嘆きの開戦
目を覚ますと、また不気味な光景が広がっていた。あっしは恐る恐る窓を見て、蒼い月が鈍く輝いているのを確認しほっと息をつく。
「おう……あっし寝てたんか……」
いつの間にかふわっふわのベッドに寝かされていて、ご丁寧に毛布まで掛けられていた。大きく伸びをして起き上がり、シクロトはどこで寝ているんだと思って部屋を見渡したけど、姿はなかった。
「どこ行ったんやろ」
外に出ようとすると、ドアが開く。そこには……
「起きていたのか。なら話は早い、パンを焼いたからさっさと食べろ。……もう時間がないぞ」
黒いコック帽を被って黒いエプロンを身に付けたシクロトがいた。彼女が持っている青いトレーの上には、合成着色料の使い過ぎではと疑うほどカラフルなクロワッサンが山の様に盛られて、湯気を立ち上らせている。
「な、何ゆえこんな色になんのや……?」
「幽界の小麦は色彩豊かなんだ。境界や魔界の小麦はここまでのモノではないし味もまた違うらしいが、境界は干渉が難しいし魔界とはあまり関係が良くなくてな……色はひどいだろうが、味は保証するぞ」
……その言葉はちょっと信用出来んな。
シクロトはトレーを机に置いて、椅子に座るとクロワッサンのひとつに手を伸ばした。あっしもそれに倣って緑色のクロワッサンを取り、恐る恐るかじってみる。
「……あれ、甘い」
薬品マシマシな味を予想していたけど、口の中に広がったのはメロンパンみたいな味だった。健康に問題ないと判断したあっしは、すぐさま残りのクロワッサンを次々口の中に放り込む。
「緑は戒めメロン味だな。青は隻眼ブルーベリーで赤は血の池イチゴ、黄色は……確か拷問パイナップルだったか……気に入ってくれて何よりだ」
シクロトは静かに笑うと、空になったトレーの縁を指でなぞった。トレーは宙に浮き、そのまますーっと部屋から出ていく。
「何したん?」
「本当に時間がない時はああやって魔術を使うんだ。ボクが帰ってくる頃には、勝手に洗われて食器棚に収まっているだろうな。……あまりやりたくはないが」
彼女は立ち上がり、すたすたとドアまで歩いた所であっしを一瞥してから部屋を出た。
「あっ、おい待てって」
そのまま外まで出てしまいそうな勢いで歩くシクロトに追いつき、右手を掴もうとしてあっしは固まった。
彼女の手の甲に、誰が見ても怪しいと分かる小さな……黒い蝶の様な模様が浮かんでいたのだ。
「これだけは見られたくなかったのだが、仕方ない。……ボクが魔術を使うと、何故か禍が表れる。そして王の禍は、決して消えないモノだ」
「それ、どうにかならんもんなんか?」
左手をかざしても、紋様が出なかった。
シクロトはこればかりはどうにもならない、と呟き、また歩き出す。
「……この世界も、境界の小さな島国……確か日本か、あそこと同じ様な状況に陥っているんだ。人口の増加が進んでいくばかりで、対策を取ろうにも人手が足りない。ボクの目を盗んで転生し、そのままイレギュラーになる者も少しずつ増えている」
階段を降りた所で不意に彼女は黙り込み、そのまま歩いて外への扉を開いた。
「うわっ!?」
その瞬間、大きな花火が次々に夜空に上がる。
「老院は千戦の……が終わったら、……のために……ボクを……にするだろうな……」
花火の炸裂音に隠されて、言葉がほとんど聞こえない。
花火の光に照らされたシクロトの顔はひどく悲しそうなのに、何故かあっしは何の言葉も掛けられなかった。黙って彼女の手を握る事しか出来ない、そんな自分を恨んだだけだ。
……なんであっしは、肝心な所に触れられないんだ。
花火が上がる度に、もどかしさが増していった。
シクロトはパンを焼くのが趣味です。




