第6話 戦わずして得るもの
卒業制作発表会の日。
『信玄の野望』は、想像していた以上に好意的に迎えられた。
兵法をゲーム体験に落とし込んだ構成。
合戦シーンの演出と、最後まで破綻しない安定動作。
そして、役割が噛み合ったチームワーク。
講評を担当した講師が、最後にそうまとめた。
「技術も演出もそうですが、何よりチーム全体の噛み合いが素晴らしいですね」
燿とシエラ、刀磨が肩を抱き合って飛び跳ねる。
それを見た楓から肩の力が抜ける。
(ちゃんと……形にはなった)
燿が楓に手を差し出す。
楓はみんなの輪に加わった。
***
発表会の片付けが始まり、人の流れが落ち着いた頃だった。
楓のもとにシエラが立つ。
いつも通り背筋を伸ばし、はっきりとした目で楓を見る。
「……私の負けよ」
「それって」
「そう、今回はあなたの勝ち。
ここには、もう用がない。
私はアメリカに帰るわ」
それだけ言うと、足早に去った。
隣の燿がポツリと言った。
「なあ、楓、謀攻篇、覚えてるか?」
楓は、首を横に振った。
燿は、淡々と言う。
「『百戦百勝は善の善なるものに非ず。
戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり』
――戦って勝つのは最善の勝ち方ではない。
戦わずに勝つのが、最善の勝ち方」
「……つまり?」
「あんたは、あのシエラを負かしたんや。
あの子と戦うことなく」
(シエラに勝った? 私が?)
***
御堂筋のイチョウ並木が色づく頃。
楓たちの就職活動が本格化する。
楓はプログラマー募集企業のパンフレットを集めていた。
「どの会社も楽しそう、迷ってしまう」
就職説明会の後。
帰国準備を進めているシエラが、再び楓に声をかけてきた。
「私、刀磨をアメリカに誘ったの」
一瞬、息が止まる。
シエラの口調は、いつも通り迷いがない。
「うちの会社なら、ちゃんとした環境を用意できる」
頭の中で、静かに何かが崩れる音がした。
才能。
環境。
将来。
シエラが差し出しているものは、どれも楓には用意できないものばかりだった。
――今度こそ、行ってしまう。
楓は唇を噛む。
***
「でも、返事はまだ、もらってないの」
「そうなんや」
楓は、少し安心した。
「彼、迷ってるみたい」
二人の間に沈黙が流れる。
「……刀磨が来ないのは、あなたのせいかも」
「うちのせい?」
「なんとなく。女の勘ってやつ」
そう言って、シエラはそれ以上何も付け加えなかった。
再びの沈黙の後、シエラが意を決したように口を開く。
「……楓にお願いがあるの。
楓から刀磨に、アメリカに行くよう言ってほしい」
「うちから……」
「……このままじゃ、刀磨の才能は育たない」
言葉が詰まり、喉の奥がひりつく。
***
その日の帰り、楓は燿を捕まえた。
事情を話し終えると、燿はしばらく黙り込んだまま、コーヒーを一口飲む。
「楓、謀攻篇は、こうも言っている」
「『上兵≪じょうへい≫は謀≪ぼう≫を伐≪う≫て。
その次は交≪こう≫を伐≪う≫て』
――作戦をつぶすのが最善の策。
交友を立つのが次善の策」
「あいつ、まだ、あきらめてなかったやな」
「それって」
「今度は、楓と刀磨を引き離そうとしてるんや」
(そうなんかな?)
楓には、シエラが恋愛だけで刀磨を誘っているとは思えなかった。
「離れるのは嫌か?」
「それは、まあ……」
「そんなら、話は簡単や。
告白して、一緒にアメリカには行くなと言えばええ」
楓が答えられないでいると、燿はニヤリと笑った。
「それとも、一緒について行くか」
(それで……ええんやろか)
引き留めれば、刀磨の才能を潰すことになる。
ついて行くことは、自分の人生を誰かに預けるということでもあった。
――自分はプログラマーにもなっていない。まだ、何者でもない。
(うちの人生は?)
恋に勝つために、自分の居場所を捨てていいのか。
答えは、簡単には出なかった。
***
何日も悩んだ末。
楓は刀磨を呼び出した。
――告白は、しない。
そう決めていた。
ただ、静かに言う。
「……アメリカ、行ったほうがええと思う。
うちは……あんたに後悔してほしくない」
刀磨が驚いた顔をする。
楓は続けた。
「刀磨は、才能あるんやから行くべきや」
それは、楓なりの“謀攻”。
相手を縛らない。
引き止めない。
勝とうとしない。
でも――
自分の覚悟だけは、曲げない。
刀磨は何も言わず、ただ楓を見つめていた。




