第143話 秘密。
なんとか気を取り直した僕は心機一転起き上がり、マージャさんにお願いして厨房を借りる事が出来た。
勿論シルフィードさんと約束をしたホットドッグを作る為だ。
さすが後宮だけあってすごい厨房だった。と言っても此処は特別厨房であって、通常の食事は又別の厨房で制作されているらしい。
此処は後宮の人間が個人的にちょっとした物を作ったりする為の場所なのだそうだ。
そんな場所でも、オーブンも『銀の翼』に設置してある業務用に負けずとも劣らぬレベルだったし、そもそも小麦粉の質が段違いだった。見た事のない調味料や器具も見てとれる。
とりあえず知っている道具や材料を使っていつも通りパンを捏ね、業務用オーブンのお陰で短時間でパンを焼成する事が出来た。
正直特訓が厳しすぎて気付いた時にはパンを作る時間無いかと思っていただけに本当に助かった。
オーブンを開けるとパンの良い匂いが厨房一杯に広がる。
その香りを一通り楽しんでから、焼き上がったパンを1つ手に取った。
「熱っ」
……まだ少し早かった。
右手の指先をふーふーしながら、左手で恐る恐るパンを手に取る。今度は大丈夫。
それを一口千切って口に運ぶ。……と、口いっぱいに小麦の味が広がって、いつも食べてるパンより美味しく感じる。……これが高級小麦粉の力なんだろうか?
今度『銀の翼』で作るパンもこの小麦粉使ってみたいなぁ……。
「あら、上手に出来たのね。良い匂いだわ~」
焼き上がったパンをホットドッグにするべく切れ目を入れていると、マージャさんも厨房へとやってきた。
「えっと……マージャさんも試食……します?」
作業台の上のパンから視線を外さないマージャさんに一応聞いてみる。
「あら、良いの? ありがとう」
そう言ってマージャさんはまだ切れ目を入れていないパンを1個手に取り、一口分千切って食べる。
自分としては悪くない出来だとは思うけど、普段からお城で高級料理を食べているであろうマージャさんに試食して貰うって結構緊張する。
「あら……」
そう言って驚いたようにパンを見つめるマージャさん。
『あら』の続きが気になる。良かったとしても悪かったとしても続きを言ってほしい。判決を待つ罪人みたいな気分になってきて心臓に悪い。
……もしかして口に合わなかったんだろうか?
どうしよう、シルフィードさんと約束したけどマージャさんに、『これは殿下の食事として出す事は出来ません』とか言われないだろうか?
シルフィードさんが王子様だったって事は食事とかも厳しく管理されてるかもしれないし……。
「えっと……なにか、不味かったでしょうか……?」
耐えきれなくなり、パンを見たまま固まっていたマージャさんに尋ねた。
僕の言葉にマージャさんがはっと我に返ったようにパンから目を離して僕を見る。
「あ、ごめんなさいね。懐かしい味だったからびっくりしちゃって。とっても美味しいわ」
と、微笑んでくれた。
懐かしい味……。
「そか、シルフィードさんも確かお母さんと同じ味って……」
「ええ、殿下のお母上、王妃様は料理が上手な方でね。ユウちゃんの料理と同じ、食べた人誰もを幸せにする不思議な料理を作ったのよ。その料理を又食べられるなんて思ってなかったから、びっくりしちゃって」
そう言って嬉しそうに微笑むマージャさんの目頭が少し光っていた。
きっとマージャさんにとっても王妃様ってとても大切な人だったんだと思う。
「えっと、そういう事なら、もっと食べていいですよっ」
僕に出来る事はこれ位で、パンもそれなりに焼いてあるから少し位減っても大丈夫だろうからとマージャさんに勧めてみたけど、
「ユウちゃん、ありがとう。でももうすぐ夕食の時間だし、それにあまり食べると後で殿下に妬まれちゃうかもしれないから。後で皆で食べましょう」
と、断られてしまった。
そう言えばもう随分時間も遅くなってしまっていた。
マージャさんにも手伝って貰ってパンに切れ目を入れてホットドッグを作っていく。
結局シルフィードさんが帰ってくるギリギリの時間でホットドッグは完成した。
