PHASE:2-8/白猫の鳴く朝に
「……うーん」
ボクは朝ご飯も食べずに、右手を見つめては唸っていた。
ボクとクウ以外に誰も来なくなった食堂は、窓から吹く冷たい風のせいで余計に寂しく見える。あまり使わなかったテレビも、今では毎朝つまらないニュースばかり流す様になった。
普通の大人は、こんな感じで毎日虚しい朝を過ごすんだろうか。
「クロト、手どうしたの?」
「……なんでもないよ」
ボクが笑いながら言うと、クウは小倉トーストをせっせとかじり始めた。小倉トーストを食べるなんて人は、大体50とか60歳のデキる老人ばかりだ。どうやらこの子はシブいモノが好みらしい。ボクのバケツプリンもお気に召さない様子だったし、大きくなるんだったらダンディズム溢れる女性になってしまいそうだ。
果たして、不老不死たるボクから造られたクウは大きくなるのだろうか。
「どうなってるんだろ、これ」
……一生懸命別の事を考えていても、やっぱり右目や右手の事が気になってしまう。右半分の視界は相変わらず、全てが紅い非日常的な世界をボクに見せている。なんだか、身体が半分だけ別世界に入り込んでしまったみたいだ。
特に痛みとか異常はないけど、ボクの勘は「早くこれをどうにかしなきゃ大変な事になる」、としきりに囁いていた。だけど、そんな事より千絋を起こす方がもっと大事だ。昨日なんか遊びみたいな感覚で一日を潰しただけで、手がかりは何ひとつ得られなかった。
ボクはバケモノになっても構わない。彼女を助けられるのなら、何にだってなれる。
「それは本当かな、同志よ」
「……トト!?」
足元から声がしたと思ったら、オキシマにいた白猫……トトがボクのスリッパにじゃれついていた。
「トト!?ねぇクロト、どこ!?」
「ここだよ」
トトを持ち上げて机の上に乗せると、気持ち良さそうに背伸びをした。
「トト、気に入ったの?」
返事の代わりなのか、にゃあぁ、と鳴いて寝転がった。……メスか。
クウは彼女を見て目をきらきらさせていたが、トトは首を振った。
「そこのお嬢さん、我と遊びたいのは分かったから早くご飯を食べてしまいなさい。……同志よ。いつまでたっても手紙を読んでくれないみたいだから、直接話しに来たぞ」
「……まだ一日しか経ってない気もするけどね」
ボクは多少戸惑いながら、トトの背中を撫でた。ふさふさで気持ちいい。クウはそれを羨ましそうに見ながら小倉トーストをかじっていた。喉が詰まると危ないから、グラスに牛乳を注いで彼女の近くに置いた。
「何を言うんだ、これは一大事だぞ」
ボクの膝に飛び降りて、トトは鼻を鳴らす。
「我の本当の名はマックスウェル=ロード。由緒正しき魔界の王なんだが、つい2年ほど前からこの様な姿に変えられてしまってなぁ」
心地よい強さで太ももを踏み踏みしながら、話を続ける。
「魔界には我の片割れがいる、けれども我は魔界に戻る事が出来ない。悲しい事だな。片割れは我無しではあらゆるモノを無作為に喰らい、いずれは君達の世界も食べてしまうだろう。そこで頼みがある。
……幽界にいる「境壊の手を持つ者」、魔界にいる「真実の目を持つ者」と共に、我をこんな姿にした犯人を探してはくれないだろうか」
最後辺りは、何を言っているのかほとんど分からなかった。彼女の小さな身体からは想像もつかないほど、スケールが大きい話だ。夢みたいだけど、猫が喋るなんて事があるんだから本当なんだろう。
「……でもね、ボクにはやる事があるんだ。大事な人を起こさなきゃいけない」
「起こす、か。同志よ、いい事を教えてやろう。恐らく君の大事な人は魔界にいる。起こすのであれば、世界を繋ぐ門をその右目で探すといい。
……さて、我がこれだけ話したのだから頼みを聞いてくれてもいいだろう?」
トトはアーモンドの様な目を細めてボクを見つめた。
「……分かったから、答えてよ。ボクをこんな姿にしたのはトトなの?」
彼女は首を振り、小さく鳴いた。
「まさか。力があればやっているが、そんな事をする力は今の我にはない。出来るとすれば、境界の守護者だろう」
……変な言葉が多くて、さっぱり理解出来なかった。魔界って何だ、幽界って何だ。その門もどこにあるんだ。
クウはもう食べ終わったらしく、むくれた顔でボク達を見ている。
「ほら、トト。クウがすねてるよ」
トトは無言でボクに猫パンチをかまし、クウの元に歩いていった。




