第94話 ヴァイス語り。
我がこの地で目覚めたのは五百余年も前か。大樹と共にこの森とこの森に棲む者達を護る為に遣われた。その事を目が覚めた我は理解していた。
我が名は一角獣。風と雷を支配する者。
とは言ったものの、我が人生はつまらぬ物じゃった。
守るとは言っても何もする事がないのじゃ。
たまに迷い込んでくるゴブリンやオークを狩る位か。……それにしても我が少し角を振るえばすぐに消え去る羽虫のようなもの。「護る」などと大層な話でもない。
ゆえに我の最大の敵はその膨大な時間そのものであったかもしれぬ。
その状況が一変したのはつい数日前の事じゃ。
我が森に人間が迷い込み始めた。それも1人2人ではない、毎日結構な人数がやって来る。
森の幻獣共もすぐにその匂いに気付いて姿を隠し息を潜める程に堂々とあやつ等はやって来た。
が、その多くは暴力を振るうような輩ではなかったようじゃ。
幻獣と語らい、時に腕試しをし、お互いが気に入った折りに一緒に去っていくようじゃった。
よくわからんがコレは人間の言う所の『お見合い』のような物じゃろうか?
まぁ我には関係のない事じゃが。
それでも、森に不埒を働く愚か者に我が角を振るう事も増えて行った。
その日はいつもと大きく違っていた。
幻獣達に落ち着きがないのじゃ。皆浮ついたようにそわそわしておる。
一体何があったのじゃ?
近くに居った者に尋ねても明確な答えは返って来なんだ。
じゃが、理由はすぐにわかる。
森を騒がす者がやって来ていたのじゃ。
いや、騒がすというのは可哀想やも知れぬ。その者は森の幻獣達に追われて逃げまどっておったからじゃ。
数えきれぬ程の多くの幻獣達がその者の元に馳せ参じ、友誼を結ぼうとしておるのが見える。が、その者はその事に気付いておらぬのか、必死に逃げまどっておる。あ、転けたの。
しかしどうした物か……このような事は初めてじゃ。外敵ならば退治すれば良いだけじゃが、あの者に非は無かろう。かといって、幻獣達に悪気がある訳もない。
じゃからと言ってこの森を護る者として、森を騒がしたままという訳にもいかぬ。
全く面倒な事じゃ……あ、又転けたの。
しばし考え、我自らがあの者の元へ出向く事で他の幻獣達を抑える事にした。
この森で我に逆らえる者など居らぬのじゃから、それで森の騒ぎは収まるであろう。……もしあの者が他の人間達と同じように幻獣と友誼を結びに来ていたのじゃとしたら、それが叶わぬのは申し訳ないが、森を騒がしている以上、その程度は我慢して貰おう。
幻獣達にしても、あのような暴走をしては望む友誼は得られぬ事を学ばねばならぬ。
全く、我は外敵より森を護る為に居るというのに何故このような事をせねばならぬのか。
独りごちながら我はあの者がいる場所へと駆け出した。
我は考え違いをしていたやも知れぬ。
なんじゃこの人間は……本当に人間なのか?
我が気配を感じ散った幻獣達を横目にあの者が座り込む泉に着いて我が感じた事はそれじゃった。
人の美醜はよくわからぬが、それでも美しい事はわかる。煌めく毛並みは美しく、柔らかな素肌には今にも頬ずりしたくなる。
そして果実のように甘い芳香が我の鼻孔をくすぐる。
なるほど、これが幻獣達を狂わせたこの人間の力か。これでは幻獣達が色めき立つのも仕方ない。
我ですら……いや、落ち着くのじゃ。神獣たる我が人間如きに心を奪われてどうする。
頭を振るい、気持ちを落ち着かせる為に泉の水に口を付ける。冷たい水が喉を潤して少し冷静さを取り戻す事が出来た。
「え、えっと……こ、こんにちわ?」
こ、声まで可愛いのかっ!? 反則ではないかっ!?
突然声をかけられた事に内心驚き、その可愛らしい声に二度驚き、せっかく落ち着いた筈の我の心はあっさり掻き乱されていた。
「は、はじめまして、僕はユウ。……えっと、君は?」
この者は『ユウ』というらしい。名前も可愛らしいの。
そして我が名を尋ねられた……が、我が名、我が名は一角獣……じゃが、人間1人1人に名があるように『一角獣』は我が名ではないのやもしれぬ。
どのように答えれば良いか思案していると、ユウはそのような我を見て、
「その……お水、美味しかった?」
と、笑顔で問いかけて来た。
も、もうやめてくれ、そのような笑顔を我に向けるなっ! 我はっ……我は……
「お腹空いてるのなら、サンドイッチ食べる?」
ユウはそう言って我の前に何やら差し出してきた。食べ物のようじゃ。
そうじゃ、落ち着くのじゃ。我は神獣一角獣。このような事で心を乱されてどうする。とりあえずユウが差し出すこの食べ物を口に入れて落ち着くのじゃ……。
な……なんじゃこの食べ物はっ!
