第109話 白金の匙。
「あら、ユウちゃん?」
とりあえず『生産者ギルド』でシドさんにパンの原材料……強力粉や牛乳、砂糖やバターの支払いと配送をお願いしていると、突然聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。
振り返ると驚いた顔のララさんが紙袋から溢れんばかりのドラ焼きを持って立っていた。
ドラ焼き?
「あ、ララさん、こんにちわ。さっきはメッセージの返信ありがとうございます」
ちょっと疑問は残ったがとりあえず挨拶をしてお礼を言う。
「いいのよ、むしろいっぱいメッセージくれた方が貰う側は嬉しかったりするから、これからもじゃんじゃん送ってね」
そう言って微笑むララさん。本当に良い人だ。
「えっと、ララさんはどうして『生産者ギルド』に?」
「そりゃ私は『生産系』のクランのリーダーだもん。材料の発注とか機材の購入とか細かい折衝とか、色々しなきゃいけない事があるのよ~」
ちょっと胸を張りながらも、ララさんはよよよと泣く振りをしていた。
「何言ってやがる、ホームじゃメンバーにつまみ食いされるからってわざわざ『生産者ギルド』の工房まで来てドラ焼き作ってた暇人が」
シドさんがにやにやとララさんが大事に抱きかかえている紙袋を指さす。
「私にとってどら焼きはエネルギー源だから良いんですよーだ」
頬を膨らませて、紙袋からドラ焼きを1個取り出し、ぺろりと食べてララさんが言った。
え? 1個? 直径10cmちょっとはあったよね?
一瞬で食べたように見えたけど……あれ?
どうやって食べたのかわからず不思議そうに見ていると、僕の視線に気付いたのかララさんが僕の方に向き直った。
「あ、ユウちゃん……あとそちらの女の子はユウちゃんのお友達かな? も食べる?」
と僕とタニアちゃんにドラ焼きを1個づつ手渡してくれる。
「ありがとうございますっ! えっと、私、タニアです」
「あら、良い子ね。私はララ、よろしくね、タニアちゃん」
ララさんが笑顔で応えて、タニアちゃんも同じ位の笑顔でドラ焼きを受け取る。
「えっと……良いんですか?」
ドラ焼きにかぶりつくタニアちゃんの横で僕も手渡されてしまったけど、本当に良いのか尋ねる。
だってさっき「他のメンバーに取られたくない」とか「エネルギー源」とか言ってたし……。
「いいのいいの。まだまだアイテムウィンドウにいっぱいあるから」
「アイテムウィンドウにあるのに、紙袋も持ってるの??」
「え? だってこれ位すぐ無くなっちゃうでしょ?」
そう言ってもう1個を飲むようにぺろりと消滅させるララさん。
……ドラ焼きって飲み物だっけ……?
「えっと……じゃあ、その……ありがとうございます」
勿論僕は一口で食べられる訳もなく、でも男として出来るだけ大きく口をあけてかぶりつく。
「ふぁ……美味しい」
本当に美味しいドラ焼きだ。
ふんわりした生地はしっとり柔らかで、ほんのり蜂蜜の甘さがあって、中のあんこも甘過ぎなくて、でもずっしりしてて、1個で物凄く満足感のある五つ星のドラ焼きだっ!
「美味しいね、ユウさんっ」
「うんっ! 本当にすごく美味しいっ!」
タニアちゃんも僕もすぐに食べきってしまった。
「ふふ、お口にあったようで良かった」
嬉しそうに微笑むララさん。やっぱり本職の『料理人』ってすごい。
「それで……あのメッセージの後、ユウちゃんがここに来てるって事は、ユウちゃんも『生産者ギルド』に入ったの?」
「あ、うん。えっと、昨日話してた『冒険者ギルド』に僕の料理を卸す件で、販売用の料理を作るなら『生産者ギルド』に入ってた方が良いって事になって」
ほ、本職のすごい技を見せて貰った後に、素人がこういう話をするのって凄く辛い……けど、隠す方がもっとアレだし、なんだかちょっと言いづらい……。
「ああ! 『悠久』の人が言ってたわね。それであのメッセージだったんだぁ……じゃあ、何を作るのかも決めたの?」
納得したように手を叩き、タニアちゃんに2個目のドラ焼きを、ララさん自身は何個目かのドラ焼きを
食べながら僕に尋ねて来る。
「えっと……パンを作ろうと思います」
「パンにするんだ、良いと思う。 あ、私のメッセージも少しは参考になったのかな?」
そういえばララさんは乾パンとかが良いって教えてくれたっけ。
「はいっ、いっぱい参考にさせて貰いましたっ!」
そう言って改めて僕は頭を下げた。
「一応『生産系』、それも食品系のクランだからね~。わからない事があればなんでも聞いてくれて良いのよ~。でもパンかぁ……じゃあパン用の業務用オーブンとかホームに作るの?」
「え?」
何気なく言うララさんに、僕は首を傾げる。
普段からホームのオーブンでパンを焼いてるけど……それじゃダメなのかな?
