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白菊横丁  作者: 黒檀
8/20

七、 谷相高校 二

<……谷相高校には学園七不思議が存在する。その一つが「第二宿直室の幽霊」だ。この話は全く根も葉もない噂ではなくて、うっすらと背景がある。今回は、開かずの第二宿直室について語り部が知る二、三の事柄をお話しよう。人外のものが闊歩するお話が嫌いなひとは、回避した方が賢明だ。秩序や理論、整合性を重んじる方も右に同じ。時は昭和●×年にさかのぼる。この悲劇のヒロインは、可憐な乙女であった。……>


 ◇


 綴じ紐で結われた汚れが目立つレポート用紙を、静かにめくっていく。古い紙は黄ばみ、文字は消えかかっている。鉛筆で走り書きされた文章は、時を超えて小島渚に読まれている。若干崩れた落書き風の文字にしては、物語が出来上がっている。

 彼女の手元のそのメモをのぞきこんでいた尾上松子は、強張った嘆息をもらす。

「怖い話は苦手なのよね、」

 雨降りの中、なにゆえ屋外で怪談を読まねばならんのだという不満もそこには含まれている。朝から止むことのない雨は容赦なく紙面を濡らしていくが、誰もその点に気を払うものはいなかった。そこにいるのは、渚と松子と、二つ上の女生徒しかいなかった。彼女らを見下ろす濡れた緑の葉は、生物らしく潤いに満ちている。中庭の紅葉の木だ。一旦葉に溜まった雨粒はビニール傘に落ち、パツリとわびしい音をたてる。

 一方、真剣な面持ちの小島渚は、松子が音をあげた地点のその先まで読み進める。

「どう、あの部屋のこと少しは分かった」

 二人に問うのは、映画部部長の大和田真樹といった。二人を呼び出した張本人でもある。学校非公認の部活動である映画部に部室がないとはいえ、雨天なのに屋外に呼び出すとは考えものだ。

 そんな文句を飲み込ませるような気の強さを、この上級生は明らかに有していた。男子生徒のようにも見えなくもない真っ黒のベリー・ショートだが、それは逆に、女性性を強調すること気づかされる。小顔ではっきりとした目鼻立ちの彼女にはよく似合いだ。

 渚は文字の列を指でなぞり、うなずいた。

「少女は第二宿直室に監禁され、殺害された。彼女の遺体はいまだ、見つかっていない。恨みは消えず、あの廊下に化けて出る。まとめると、こうですね」

 だから何だ? と続けたい戸惑いはおそらく見抜かれているだろう。それを承知のはずの大和田は、じらすように大きくうなずき、その通りだと笑う。

 この“怖い話”は、大和田が製作する映画に用いられる原作だという。原作とよべるほど確かなものではなく、たんなる覚書と言ったほうが近かった。どのような経路を経たのかは知るよしもないが、何年か前の「谷相高校七不思議」のメモを見つけたのだと彼女は伝えた。それが渚と松子にどのような関係があるのか、それまた知るよしもなかった。あやふやな用件でも後輩を呼びつけることができるのは、上級生の特権だ。

「これを映画化するって、まずくないですか。ほんとうにあった事件なんじゃないですか」

「事件、ねえ」

 彼女はおかしそうに口の端をあげる。そこには純粋な好奇心しかないようだ。

「この怪談だけどね、二つの話がごっちゃになった創作だよ。一つは北側廊下に現れるセーラー服の女の霊のウワサ。もう一方は、男子生徒失踪事件。それを、使用されない第二宿直室を舞台に混ぜちゃったってだけ」

「男子生徒? じゃあ、共学化してからの話ですね。最近じゃないですか、」

「ただ単に退学しただけだったかもしれない。その時代、ヤンキー全盛期時代だったもの。そっちの世界に踏み出した人間がいてもおかしくない。所詮ウワサなんだから」

 松子は身震いして、寒さをほぐすかのように二の腕をさすった。

「どっちにしろ幽霊とか失踪とか。できれば、そういう話に関わりたくなかった」

 大和田は松子の怯えきった返答をまったく聞かずに、意気揚々と彼女の肩に手をかける。

「で。本題なんだけど。私からあなたたち洋裁愛好会へ、お願いがあるの。映画撮影のためにセーラー服と第二宿直室を用意してもらいたいってこと」

 はあ、と松子と渚は呆けた返事をする。

「三船先生に聞いたら、第二宿直室の件はあなたたちが管理してるらしいじゃない。セーラー服の保管場所もそこらしい。だから、協力してくれる?」

 ご自分で行かれては? とは、とても言い出せそうにない。

「セーラー服なんかがウチの学校にあるんですか」

 渚は松子が着ている白のブレザーを横目に見て首をかしげた。衣替えの時期は、長袖半袖、ブレザーやセーター、夏服冬服が混在する。梅雨の時期は、依然上着を羽織る者も多かった。それでもセーラー服を着ている生徒は見たことがない。

