第184話 熾天使。
地上に降り立った熾天使はそのままゆったりした足取りで歩き始め、皆の間を通り過ぎて僕の目の前までやってきた。
正直ついさっき魔神に襲われて庇われ、結果リリンさんが死にそうになったばかりなのに、僕がモンスターと接敵するのは油断も良い所だと思うけど、仕方なかったと思う。
熾天使が移動するその間、だれも動かなかったのは多分熾天使に殺気とか戦意が見えず、当たり前のようにまるで何処かに散歩に行くように泰然と歩く熾天使に僕自身目の前に熾天使が来るまで見続けていたのだから。
「っ! ユウっ!?」
だからマヤが上げた最初の声で僕達はやっと我に返った。
今、熾天使に攻撃されたら僕は多分死ぬ。
未だ殺気の欠片もない熾天使の瞳が僕を見つめているけど、レベル99ともなると僕を殺すのに殺気すら必要ないのかもしれない。
「初めてお目にかかります。私は熾天使と申します。ユウ様、お逢いできて光栄です」
でも次の瞬間、熾天使は僕の目の前で跪き、笑顔でそう言った。
「え?」
意味が分からず熾天使……さんを見つめる。と、熾天使さんも嬉しそうに僕を見つめ返してくれた。
こうして間近で見ると熾天使さんは本当に綺麗だった。金髪の髪を輝かせ、漫画やゲームで見る戦乙女のような鎧を身に纏った熾天使さんは切れ長な瞳を細めて、嬉しそうに微笑む。
「あ、え、あっと、と、とりあえず、立ってくださいっ!」
熾天使さんの綺麗さに少し見とれていたけど、そこで女の子を跪かせているという事実に気付いて慌てて声をあげた。
「宜しいのですか?」
「も、勿論」
「ダメよっ! 信用できないわ」
僕が頷くと同時にマヤが待ったをかけた。
熾天使さんはちらりとマヤを見たけど、気にする様子もなく立ち上がった。
「ありがとうございます、ユウ様」
「う、うん。えっと……何処かでお会いした事とかありました?」
さっきから矢鱈と親しげな熾天使さんに僕はこれまでに逢った事がないか記憶を探っていたのだけど、どうしても思い出せず、彼女に尋ねる。
と、彼女は少し驚いた顔をして笑った。
「いいえ。私とユウ様は初対面ですよ」
「? じゃあ……」
「それは勿論、ユウ様が『美女神』様と『愛天使』様の祝福を受けたお方だからです」
そう言って熾天使さんはにっこりと笑った。
明らかに戦意がない熾天使さんに皆一応緊張を解いた。……何故かマヤだけは逆に戦意を漲らしてるように見えるのは……相手がモンスターだからという事なんだろうか?
「じゃあ熾天使さんは私達と戦う気はないのですね~?」
そう尋ねるサラサラさん。
が、熾天使さんはその問いに答えず、僕を見つめたままでいる。
「えっと……どうなんですか?」
「勿論です。ユウ様と戦うなんてあり得ません」
僕の問いに笑顔で答える熾天使さん。
「その場合この階層の通過はどうなるのでしょう?」
グラスさんが尋ねる。が、やはり熾天使さんは答えない。
「その……この階層の通過はどうなるの?」
「それも問題ありません。私が帰還した時点で開くようになっております」
「そもそもなんでユウの……なんだ? 『美女神』様と『愛天使』様の祝福とやらがあると戦わないんだ?」
「…………」
「えっと、クロノさんの質問の答え、僕も知りたいんだけど……」
「はい、それは『美女神』様も『愛天使』様も我等の尊いお方だからです。そのお二人の祝福をお受けになっているユウ様も又、尊いお方と言えるでしょう。……『魔皇女』の祝福まで受けているのは残念で仕方ありませんが、それはユウ様のせいではありません。あの『魔皇女』のせいですので」
う、うーん……熾天使さん、笑顔で答えてくれるんだけど……これ、どう見ても僕以外を全スルーだよね。
グラスさんとか困った顔で嘆息してるし、マヤなんて更に殺気が濃くなってるし。
「なぁユウ、さっきの説明、どういう意味だ?」
「あ、う、うん。多分……だけど僕がその『固有スキル』を持ってるからだと思う。『美女神』や『愛天使』の固有スキルがあると天使とかの受けが良い……のかな?」
こそこそと僕に尋ねるクロノさんに僕も自信がある訳じゃないけど一応推測を述べた。
『神獣』である一角獣のヴァイスが僕と仲良くしてくれてるのもそうした理由があったのだろうか?
「そこの下郎。ユウ様に近づくな。汚れる」
が、熾天使さんがそこで初めて殺気をまき散らしてクロノさんを見つめた。
「うおっ!」
慌てて飛び退くクロノさん。別に攻撃された訳じゃないけど殺気に対して反射的に身体が動いたように僕から離れる。
「く、クロノさんは僕の友達だから良いんだよっ!?」
「しかし……」
「いいのっ!」
「……わかりました」
不承不承、といった感じで頷く熾天使さん。
なんだか……熾天使さんってちょっと人見知りっぽいのかも?
