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pixiv2016年12月11日投稿済み
「大神殿ダリアに行くの」
この世界に来て数刻後、僕の顔を覗き込みながらアリエルが言った。
アズマの民の集落から逃げるように出てから間もなくのことだった。
「だいしんでん…」
僕はバカみたいに同じ言葉を繰り返した。
なんともしっくりこない。
一瞬都内で“大神殿”なんて通称の場所を捜してしまったが、あるわけもなかった。
僕の思想を知らないアリエルはにっこり笑った。天使。
「そう。そこに“神様の欠片”があるの」
これまたファンタジーな単語が飛び出してきた。
極々自然過ぎて、聞き返すのがはばかれる。
アリエルは不思議そうな僕の顔を不思議そうに見返していたが、はっと少し目を開くと、
「ごめん! トキヤくんはここではないところから来たんだよね。そんなこと言われてもわからないよね」
アリエルは僕の目の奥を覗き込もうとするくらい真っ直ぐ僕を見つめた後、慌ただしく視線を宙にさまよわせた。
いくら美人で天使でも、さすがに不自然な態度だった。
「えっと、どこから説明したらいいのかな? まず、神様は…」
「後にしていただけませんか」
なんの遠慮も思いやりもなく、紙でも裁断するようにスパッと話を遮ったのはキルゴッドだ。
さっきから一定の距離で僕やアリエルより先を歩いている。
「事態の深刻さを承知でしたら、悠長に自己紹介をしている場合ではないことくらいおわかりかと思いますが。今は歩くことに集中にしていただけませんか」
うわぁ…。
僕の胸中を不快感が占めた。
引いた。というか、ドン引きだ。
なんでお前にそんなこと言われなきゃならない。
アリエルだって絶対そう思ったはずなのに、「そうだね、ごめん」と一言詫びた。
「確かに、今はそんな場合じゃないよね。トキヤくん、説明は後で必ずするから」
すると、言われるがまま小走りでキルゴッドの背中を追った。
言いなりかよ。
多分僕もそうした方がいいのだろうけど、そんな気になれない。
「ご主人様キッツ~! 余裕な~い」とジンが揶揄するが、キルゴッドは反応すらしないことにまた腹が立つ。
僕の第一印象は当たってたんだ。
偉そうで、嫌なヤツ。
「気に食わねぇ奴らですね」
静かにブレイブが隣に並んだ。
…いたんだっけ。
ブレイブは本当に気味悪そうに、塵でも見るような目でキルゴッドを睨んでる。
そのまま僕に顔を寄せた。
「あんな奴らとつるむ必要ねぇですよ。神様はおれっちが必ずお護りいたします。命捧げる覚悟ですから!」
本人はひそひそ話のつもりなのかもしれないが、後半は力が入りすぎてアリエルが振り返った。
「い、いや、いいよ……死んじゃうだろ」
「なんとお優しい!! このブレイブ、心の底から感銘してごぜぇます!!」
アリエルの目を気にしながら答えたのに、ブレイブはその感銘を表現するように大きな声で返事をした。
結果全員振り返った。
ジンがニヤニヤしている。
歩きながら器用に頭を下げるブレイブに、心の底から辟易した。
…あれ? 気に食わない“奴ら”って言った?
一人は当然キルゴッドだろうし、僕も異議なしだ。
もう一人って……まさかアリエル?
まさかあの美人を気に食わないなんて言ったのかと、僕は気に食わない代表のキルゴッドとアリエルを見比べてしまった。
そして、キルゴッドの周りをふよふよと燻るもう一人に気付く。
あぁ、ジンのことか。
精霊を一人と勘定するかは疑問だけど、まぁそりゃそうだよな。
一瞬でもアリエルのことかと思ってしまったことに罪悪感が沸くくらいだ。
納得してしまえばもう話すことはなくなってしまって、僕たちはそのまま一日通して、ほぼ何も会話がないまま歩き続けた。
フィールドでキャラクターを動かすと、あっという間に町に着く。
はっきり言おう。
そんなものはゲームの中のお話だ。
一日歩いたって町どころか、建物の姿すら見えない!
