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白菊横丁  作者: 黒檀
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六、 谷相高校 一

 



 小島渚の通う高校は谷相高校、通称「丘向こう」だ。通称だけを聞けば、それと高校とを結びつけて考える人間は少ないだろう。この呼び名を使うのは、周囲の町に住む人間たちだ。特に、白菊町の者。白菊神社を頂点とし、扇状に広がった界隈が白菊町。町の頂点、白菊神社を擁する丘の向こう側にあるから、人々はその学校を「丘向こう」と呼ぶ。

 丘の向こうは雨谷(あまや)町と言った。

 今では誰も口にしないが、「『雨』の字がつく土地は、忌みがある」。あたりの土地の老人はかつて囁いたものだった。その忌みに根拠などない。ただ、雨は高いところから低いところへ流れるがゆえに、谷底ともいえる雨谷町は潤った。天然水が有名で、焼酎の名産地でもある。それをひがんでの流言だろう。とうに噂としての旨味も消えてしまった。なんやかんやと外野が喚こうとも、雨谷町は何の変哲も無い町だ。

 話を谷相高校に戻そう。

 これは戦後成立した高校で、もともとは女子高校であった。良妻賢母を世に出すことを第一とし、家政科に力を入れていた学校だ。いまだに、普通科と家政科は七対三の割合で存在し、男女比率は二対八で圧倒的に女子が多い。

 創立当初の制服は非常に地味で、戦中をほうふつとさせた。その反動だろうか、制服デザイン変更の際には稀代のデザイナーを起用し、よく言えば爽やか・虎蔵に言わせれば暑苦しい、そんなデザインとなったのである。

 濃紺の縁取りが鮮やかな白の上衣に、同じく濃紺のボトム。女子のスラックス着用もいち早く認められた。豪奢なエンブレムは英国風であり、ネクタイやリボンのストライプも当然ながら精密に織り込んだもの。ネクタイ・リボンの選択は個人の自由である。作りこまれすぎて着崩しようがないのだが、その代わりに、組み合わせの自由さが売りだった。山間にありながら、白と青という海辺を思わせる配色は人々をぎょっとさせた。デザイナーいわく、「雨谷町の雨、あるいは潤いをイメージした」とのことだが。その制服は女子中学生たちに人気があった。憧れの制服――それを着たいがために受験する生徒も少なくないそうだ。

 小島渚は、そんな学校の高校一年生だった。

 彼女もまた、その制服が着たいがために勉強を重ねて合格を勝ち取った一人だ。おおよそ高校受験において、雰囲気や進学率・就職率などが選択理由として語られるが、女子に限っては、制服の可愛さが重要視されていることは言うまでもない。

 彼女は雨谷町の生まれではない。雨谷町からはそれなりに離れた学区を出身とする。(谷相高校は私立高校なので、学区制度とは関係がないが。)今は、雨谷町に住む祖母の家から高校に通っている。彼女の祖母は旧式の日本家屋に住んでおり、一人で住むには大きすぎた。孫娘が同居人になって、ひどく喜んでいることだろう。

 小島渚は毎朝六時には起きる。祖母はそれよりも早い五時には起きる。祖母は神棚への仕事を朝一番にする。次いで朝食の準備で立ち回り、その間、小島渚は屋敷全体をホウキで掃く朝の掃除をする。全てが整えばそろって朝食の席につく。彼女の登校時間は、だいたい八時だ。規則正しい生活なので、高校が始まってこの数ヶ月、彼女は一度も遅刻をしていない。

 祖母の家からは自転車で登校することも可能だが、彼女は歩くことを好んでいる。来たばかりの雨谷町に自分をなじませる意味もこめて、景色を楽しみながら登校するのだ。

 

 彼女が歩く理由が、つい先日ひとつ増えた。

 それは、隣町、白菊町から走ってくる路線バスと鉢合わせるためであった。そのバスは、毎朝彼女の気になる人物を乗せてくる。バスから降りて歩く彼の姿をとらえ、じいと観察するのが日課となった。「谷相高校前」というバス停から学校の門までのたった数百メートルだが、彼女にとっては好奇心が最大に高まる道のりだ。自転車であったら、一瞬で通り過ぎてしまう距離だったろう。彼女はその数百メートルのために、毎朝せっせと歩く。

 彼女はその男子生徒と言葉を交わすことなど期待してはいなかった。なにしろ、ただ気になるだけなのだ。陳腐な言い方をすれば、「マイ・ブーム」か。どうして気になるか、それは彼がひとえに不思議な人間だからだろう。

