた不揃いな"個"が」
「あの、あなたの主張は理解できたんですが、それが俺と何の関係があるんでしょうか?」
今は俺の処遇について話していたはずだ。それがいつの間にか冒険者とやらのプレゼンテーションになっている。
この2つがどう繋がるのが俺には分からなかった。そう、"それ"を見るまでは。
「関係なら大有りですよ。貴方はこれから冒険者を目指すのですから」
エカテリーナが書き終えた紙切れを差し出してくる。そこにはこう書いてあった。
************
入学証書
以下の者が王立ヴィエッタ学園冒険学部の新入生として入学することを承認する
______殿
神聖歴 1521 年度 第 1 期
学部長 エカテリーナ=マーチ
学園長 ビリオーズ=ラ=ビリオーザ
************
「…………えぇ?」
今までの流れを残らず投げ捨ててお出しされた入学証書を見て俺は呆気に取られてしまった。
魔物の疑いをかけられている俺が冒険者になる?話の流れが滅茶苦茶だ。エカテリーナの脳内でどのような化学反応が起きたのだろうか。
「オーガを倒したそうですね。たった3人であの怪物と渡り合うなど、熟練の冒険者でも容易くできることではありません。
作戦は貴方が主導したと聞きました。その柔軟な思考は実に冒険者向きです」
「あの、俺は監視対象なんじゃ……?」
「ええ。ですから生徒としてこの学園に在籍していれば、すなわち私の監視下にあるも同然です。
貴方はこの世界での生活拠点と生きる術を得て、我々は有望な冒険者を1人確保する。悪い話ではないと思いますが?」
「そういう問題じゃなくてですね……」
「ああ、学費のことなら心配はいりませんよ。私が後見人になります」
矢継ぎ早に繰り出される言葉の弾幕に俺は圧倒されていた。
行くあてのない俺にとっては至れり尽くせりの条件だが旨い話には裏があると言うし不用意に飛びついていいものか迷ってしまう。
というかエカテリーナから若干の必死さを感じてちょっと怖い。ここまで俺の面倒を見て彼女にどのようなメリットがあるのだろうか?
「ちょっと買い被りすぎじゃありませんか?オーガを倒せたのはたまたま運が良かっただけですし、俺は元の世界でも普通の学生でしたよ」
「"運良くオーガを倒す"なんて有り得ないのですよ。あれ1匹倒すのに騎士団がどれほどの損害を出したことか。
それに、元の世界でどれだけ凡庸であろうと、今ここにいる貴方は紛れもなく異邦人なのです」
「異邦人……?」
「異なる世界、異なる価値観、異なる知識……。貴方の存在そのものがクリシュカにとって特殊性の塊なのです。
外から来た貴方だからこそ、我々が見落としている何かに気付くことができるのかもしれません。
……100年の膠着を打ち破るのは、新しい風に他ならないのです。可能性なのですよ、貴方は」
「可能性……」
そんなことを言ってくれた人は、はじめてだった。
この世界に来るまで、俺には何もないと思っていた。俺には何もできないと思っていた。
でも、ここでプリムラに出会って、アキュートに出会って。俺にも何かできるのかもしれないと気付いてしまったのなら。
もう、俺の中で産声をあげて輝き始めた火を消してしまうという選択肢はなかった。
エカテリーナにうまく乗せられている気がしないでもないが、たとえそうだとしても俺が1歩を踏み出す後押しになってくれたのだから異存はなかった。いずれにせよ踏み出す先を決めるのは俺自身だ。
「……ペン、貸してくれますか?」
「字は書けますか?」
「異世界の言葉が話せるのなら、きっと文字だって」
「よろしい。それもまた貴方の特殊性ですね」
俺の手は見知らぬ言語を操って入学証書に自らの名前を書き記し、エカテリーナに手渡した。そこにきてようやく彼女が微笑を見せた。
「ソウタ、我々は貴方を歓迎します。──ようこそ冒険学部へ」