焚き火を見つめながら僕は全身の脱力感に襲われていた。
今日は野営をするとかで、ブレイブがキルゴッドに神様のためだとかいいように使われて灯したものだ。
僕は神様だから、一番暖かいところにいていいんだそうだ。
暖かすぎて暑いくらいで、腋の下にじっとり汗をかいてきた。
…僕は一体、何をやっているんだろうか。
あまりにも唐突だったから突っ込む余裕も取り乱す暇もなかったけど、こうやって時間を与えられると、とんでもないことになっていると気付いてしまった。
ここ、どこだ。
それは急速に焦りになって襲ってきた。
駆け出したいような、吐き出したいような、掻きむしりたいような。
自分が知らない場所に連れられたことを、僕はようやく気付いてしまった。
そんな僕の前に、何かの塊が差し出された。
「はい、トキヤくんの分」
アリエルだ。
差し出す何かはそのままに、アリエルがゆっくり僕の隣に座った。
「えっと、これ…」
「あ、これも知らないかな? パンっていうんだけど…」
「し、知ってる。パンは、僕の世界にもあるから」
アリエルは「そうなの」と少し目を見開いて、改めて僕にパンを差し出した。
僕の世界にもあるし、僕の朝ご飯はいつもトーストと目玉焼きとヨーグルトだ。
だけど…これ、“パン”か?
白くて角張った何かが入ってて、見た目はまんじゅうのようだ。
こっそり上目を使うと、キルゴッドはそのパンとやらを食べている。
アリエルはパンを受け取らない僕を見てる。
…もらわないわけにはいかない。
「ありがとう」
受けとると、アリエルの笑顔はより深くなった。
「少なくてごめんね」
僕が気にしてるのはそこじゃないんだけど。
ただでさえ食欲という概念がすっ飛んでいたけど、より失せた。
手の中の妙に柔らかい、柔らかすぎるパンを弄びながら、僕は視線を下にした。
「大丈夫? 疲れたのかな?」
俯いた僕の後頭部にアリエルの声が降ってくる。
今は放っといてほしいかもしれない。
「…本当に、こことは違うところから来たんだよね
」
独り言のように、ぽつりとアリエルが言った。
それをきっかけに、昼間のアリエルの様子が脳内で再生された。
頭の中で碧色の瞳と目が合って、慌ただしく反らされるのを見て、気付いた。
アリエルは僕が何者なのか探っている。
自分の知っているところとはどうやら違うらしい。
だからといって、違う世界からきたなんて受け入れられない。
何を言っているのか、何が真実なのか。
この人は探ろうとしてる。
この世界では召喚術は普通ではないらしいということも理解して、落胆した。
僕自身がようやく事態を飲み込めてきたのに、誰かさんのように「神様が降臨した!!」なんて本気で受け入れている方が可笑しい。
それはわかっているんだけど、この人に信じてもらえなかったら他の誰も僕のことを信じてくれない気がした。
僕もアリエルも黙った。
さっきよりも重たい沈黙に僕は感じた。
「二十年前に、神様は全てを壊そうとされたの」
アリエルは前振りもなく語りだした。
「あっという間だったみたい。世界は一日で半壊して、様変わりした。大陸は二つに割れて、雷が一日中落ちた。何が起こったのかわからないまま、人は魂に還っていった」
火がはぜる音に負けてしまいそうなくらい静かな語り口だったけど、この空間にはそれ以外の音がなくて、ぼんやり聞いていてもよく響いた。
「私の町は直接的な被害がなかったの。ただ、一日中嵐は吹き荒れて、窓は破れて、家が壊れていって…。死んじゃうと思った。みんなで寄り添いながら、ひたすら祈ってたよ」
言いながら、祈りを捧げるように手を組んだ。
こんなおとぎ話みたいなことを、アリエルは体験したって言いたいらしい。
この人何歳なんだろう? 僕はハタチの自分どころか明日の自分すら想像できなくなってるけど。
「でも、事態は五日で収束したの。神官のアイマス様が精霊様の力を借りて、全霊をかけて神様を封じたの」
「その封印が、十日前解かれた」
神官、精霊。
僕が考えを巡らせる間もなく、キルゴッドが終わりかけた物語の幕をこじ開けた。
二十年前がピンと来ない僕でも、十日前がかなり最近なのは流石にわかる。
つまり、世界は再び危機に瀕したばかりというわけか。
「神様を封印したときに、力を三つに分けて封印したの。大神殿ダリアには、その一つがあるの」
再びアリエルが言う。
これが“神様の欠片”に繋がるみたいだ。
「正確には、力が巨大すぎて一ヶ所での封印は不可能で、分けざるを得なかったということです」
さらにキルゴッドが補足する。
まぁ、ストーリーとしてはありきたりで、復活した魔王様を勇者が倒しに行くって捉えて問題なさそうだ。
