第2話 彼は夢を見る。
とりあえず和樹は服を脱いでみた。
あらわになった上半身は、不気味なくらい筋肉質で別人のような体つきだった。
現在、和樹はある宿屋の脱衣所にいた。
オークを討伐した後、呆然としていた和樹の手を引いたのは魔法使いの金髪美人だった。
正直、ぜんぜん状況を飲み込めていない和樹はなすがまま、なされるがままに彼女について行き、そのまま小さな村の宿屋へ入る。
部屋に戻るなり「シャワーは先に使ってくれ」と言って金髪美人は部屋へ。和樹は彼女に言われるがままに移動。シャワーって、あのシャワーだよな。なんてことを考えながら脱衣所へ。
なんというか、簡素な作りであった。
和樹がそう思うのは元の世界の生活水準が記憶としてあるから。
しかし、この光景に違和感を感じない自分がいるのもまた事実だった。
村のこともそう。
農作業に精を出す農民。
今時、手作業で麦の刈り入れをしている農民に和樹は「ん?」と思う反面、これが常識だと受け入れてしまっていた。
服装もみすぼらしいを絵に描いたような服装だった。
日本のどこを見てもそんな服を着ている人間は誰一人としていないだろう。
しかし、そのことに気付くまで和樹は一瞬以上の間が必要だった。
宿屋のこともおかしなことはある。
和樹が初めて訪れたはずの宿屋の構造は頭の中に入っていた。
自分の借りた部屋がどこなのかも。
和樹はそのことを知らない。
しかし、体は知っている。
先の戦闘もそうだった。
体は勝手に動いた。
自分の体ではないかのようだった。
まさか、と和樹は村へ来るまでの道中その考えを否定してきたが、ここにきてさすがに否定できなくなってきていた。
和樹は自分と対面している。
正確には、鏡に映る自分と。
元いた世界の和樹の体は本当に貧相だ。
運動は体育の授業以外でほとんどしたことのない引きこもり。家に帰ってはゲームばかりしていて、休日は徹夜でゲーム。
どこに出しても恥ずかしくない立派な引きこもりだと和樹は自負している。
なのに。
なのに、だ。
「えっと……」
自分でも引くくらいの引き締まった体がそこにあった。
一目で分かる。
これは自分の体ではないことくらい。
隆起した筋肉。
無数に存在する傷跡。
身長も心なしか高くなっている気がする。
それに加え、自分のものではない記憶。
全く知らない相手。
何度も考えては否定を繰り返していたが、認めなければならない。
異世界の勇者の中身と入れ替わったという事実を。
「…………………………………………………………………………………………………」
我ながら、ゲーム脳的、ライトノベル的な考えがよく簡単に出てくるな。
そんなことを思いながら和樹はシャワーを浴びる。
(とりあえず、現状ハッキリしていることは……)
今いる世界は、自分がいた世界とは違う。
(オークだっけ? あんなのは俺の世界にはいなか……た?)
一瞬だけ和樹は違和感を憶えて、固まる。
「って、いないから。いない。いない」
和樹は慌てて否定する。
ふざけているわけではない。
本当に元の世界にオークがいたような錯覚を起こしていた。
(頭がおかしい……いや、この体がおかしいのか)
オークなんて化け物を圧倒する身体能力。
自分の元いた世界の常識を侵食するようなこの体の記憶。
(ハッキリしているのは、ここが異世界だってこと。それと、この体がおかしいってこと)
まあ、なにを考えたとしても憶測の域を出ないので、どれだけ考えてもしかたないことである。訳の分からない状況をさらに自分で引っかき回してもしょうがない。テキトーなところで思考を止めなければならない。
和樹は一度、大きく息を吐く。
とりあえず、一番有力な考えは、異世界の勇者と入れ替え説。そういうことにしておこう。
和樹は思考を止める。
だが。
『貴様、油断しすぎだ。勇者のくせに、オーク程度の相手になにをしている』
頭の中で金髪美人の言葉が不意によみがえる。
一際強く頭の中に反芻されるのは、『勇者』という単語。
伊達に毎日のようにゲームをしてきたわけじゃない。和樹はその言葉の意味を理解している。
『勇者』がいる。
ということは、『魔王』もいる。ゲームにおいてはラスボスである魔族の王様が。
『勇者』というのは『魔王』を討つ者の呼び名。
和樹はこの世界だと『勇者』になる。
ほんの少しだけ、落ち着かないような、気恥ずかしい気持ちになる。
冒険。
魔王を倒すという明確な目標。
『勇者』
それは物語の主人公だ。
お世辞にも、和樹の日常は最高とは言えなかった。
平凡。
惰性で学校へ。
クラスの隅で本を読むか隠れてゲームをしている毎日。
学力で特筆すべき点はない。
運動においても目を見張るものはなにもない。
特別なものはなにもない。
それこそ、才能の一欠片も。
それをいやというほど理解しているから、なにかになりたいなん思ったことは一度としてない。
何度となく思ったのは『もし、』だ。
もし、才能があったなら。
もし、特別だったなら。
もし、物語の主人公のように。
「……」
和樹は自分でも知らず知らずのうちに、拳を握りしめていた。
それでいて、笑っていた。
そう。
そうなのだ。
ついに。
ついに、和樹は望んでいた舞台へ足を踏み入れたのだから。
心の奥底からあふれる喜びを抑えきれなかった。
今のよく分からない状況。そんなものは、最初から和樹には関係なかった。
今の自分は主人公。
今の自分は『勇者』
それさえ分かっていれば、迷うことはない。
現状、なにも理解できていない和樹にとって今の状況は暗闇に等しい。しかし、不思議なことに、情報で溢れかえっていたもといた世界に比べ、道はハッキリとしていた。
気がつけば、和樹は服を着て、脱衣所を出ていた。体が勝手に動いていたらしい。
部屋に戻り、一も二もなくベッドに飛び込む。
元いた世界に比べ、シーツは粗い。掛け布団も同様。
だけれども、和樹は心地よく眠りについていた。
彼は夢を見る。