第179話 唇に聖水。
「さて、何とか倒す事が出来ましたが……さすがに70層のボスとなると強敵でしたね」
最後のドッペルゲンガーを倒した所で誰からともなく座り込み、そのまま休憩となっている所でグラスさんが呟いた。
確かに最終的には一気に倒せたとはいえ、かなり危なかった。
マヤだってあの無茶な突撃で何処か1つ間違っていれば死んでいたかもしれない。アレが勝利に導いたとはいえ、逆にアレで全滅していたかもしれないと思うと背筋が寒くなる。
「……何よユウ?」
そう思ってマヤを見つめていると、僕の視線に気付いたのかマヤがそう言った。
「マヤも結構無茶すると思っただけだよ」
「あんなの無茶でもなんでもないわ」
本当に何でもないようにマヤは言う。
「HPも2割近く残ってたしね」
「それでもだよ。あんな無茶しちゃダメだよ」
「ユウが無茶しなくなれば私もしないわよ」
「うっ……ごめんなさい」
ダンジョンに来た原因が僕だけに言い返せない。
でも、それでも目の前で女の子が傷つくのは辛い。傷痕が残らないのが幸いだけど……。
「そういえば……ユウさん、少し宜しいですか?」
マヤへの返答に詰まった僕に、グラスさんが声をかけてきた。
「は、はい! 何でしょう?」
これ幸いとグラスさんに返事をする。
「さっきのドッペルゲンガーとの戦いですが、終盤ユウさんのドッペルゲンガーがキスをしていたのはどういう事でしょう?」
「ど、どういうって……精神攻撃……とか?」
思い出すだけでダメージを受ける。まさか後遺症まで残る精神攻撃だなんてドッペルゲンガー恐ろしい。
そう思っていると、グラスさんは納得出来ない顔で僕を見た。
「その線も考えられなくはないですが……先程の戦い、ドッペルゲンガーは私達の能力を最適に活かした戦いをしていたと思います。その冷徹な動きはまさにロボットという感じに。ですが逆に『心』があったようには感じませんでした。死ぬ瞬間にも、『怒り』や『恐怖』すらみられませんでしたし。
そんな『心』のないモンスターがスキルではない行動による『精神攻撃』など出来るでしょうか?」
ゆっくり噛み砕いて説明するように喋るグラスさん。
いつの間にか皆もグラスさんの声を聞いていた。
でも、確かにそうかもしれない。姿形は僕達そっくりだったけど、その顔をもし知らない場所で見ても別人だとわかる位ドッペルゲンガーには『心』が無かった様に見えた。
そんなドッペルゲンガーが『破廉恥な行動をして隙を誘う』なんてするかというと疑問が残る。
そもそもキスしてる間は2人も行動不能になるのだから、普通に考えたらデメリットの方が大きい筈だ。
「なので、ユウさんのドッペルゲンガーの『あの行動』は何かスキルに関連した物だと思うのですが……心当たりはありませんか?」
心当たりって言っても、人とキスするスキルなんて……
そう思いつつステータスウィンドウを眺める。
「あ」
出てしまった声にグラスさんは確信めいた笑みを深めた。
「心当たりがあるのでしたら、教えて頂けないでしょうか? 今後のダンジョン攻略の重要な鍵になると思いますので」
そう言われて、断る事は出来なかった。
あくまで推測である事を踏まえて、僕は固有スキル『魔皇女の雫』の効果を改めて皆に説明した。
『魔皇女の雫』でHPAPが回復する事、その結果僕の手料理にその効果がある事、そして多分僕の『体液』を直接摂取してもその効果があるかもしれない事。
「しかし……『体液』とは聞いていましたが、まさか全ての体液であるとは『固有スキル』とはいえ驚きました。そしてそれならユウさんのドッペルゲンガーが一番授受しやすい『唾液』でAP回復を促したのも納得です」
1人頷くグラスさん。
他の皆は……僕が見ると目線を逸らしたり、顔を真っ赤にして怒ってるっぽかったりして、なんだか全体的に引かれてる気がする。
そりゃ『体液を舐めればAP回復する固有スキル』と言われても普通引くよね。
……他のスキルの説明までしたら僕はどんな風に見られてしまうのか怖くて言えない。
せめてもの救いは『固有スキル』が自分で選んで取得出来ない事だろうか?
生来の性格や性質を元に選ばれるって噂もあるようだけど、それが本当かどうかもわからないし。
……生来の性質で僕の今の固有スキルが発言したというのもなんとも納得できないけど。
「そ、それでは、ユウ様に、きききき、キスをすれば、私達もAPが回復するという事ですか?!」
どうやって皆に引かれたのをフォローしようか考えていたら、リリンさんが手と声をあげた。
その声に一気に皆の視線が僕に集まる。
「えっと……した事ないけど……た、多分?」
実際僕はそんな事した事ないんだから、ドッペルゲンガーに聞いてくれとしか言えなかった。
「そ、そんなキスなんてっ、ユウ、だ、ダメよっ!?」
慌てたようにホノカちゃんが叫ぶ。
「だ、誰もするなんて言ってないよ?」
「ななな、何よ、私とするのが嫌なのっ!?」
「そういう事じゃないけどっ」
「じゃ、じゃあ……し、したいの?」
あれ? このやり取り少し前にやった様な気がする。なんでだろう?