魔王様じゃなくて神様で、勇者じゃなくてキルゴッドだけど。
「おめえら、なんでそんなに詳しいんだ?」
僕の背後にいたブレイブが言う。
明らかなトゲを含んでいて、不信感がはっきりと滲んでいた声だった。
「おれっちが偽神の野郎が復活したのは知ってんのは、呪術師様が偽神の魔力を感じたからだ」
僕をこの世界に喚んだ呪術師のことだ。
大人しくしていたジンが、キルゴッドの肩から上半身を乗り出した。
人がやったらキルゴッドの肩に全体重がかかって倒れてしまうのだろうけど、ジンは精霊だからキルゴッドの姿勢はビクともしない。
「神様の魔力を感じたぁ? 妥当神様でモブ喚んじゃうようなポンコツがぁ?」
「あんだとクソ精霊!! 神様までならず、呪術師様まで馬鹿にすんのか!!」
「精霊にケンカ売るなんて、貴方の思慮はどこまで浅いのですか」
激昂したブレイブに思わずと言った様子でキルゴッドが言う。
アスカの民のところでも見せた、「バカじゃねぇの」っていう呆れ顔だ。
「とにかく、おれっちは偽神が復活しやがったタイミングを知ってる! おれっちだけじゃねぇ! 村のみんなだ! 呪術師様のおかげでな! おめぇらはなんでだ! 見てきたみてぇに詳しいでねぇか!!」
ブレイブが叫ぶ。
叫んだ勢いで飛び掛かるのではないかとヒヤッとしたけど、指を真っ直ぐキルゴッドに突き付けただけだった。
キルゴッドはその視線と指を相変わらず真正面から受け止めて、しかしバカにしたような様子はなく、「決まっています」とどこか緊張した様子で言った。
「私が封印を解いたからです」
ブレイブは口をあんぐりと開けたまま、声も出ないようだった。
アリエルが小さく「ぇ…」と言ったのが僅かな反応だった。
アリエルすら知らなかった情報らしい。
ジンだけ、相変わらずキルゴッドの隣でふよふよしている。
これは予想外の展開だ。
ブレイブのさらなる怒号を予感していたが、次を話したのはジンだった。
「あ」
言いながら、真っ直ぐ腕を伸ばす。
僕たちは図ったように、ジンにつられて仲良く空を見上げた。
流れ星だと思った。
でも、ただの流れ星じゃないのはすぐにわかった。
瞬く星が、空を泳いでいるのだ。
高く、低く。
ものすごい量の星が、空を埋め尽くすように流れていく。
「これは…」
誰かが言った。
多分、キルゴッドだったのだと思う。
星はいつまでも空を漂っているわけじゃないらしかった。
ひとつひとつが別々の地点で、急速に落下していく。
見る間にそれは僕も知ってる流星群と呼べる状態になり、星のひとつは僕たちの下に落ちてきた。
星は焚き火の届かない暗がりに落ちて、落下と同時に瞬くのをやめた。
同じ頃に空から光も消えて、大量の流星群はなくなったようだ。
それでも場の空気はまだ張積めていて、誰も言葉を口にしなかった。
誰かが口火を切ってくれた方が、感想を言いやすいんだけど。
もしかしたらあの光景はこの世界では常識かもしれないから、「すごかったね」なんて言いたくない。
僕がそわそわしていると、暗がりの中からむくりと塊が現れた。
さっきのパンとは比較にならない大きさをしている。
「神様!!」
ブレイブが僕の前に立ち塞がった。
キルゴッドが杖を抜いた。
僕はようやく、周りの緊張感に追い付いてきた。
僕は段々と焚き火に近づいてくる塊を見ながら、そういえばと昼間思ったことを思い出していた。
この世界にはモンスターがいない。
「うわああああああ!?」
現れたそれは犬のようだった。
だけど、犬にはない異様に長くて細い手があった。
手のひらがまた不自然に大きくて、僕の顔面を簡単に鷲掴みにできそうだった。
口がちぎれてしまいそうなほど裂けていて、その口から耐えず涎がぼたぼた溢れている。
「アリエル、彼と下がりなさい」
「必要ねぇ!」
キルゴッドの言葉を掻き消すように、ブレイブが叫ぶ。
「神様はおれっちがお護りするっ!!」
言いながら地面を蹴った。
僕は悲鳴を上げそうだった。
化け物に、飛び掛かった。どういう神経してるんだ!
ブレイブの振り上げた拳は空を切り、次いで繰り出された蹴りはかわされた。
モンスターの大きな手がブレイブに降り下ろされる。
巨大な手が大きく振りかぶり、風を切る。
ブレイブだってすいと避けたが、僕にはその身軽さよりも地面にめり込んだ手形の方に釘付けになった。
キルゴッドが舌打ちする。
「邪魔ですね」
「あんなにチョロチョロされちゃ、ご主人様の魔法も狙えないですね~。もうブレンディごとヤッちゃえばいいんじゃないですか~?」
「…彼、そんな名前でしたっけ」
キルゴッドがくるりと振り返る。
「貴方、彼の神様でしょう? 何とかしてください」
……え? 今の僕に言ったの?