「あ、そっか。えっとね……」
僕の表情で何かを察したのか、食べ終わって空になった紙袋を丸めて近くにあったゴミ箱に入れ、コホンと咳払いをしてから、ララさんは説明を始めた。
「通常のオーブンでも勿論問題なく作れるけど、そのオーブンって多分クランの料理を作ってるでしょ? だから沢山のパンを焼いてオーブンを占拠しちゃうと他の料理が作れなくなるし、それに家庭用オーブンだと一度に焼けるパンの数も限られちゃうからちょっと大変じゃないかなって」
「あ、そっか」
確かに『転職祭』の時も沢山のパンを焼くのに宿屋の女将さんにお願いして厨房を借りてたんだった。
今回は本格的に食品を卸すんだから毎日のように厨房を借りる訳にはいかないし、毎日『生産者ギルド』の工房を借りるのも大変そうだ。
「えっと、クランリーダーに聞いてみますねっ!」
慌ててメッセージウィンドウを開き、サラサラさんにメッセージを送った。
ついさっきのアンケートで返事があったからログインしてる筈だけど……と、思っているとすぐに返事が来た。
『設置は大丈夫よ~。でも、ヴァイスちゃん達の厩舎を造るのにクラン資金を使っちゃったから、もう少し待って貰えると助かるかも~』
サラサラさんの文面を読んで慌ててもう一度メッセージを送った。
『すみませんっ! 施工費はちゃんと自分で出すから大丈夫です。許可してくれてありがとうございます。がんばります』
送信ボタンを押して一息つく。
危なく自分の事でクラン資金を使わせるような事をしてしまう所だった。
「なんだか慌ててたみたいだけど……ダメだったの?」
一息ついて周りを見るとララさんもタニアちゃんも心配そうに僕を見ていた。
「あ、だ、大丈夫! ちゃんと許可貰えたよっ! えっと、業務用オーブンってどこで買って設置して貰えば良いんだろ?」
僕の答えを聞いてララさんもタニアちゃんも安心してくれたようで笑顔が戻ってくれた。
「それなら此処でお願いできるわよ、ね? ギルドマスター?」
ちらりとシドさんを見るララさんに、シドさんは大きく頷く。
「勿論だ。言ってみりゃ『工房』の設営の1つだからな、『生産者ギルド』で請け負うぜ? どんなのが良い? 最高級最高火力なヤツとか行くかっ!?」
「ありがとうございます。あ、いや、その、普通ので、多分業務用としては小さいやつで……あ、そだ、えっと……」
ホームのキッチンを思い浮かべて必要なサイズを説明しながら、大事な事を聞いてない事を思い出した。
「ん? なんだ? 何か他に条件があるのか?」
「あ、えっと……その、それくらいのサイズだと……幾ら位になるんでしょう?」
自分のお金で造るってサラサラさんに言ってしまったし、あんまり高いと当然買えない。
僕の今の所持金はさっきパンの材料費で減ってしまって残りおよそ65万E……これで足りると良いんだけど……。
「そりゃ一番安いヤツで150万Eって所だな」
「ぜ、ぜんぜんたりない……」
崩れ落ちる僕……65万Eあれば何でも買えると思っていたのに……業務用ってすごく高いんだ……。
「おじさん、少しやすくできないの?」
「そうよー? ユウちゃんは上客になるわよー? ここは先行投資じゃないのー?」
タニアちゃんの純真な瞳と、ララさんの商人の瞳に見つめられてシドさんが目に見えてたじろいだ。
「勘弁してくれ。ギルドのルールだからこればっかりはどうしようもねぇよ。1人だけ特別扱いはギルドマスターとして出来ねぇ。制作環境がなきゃギルドの工房を借りりゃ良いだけの話だしな」
そっか……そうだよね。うん、シドさんの言う事が正しい。
お金は貯めて、貯まったらその時業務用オーブン買えば良いんだし。
「シドさん、無理言ってごめんなさい」
僕は床に座り込んだまま、シドさんに頭をさげた。
「うっ……」
「ほらほら、建前は別にして、安くする抜け道くらいあるんでしょ? ギルドマスターなんだし、これまでそういう事がなかったとは言わせないわよ~」
何故か呻き声を上げたシドさんにララさんが詰め寄る。
「……まぁ、オーブンの材料自体を持ってくれば、格安で出来なくはねぇよ」
「え?」
シドさんの言葉に顔を上げると、何故かシドさんはそっぽを向いていた。
「さすがギルドマスター!」
「おじさんっ! ありがとうっ!」
ララさんとタニアちゃんが嬉しそうにシドさんを褒めそやす。
そんな2人に乗るでもなく、シドさんは僕を見据える。
「つっても、結構大変だぜ? オーブンに使うのは火の属性を持った魔石、『炎魔石』だ。それも業務用だと結構な大きさが必要になる。業務用オーブンの値段の大半はソレだ。ソレを持って来れば、格安で俺が造ってやるが……危険だしオススメできねぇなぁ……」
シドさんの言葉にララさんとタニアちゃんも言葉を無くし、心配そうに僕を見つめる。
そして三人の視線を一身に受け、僕はシドさんの言葉をしっかり考えて思った事を口にした。
「えっと……『炎魔石』って何?」




