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白菊横丁  作者: 黒檀
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十八、 冬への扉 一

 青沼との出会いはよく覚えている。なにせ、ほんの一年前のことだ。

 大学の合格発表の朝、浦和は受験票を握り締め祈るようにして待っていた。理学部の掲示板の前には続々と人が集い、浦和の前にも人が並び始めた。予備校の教師や子どもの親といった風体の大人たちも混じり、学内はたいへんな賑わいを見せていた。その中で浦和は一人、付き添う親も連れる仲間もなく寒い春のなかで立ち尽くしていた。普段は人とつるんでばかりの人間だったが、第一志望の合否発表に誰かをを引き連れていく度胸はなかった。むろん、彼の高校の同級の姿はそこかしこに認められたが、あえて近づこうともしなかった。自分の小心者ぶりにも、かっこつけ具合にもほとほと嫌気が差してくる。

 午前十時きっかりに、受験番号の記された大判の紙の筒を運ぶスーツ姿の者が現れた。磁石を留め終わらぬ時点ですでに、喜びとも悲しみともつかぬ雄たけびが耳に入ってくる。物理学科は一番先に掲示されるはずだった。にもかかわらず、浦和は未だ目を開ける勇気がなかった。

 どれほどそうしていたろう。きっと、すべての掲示が終わった頃だ。Pコートの左ポケットに忍ばせたお守りを握り、浦和はようやくまぶたを上げた。彼の瞳は、あるはずのない右端の掲示から順に追っていった。数学科、生物学科、宇宙科学科、化学科、そして物理学科。

 彼の瞳孔はかっと開き、一瞬のあとに涙がにじんだ。「あったよ、ちくしょう」とあえぐように呟いた浦和の隣でもまた、受かった、との声がする。横を見れば、茶髪の男が掲示を見上げ笑っている。自分の合格を確信していたのか、それとも私立が受かっているのか、すでに春休みを満喫中の姿格好だった。しかし、その時の浦和は何も考えられずに、ただ嬉しさをたまたま居合わせたこの男と分かち合いたかった。

 浦和は、まったく知らないその男になれなれしく声をかけ、背中を叩いた。しかし、男は引く様子もなければ驚く様子もなく、浦和の背中を叩き返した。

 その男が青沼だった。

 共通点はそんなになかった。だが、意気投合した。元来の人当たりのよさもあって、浦和の昔からの友人ともすぐ打ち解けた。バイトで忙しそうな青沼を無理やりサークルに誘い、学科の飲み会の幹事を一緒にこなした。青沼のオンボロの学寮のバーベキュー大会に呼ばれもしたし、大学から車を走らせ日本海へ出て釣りをしたこともある。そこそこに、どころか普通に友人らしく付き合ってきたように思う。

 ごく普通の学生らしい、一年と少しの付き合いはあったのだ。


「……水くせえよな」


 浦和は、歩んでいた足を止めた。松子が不思議そうに振り返る。このまま、「そうか」と言って青沼の決心を受け入れるべきなのだろうか。他人の決めたことだから、と割り切れることが自分にできるのか。そしてあの青沼似の失踪者。何の確証もないのに、探りを入れるなど下衆のすることではないのか。彼の心は乱れていた。


「……尾上さん。俺、気になることがあるからちょっと戻るわ」


 いいですけど、と応える彼女の言葉を最後まで聞かず、浦和は走り出していた。

 研究室の扉を勢いよく開けると、先刻と同じ体勢で国崎はソファに腰かけていた。先輩かと思ったのか、国崎は飛び起きるように姿勢を正す。だが、やってきたのが浦和だと理解すると、舌打ちして顔をゆがめ、また元の不抜けた格好でソファに背中を預けた。


「なんだ、お前かよ。驚かせるなよ」


 浦和が正面に回ると、目線だけ上げてかったるそうに口を開く。


「女子高生は?」

「行ったよ」

「送ってやれよ」

「まあ、そうすべきなんだろうけどさ。さっきのアレ、なーんか気になるんだよ」


 鞄をソファに放るなり、再びパソコンの前に立つ。国崎はしぶしぶながらに起きあがってのびをする。彼は面倒そうに足を引きずりながら浦和に従う。やはり、部外者に勝手に触らせるまではできないのだろう。