わけがわからないまま首を振った。
控えめに振ったつもりだったけど、僕は取れるんじゃないかと思うくらい激しく振っていた。
ジンが僕を見て腹を抱えて笑う。
一体何が可笑しいのだろう。
キルゴッドは表情ひとつ変えないで正面に向き直った。
ブレイブはまだ戦っている。
ついにモンスターの横っ面を殴り飛ばしたところだった。
モンスターは地面を滑っていって、ぴくぴく痙攣している。
「はんっ、大したことねえってんだ」
固く拳を握ったブレイブが言う。
そして振り返って僕に向けた表情は、とんでもなく晴れやかなものだった。
「見ていただけましたか、神様! おれっちの実力…」
「後ろ!!」
危ないと言ったつもりだった。
それより前にアリエルが上擦った叫び声を上げ、それと同時くらいに一瞬険しい表情を見せたブレイブがもう一度振り返った。
モンスターが起き上がって、跳躍してくるまで、ものすごいスピードだった。
なのに、口から涎を糸引かせながら、あの大きな手がどんどんブレイブに近づいてくるのは、やたらはっきりとスローに見える。
僕は「危ない」を喉に張り付けたまま、指ひとつ動かすこともできないまま見入っていた。
モンスターの手がブレイブに届く寸前に、モンスターは下から鋭く突き上がってきた地面に貫かれた。
凶悪に尖った地面はモンスターを串刺しにするとひび割れて崩れ、さらに飛礫のような小さな石が次々とモンスターに飛んできた。
食い込んだ飛礫は爆発して、モンスターは倒れた。
醜い顔も不釣り合いな手も、爆発でより惨たらしい姿になっていて、今度こそ動かなくなったみたいだ。
すべてがスローに見えていたけど、実際はあっという間の出来事だったに違いない。
悪夢だ。
「おめえ余計なことしやがって!!」
沈黙を破ったのはブレイブだった。
キルゴッドに猛然と叫ぶ。
「おれっち一人だってどおっにでもなったんだぞ!!」
「それはそれは…。随分苦戦をされていたように見えたのですが」
「あんだと!?」
乱雑にキルゴッドの胸倉を掴んだ。
法衣の装飾が揺れ、音を立てる。
腰を浮かせかけたアリエルだったが、その前にブレイブが言った。
「おれっちはな、いつでも神様をお護りできるように、ずっと鍛えてきてたんだよ!! あんなバケモンくれえ…!」
「化け物ではありません。使徒です」
「ああ!?」
怒声に怯む様子も、掴まれて苦しそうな様子もなく、淡々とキルゴッドは説明をした。
ジンが煙の身体を至近距離でにらみ合う二人に巻き付けて、キルゴッドの後頭部からひょいと上半身を出した。
「ブレンディも見たでしょ? 空を星鴒が飛んでるの。アレがっつり神様の魔力感じちゃったんですよね~」
「ブレイブだよ!! 偽神の野郎の力感じようが感じなかろうが、降命は神にしかできねえんだから野郎の仕業に決まってんだろっ!」
「ブレンディ頭イイ~! そうなんですよ~、神様ってば人を滅ぼすために、今度はアレを創ったんですよ~!」
ジンが笑う。
笑い声はからからと暗がりに響いていって、今の空気とは不釣り合いだった。
僕はさっき感じたことをまた思った。
一体何が可笑しいのだろう。
「あれは使徒。命を神のもとに還す存在…という大層な名分で生み出されたのだそうですよ」
打って変わってキルゴッドが静かに言う。
他人事なのは、ジンから聞いたからなのだろう。
「神様が降命をしたのは一昨日と今日なんで~、まぁ~もうその辺使徒だらけになっちゃってるんじゃないですか?」
「あんな化け物がそこらじゅうにいるの?」
茫然と口にした。
僕だけに言ったつもりだったけど、思わず飛び出した言葉はみんなの会話の合間を縫って、ずいぶんはっきり届いてしまったようだ。
「トッキー頭悪~い(笑) バケモノじゃなくて使徒ですって~」
「猶予はありません。本来なら、こんなところで休んでいる暇すら惜しい」
キルゴッドが言う。
意味がわからない。
お前が封印を解いたんだろ。
「神は自身の欠片を求めるはずです。大神殿ダリア…欠片を封じている場所こそが、今最も神の手が及ぶ可能性が高いのです」
何を言っているんだろう。
平気な顔をして、その最も危険な場所に僕を巻き込みながら行こうとしてる。
あまりにも現実とかけ離れすぎて、僕はまた見失っていた。
ここ、どこだ。
答えてくれる人はいなくて、周りは化け物だらけで、僕は耳を塞いでうずくまりながら、ただ今この瞬間が過ぎていくことを祈った。
まだまだ置いてきぼりで、
刻也と同じくらい「意味わかんねぇ」くらいだと狙いどおりだったりします。
納得できるようになるかは別の話。