前口上
全年齢向けを意識していますが、問題があれば警告タグをつける等の処置をしたいと思います。また、実在の地名とは一切関係はありません。
――白菊横丁。
まともにこの街で生きている人間は、決して近寄らない界隈だ。歴史の古い「白菊通り」という参道は、今や淫靡な遊びどころと化している。何故まともな者が訪れないのかと問われれば、横丁の入り口を少しでいいから覗いてみろと答える。
横丁というからには、表通りがあってこそ。表通りから見える横丁の始点は、著しく街の景観を損なっている。塗料がはがれ、鉄さびが浮かんでいる浅葱色のアーケード。みずみずしい色彩の中に錆色がのぞくのはやるせない。塗りは雑だったと見えて、そこかしこに泡がうかんでいる。天辺にはまる縦縞模様の看板には、昭和をほうふつとさせる古臭いフォントで「白菊横丁」とある。終戦直後風のけばけばしい配色だ。
たいていの場合、アーケードの足元には猫がたむろっている。通りすがりの人間にも恐れをなさないふてぶてしい猫たちだ。猫というものは怯えてこそ愛らしいというのに。まん丸のはずの目を底意地悪そうに細めてこちらを見てくる。昼日中ならまだしも、夕闇にまぎれてあの妖しい眼光を見ようものなら、心やすく眠ることはできない。
不気味な猫たち、という関門を突破して横丁の内に一歩踏みいれてみる。とたん、生暖かい風が丘から吹きおり白菊通りをぬめぬめとかけぬける。撫でられた肌には鳥肌を残すだろう。この不快な風を、「猫又の尾振れ」と老人たちは呼ぶ。
このへん一帯は、小規模な山や谷がくりかえす。この「白菊横丁」も南北に傾く坂を利用している。(蛇足だが、『白菊』とは、この通りの名を冠しただけであって、航空機の『白菊』とは関係がない。)白菊通りの北端は坂の頂点であり、横丁の終点だ。それを示すもうひとつのアーケードをくぐった先には鳥居と石階段がある。
神社があるのだ。苔むしたみすぼらしい社だが。名を白菊神社という。いつ興ったかなど私が知るよしもないが、今や氏子はいないにひとしいとは伝え聞いている。すると、神社ともよべぬ跡地と言うべきか。
なんでも、そこの本尊は猫の神らしい。現代というご時勢、犬は賢くて忠実と可愛がられても気ままでさっぱり読めない猫はうとまれがちだ。“さわらぬ猫に祟りなし”。猫は恨み深いというもので、すがるにも裏切るにも恐ろしくて、表の人々はこの社によりつかない。そんな印象も手伝って白菊横丁には、華やいだ「外界」に対しておどろおどろしいそねみを抱いているような雰囲気の悪さがある。
「猫又の尾振れ」というのも、「猫」つながりで安直に名付けたのだろう。猫神を祀る神社のお膝元で妖怪の「猫又」だなんて、戯れがすぎると思うのだが。さりとて、「猫又の尾振れ」をあびると近々身内に不幸がおきるという不吉な迷信があるので、「猫神のかわりに化け猫が祀られている」などという事態もありえそうだ。迷信の真偽はさておいて。いや、偽でなくては困る。
もう数歩進んでみよう。左手に飲み屋。右手に飲み屋。
更にもう数歩。公衆浴場がある。この湯殿は混浴で、白菊横丁を恐れぬ者はその構造の恩恵にあずかることができる。しかし、欲にまみれた時期の男子でも、あの木戸のむこうのめくるめく酒池肉林と、横丁の胡散臭さを天秤にかければ、後者がゴチンと地につくだろう。彼らのまともな情欲をもってしても、横丁の薄気味悪さにはかなわず、蠱惑的な湯煙の奥に身を投じることは不可能だ。もうひとつの恐れをつけ足そう。艶美な「遊女」に、「筆おろしが済んでから出直しな、坊や」とあしらわれるかもしれないことだ。いや、決して、自身を回想しているわけではない。
今しばらく進むと、うっそうと生い茂った木々の奥に旅館めいた木造建築物が見える。それも、通りをはさんで左右対称に。表から見えるのは導入路だけだ。それらは雅やかな旅館などではない。「遊女屋」だ。なぜ向き合って二軒もあるのか、それは、人間の性別が二つあるからだ。つまり、もう一方は男ばっかりが放り込まれている。余談だが私は、あわやこの「男娼館」で飼われるところであった。それに比べれば、今の立場は甘んじて受け入れるべき範囲のものだ。このふたつの「秘宝館」、両者とも殿方向けであることにはかわりない。だいたい、遊びどころというのはいつの時代も殿御のために存在するのだ。
こうして歩いてみると、とある奇妙に気づく。どの店も暖簾はおろか、この闇夜に軒行灯すらともしていないのだ。しかし、それにも納得するしかない。なにしろ店であることを宣告せずとも事足りるのだから。そこが何の店かを承知している者しかやってこない。逆を言えば、それだけの客で回転しているという恐ろしい商売形態だ。白菊神社が作られたのは戦前だろう。店が並びだした時期はいつまでさかのぼるのか。定かではないが、平成のこの世まで長きにわたり、美的感覚のイノベイションがないまま(恐らくは道徳や法律からも逃れつつ)横丁の店は続いているのだ。