 彼はいつでも本を読んでいた。登校中、歩きながらも読んでいた。おそらくバスの中でも読んでいる。何の本を読んでいるのか確認するのも彼女の楽しみの一つだ。今まで確認したところでは、内田百閒ときどき幸田露伴。さてはて、この観察を長期戦にするならば、もっとワケがわからないことになりそうであった。

 また、厳然とした決まりごとのように、彼はいつでも一人であった。友達ができるようすがいっこうにない。彼のそばには、男だろうと女だろうと誰一人としていなかった。そのくせ、少しも淋しそうにはみえなかった。人一倍明るい白茶の髪は人目を引き、柴犬のような目元は(彼女に言わせれば)凛々しく・麗しく、白い肌は彼を可憐に見せた。彼女にとって彼は、怪異であるとともに神聖にもなっていた。

 雨の降る日は特に好きだった。この国の人間である以上、雨が降ればさすがに傘はさす。傘で手がふさがれば本を読むどころではない。本を読まないから、彼の目線はまっすぐだ。時々、顔の脇の髪を耳にかける。その仕草を目にするたび、髪を切れば良いのにという微妙な感想と、涼やかだなあとの感動をもつ。

 雨といえば、傘。

 彼のおかしさは、時代錯誤な和傘をさすことにある。それを目にした多くの学生ははじめ、懐古趣味なのかそれとも時の旅人なのか判然としない奇妙な転入生をものめずらしそうに観察した。小島渚の場合、「はじめ」といわず「いまだに」だ。

 教室のベランダで番傘を乾かすので、彼の所属クラスはすぐに知れた。彼女の教室の向かいがわだった。

 しつこい五月雨が降る今日。ベランダにつるされた彼の番傘は、乾くことなく細い雨に濡らされていた。



「渚、」

 窓の外を眺めてぼっとしていた彼女は、親友の一声で現実に戻ってくる。親友の尾上松子が向かいの席に後ろ向きに座り、呆れた顔で頬杖をついていた。長い髪をラフに流している友人は、自分よりも幾分か大人っぽく見えた。ラフなのは髪だけではない、手足のあつかいもラフであった。今も足を大きく広げて椅子にまたがっている。だらしがない、と太ももを打ってやると、彼女は足をそろえて横向きに座りなおした。

 彼女の顔の向きは、窓の外へ。

「なるほど。また、例の『大河内』を見てたってわけ。あんたも飽きないわね、」

 小島渚は鼻の前で手を組むと、まあねとうなずいた。

 カタカナの「エ」の字型の校舎、坪庭をはさんで向かいがわに、小島渚の気になる人物「大河内録助」の教室が位置していた。

 一年生は四階、二年生は三階、三年生は二階、というふうに、学年によって階が分けられている。階段やトイレはそこらにあるので、普段歩いていて「大河内録助」に会うことは滅多にない。だからこそ、教室にいる時が最大の観察の好機なのだ。小島渚が幸いにして窓際の席でありつつ、大河内録助もこれまた(彼女にとって幸いなことに)窓際の席だ。彼はいつでも席で本を読んでいる。用を足しているかどうか怪しいほど、彼は動きを見せなかった。

 今日は雨が降っている。窓を走る雨だれが、向こうがわの風景をゆがませてしまう。彼の姿は確認できず、ただ、彼の番傘が風雨にゆらされる。彼を観察するうえで、登校の時は雨が味方になっても、教室に着いてからは鬱陶しいばかりだ。

「変わりもの好きのアンタが興味をそそられるのはわかるわよ。たしかに彼、ちょっと変わってるものね」

 ちょっとどころでない、と渚は強気だ。浮いている、と言った方がいい。

「あっそう。まあ、五月なんていう時期に転校してきただなんて、なんか怪しいわよね」

 大河内録助は、家庭の事情とやらで五月も半ば過ぎにこの高校の普通科へ転入してきた。

 目立って明るい白茶の髪、その色は、転校早々全校生徒の注目を引いた。教師陣が何も言わないので生徒らも無言の内にその雰囲気を読み取り、地毛なのだと了解した。しかも、わけありなんだと憶測しつつ。それでも、一部の野次馬根性の強い生徒らは「ふうん」と彼のことを忘れるわけにはいかなかった。

 彼はあるべき高校生の常識を裏切っている。あのトレードマークとも言える番傘がお洒落でないとするならば、生きるべき時代を間違えているとしか言いようがない。

「話しかけて友達になっちゃいなさいよ。そんなに恥らう奴だったっけ、渚って」

「恥らってるんじゃないよ。ただ、面白いから観察してるだけ。見た目だけじゃなくて、変な行動もしないかなあ、と思ってさ」

「番傘をさしてるってことを『変な行動』に勘定しなさいよ」

 尾上松子の指摘したとおり、小島渚は引っ込み思案なわけでも内気なわけでもない。ただ、「大河内録助」――つまり、仙石虎蔵の付き人の録助だ――の方が圧倒的に異常なので、彼女の平常を奪っているのだ。