出来上がったホットドッグをマージャさんにお願いして、夕食担当の料理長さんに渡して貰った為、夕食はホットドッグを中心としたフルコースという意味不明な構成になってしまった。
でも、シルフィードさんは喜んでくれたから作って良かったと思えた。
マージャさんも嬉しそうに食べてくれてたし。
僕は自分で作ったホットドッグはいつでも食べられるし、フルコースの方を美味しく頂いた。さすが王族の料理を担当する料理長の料理だけあってどれも火を噴く程美味しかった。
むしろこの料理に僕のホットドッグなんて合わせさせてしまったのが申し訳ない位だった。
これでマージャさんのマナーチェックが無ければ楽しい夕食だったのだけど。
夕食後にお風呂を頂いて全身暖まった結果、お腹いっぱいで身体がぽかぽかで昼間の特訓の疲れからか一気に眠気が爆発した。
用意して貰ったガウンを羽織り、フラフラしつつもマージャさんに指示された寝室へと移動する。
と、そこには先客が1人居た。
「おかえり、ユウ。お風呂はどうだった?」
シルフィードさんだった。シルフィードさんもガウンを着て、ベッドに腰掛けている。
「とても良いお湯加減でした」
そう答えながらも、部屋……間違えたっけ? と、寝ぼけた頭でマージャさんの言葉を思い出し、部屋の名前を確認する。間違ってなかった。
とりあえず廊下に立っていると身体が冷えてしまうから、中に入って扉を閉めた。
「えっと……シルフィードさんはどうして?」
「ん? ああ、作戦上今日から私とユウは一緒の部屋で寝ないと駄目だ。って影に言われてね」
ふわふわのまま首を傾げる僕にシルフィードさんが苦笑して答えてくれた。
作戦なんだ。それじゃあ仕方ない。
「そっか、じゃあ寝ましょうか」
そう言って部屋を見回すと、この部屋にベッドは今シルフィードさんが腰掛けている物1つしかなかった。
と言ってもその1つがキングサイズより大きい。これだけ大きければ2人で寝るのにも何の問題もない。
そう思って僕は反対側からそのベッドへと潜り込む。
「そうだね、ユウも疲れてるだろうし、このベッドを使ってくれ。私は適当にソファーで寝るから」
シルフィードさんは当たり前のようにそう言って立ち上がる。
それを見て僕はシルフィードさんの袖を掴んだ。
「? ベッドはこんなに広いんだから、2人で寝れば良いんじゃないかな?」
僕がベッドで寝て、王子様をソファーに寝かせたなんてバレたら怒られそうだし、そもそもこの部屋の主であるシルフィードさんがベッドで寝ないのはおかしい。
だけど、僕の発言に心底驚いたような顔をするシルフィードさん。
僕は何か変な事言っただろうか?
シルフィードさんは真剣な面持ちで僕を見つめた。
「いいかい、ユウ? 女性が男性をベッドに誘うというのは勘違いされてもおかしくないんだよ?」
「どこに女性が居るの? 男同士なんだし、雑魚寝くらい普通だよ」
女性が居たの? と寝ぼけ眼で辺りを見回すも、やはり僕とシルフィードさんしか居ない。
なら何の問題もない。
「……………………ユウ、もしかしてユウって……男の子?」
「他に何に見えるって言うのさー」
何だが物凄く失礼な事を言われた気がする。
……もしかして、シルフィードさんって僕の事、女の子だと思ってた?
「そうか……そう、だったのか……」
何か信じられないような顔で僕を凝視するシルフィードさん。
そんな顔をされるのは甚だ遺憾だ。
「そんにゃ言うなら証拠みせようか?」
「いやっいい! 大丈夫だっ!」
女性だと思われるなんて不名誉を正す為に脱ぎかけたガウンをシルフィードさんに慌てて止められてしまった。
「わかってくれたんならそれでいいけど……だから、一緒に寝て大丈夫だよ」
と言ってシルフィードさんの袖を引いた。
だけど、シルフィードさんは再び苦い表情になり、そして真面目な表情で僕を見る。
「……そうだね。このままはフェアじゃない。ユウなら、信じられるし、裏切られても恨まない」
まるで自分に言い聞かすように呟くシルフィードさん。
男同士で一緒に寝るだけで何をそんな真面目に悩んでいるんだろう?