我はこのような美味しい物を食べた事がないぞっ! 人間はこのような物を日々食しておるのかっ!?
確かに人間は『料理』というスキルを持って食べ物に味付けをする事は知っておるがまさか此処までとは……人間恐るべし……恐るべしっ!!
もっとないのか? もっと食べたいぞっ!
そう思いつつ何も無くなったユウの手の平を舐める。
と、我に更なる電流が走った。それはさっき食べた食べ物に匹敵する衝撃。
もしや……さっきの食べ物も『人間の料理』だからではなく、『ユウの料理』だからあの味じゃったか? そう考えれば合点が行く。
ここまで我が心を掻き乱すユウであるのなら、あの料理の味にも納得出来る。
「ごめん、今日はこれで全部なんだ。僕の分のお昼も無くなっちゃったし」
何時までも名残惜しそうにユウの手の平を舐めていた我に、ユウが申し訳なさそうに頭を下げた。
そうか……先程のはユウの食事じゃったのか……それは悪い事をしたやもしれぬ。
ならば我からも自分の知る最高の食事を返したい物じゃ。……が、この泉から大樹までは人の足では遠いな……どうしたものか……。
仕方ない、今回は特別じゃ。
我は生まれて初めて、己の背中に誰かを乗せる事を許した。
我が五百余年の時間は何じゃったのか。
我は今まで走る事が一番好きだと思っていたのじゃ。
じゃがそれはたった今、違ったと思い知るった。
誰かを乗せて走る事、その快感に比べたら1人で走る事のなんと寂しい事か。
これは人だからなのか、ユウを乗せているからなのか。まず間違いなく後者であろう。
ユウが我が背に居る。ユウの体温を感じる。ユウが我が体温を感じてくれている。
そう思うと一層身体が熱くなり、駆け足が速くなる。
いつも見ていた森が違って見える。全てが輝いて見えるのじゃ。
このような素晴らしい物がこの世にあったなんて、もっと早くユウと出逢えていれば、そう思わずに居られないっ!
しかし速く走れば走る程、大樹に速く到着してしまう。哀しい現実に我は直面していた。
楽しい時間が過ぎるのが早いというのは本当のようじゃ。
残念じゃが今回の目的はあくまでユウに馳走をする事、仕方ない。
我はユウを降ろし、大樹に語りかける。
『大樹よ、すまぬが実を二つ程貰えぬか?』
『珍しいな、一角。人まで連れてきて、お主も人の魔性に囚われたか』
『そ、そういうのではないっ! わ、我をなんじゃと思っておるのじゃっ』
『カカッ。別に神獣とて人と友誼を交わしても良かろうに。森の護りならばワシだけでもなんとかなるぞ。ほれ、持って行くがよい』
大樹め、何を訳知り顔をしておるか忌々しい。
しかし無事何とか大樹の実を手に入れる事が出来た。……ユウの料理には劣るやもしれぬが、ユウは喜んでくれるじゃろうか?
不安で胸が苦しくなる……。
「美味しいっ!」
一口囓ったユウが満面の笑みで答えてくれた。
気に入ってくれたようじゃ……良かった。大樹もたまには役に立つの。
「ありがとう! 本当に美味しかったよっ!」
嬉しそうにお礼を言うユウ。その笑顔を見れたじゃけでも連れてきた価値がある。
しかしユウのせっかくの顔が実の汁気で汚れてしまったのじゃ……これはいけない。
ユウの顔に近づいて優しく顔を舐め取る。
実の味とユウの味が混じり合って……これは癖になる危険な味じゃ……。
もう少し、もう少しだけなのじゃ……。
「って、ちょっ、綺麗にしてくれるのはありがたいけど、これはあんまり意味がないよっ!?」
ふと我に返るとユウの顔から実の汁気は無くなっていたが我の涎にまみれていた。
我とした事が……た、大樹めっ、笑っておるなっ!? 黙れっ!!