「アレって」

「だから、青沼に似た写真」


 国崎は笑い出した。


「百歩譲って、青沼の親戚か何かだとして、お前はそれを知ってどうしたいわけ」

「どうこうしたいってわけじゃないけど、なんか引っかかるんだよ」


 浦和が大学を辞めると言い出したことと、浦和にそっくりの少年が、このデータベースに残っているということ。この二つの奇妙を結びつけるなんて、自分ながらなんて非科学的なんだろうと自嘲したい気分だ。そんなことを説明したとして、国崎はまた笑うだろう。

 だいいち、彼が大学を辞めると言ったことは、自分が話すべきことではなかった。その件についての主導権は、総て青沼が握っている。


「ますます変だな。お前がそんなこと言うはずない」


 先ほどのページを開いて、事件の内容を斜め読みする。白菊高校の第一期目の男子生徒、富ノ澤太郎の失踪事件。不良少年団の暴行事件。太郎少年の妹、初子の殺人事件とは関係がない。ないはずがない、にもかかわらず。

 浦和は、国崎を振り返った。なんだよ、と国崎はたじろいで目を離した。


「……なあ、お前、青沼の妹の話って聞いたことあるか?」

「ねえよ。さっき初めて聞いた。青沼と一番仲いいのは、浦和だろ? お前が知らなかったのに、俺が知ってるわけねえだろ」


 国崎は何気なく言ったのだと承知しているが、浦和はその言葉をすんなり受け取っていいものか悩んだ。


「……お前の親父さん、警察だったよな」


 彼は顔色を変える。


「まさか聞いてこいって言うんじゃないだろうな。頭沸いてんのか。先に言っておく。聞かない、絶対聞かない。親父は家族にも喋るような人じゃない。それに、俺の親父はお前が考えてるような『ケーサツ』じゃねえから。知らねえから。絶対頼りにすんな」


 取り付く島もなかった。国崎は、マウスをひったくると、パソコンをシャットダウンした。四限目の授業の準備があるのだといって、浦和の尻を叩く。そうして彼を追い出しながら、国崎自身も研究室から出て行った。

 浦和は、平和的に調べるすべを取り上げられてしまった。






◆◇◆







 虎蔵は運転席でハンドルに上半身を預けきっていた。谷相高校の前で車を止めていた。

 首をのばし、校門の奥で何が起ころうとしているのかを伺う。まだこないのか、と彼は口の中で零す。休息を取りたかったのであろう鶴屋に騒々しいと一喝され、仕方なくエンジンを切っていた。蒸し暑い梅雨の空に呪詛の言葉を吐きながら、ハンドルに額をも押し付けた。

 彼は首を横にし、隣の助手席を盗み見た。涼しい顔をした鶴屋が、開いた文庫本を額に乗せて寝こけている。死んでいるのではないかと思うほど、生命らしい音を一切発さずに眠りのなかにいる。さらにいえば、この男が睡眠をとるようなまともさを持ちあわせているとは到底思えないのであった。いや、こんな蒸し風呂のような車内で安らいだ顔で寝ていられるだけまともでない。虎蔵は暑さに耐えかねてネクタイをも外した。背広はとうに後部座席に放り、そで口も巻き上げている。

 連絡を寄越すはずの録助は未だ姿を見せない。約束の時間は刻一刻と迫っているのだが。先がつかえているのだろうか。

 湿気で手触りの悪いわら半紙を窓に貼り付け、見るともなしに眺めた。急な三者面談の報せだ。行方不明の生徒があるとのことで、保護者との相談会が設けられた。虎蔵らがそれに律儀に参加するのも、小島渚が相談してきた(くだん)の話があってこそだ。そうでなければ、禄助の面談などという茶番に誰が、といったところである。仙石家の「気配」に、進路相談も生活相談なにもあったものではない。

 しかし、谷相高校どうこうというのならば、今回はどう考えでも自分よりも青沼影佐が適任であろう。奴はこの学校の出身だという。虎蔵は、暑さついでに恨みがましく青沼を思った。

 運転席の扉を一寸ばかり開け、外の空気を仕入れながらひたすらに禄助の呼びに来るのを待つ。このような環境下で眠れるほうがどうかしている。額の汗は、シャツの袖に吸い込まれては不快な湿り気を帯びていった。