「まぁなんだっていいわ。じゃあ熾天使が帰ればこの階層は終わりなんでしょ? 早く帰ったら良いんじゃない? それとも帰れるように退治してあげようかしら?」
未だ殺気収まらないマヤが武器を持ったまま熾天使さんを睨んだ。
が、やはり熾天使さんはマヤの言葉を無視して、僕を見つめた。
「申し訳ありません、ユウ様。私が自由でありましたらこのような者達ではなく、私自らユウ様をお守りしますのに。今はこの階層の守護者の任を受けている身。お助け出来ぬ私をお許しください」
そう言って申し訳なさそうに頭を下げる。
「い、いえ、その、ここで戦わなくて済んだだけでも助かりますっ!」
戦わずに済むならそれが一番だ。
……『階層の守護者』の任を受けてる熾天使さんが戦わない事を選んでて良いんだろうか? という疑問は残るけど、それを言って「やっぱり戦います」とか言われても困るから黙っていよう、うん。
「ありがとうございます、やはりユウ様はお優しいのですね。……皆の者、その命の全てを捨ててユウ様をお守りするように。それが貴方達の天命です」
「熾天使に言われるまでもないし、天命でもなんでもないわよ」
熾天使さんの言葉に即座に悪態をつくマヤ。
マヤのその態度に熾天使さんは大きくため息をついた。
「……やはり心配ですね。では私からも今出来る限りの祝福を」
そう言って熾天使さんは僕の頬に手を添えた。
正直美人な白人のお姉さんにこうして触られるとかどきどきする。
と、次の瞬間、僕の頬に柔らかい何かが当たる感触がした。しばらくして、ソレが熾天使さんの口づけだと気付く。
「……上手く行ったようですね。『魔皇女の雫』の味は少々癪ですが、『聖獣姫の柔肌』も悪いものではありません」
「っ! 何やってんのっ!?」
1人呟く熾天使さんにマヤが慌てたように剣を振るう。
が、悠然と空中に飛び上がりそれを回避する熾天使さん。
正直当たらなくて良かったと思った。
もし当たってなし崩しにマヤと熾天使さんが戦闘になってたりしたらと思うとちょっと怖い。
「慌てるな、今後の為に短時間とはいえユウ様に祝福を授けただけだ」
マヤを見下ろしながら語る熾天使さん。
祝福って……と聞こうとした時、質問するまでもなく目に見える変化が現れた。
「あ」
僕の身体が薄く輝き始めたのだ。それは『防護印』と似てるようで少し違っていて、熾天使さんを覆っているオーラ? みたいなのと同じで、神々しくて、正直少し恥ずかしい。
光のせいで白いブラウスとか少し透けてたりして、『純白のローブ』のままだったらどんな変態かというギリギリのラインだったかもしれない。装備変更してて本当に良かった。
「残念ながらこの方法では一定時間しか効果はありませんが、その『戦乙女の聖気』があれば不浄のモンスターの動きを制し、ダメージを軽減する事が出来ます。ユウ様、お気を付けて」
なるほど、それは確かに『祝福』と言えるかも。
「ありがとうございますっ! 熾天使さん!」
「構いません。私が好きでさせていただいただけですから」
「そんな事言って、ユウにキスしたかっただけなんじゃないの」
「……」
「そうでないなら『ユウを守る為』に私達全員にソレをしても良い訳だし」
「……では私は帰ります。ユウ様が無事このダンジョンをクリア出来る事を祈っております」
そう言って僕だけに微笑んで、出現時と同じように光をまき散らし熾天使さんは帰っていった。
「言い返せないからって逃げたわね」
熾天使さんが消えた空間を睨みながらマヤが歯ぎしりをする。
……まぁ確かに全員にこの『祝福』をして貰えればそれが一番だとは思うけど、でもその条件が『相手にキスをする』だとしたら、そんな事女の子に無理強いする訳にもいかないし仕方ないのかもしれない。
最初は僕に『祝福』するのもするつもりなかったようだし、貰えただけラッキーと思おう、うん。
熾天使さんが消え、その光も消えて元のドームに戻った所で奥の扉がゆっくりと開いた。
「さて、せっかく戦闘を回避し、時間限定付きの特殊効果を貰った事ですし、先を急ぎましょうか」
「逆になんかスゲー疲れたけどな」
グラスさんの提案にクロノさんが答える。
「ご、ごめんなさい」
「いや、ユウが悪い訳じゃねーからっ! す、進むのは賛成だしなっ!」
もう居ない熾天使さんの代わりに謝る僕にクロノさんが手を振って答え、歩き始めた。
「あと10階層、がんばりましょう」
グラスさんが微笑んでクロノさんの後に続く。
「は、はいっ!」
僕もそれに続いて歩き出した。




