第136話 シルフィード語り。 その2
「殿下――シルフィード殿下、よろしいでしょうか?」
私の幸せな朝食は空気を読まない女騎士によって中断されてしまった。少し不機嫌な顔をしてしまっただろうか?
いつもであれば何の問題もないが今日の朝食は特別だったのだから仕方ない。
それは『冒険者ギルド』から極秘に届けられたサンプル。そう、ユウが作り今後『冒険者ギルド』が頒布予定だというパンだ。
『冒険者ギルド』のギルドマスターはそれを各ギルドや王家へと届けて今後の独占販売の確約を取り付けたらしい。『商人ギルド』のギルドマスターはさぞ悔しかっただろう。APまで回復するユウの料理はまさに金のなる木だ。
転職祭以降私も裏から手を回して下手に一部の商人に利用されるような事にならないよう注意はしていたし、おそらくギルド同士でも牽制しあっていたんだろうがユウ本人からの申し出という事なら止める理由もない。
と言っても悔しいのは私も同じか。『冒険者ギルド』はユウのパンを独占し、有事の際は騎士団への無料放出も約束してくれたが基本的にはいくらEを積んでも販売はしないという事だった。
つまり目の前のパンが無くなればそれで私はおかわりが出来ないのだ。
しかもこのパン。おそらくユウは冒険者が移動中、または戦闘中に食べやすいように考慮したのだろうが一つ一つが小さかった。一口二口で食べ切れてしまう。
勿論味は『転職祭』で食べた物と変わらず絶品のままで、私はしばしその幸せな時間を味わっていた訳だが。
小さいというのは無くなるのも早く、だからこそ幸せを少しでも長く味わいたい。そう思っていた矢先に呼び戻されてしまった。
これも王子として仕方ないのない事だと諦めて、私は一口お茶を飲み呼吸を整えてから女騎士――アニーに向き直った。
「ああ、構わないよ。なんだい? アニー」
「あの件について、ですが……」
言いにくそうにアニーが口を開く。
あの件――それは今王都で問題になっている1つの事件の事だ。
連続少女行方不明事件。
始まりは一月程前の事か……フィールドに出た訳でもない筈の平民の女性が居なくなった、という事だった。
その頃は流民の人口が爆発的に増え、それに応じてトラブルも増えた頃だったから衛兵としても捜査しきれなかったらしい。
だがその後も定期的に届けられる行方不明の捜索願い、『冒険者ギルド』に捜索クエストまで出されて衛兵達は本腰を入れるようになった。だが、それでも煙のように消える女性達に事件の痕跡すら見つけられないでいた。
そもそも不死の祝福を受けている流民ではない我々は死ねば光となって神の御許へと召される。もし殺されていたら捜索は難航する。
だが人を殺したらその罪を神から隠す事も又難しい。
何人もの女性をその手にかけているのだとしたら尚更だ。そんな怪しい人物が居れば露見している筈だ。
殺してないのだとしたら……そんな何人もの人間を何処かに拉致しているのだとしたら、その痕跡が見つからないのもおかしい。
つまり……
「予想通り、という事かい?」
と、私はアニーを見つめて促す。
「はい、恐らくはこの国の貴族……それもかなり高位の方が関わっている事は間違いないと思われます」
流石に貴族や力ある商人の屋敷をおいそれと捜索は出来ない。生きた人間を複数人拉致してその情報が一切出てこない場所などこの国でも限られているし、上位貴族ならそもそもある程度捜査に介入すら出来るだろう。
しかし、実際に我が国を支える貴族にそのような者が居ると聞くときついな。
「それと、シルフィード様の指示の元極秘裏に『隷属の首輪』についても『商人ギルド』の協力による報告書によると、行方の分からなくなった物がいくつかあるようです」
「どの商人の持っていた物から『紛失』したかはわかったのか?」
「それが……小さな商家だったようで、『隷属の首輪』を仕入れた直後に倒産し、店主含めて行方不明だそうです」
本来『隷属の首輪』はペットモンスターを捕らえる為の物で、今も品薄が続いているという。それを仕入れた直後に倒産するならその前にアイテムは処分出来る筈だ。
今ならそれこそ買値でも売れるだろう。
そんなアイテムを一定数確保出来た事、その直後に姿を消している事、不自然すぎる。
「ではそっちも間違いない、か」
「はい。『商人ギルド』ギルドマスターのベルク様の推察の通り……少女達が拉致されたのであれば、その首には『隷属の首輪』が付いている可能性が高い、と。その方が管理しやすいだろうと」
まったく幸せな朝食が一転、これほど不幸な朝食になるとは。
世の中の幸福と不幸の天秤は交互に動くらしいが、もうすこしゆったり動いて欲しいものだ。