 それから数十分は経った頃だろう。助手席の窓がこつこつと鳴る。禄助が窓を叩いていた。鶴屋は大あくびをして椅子を起こした。虎蔵はしめたとばかりにエンジンを入れ、冷房を一気に24度に設定した。


「鶴屋の兄さん。じきに番です」


 面談といわれれば、本来は竜蔵が出席するところではあったが、彼の不在を受けて虎蔵が代わりを務めることになっている。しかし、その虎蔵の面も学校側には割れていないため、鶴屋がそのまた代わりに面談に出席する。

 鶴屋は腕時計を見下ろした。午後も四時半を回っている。


「あと二人ばかり、前にいますが」

「ずいぶん遅れたな」

「ええ。納得しない親御さんもいらっしゃるようで。廊下にまで逆上した声が聞こえてきて、参ってしまいます」


 禄助は困り顔で教室の窓を見上げた。

 鶴屋は助手席から降りると、虎蔵には車を駐車場へ回すよう命じた。車を片付けて戻ってくると、二人は校門で待ち構えていた。虎蔵が並ぶ前に、彼らはすたすたと歩き出した。これでは、禄助の主人が誰だかわからなくもなる。

 谷相高校はやたらと校舎が陰気に見える。冷房をつけているせいか、窓は締め切られて風の通りも良くはない。来賓用玄関も狭く暗く、土ぼこりの匂いも強烈であった。すぐそばに事務室の窓口がある。自分たちが履物を変えるのを急かす様子もなく、閉め切ったガラス戸の向こうで事務員は待っていた。

 鶴屋は、虎蔵を振り返り言う。


「来賓証明を受け取るには、身分を詳らかにする必要がある。おまえのぶんは、名前と住所は適当な卒業生のものを見繕っておいた。おまえは黙って突っ立っているだけでいい。話を合わせようともしなくていい。ただひたすらに口を噤んでおけ」


 黙っていろとは、虎蔵の演技力も見くびられたものだ。


「こんにちは。三者面談に参りました、仙石です」


 鶴屋に並んで、禄助も事務室に挨拶をする。

 私立高校の谷相高校には、禄助の転入を機に仙石家としてそこそこの寄付をしている。鶴屋は仙石虎蔵になりきり、事務員との会話を滑らかにこなしている。後方で待機する虎蔵に注意が移ると、鶴屋は連れであることを仄めかし、どこのだれだか知らない人間の名前を……「黒木洋介」だと告げる。昔からの縁で長く関わっているのだと朗らかに騙った。


「あぁれえ、黒木くんだったの? なんだか雰囲気変わったねえ。どう、お仕事のほうは」


 事務員は、鶴屋がまとめて書き込んだ名簿に目線を落としている。虎蔵もそれとなく眺める。「黒木」は、住所も勤め先も特別区とあった。どうやら片田舎を出て都会で身を立てた大した男らしかった。まったく、自分とは正反対の人間だ。


「……久方ぶりに帰って参りました。先生方にご挨拶させていただこうかと、」


 虎蔵はしどろもどろになって答えた。


「どうぞどうぞ。三船先生はね、ことし一年の学年主任ですよ」

「左様ですか。昇進されたんですね」


 虎蔵の言葉に、一座しんと静まり返った。

 卒然、鶴屋は心底おかしそうに笑いだした。事務員もつられて笑いはじめる。カウンターの下で、鶴屋は虎蔵の足を踏みつけた。「さっさと行け、余計な口を利くな」との意味を十分に含んで、さらには虎蔵の脛を蹴っていた。虎蔵はひとつ頭を下げ、禄助の指が示すほうへ歩みだした。