「知らなかったの? この学校、女子校時代の制服はセーラーだったのよ」

 だから、ウワサの幽霊は昭和時代の人かもね。と彼女は楽しそうに笑った。慎みがない人だ。どうあっても、大和田と一緒に笑うことはできそうになかった。





 大和田の申し出のために、ひとまずセーラー服を調達することにした。掃除はそのあとだ。

 勢いのない雨は午後五時をまわってもやむ気配がない。まだ明るい灰色の空から絶えることなく落ちてくる水は、雨粒というよりかは霧のように正体なさげだ。

 そのせいだろうか。

 渚と松子が歩く北校舎一回の廊下は薄暗く、湿り気とともに寒さが沈殿している。完全な夏になるには、まだ時間がかかることを物語っている。気楽に歩を進める渚の後ろで松子はふと足を止めた。

「このへんはあまり来ないから気にしてなかったけど、暗いし寒いし、なんだか不気味ね」

「そう? 気にしすぎでしょ」

 さりげなさそうな声色で答えひらひらと右手を振るが、それは平常心を装ってか。それとも、本心から気にしていないのか。

 松子は肩をすくめた。いわくつきの部屋の戸をこつんと手の甲で打つ。

「渚、どこまでいくのよ。第二宿直室はここでしょ」

「……そうだっけ?」

 落ち着いたふりをしているのであって、渚の内面はひどく動揺していると知れる。厭なものを見るようにしかめっ面をして振り返った。彼女の手の中で跳ねる第二宿直室の鍵には、その部屋のものだと示す特徴が何一つ無い。ちゃちな銀色のリングに通されているだけだ。

「ったく、三船のオッサンってばいい加減だなあ。ぜんぶ私たちに任せるってさあ。……あの人、あれでも毎年進路指導係だったんだって」

「難しいところを受験するような人はウチなんかに来ないわよ」

「でも、なんで今年に限って一年の学年主任なのかなあ。……運が悪いよ」

「気にすることないわよ。普段は学年主任なんて関係ないもの」

 そう言い終わると同時に、鍵は違和無く受け入れられた。

「でも、これだけは言いたいわ。やる気に満ちあふれてる私たちにこんなところを押し付けるくらいなら、『春画を愛でる会』にすり替わってる『浮世絵愛好会』の部室を寄越しなさい、って」

 渚は、アハハと乾いた苦笑をこぼしてその話題を打ち切った。松子もわかっているはずだ。洋裁愛好会は、他の倶楽部を押しのけられるほど真っ白な成立事情ではない。実のところ正しくやる気に満ちているのは渚と松子だけで、あとの四名は適当に名を貸してくれただけなのだ。槍玉にあがった「浮世絵愛好会」は、今や現代の春画、つつみ隠さずに言うなればポルノグラフを愛でるしか脳がないが、部員全員が一丸となって参加している活況を思えば対抗は難しかった。その前に、成立させてもらったことは言うまでもなく、部室をあたえられた点に至っては、素直にありがたいと思わなければならないに違いなかった。

 ドアノブに手をかけた松子は、あら、と動きを止め髪を耳にかける。

「ノブが回らないのだけど」

 渚がかわってノブを回したが、はたして動かなかった。とたんに、一気に馬鹿馬鹿しい気分がおこってくる。

「まさか開かずの第二宿直室の真相って、これなの。壊れて開きませんよってこと? くだらないなあ。ビビッて損した」

「あ。やっぱりビビッてたのね」

 む。とお互いに顔を見合わせたが、それは朗らかな表情だった。

 穴には問題は無いようであった。古いドアはちょっとした工夫をしなければ開かないことも多い。押し開くように力を入れると、ギッと、砂と金属がすれるような音が響き、戸はわずかにずれこんだ。その隙間から、淀んだ空気がしみ出てくる。うめきそうになるのを、我慢する。

「開いたよ。でも、厭に固いドアだなあ。松子、『せーの』で一緒に押して」 

 二人が肩をぶつけるように戸に当たると、拍子抜けするほどあっさりと戸は動いた。勢いあまった二人は折り重なるようにして床へと倒れることになった。深く積もった埃が暗い室内でもうもうと煙をあげる。