「……ユウ、実は私も1つ、大きな秘密があるんだ。それを、ユウに聞いてもらいたい」
首を傾げていた僕にシルフィードさんが口を開いた。
真面目な表情に僕もちゃんと対応しなきゃとベッドの上でお互い向かい合わせで座った状態で見つめ合う。
「僕が聞いていいの?」
「ああ。ユウに聞いて貰いたい」
「なら、聞くよ。何?」
でもそろそろ睡魔が限界だから手短にして欲しい。
そう思いつつ待っていると、シルフィードさんはゆっくりとガウンの帯を緩めて解いた。
これから寝るというのにシルフィードさんはサラシを巻いていた。
そのサラシもシルフィードさんは解き、ベッドの上に落ちていく。
「…………え?」
「これが、私の秘密だ」
顔を頬を赤らめながらも、しかし何一つ隠す事なく僕を見つめるシルフィードさん。
僕はいつのまにか眠ってしまって夢をみていたのだろうか? と、頬をつねってみたら痛かった。
そして目の前の光景は変わらなかった。
その瞬間一気に眠気が吹き飛ぶ。
「し、し、しるふぃーどしゃん!? あ、あにょ、もしかしかて……」
「ああ、その通り。私は女だ」
そう、シルフィードさんの胸には大きな膨らみが2つ僕の目の前に盛り上がっていた。桃色の先端まではっきりと見て取れる。
つまりシルフィードさんは女性以外ありえないという事だ。
「っていうか! 隠してっ! 駄目だよっ!? 女の子がこんなっ!」
我に返った僕は慌てて、シルフィードさんがさっき脱いだガウンを出来るだけシルフィードさんを見ないように注意しながら着せた。
幸いシルフィードさんはすんなり着てくれたから事なきを得る事が出来た。
けど……寝ぼけていたとはいえしっかり見てしまった。シルフィードさんの方から脱いだとはいえ、ガン見してしまった。
「元々この誘拐事件は私達の問題で、ユウは巻き込まれただけだ。それなのにユウは命を賭けて手伝ってくれると言ってくれた。その想いに応えたかった。
だから私も、隠し事などせずユウに真実を伝えたかったんだ」
まだ少し頬を赤らめてはいるものの、すっきりした表情でシルフィードさんが笑顔で言った。
「そ、それにしても、もっと他にやり方があるでしょっ!?」
「そんな事を言って、ユウは信じてくれたかい?」
そう言って口を尖らせるシルフィードさん。
そう言われると……正直自信はない。ついさっきまでは僕は男の人だと信じて疑ってなかったし。
でも女の子がそんな簡単に男に裸を見せて良い訳がない! 見てしまった僕が言うのもなんだけど。
「でも、どうして男装なんてしてたの?」
ふと気になった事をシルフィードさんに尋ねた。シルフィードさんは僕だけじゃなくて普段から王子として振る舞ってるみたいだったし。
「この国の王は男性しか継げないからね。母が亡くなった時、私は男として生きる事を決めたんだ」
シルフィードさんは笑顔で答えてくれた。
それって……どうなんだろう?
部外者の僕がおいそれと何だかんだと言っていい話ではないのかもしれないけど……でも、シルフィードさんは僕に『隠し事をしたくない』って言ってくれた。
そんなシルフィードさんがみんなに隠し事をしている、って事だよね。
その生き方って……悲しい気がする。
でも、それを上手く言葉に出来なくて、何て言っていいのか分からなくて、困ってしまった。
「ああ、でももう王子としての生活の方が長いからね。こっちの方が自然なんだよ?」
僕が困っているのが顔に出てしまっていたのか、見かねたシルフィードさんがおどけたように胸を張った。
本当にそうなのかもしれないけど、でも……。
「まぁ、私の秘密はこれだけだから、もう夜も遅いし寝ようか」
と言ってシルフィードさんは僕の手を引いてベッドに誘った。
「って、ちょっと待って!? シルフィードさんは女性なんだよね!? だ、駄目だよ!?」
「何がダメなんだい?」
首を傾げるシルフィードさん。
「いいですか、シルフィードさん? 女性が男性をベッドに誘うというのは勘違いされてもおかしくないい事だよ!?」
「ユウは勘違いしちゃうのか」
「し、しないよ!?」
「なんだ、してくれないのか」
残念そうにシーツにのの字を書くシルフィードさん。
「なんでそんな残念そうなのっ!?」
「私に魅力がないのかと思ってね」
「いや、魅力的だよっ!? だから問題なんじゃないかっ!」
「じゃあユウは私を襲ったりするのかい?」
「しないよっ! 僕をなんだと思ってるのさっ!?」
「なら良いじゃないか。安全だ」
そう言って僕をベッドにひっぱり込むシルフィードさん。
「ぼ、僕だって男なんだから間違いが起こったりするかもしれないんだよ?」
あまりに無防備なシルフィードさんに仕方なく最終手段、オオカミの怖さで僕をベッドから押し出すようにし向ける。
飢えたオオカミの視線でシルフィードさんを見つめる。
「ああ、その時は覚悟を決めるさ」
笑顔で僕の眼光を受け流して、シルフィードさんは僕を抱き枕にしてそのまま目を閉じてしまった。
目の前にシルフィードさんの綺麗な顔が見える。その顔は、今はもう女の子にしか見えない。
「……えっと、シルフィードさん? せめて抱きつくのをやめて欲しいんだけど……」
返事はなく、暫くするとシルフィードさんの寝息が聞こえてくる。
その寝息に僕も今日は疲れていた事を身体が思い出し、いつの間にか睡魔に身を委ねていた。