「でもまぁ、この汚れはどうにかしなきゃだし、どこかに川とか泉は無いのかな?」
辺りを見回し、歩き出すユウ。
自分の失態に若干凹んでいた為、我はその『イヤな感じ』に気付くのが遅れた。
同時に大樹から激しい警告が響く。
反射的に我はユウを押し飛ばしていた。
何とかユウを救う事が出来たが我が足をガッチリと挟み込む金属製の罠。
『大樹よ、コレは何じゃ?』
『人が仕掛けた罠じゃな。まさかお主がかかるとは』
『何故黙っておった』
『罠なぞにかかる者はこの森に居らぬからのう』
全く正論じゃ。こんな罠にかかる幻獣など居らぬであろう。我だって普段であればユウを救い、我自身も罠にかかる事は無かったであろう。
一生の不覚とはこの事じゃ……。
「お前……僕を助ける為に?」
あぁユウ、そのような哀しい顔をするでない。我はユウにそんな顔をさせたくはないのじゃ……。
「お? おおおお! やったー! 期待してなかったけど罠に幻獣かかってんじゃん! って、馬!? つーかユニコーン!? やっべー! レアじゃね? これ大儲け出来るんじゃね!?」
ユウをどう元気づけるものかと思っていると、隠れていた人間が姿を見せる。
邪魔をしないのであればと放置していたのが仇となったか。
更に何やら喚き続ける人間。
そして確信する。
やはり『ユウ』が特別なようじゃ。我が心を満たすのは『ユウ』であり、他の人間ではありえないようじゃ。
この程度の罠で我を封じたと思いこんでいる愚か者に裁きを喰らわそうと思った矢先、我はとんでもないものを見た。
「だ、ダメだよ」
ユウがそう言って我を護る為に人間との間に立ちはだかったのじゃ。
今まで森と幻獣達を護る為に幾度となく戦ってきた我じゃが、よもや誰かに護られる日が来ようとは……なんじゃこの胸の高鳴りは……先程の早駆けの時のようじゃ……。
「そ、っそれは……ぼ、僕が先に見つけて一緒に居たんだから、僕の方が優先権がある!」
わ、我を見初めたのは自分じゃとユウが言ってくれた!?
「ンなの関係ねぇよ! 俺の物っつったら俺の物なんだよっ! それとも何か? 痛いメ見るかぁっ!?」
「いやだ。この子は渡さない!」
わ、我を誰にも渡さないと、そ、こそまでユウは我の事を……。
ならば我は……ユウのその想いに応えねばならぬな。
「じゃあ死ねよっ!!」
ええいっ! 今良いシーンなんじゃから三下は黙っておれっ!!
我は一気に魔法を解放し、三下を吹き飛ばした。
全く、人間は『空気を読む』のではなかったのか。大樹、お主も何を笑っておるのじゃっ!?
その後、罠を外し、ユウが我に治癒をかけてくれた。
自分でもその位は出来るがユウの治癒は心地よく、黙っている事にする。
もっと治癒を続けてくれても良いのじゃが残念ながら怪我は治ってしまったようじゃ……。
ふと見るとさっきまで三下が居た場所に光るモノが見えた。
アレは確か幻獣達が気に入った人間と友誼を交わす際に身につけていた物のはず。
そう思い、それをユウの元へ持って行く。
「えっと……これって……僕に、つけろって?」
その通りじゃ。コレで我をユウと添い遂げさせて欲しいのじゃ。
「…………ありがとう。でも、ダメだよ」
!?
な、なぜじゃ!? 我ではダメなのか?! 何処か悪い所があったなら直すのじゃ……何故ダメなのじゃ?
「僕は君をペットにしたいんじゃない。あの男みたいになりたくない」
何を言っておるのじゃ。ユウはあの三下のようにはならぬであろう。ユウはユウじゃ。
我はユウのものになりたいのじゃ。
「だから……僕と、ペットと飼い主とかじゃなくて……友達になってくれないかな?」
!
なるほど、そういう事じゃな。我は少し焦りすぎておったようじゃ。
確か人間達の間には『まずは友達から』というのがあるらしい。そうして親密になった後に……という事じゃな。
相、分かった 。
ユウの気持ちを尊重しようぞ。
「ありがとうっ! じゃあ今日から僕等は友達だねっ」
うむ、我とユウは『友達』じゃ。我の初めての友達じゃ……ふふふ。
ん?大樹どうしたのじゃ? 主か? 主は……知り合いじゃ。
「あ、でも友達に名前がないと困るかな……首輪をあげられない代わりに、もし無いのなら名前を付けても良い?」
な、なんと。ユウは我の友達になってくれるだけでなく名までくれるのか!?
ユウが付けてくれるのかっ?
我が断る理由もないっ!!
「じゃあ……君の名前は『ヴァイス』、ってどうかな?」
ヴァイス。それが我の名かっ!
今日はなんという日じゃ。我が最愛の人と出会い、友となり、名まで貰うとはっ!!
ユウはどれだけ我を喜ばせれば気が済むのじゃっ!
もうおかしくなりそうじゃっ!!
この気持ちをユウに返すには……そうじゃ、我が生まれた時に持っていたあのアイテムをユウに贈ろう。
ああ、気持ちが浮き足立って止まらぬ。この衝動は抑えられぬっ!
ユウよ速く我の、このヴァイスの背に乗るが良いっ!
今の我ならばこの世の何よりも速く駆け抜けようっ!!
我が名はヴァイスっ! ユウの永遠の友達なりっ!!