と思ったら突然ぐいっと後ろから引っ張られた。
見上げるとマヤに抱きかかえられてしまっている。
「ホノカの言う通り、そんな理由でユウとキスなんて許さないわ。貴方達だって『男』同士でキスなんて嫌でしょう?」
僕を後ろから羽交い締めにした状態でマヤがグラスさんを睨んで言った。
頭上からドッペルゲンガーと戦っていた時と同じような殺気が溢れてきてるのは気のせい……だよね?
「あ、当たり前だろう。おおおおお、男同士でキスとかないだろ!」
慌てたようにクロノさんが言い返した。
そりゃそうだろう。YESと言ったら同性愛者の烙印を押されかねない。僕も男同士とか勘弁して欲しい。……女の子が相手でも、そんな理由でキスとか良くないと思う。
「そうか? AP回復すんならアリじゃね?」
と、そこでテルさんがなんでもないように言った。
「なっ、お、お前っ!? 男同士だぞ!?」
テルさんの発言に慌てるクロノさん。
「ああ、俺だって男同士でキスなんざ死んでも御免だ。だが、ユウの話じゃ『体液』なら何でも良いんだろ? なら汗を少し舐める位なら我慢出来なくはない」
な、成る程! 確かにドッペルゲンガーがキスしてたから思いこんでたけど、それなら確かにキスしなくても良いかもしれないっ!
「って事はユウちゃんをペロペロ出来るって事ねっ!? ソレはソレでアリよっ!!」
目を爛々と輝かせて口元を拭うシャーリーさん。
ノワールさんやコテツさんも少し涎が出てるように見えた。
「ソレはソレで倒錯的すぎよ。それにソレだと他の人が舐めたユウの肌を舐める事になったりするわよ?」
「それは嫌ね」
即答するシャーリーさん。
シャーリーさんの嫌の基準がズレてる気がする。そもそも『キスしなくていい』って事に危なく踊らされそうになったけど、身体中なめ回されるのも勘弁だな。
かといってAP回復がダンジョン攻略の重要な鍵である事は間違いないし、僕のワガママでダンジョン攻略に協力して貰ってるんだからこれ以上ワガママも言えないし……。
「……そういえば汚染された飲料水をユウさんに『聖水』化して貰いましたが、アレは飲めるんでしょうか?」
僕も皆も納得出来てAP回復出来る良い落とし所はないか? と頭を悩ませていると、不意にグラスさんがそう尋ねた。
「あ、うん。勿論。さっき飲んだけど聖水って言っても普通のお水になってるよ」
「そうですか。出来れば此方も一口飲んで確認して貰えますか?」
と、グラスさんが僕に聖水の入った瓶を投げた。
落とさないように慌てて受け取り、キャップを開けて一口飲む。
「うん、問題ないよ。普通にお水だと思う」
「そうですか、ありがとうございます」
そう言って改めて瓶を受け取ったグラスさんはそのまま水を飲み干した。
その瞬間、皆が何故かざわついた。
? ちゃんと普通に問題ないお水だったよ?
「……ふむ、間違いないですね。『飲料水』もダンジョン攻略に重要な要素です。定期的に摂取しなければなりません。しかし私達の飲料水は一度汚染された恐怖というのもあると思います。
ユウさん、申し訳ないですが、新しい瓶を開ける際はユウさんが味見をして貰えないでしょうか?」
「え、あ、はい、別に構わないけど……」
確かに一度腐ったり汚れた水を『聖水』化したからって何の保証もなく飲むのは怖い……のかな?
僕自身は慣れちゃったから気にならないし、自分のスキルに自信はあるけど、確かに皆は気にするかもしれない。
「で、ではっ! わ、私のからお願いしますっ!」
そう言って手を上げるリリンさん。
「あ、う、うん」
受け取った瓶を一口飲む。間違いなくちゃんとしたお水だ。
「それ位ならまぁ……ユウ、私のもお願い出来る?」
「マヤも? ……まぁいいけど」
その後結局全員のお水をチェックする事になってしまった。
皆本当に心配性なようだ。
途中何故か顔を真っ赤にしたホノカちゃんに意味不明な事で怒られたり、クロノさんが「これくらい友達なら普通」とかよくわからない事を呟いてたりしていたけど、お陰で僕は自分の飲料水に手を付けずに十分な水分を取れてしまった。
「さて、では休憩も十分取れた事ですし、攻略再開しましょう」
グラスさんの声に皆頷いて立ち上がった。
あれ? 結局水分補給してて、AP回復の話は流れちゃったけど……良かったのかな?
皆気にしてないようだけど……大丈夫なんだろうか?
「ユウ、早く来なさい」
「あ、わ、ま、待ってっ!」
少し首を傾げたが置いて行かれそうになった慌てて僕も駆け出した。




