ACT:2-10/マーダーハント
「あ……ボク、は……」
気がつくと、ボクは血まみれになった右手を構えていた。濃い鉄の臭いと腐敗臭が混ざり、吐き気が込み上げてくる。
ボクから少し離れた所に広がった血溜まりの上には、倒れ伏した界人の姿があった。喉に付けられていた機械が壊れたのか、時おりバチバチと音が聞こえてくる。
「なんで、こんな……」
「おい、同志!!君はなんて事を!!」
違う。
……これは、違う。
ショックで再び現実を拒みそうになるボクの耳元で、クスクスと笑い声がした。
「ノーノー、ストップストップ!そう怒らないでくれよ、トト。クロトはなんにも悪くないんだからさ」
振り返ると、そこには悪魔がいた。
カボチャの様な帽子を被り、カボチャの様なマントを羽織った、金色の目を持つ……
悪魔と呼ぶに相応しい吸血鬼、挟霧 枯葉が。
「ハロー、クロト!今年会うのは初めてだったよね?大量のブラッドが必要になったからね、ちょっと早めにヒトの世に来ちゃったよ」
英語混じりの奇妙な話し方はいつ聞いても慣れなくて、背筋に冷たいモノが走る。トトも同じなのか、毛を逆立たせていた。
「……100年ぶりだな、死徒の王よ」
トトは威嚇してから枯葉を睨む。枯葉はそれを見てふっと笑い、彼女の頭をよしよしと撫でた。何か因縁でもあるのだろうか。
「そうだね。でもただのキャットに落ちぶれた魔王様に興味はノーだよ。ミーはクロトに用があるんだ」
彼女はトトから離れ、血まみれになるのもお構いなしに抱きついてくる。その次は首に腕を回され、頬にキスをされた。
「……やめてくれないかな、それ」
毎年毎年、会う度いつもこんな事をされてしまう。龍人といい枯葉といい、ヒトならざる者はどうしてこうもフレンドリー過剰(ただしキルカは捻じ曲がったラブが妥当だろう)でクレイジーなのか。
……とまぁ、いつ如何なる状況、心境であっても一瞬で彼女のペースに乗せられてしまう。これもいつもの事だ。
「やめる訳にはいかないね、ミーはクロトの血に生かしてもらってるんだから。特別な血には特別なフィーリングとアクティビティで返さないとソゥ・バッドだろ?」
耳元でそんな事を囁いて、枯葉はボクの首筋に噛みついた。
界人と枯葉は兄妹と言っても異母兄妹らしく、界人が異能者と吸血鬼のハーフなのに対して、枯葉は吸血鬼同士の間から生まれた正真正銘の吸血鬼だそうだ。彼女は本来3日に一度は誰かの血を吸わなければ死んでしまう所を、不老不死たるボクの血を年に一度たっぷり吸う事で生き永らえている。
こういう事をされるのは嫌だけど、ボク以外に被害者が出るのも困るから仕方なくこの奇妙な関係を続けている……と言う訳だ。
それにしても、なんて幸せそうな顔だ。ネムにも吸われたけど、ボクの血ってそんなに美味しいモノなんだろうか。
しばらくすると軽い倦怠感がやってきて、頭がぼーっとしてきた。枯葉はそれを見逃さず、首に回していた手をゆっくり下へと移動させる。
「ん……それ、やだ」
「言ってるじゃないか、嫌でもやめないって。ああでも……クロトがミーにもおんなじ事してくれたら、ストップしてあげてもいいけど?」
……そんなのを自分がやるなんて絶対に無理だ。首を振ると、彼女はけらけらと笑った。
「吸血鬼は性欲が強いって知らなかったのかな?とにかく、そういうエロティックな関係になりたがるのは吸血鬼の中では普通の事だよ。ミーみたいにクロト一筋なレズビアンはレアみたいだけどね」
ため息をつきながら、ボクは枯葉の手を退かして床に押し倒した。
「押し倒す」という行為はボクの中でひとつの戦法として定着していたから、何も恥ずかしい事ではない。
「……これで満足?」
「うん……」
彼女はほんの少し頬を赤らめて、ゆっくりと頷く。そんな顔をするなんて珍しいなぁ、と思ってまじまじと見ていると、更に赤くなった。