ひどく内向的で閉鎖的と思ったろう。事実は逆だ。来るものは拒まず、去るものは追わない。主人は、客がまともであるか常ならぬ者であるか、あるいは、常連か新規かどうかなど、どうでもいい。飄々としたものだ。
ちなみに、私はまともな人間だ。人並程度の仕事も満足にこなせないという点と、掃除ができない点と、ときおり、なにかの調子でこの世ならぬものを見るという点をのぞけば。「それは異常だ」? 世間はそう言うが、世間とは広いから、これはまだ「まとも」の守備範囲だ。
そのような私が、不気味な宵の口に白菊通りに踏み入っている現状。
私は、この一帯の土地と、その中のとある店舗を「家督相続」してしまった。元々の権利者であった私の祖父は、妻をつれて今や悠々自適の隠居生活にはいった。彼らの転居先は竹林の山荘どころか、外国人の街・ドバイだ。「どうにかしろ」と追う気も失せた。両親は夭折している。今の私には逃げ場がないのだ。
私が相続した店は、白菊通りも終点に近いところに位置する。その店、《どろぼう猫》は掃除屋だ。こんな妖しい界隈で「掃除屋」などと言われたら、想像するのはただひとつ。「殺し屋」のほかにない。
ところが、ほんとうに掃除をする商売だというのだから驚く。今から従業員に顔を合わせなければならない。
神社に続く暗い坂道をのそのそと登る気分は「通りゃんせ」の真逆だ。行きはこわい、帰りはよい、よい。
「なんだ、あれは、」
数メートル先で、頼りない光がゆれている。鬼火は見なれている。そういう種類のものか、そうでないかの判別はつく。目前のものは人がもっている種類の光だ。胸をなでおろし、しかと歩を進める。
近づくと、明かりの持ち主の姿が明瞭さをおびてくる。小さな童だ。墓参りの子供が手にする、持ち手の長いささやかな桃色提灯を手にしている。提灯を持つ童、背後の寂れたアーケードと白菊神社の鳥居、ひび割れた石階段。その組み合わせは、寺山修司監督のフィルムの一場面でもおかしくはない。
彼女は、(彼、かもしれないが、)目が隠れるほどの長い前髪で、断髪だ。そのうえ、忌みの感がするほどの真紅、それも無地の浴衣を左前に着る。下駄にのった白足袋は提灯の桃色の光を受けても暗闇にとける。いよいよ人間だと判定するのは早計だと思いはじめた。
そう観察していると、ぺこり、福島土産の赤べこ人形のようなお辞儀をする。襟が黒で長着が紅なので、その印象がわきおこったのだ。
「仙石、虎蔵さまですね?」
「ああ」
こちらも、首を曲げるだけの軽い会釈をかえす。
「《どろぼう猫》の者です。おむかえにあがりました」
少年だとしたら声変わりまえだ。そんな、高くて細い声だ。
「どうもありがとう。白菊通りは街灯がないから、まいった。店からもれる灯りを頼りに歩いてきたよ。あと、きみの提灯も」
「入り口までお迎えにいければよろしかったのですが。あの辺は、猫どもがたむろっているでしょう。銀次郎さまは、わっちが店を離れるのを禁じられます」
「銀次郎、」
当然知っているかのように名を口にする。銀次郎とは、この界隈の猫の頭領だそうだ。《どろぼう猫》の飼い猫でもある。
「それに、ご存知でしょうが白菊の店同士は仲が悪い。敷地を越えたところをうろつくと、余計をおこしかねません。手前手前が慣習を守ってこその商売だと、鶴兄もおっしゃいます」
「つるにい、」と、また、阿呆みたいに童のことばをなぞってしまう。
白菊通りの店舗は、いがみ合っている。初耳であった。これだけ親密そうにたち並んでおいて、不和だという。どうにも面倒そうな界隈だ。
「商いの世界は、よくわからない。私はただの地主だから、」
なにを、と赤衣姿の童は失笑する。
「そうも言ってはいられませんよ、旦那さま」
空いたほうの手を口元にあて、くすくすと笑い声をもらす。肘までずりさがった袖口から伸びる細腕は、厭に白い。どろりとした蝋燭の明かりの中でも、まるで日章旗のように鮮やかな対比を成す。童の体が笑って揺れるので、提灯の火も揺れる。
それにしても、含みがある笑いには年長者への畏怖がない。ぞっとしない口元だ。童の一挙一動には舞台演技臭さがあり、子どもらしいとは思えなかった。可愛らしくないのだ。
そう眉根をよせていると、童は灯をななめ奥へつきだした。
「さあ、中にお入りなすってください。入り口はすぐそこです」
童の立っていた場所から五メートルと離れていない地点に古風な店舗がたつ。
長年の風雨にさらされ日焼けをし、表の木目は百塩茶だ。内に在るものの粋を感じる色でもある。軒下には鬼灯がぶらさがっているが、よく見るとランプになっていた。アールヌーボー調の曲線的で装飾的な造形だ。
この店には、ほかと違い、暖簾がたれている。木の色に調和した濃紺の地に大きく鶴の紋が白で染めつけられている。《どろぼう猫》は総じて古めかしいが、不潔な感は無く清清しい。さすがは掃除屋といったところだ。
「……ようこそお越しくださいました、《どろぼう猫》へ」
かろん、と下駄の音を響かせた赤衣の童が前に出、しずしずと木の引き戸を開く。