我が国の貴族が犯罪に手を染め、ましては人間を拉致して奴隷にしているなど、許される事じゃない。
「それで、ベルクは何と? それだけじゃないんだろう」
「はい、あの、その……」
そこでアニーは何やら口ごもる。
こういう時はほぼ間違いない。私に危険がある話が含まれているのだろう。
「アニー、報告は正確に。決めるのは私の仕事だ」
「…………はい。ベルク様の情報はあと2点、1つは拉致された女性の周りで派手な女性が見かけられたという目撃情報」
「もう1つは?」
「その……本日、深夜某所で『商人ギルド』の認知していない裏オークションが開かれるらしい、との事です」
「裏オークション?」
派手な女性、この人物が拉致に関わっている可能性は高い。だが、むしろ後の情報の方が重要だろう。
わざわざベルクが私に知らせた裏オークション。それはつまり……そういう事なのだろう。
これはベルクへの借りなのか、貸しなのか、微妙な所だが。
「アニー、ベルクに連絡を取れ。その裏オークションの可能な限りの詳細な情報と、それに私が参加出来るかを聞いてくれ」
私の指示にアニーの返事は大きなため息だった。
深夜、王都内のとある廃屋。そこが待ち合わせ場所だ。辺りに人影もなく、ひっそり静まりかえっている。
私とアニーは闇に紛れるように真っ黒なマントに帽子、そして仮面を被って『使者』を待っていた。
目撃者が居たら私達の方が不審者だろう。
結局裏オークションの参加自体は『商業ギルド』ギルドマスターの力で問題なく参加証を入手する事が出来た。
が、昼間の間に問題も1つ起こっていた。
巡回を強化している衛兵に『怪しい派手な女性』は放置するように。と言っておいたら、勘違いしたのか更に巡回を強化し、幸運なのか不運なのかそうした女性を発見したらしい。
流民とのトラブルもあり逃げられてしまったそうだが……もし捕まえていた場合、そしてその女性が拉致関係者だった場合はトカゲの尻尾切りとなっていた可能性が高い。
それでは今誘拐されている少女達は救えない。
今日の午前中に偶然再会したユウ。何故か再会当初少し怯えていたが、それでも1人で街中を楽しそうに闊歩していた。王都はそういう場所でなければならない。
何者かに誘拐される危険に怯える街であって良い訳がないのだ。
だからこそ、根元から事件を根絶しなければならない。
同じ女性としてこんな事件を許す訳にはいかない。
「来たようです」
決意を新たにしていると、アニーが囁くように私に告げた。
廃屋の前に黒塗りの馬車が止まり、仮面を付けた小男が入ってくる。
「お待たせしました。私、今回のオークションの案内人でございます。早速ですが『紹介状』をお見せ頂けますでしょうか」
慇懃に頭を下げる小男にベルクから預かった『紹介状』を手渡す。
すぐに小男は何やら確認し、大きく頷いた。
「本日は初参加ありがとうございます。私共のオークションでは身分を忘れてオークションを楽しんでいただく為に、お名前はお聞きいたしません。今この時より『13番』様、とお呼び致します事をお許しください」
「構わない。こちらは私の護衛だ」
そう言ってアニーの同行を示唆する。
「はい、了承致しました。ただしオークションに参加出来ますのは13番様のみでございますので、お気を付けくださいませ」
「わかった」
「では時間も遅いですしオークション会場へと出発致しましょう」
そう言って馬車に乗せられ、すぐに走り出す。
窓もない車内は外を伺い知る事は出来ない。
馬車程度の速度なら『影』達は問題なくついて来れているだろうが、それでも敵陣に踏み込むのは勇気が要るものだ。
ちらりと横を見ると仮面越しでもアニーが緊張しているのがわかる。
……自分以外に自分以上に緊張している人間が居ると、少しはリラックス出来るというのも本当らしい。
そう思っていると割合すぐに馬車は止まった。
どの方向に走ったかはわからないが、やはり王都内で間違いないようだ。
馬車毎屋内に入ったのか、外を伺い知る事も出来ぬまま、私達は地下へと案内された。
そこは予想以上に狭い場所だった。テーブルが13個とそれぞれに椅子が数脚づつ。
1つのテーブルだけが空いていた。
どうやら私達が最後の客だったようだ。
「思ったより少ないんだな」
椅子に座りながら見たままの感想を述べる。
「はい、本日は少しトラブルがあり、いつもより参加者の方も少なくなっております。あぁ、商品の方は問題ありませんのでご安心ください」
私の呟きに飲み物を運んできた小男がすぐに答える。
トラブル……とは、昼間の衛兵の事だろうか?
