ACT:3-10/その歩みが止まる時
ここでは朝を朝だと思ってはいけない。夜を夜だと思ってはいけない。……そんな事を言われても、実行に移すのはちょっと難しい。そう思っていた。
「まぁ、難しい事だろうな。安心したまえ、意識していれば慣れる。ヒトとはそういう風に出来ているからな」
ボクが不安を口にすると、トトはいつだってそう答える。おかげで数週間もすれば、夜を朝、朝を夜だと思う様になった。
精神世界にスムーズに入ったり長時間滞在するためには、「ココロの基礎体力」とかいうモノが必要らしい。ボクは普通「夜」と呼ばれる朝に起きて、「朝」と呼ばれる夜まで鍛練を続けた。
ランダムに並べられた数字を1から順番に囲んでいくマークテスト、滝からの身投げ。座禅や丸太割りに、夜寝る前に書くこの日記。あと、その他諸々。
これらを毎日こなした結果、「目を閉じたらすぐに精神世界に入れる様になる」というひとつ目の目標も、なんとか達成できた。不思議と、前よりポジティブに物事を考えられる様になった様な気がする。
禁夏にこの事を言ったらまるで自分の事の様に喜んでくれて、夜ご飯も鉄火丼にしてくれた。最近は生魚を食べていなかったから、すごく嬉しかった。
でも明日からはいつも通り、焼き魚とご飯と漬け物、卵焼きに味噌汁だ。……あのニワトリもどき、食べちゃダメなのかな。
今日のところはこれぐらい。明日は何が待ってるのかな。
「……これでよし、と」
鉛筆を置いて、大きく伸びをする。外では太陽が昇っていて真昼の様に明るいけど、今は現実世界でいうと21時、夜だ。昼夜が逆転した異常な世界も、一年経てばすっかり慣れてしまっていた。
「今日でもう一年か。心なしか顔つきも立派になった気がするなぁ、同志よ」
トトが軽く腰掛けると、年代ものの机はぎし、と軋んだ。
彼女もしばらく身体を休ませたおかげで、1日中ヒトの姿を維持できる様になったそうだ。でも「食費がかさむから」、という理由で、ご飯の時だけは猫の姿になる。ボクはトトが猫になる度に、ハゲるんじゃないかというぐらい撫でていた。ちなみに毛はあまり抜けなかった。
「トトがそう言うなら、そうなんじゃないかな。ボクも色々変わった気がするし。……そうだ、久しぶりに外出てみない?」
禁夏にバレない様に小声で尋ねたけど、彼女は最初からボクがその気でいた事を察していたらしい。無言で引き戸へと歩いた。
「トト、今のボクらってまず何を倒す事を目指してるの?枯葉?ゾンビの群れ?」
いつかと同じ様に岩に座って、質問する。トトの顔は急に険しくなった。
「あの性悪は我が必ず殺す。同志が奴を手に掛ける必要などない」
「……今のトトで倒せるの?」
「最悪、死んでも殺す覚悟でいる」
トトは枯葉に対して、「倒す」という表現を頑なに使おうとしない。ひどい事をされたのだから、仕方ないか。ボクだって、父親にひどい事をされた。死目に千絋を奪われた。
ボクが殺す前に二人は誰かに殺されて、後に残ったのは、行き場のない憎しみだけだった。
今のボクにとって、枯葉はもう友人じゃない。性犯罪者で、許し難い存在だ。
それでも、ボクは彼女を殺そうと思えない。優しさとかそんなんじゃなくて、ただ殺すのが怖いから。
「……分かったよ。じゃあ、枯葉はトトに任せる。でもまずくなったら助けるからね」
「……心遣いには感謝する。だが同志よ、君もいつかは「ヒトの姿をした何か」を殺す必要があるのだ。殺しに対する躊躇は、そろそろやめた方がいいのではないかね」
彼女は虚空を睨みながら、ボクの心境を見透かした様に言った。
「……そんなの、できるかな」
「できるさ」
いつもなら力強いハズのトトの言葉も、今はまるで叶わない理想の様に脆く、現実味を帯びていなかった。
ボクのココロは、まだ弱い。