「……おい、先ほどから一体何をしているのだ」
「さぁ、何だろうね」
ボロ椅子の上で、トトは欠伸をしながらボク達を見ていた。当然、その目は氷河の如く冷たい。
「ほ、本題にインしようか。退いて」
素直に枯葉の言う通りにした。彼女は起き上がったけど、ボクにはくっつかず机に腰掛ける。……いつもは飄々としているのに、急にしおらしくなった。ボクより長く生きてるくせに、精神年齢は14だか15のままなのか。人外って、案外ちょろい。
「……最近のゾンビ騒動は、全部ミーのワークだ。そこで死体になってるニーニを止めるためのね」
「……界人を?」
勿論、死体には目を向けなかった。枯葉も目を向けなかったけど、ボクとは違って単に興味がないだけだろう。
「最近ニーニに変な術式がインストールされたみたいでね、ウォッチングが上手く出来なかったんだ。だからゾンビをコールして様子を見た」
「その術式って、紫色の炎?」
ボクが何気なく口にすると、枯葉ははっとしてこちらを見、すぐににぃっと笑った。
「そうそう。……それで様子を見て分かったんだけど、術式はどうもこのワールドの住人のワークじゃないらしいんだ。動きが慎重過ぎるし、何よりゾンビが相手なのに自分からアタックしない。ニーニがバトルラブなバーサーカーだって、分かってないみたいな動き方だった。おまけに、最初は100匹だけコールしたハズのゾンビが大量に増えてる。そういう事が出来るのは、ミーの同族だけなのさ。……だから、犯人は魔界にいるかもね」
「それで、ボクはどうすれば……」
疑問を口にすると指をパチン、と鳴らされる。何がしたいんだ、と睨むと、枯葉はまたクスクスと笑った。
「時間をストップさせて。クロトはハートとソウルを徹底的に鍛える必要があるからね。……うーん、だいたいスリー・イヤーぐらいかな?じゃあ、頼むよ」
彼女の『three year』の意味を理解するのは、少し時間が掛かりそうだ。別にボクがバカと言う訳ではない。こう見えて分厚い著書が3冊あるし、いずれもゴーストライターには頼っていない。これだけ言ってもバカっぽいと言われる時があるので、最後にボクしか知らない豆知識をひとつ。
……龍の肉はマイルドかつフルーティで、とても美味である。
さて、散々言ってて恥ずかしい現実逃避をしたしそろそろ理解に掛かろう……
「えっ……さ、3年も止めるって、本気!?」
「うん」
「奴の言葉に従うのは不本意かつ屈辱的ではあるが、今の同志にはそれぐらいの時間が必要なのだよ……むぐぅ」
ここまで言われると最早やけくそになり、枯葉とトトの手に触れて時を止めた。誰かの頼みで時間を止める時は、こうしないとボクと千絋以外の全ての時が止まってしまうのだ。
「それにしても……キミ達、どういう関係なの?」
恐る恐る尋ねてみると、トトは鬼の様な形相でボクを見た。思わず身をすくませると、鋭い目つきがほんの少し和らいだ。
「被害者と加害者さ。無論我が前者、奴が後者だ」
半ば逃げる様にして枯葉の方を見ると、彼女は憎たらしいぐらいの笑みを浮かべていた。
「まっさかー。ミーはただ自分がファニーだと思った事をしてただけだよ?」
「しらけても無駄だぞ。……嗚呼、話すのも嫌になる。同志、君は奴が筋金入りの大悪魔である事を知っておくだけでよいのだ、いいな?」
……どうやら、この二人は相当仲が悪い様だ。昔のネムと澪でももう少し可愛げがあった気がする。
「さぁ、行こうかクロト。ニューワールドがユーを待ってるよ」
「……新しい、世界?」
枯葉は急にボクの手を取り、にっと笑う。マントがコウモリの翼の様に広がったかと思うと、身体がふわっと宙に浮いた。
「そう。これから行くのはミーの創り出したヒトならざる者達のワールド……『アンダーエデン』さ!」