「トラブル? 会場や警備は大丈夫なのか?」
「勿論問題ありません。その為に我等の主も今回は会場ではなく、トラブル対処に回っておりますゆえ。皆様の安全は万全を期しております。それでは、存分にお楽しみくださいませ」
そう言って去っていく小男。
聞きたくない情報を聞いてしまった。
今日はどうやら主犯が居ないらしい。それにいつもより警備を厳しくしている可能性も示唆していた。
『影』と私達だけで制圧する事も出来なくはないだろうが、リスクが高く、それでいて主犯を逃がす可能性も十分にある。
今日は繋ぎをつけるだけに留めて確実な『次』を待つか……?
ちらりとアニーを見る。と彼女は私の意図をくみ取ったのか小さく頷いた。
だが、それでいいのかと私は自問し続けた。
程なくしてオークションは始まり司会の進行の元、幾つかの名品、珍品から始まり盗品らしき物も競りにかけられていく。
そして、その時はやってきた。
「さーて、そろそろ皆様お待ちかねの『ペットモンスター』の登場ですっ!」
司会がそう叫んだ瞬間、明らかに会場の熱気が一段階跳ね上がった。
そうして舞台袖から連れてこられる一人の少女。
「一人目の奴隷は『エレス』、人族の18歳! この愛らしさで料理も得意との事ですっ! 50万Eから開始でっ!」
「55万E!」
「60万Eっ!」
司会のかけ声で即座に競りが始まる。今までの品とは桁違いの速度だ。
だが私はそんな事より自分を抑えるのに必死だった。
何が『ペットモンスター』だ。同じ人間ではないか、なのに、その首にはしっかりと『隷属の首輪』が見て取れる。
その瞳は絶望に染まっていた。
なのに私は救えないのか? 救わないのか?
自分の身体が怒りに震える。今は我慢の時だと頭ではわかっている。目の前の女性達を救えば、その前に連れ去られた女性達が救えなくなる。主犯を逃せば地下に潜り又別の事件を起こす可能性も高い。
爪が食い込む程に拳を握りしめ耐えていると次々に女性達はステージに現れ、そして競り落とされていく。
出来る事なら今この場でこの者達全てを斬り殺してしまいたい。その欲求を無理矢理に抑えて耐える。
だが、私の心は一瞬にして真っ白になってしまった。
「さぁ! 本日ラストの奴隷でございますっ! 名前は『ユウ』! 16歳の人族でございます! ご覧の通りのこの美貌でなんと更に神聖魔法も使えるとの事です!」
司会がそう叫び、連れてこられたのはユウだった。
いつもの純白のローブを着てステージの上に立っている。その首の『隷従の首輪』が異彩を放っていた。
反射的に動き出した私の腕をアニーが掴んで止めてくれていなければ、私は『影』に号令をかけていたかもしれない。
「回復剤として連れるもよし! 性奴隷にするもよし! 本日ラストのオークション! 皆様存分にお楽しみ下さいっ! では裁定落札価格500万Eからでっ!」
「500万Eっ!」
「650万!」
「800万Eだっ!!」
「1600万!」
「2000万!」
アニーに押さえられている間にどんどん値段がつり上がっていく。
このままではユウは誰かに買われてしまう。そうしたらどうなるかなんてわかりきっている。
それにユウは流民だ。何があっても死ぬ事はない筈だ。
それでも……私はユウも見捨てるのか? 全員を救う為と言い訳して、大事な人を切り捨てるのか?
それでいいのか? いいのか?
「に、2番様、2億E入りました! 他にいらっしゃいませんでしょうかっ!? いらっしゃらないようでしたら……」
思考がまとまらないままに競りは進行し、司会が周りを見渡していた。
このままあの2番の男に、ユウが、私の、そんな。
だからぐちゃぐちゃの思考のまま、私はアニーの手を振り切って叫んでいた。
「5億だ」
会場全体がどよめく。アニーも、そしてユウも呆然と私を見ている。
自分でもやってしまった気がするが、言ってしまったものは仕方ない。
「聞こえなかったか? 5億Eと言ったんだ」
「は、はいっ! 13番様っ! ごごごご、5億E入りましたっ! ほ、他にいらっしゃらないでしょうか?」
改めてそう言うと、司会が最初に我に返ったように確認を取る。
さすがにこれ以上競ってくる人間は居なかった。
こうして私は5億Eでユウを買う事となった。