「ひどい埃。きたない部屋……」

 松子は咳き込みながら目をこすり、下敷きにした渚の体から退く。物置と化していると言われるわりには、荷物は少なく、部屋は広く感じられた。段ボール箱が数箱あるだけだ。

 ドアの開閉部分は廊下と同じ素材だが、そこから数センチ高いところから畳が敷かれている。天井には蛍光灯が一式。北側の窓に面して一畳ほどのフローリングと小さな流し台。東側の壁に沿うように、天井からカーテンがぶら下がる。窓ではなくて、壁を隠すように。

「何、この匂い、」

 すえたにおいが漂い、空気のよどみが感じられる。幾年も閉じ込められ腐った空気と、日差しすら入りこまなかったであろう暗闇の哀しみ。鼠の糞の鼻をつくにおい、虫の死骸、そして恐らく、長い・長い時間、この空間に鎮座していた何ものかの重たい気配。

 松子は蛍光灯のスイッチを幾度か動かしたが、光は点らなかった。寿命がきて、そのまま放置されていたのだろう。彼女が歩くそのたびに、床はもうもうとけむをはきだした。

「早く起きなさいよ、渚。とんでもなく汚いわよ、ここの床」

 わかってるよ。

 そう答えたかったのだが、声は出なかった。代わりに、喉の奥で音が鳴った。

 ――黄ばんだカーテンの奥。異質な存在感。

 数千の虫が体を這いあがってくるような寒気に襲われる。

「――ここかな、」

 松子はずかずかと踏み込みカーテンを開け放った。あっと叫ぶ間も、静止する間もなかった。当然だが、何者もそこにはいない。カーテンの奥は押入れを改造したクーロゼットだった。銀色のポールにぶらさがるのは、かつての谷相高校の制服だ。時代に取り残された亡霊のように、水兵服がずらり何着も並んでいる。不謹慎だとは分かっているが、それは、限りなく不吉な景色の暗喩に思えて仕様なかった。

「あった。セーラー服って、これのことね」

 松子は任務を全うし、満足そうに微笑んだが、渚は笑うことも声を出すことも、警告を発することもできなかった。――警告、何を? 何かだ。このカーテンを開けた瞬間、酷く恐ろしい責任を負ってしまったような気がしたのだ。何かおぞましいものを開放してしまったかのような、責任が。


 廊下に戻っても、妙な気分は消えない。それどころか、ますます不安の気配は大きくなっていく。松子は何も感じないのだろうか。セーラー服を抱えて気軽に先を進む松子に、足が追いつかない。とうとう、彼女は立ち止まる。親友は気づかない、ふり返らない。角を曲がる。渚の視界から消える。北の廊下に残るのは、さあさあと疎ましい水の音だけとなる。

 第二宿直室の並ぶこの廊下は、校内でも温度の変化が少ない場所であり常に涼しく暗い。ゆえに、理科室やコンピューター・ルームなど、温度の変化を嫌うものが連なっている。「エ」の字型のつくりのせいか、向き合った校舎が遮光し陽の光が届かない。西日以外は。そう考え、異常なほどの暗さに今頃気がついた。霧雨を降らす雲がそれを手伝う。

 雨の音を長く聞いていると、ささやき声に似た形をもちはじめる。ひそひそ、さわさわと、自分の背後で大勢の声がする。誰もいないはずの廊下で、大勢の瞳にさらされている。

  ――ぺた、

 背後で小さな音がして、人の気配を感じた。振り返っても廊下の奥は暗く、ほんとうに音がしたかどうかが疑わしくなった。見据えてた視界に、白いものが現れた。

「……セーラー服?」

 正しく焦点を絞り始めたとき、カチリと音がして廊下の電気が灯る。天井に目を向けると、ぱた・ぱたた、と気だるげな瞬きを繰り返す蛍光灯がある。しばらく不安定に揺れたあと、じい、と確かに光を宿した。億劫そうな灯り方だ。それでも、蛍光灯の清潔で強い白は彼女に安心を与えた。

 光が暴いた廊下の奥にいたのは、セーラー服の幽霊などではなかった。男子学生だった。白いブレザーが白い水兵服を思い起こさせて恐れを呼んだらしい。とはいえ、その登場は十分に亡霊じみてはいたが。

 踵を返した彼女の背に、(意外にも)彼から声が飛ぶ。

「暗くなったら、明かりをつけないと」 

「すみません。私一人だと思ったから、」

 とっさに謝ったものの、彼が例の同級生であることに気づいて口が止まった。左手には閉じた番傘。美しい白茶の髪。その男、大河内録助は狼狽をあらわにして首を横に振った。

「ここには、あなた一人じゃあ、ありませんよ」


 ――もちろん、僕とあなただけでもない。


「厄介なものを、出してしまいましたね」



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