第4話 勝てる形
夕方の校舎。
休憩コーナーで、楓は、ぼんやりとコーヒーの湯気を見つめていた。
頭の中では、昨日集めた情報がぐるぐる回っている。
才能。
環境。
実績。
(……うち、何で勝てばええんやろ)
「なあ、楓」
紙カップを片手に、燿が現れた。
「孫子には、『小敵の堅は大敵の擒なり』と書いてある」
「……また孫子?」
思わず、半眼で返す。
「せや。“弱いもんが、いくらイキがって、強いものには勝たれへん”って話や」
「弱いもんって……言い方」
「シエラはな、才能も環境も実績もある」
燿は、あっさり言い切る。
「そこで戦っても、そら勝たれへん」
「……やっぱり」
「せやからや」
燿は、楓の目を見る。
「『実を避けて虚を撃つ』――相手の強いところを避け、弱いところを突くんや」
その言葉が、引っかかった。
(弱いところ……そんなん、あるんやろか)
***
数日後。
制作が本格的に動き出した。
問題が起きたのは、
「信玄が甲斐の頭首となるシーン」の演出だった。
モニターに映るのは、重厚な城。
板目の模様まで精密に描いている。
静かに、信玄が家臣たちの前に立つシーン。
プレビューが終わっても、誰も言葉を発しない。
それは、感嘆のためではなかった。
言うべき言葉を探しているようだった。
「……地味じゃない?」
沈黙を破ったのは、シエラだった。
「甲斐のトップになる瞬間よ?
もっと派手に盛り上げないと」
刀磨が、少し困ったように頭をかく。
「えっと……」
「シナリオのイメージでは、こんな感じやったんやけど。
変かな?」
「変、じゃないけど」
シエラは腕を組む。
「勝利の場面なんだから、もっと高揚感が欲しいわ」
二人の視線が、すれ違う。
(……あ)
楓は、胸がざわついた。
(これ……)
刀磨は、言葉を探している。
でも、自分の考えをうまく説明できていない。
その様子が、あまりにも見慣れたものだった。
「……あの」
気づけば、楓は口を開いていた。
全員の視線が、こちらを向く。
「ここ……信玄が父親の信虎を追放した直後やから」
自分でも、驚くほど落ち着いた声だった。
「勝ったけど、素直に喜べる場面やないと思う。
たぶん、刀磨が描きたかったのは、
“頂点に立った孤独”なんちゃうかなって」
一瞬の沈黙。
それから――
「……それや」
刀磨が、ぱっと顔を上げた。
「そう、それ!
俺、まさにそれ描きたかってん」
モニターを見る目が、急に生き生きとする。
「派手さより、静けさのほうが怖いというか……」
燿が、満足そうに頷く。
「楓の言う通りや。
よう分かってるな」
「え、いや……」
急に褒められて、楓は、あたふたと応えた。
「たまたまや。
信玄のこと、知らんとあかんかなって思って……ちょっと調べただけやし」
シエラが、少し悔しそうに唇を噛む。
「分かったわ。
じゃあ、その分……次のバトルシーンは思いっきり派手にしてよね」
そう言って、自分の席に戻った。
***
ミーティングの後。
廊下を歩きながら、燿が言う。
「見えたやろ?」
「……何が?」
「シエラの弱点」
「そんなの……あった?」
「もう」
燿は、深いため息をつく。
「じゃあ、自分の強みは、何やと思う?」
「……地味な実装?」
即答すると、燿は吹き出した。
「ちゃうわ」
燿は、楓の肩に両手を置く。
「『彼を知らず己を知らざれば戦う毎に必らず殆うし』――相手も自分も分かってないと、いつまでたっても勝てへんで」
そう言って楓を見据えた。
「ええか、楓。
楓はな、“刀磨のこと”をちゃんと分かってる。
恋愛にはな、それが一番大事や」
「シエラは“作品を通して刀磨”を見てる。
楓は“刀磨を通して作品”を見てる」
楓は思い出す。刀磨のことを――
何が好きで。
何が苦手で。
どこで迷って、どこでワクワクするか。
楓はずっと、それをそばで見てきた。
刀磨が考えていること。
感じていること。
それを、形にする。
(これは……シエラには、作れへん形や)
楓は、大きく頷いた。
***
校舎を出る直前。
刀磨が、ぽつりと言った。
「……今日は助けてくれて、ありがとう」
楓は、足を止める。
「あのままやったら、作りたくないもの作ってたかもしれへん」
楓は、照れ隠しに肩をすくめた。
「そりゃ、まあ……長い付き合いやし。
刀磨の考えくらい、分かるわ」
少し、早口になる。
「あんた、昔から自分の考え言わへんから。
代わりに言っただけやし」
そう言いながら、胸の奥がじんわり温かくなる。
――役に立てた。
その事実が、今はただ、うれしかった。