 その背中で、


「じっさい黒木は変わりました。疲れがたまっているようで。死んだような目だったでしょう」


 と誤魔化している鶴屋の声を聞いた。覇気が無くて悪かったな、という文句はひとまず飲み込むことになった。

 禄助は、来賓口を曲がって直ぐの直線廊下の奥を指差していた。事務員との世間話を切り上げた鶴屋も、少し遅れて合流した。顔を合わせるなり鶴屋は説教だ。


「手前は。黙ってろと云ったろうが。馬鹿か。『適当』は『テキトー』じゃねえんだ」

「……済まない」


 厭に素直に謝った虎蔵に、鶴屋がかける言葉は無いようだった。彼は禄助のほうへ向き直る。


「この廊下奥が第二宿直室です。もう中は空です」

「いまはどこにいる」

「僕の教室に」

「……何が」虎蔵が尋ねた。

「第二宿直室に閉じ込めていたものです。小島渚のいう、『第二宿直室の幽霊』のことです」

「トラ、俺たちがそいつを教室から連れ戻すあいだ、この中で待っていろ」

「そんなことのために、私はここへ来たのか」


 禄助は、教室のほうではなく示したほうへ足を進めた。面談にまではまだ少し余裕があるらしい、鶴屋もそれに従う。

 廊下の反対側から、便所から出てきたばかりであろう初老の男が歩いてくる。第二宿直室の手前ですれ違う際、禄助は彼に挨拶をし、鶴屋と禄助は礼をした。彼は教師であろう。

 虎蔵は、「黒木」の存在を借りていることにいささか後ろ暗い気分で居た。学校という繊細な場で、身分を偽るなどとんでもない大罪を犯している気にもなる。元来虎蔵は、ものを偽るときの気分が苦手であった。ましてや自ら進んで嘘をついているわけではないという思いから、その責を鶴屋に押し付けたくて仕様無かった。

 教師の姿が遠くなり、虎蔵はぼそりと言う。


「青沼がここの卒業なら、青沼を寄越せば万事易かったろう」

「できるんなら、そうしている。しかし、卒業生の名簿に奴の名があるわけがない」


 鶴屋は部屋の扉を見据えて言う。

 禄助は第二宿直室の鍵穴に鍵を差し込んだ。


「『青沼影佐』なんて人間はな、どこにも存在しない」

「……どういう意味だ」

「人形でも化け物でも何でも、現世で名前を与えりゃ現世の『存在』を与えられる。それが『高架下の占い師』の仕事だよ」

「いや、意味がわからんが。誰だそれは」

「どういうわけで今頃こんなことになっているのか。何がきっかけで鍵が見つかり、鍵穴に当てはまったのか」


 鶴屋と虎蔵の話は、まったく噛み合っていなかった。

 戸は悲鳴のような音を立ててゆっくりと開かれた。饐えた臭いが鼻をつく。


「……白菊町の人間なら、耳にしたことくらいはあるだろう。『富ノ澤事件』について」

「ああ。兄妹して非業の死を遂げた。白菊町の名をさらに悪しきものにした昭和最後の怪事件だ」

「週刊誌の読みすぎだ、馬鹿」


 鶴屋はどすの効いた声で罵った。


「その『兄』が青沼だ。本名を富ノ澤太郎という。二十年の時を超えて、白菊横丁に落とされた。自分の『存在』が消えたあとの世界にな。失踪も七年経てば死んだと同じだ。そんな奴を竜蔵の旦那と伊藤の翁が拾って、あとはお前の知るとおりだ」

「ははは……。出来の悪い小噺だな。時間旅行というわけか。おまえこそ劇の見すぎだ、鶴屋」


 虎蔵の笑い声が廊下に響いただけであった。


「青沼は帰りたいんだと。妹が死ぬ前の時間に。あいつは、ここに居付く気は無い」


 虎蔵は笑うのを止め、鶴屋の生真面目な横顔を見上げた。冗談を言っている様子ではなかった。


「だから《どろぼう猫》は青沼の帰り道をずっと探している。伊藤の息子である前に、俺の弟子である前に、青沼は《どろぼう猫》の客だから」


 鶴屋は今、自分への説明責任を果たしている。虎蔵は、眼前の出来事から逃げたくなる平生の癖をようやく仕舞いこんで口を閉じていた。


「辛気臭い『夏への扉』だな。……いや、そうであるといいんだがな」


 部屋の奥から差し込む西日を受けて眩しそうに目を細めた鶴屋は、皮肉らしい口ぶりで小さく呟いた。

 そういえば、この男は猫だけは特別愛するのだったな。猫の毛のような、生ぬるい触感の風が頬を抜けていった。

 虎蔵は目の上に手で庇を作り、鶴屋の耳飾が光るのを見た。


「この様では、冬への扉と言ったほうがよかろう」

「……そうだな」


 鶴屋は珍しく虎蔵の意見を受け入れる。



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