「で、松子。私に何か用だった?」

 そうだ、と松子は膝を打つ。彼女も世間の例にもれずミニスカートにして制服を着こなす。

 もったいぶって胸元から一枚の紙を取り出した。勝訴! のように紙を掲げる。

「『洋裁愛好会』、成立!」

 小島渚は、声にならない歓喜の叫び声を上げて友人の手をとった。

 彼女たちのささやかな喜びは、雨によって憂鬱気味な教室の一角を明るくする。

 元女子高だからか、茶道部や華道部、たおやかな部活動の種類は豊富だ。そのくせ、(家政科があるせいか)家庭科系の倶楽部はなかった。

 文化部の場合、部員を六名集めれば新設できるというのが生徒会執行部の掲げる規則だ。どうにかこうにか、六人の名を連ね、企画書にも似た書類をそろえて提出した結果、このように認められたのだ。「愛好会」というのも、家政科で専門的に技術を会得する学生へ「我々は愛好家程度ですよ」という目に見える白旗宣言だ。隠した志は高くあるとしても、表向きはひかえめであるべきだった。 

「で、部室はどこ?」

 松子の表情がさっと暗くなった。

「それがね。家庭科室は家政科のテリトリーだし、使えないでしょう? おまけに、新設の倶楽部が他にもあったらしくて、ここをあてがわれちゃったのよ」

「部室、もらえたの? 部室なんてなくてもいいと思ったのに」

 あるにこしたことはないが。ミシンやトルソー、作りかけの作品、裁縫道具を保管できれば便利だろう。

「自分たちで掃除してから使うのが条件だ、とも言われた」

「当然。だって、私たちが使うんだもの」

 いっぺんの曇りなく喜ぶ渚を前に、気まずそうに手悪さをする松子。やがて、わびるような上目使いで渚を見る。

「あのね。……第二宿直室……なのよ」

 青天の霹靂。そんな表情で固まった小島渚だった。


 ――第二宿直室。

 機械警備が整うこの時代、宿直の制度はとうに姿を消した。谷相高校も民間の警備会社のセキュリティに任せている。そのせいだろう、宿直室が二つも必要だという事態はまずありえない。第一宿直室の方は、正しい用途ではないにしてもそこそこに使われてはいる。しかし、第二宿直室は、今やただの物置だった。いや、「ただの」ではないから困りものなのだ。

 渚と松子は職員室にかけこんだ。

 部活動を取り仕切る担当教諭は三船という。(生徒会役員に訴えるよりは、教師に向かうほうが近道だ。)

 まずは、愛好会の設立を認めていただきありがとうございます、と頭をさげた。一年の学年主任でもあるその教師は、気をよくして微笑んだ。

「尾上、小島。愛好会会長に副会長だな? 勉強もおろそかにするなよ」

 二人はそろって「はい」と返事する。素直な様子に、あたりの教諭は微笑ましく見守る。二人としては、ただこの場を和ませにきたのではないのだが。

「あの、活動場所についてお聞きして良いですか。第二宿直室とありますが、」

 その切り出しで、さっそく空気は凍る。

「掃除は自分たちで、とありますが、あの部屋には多くの荷物があったと思います」

「要・不要の分類や、荷物の移動先など、指示していただけますか?」と松子がひきつぐ。

 遠まわしな部室変更希望だった。ところが、三船は渋い顔でうなずくだけときた。

「あそこはなー……。ま、確かに、物置なんだよな」

 憎らしいことに、あははと笑う。

「その件で校長や理事に確認したら、私に任せるって言うもんで」

 理事にまで確認したのか、と文句が言いづらくなる。そうこうするうちに、第二宿直室の鍵は彼女らの手に渡った。

「うーん。君らには大仕事になるとは思うけど、私の判断で君たちに全権委譲にしたんだよ。確か、たいしたものは置いてはないはずだから、基本的に捨てればいい。お値打ちものがあったら、売り飛ばして部費にしてもいいぞ」

 また、能天気に笑う。渚は思わず、傍らの湯飲みの茶を頭からかぶせてやりたい衝動にかられた。松子の方でもそれは同じらしい。スカートの裾をぎゅっと握りしめている。

 ――知らんふりをしやがって……。

 二人は結局「馬鹿馬鹿しい」核心にはふれずに、作り笑いで礼をのべて職員室を後にする。戸をしめたところで、二人は抱き合って盛大なため息をつく。


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