宇多天皇と猫
ある日、帝が内裏に帰ってくると、女御が言った。
「どうですか。朝政の方は」
「まだまだ、だな。なんとか基経に好き勝手やらせまいとは思うのだが、私の力では抑えきれないようだ」
帝は座につくと、ため息をついて、言った。
「それとも、私が間違っているのだろうか?基経ばかりに任せていてはならないと思って、今まで張り合ってきたが、それは新たな争いを生むだけなのだろうか?」
「いいえ、そんなことはありません。基経様にばかり力が集まっては、後の憂いになると、私だって思いますわ」
「そうだな。私にはまだ、やらねばならぬ事がある…」
と言っているところへ
「ニャーオ」
帝の飼っている黒猫が入ってきた。
すると帝は、さっきまで険しい顔をしていたのに、急に明るい顔になって、言った。
「おお、驪や。どうしたのかね。お腹が空いたのかね。それとも、外が寒くなってきたから、中に入って来たのかね。よしよし」
そしてかがみ込んで、猫を撫でた。
「ミィー」
「お前はいつ見ても、美しい毛並みをしてるねぇ。私もこんな風に、いつまでも黒い髪をしていたいものだよ」
女御は言った。
「まあ、陛下ったら。猫をかわいがるのもいいですけど、あんまりかわいがり過ぎて、政治がおろそかになってはなりませんよ」
別の女御が言った。
「あら、美人のために国を傾けるという話はよく聞きますけど、猫のために国を傾けるなんてこともあるのでしょうか。今度から、この子の名前は“傾国”ですわね」
「何を言うのかね。私が政治をおろそかにするだなんて。
私はね、こうすることで、人々の模範になろうとしているのだよ。つまり、この猫は父上からの賜り物だからね。
そりゃ、猫は人に比べればつまらないものだけど、小さなものでも、こうやって大事にすることで、人々に親孝行の模範を示そうとしているのだよ。わからないかね。それが」
「まあ、本当でしょうか?」
帝は、猫を抱き上げて言った。
「もちろん、本当だとも。それにねぇ、人に君たる者は思いやりがなければならないが、こうして猫を思いやることは、人を思いやることにもつながるのだよ。この猫だって、私達と同じように生きているんだからね。
この猫だって、陰陽の気から生まれて、五感を持ち、私達と同じように、自分の愛するものを求め、憎むものを避け、喜んだり悲しんだりもするんだよ。
つまり、私達ほど細やかではないとしても、やっぱり私達と同じような心を持っているし、私達だって、やっぱりこの猫と同じような心を持っているんだよ。
ね、お前。そうだろう?」
「ニャーオ」
「おお、そうか。解ってくれるかい。よしよし」
「まあ、陛下ったら。本当に猫がお好きなのね」
女御は呆れ顔で言った。