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「裏校則」に殺される   作者: ウチダ勝晃


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5/8

南中学区連続殺人未遂事件

 急患で取りやめになった埋め合わせをしたいと、坂東医師の方から真樹へ連絡があったのはそれから二日後のことだった。ひとまず、馴染みの個室居酒屋で軽く飲んでから、ということにまとまると、真樹は店じまいもそこそこに現地へ飛んだ。

「まったく申し訳ないことをしました。あの電話のあとにいきなり、血まみれの学生が担ぎ込まれてきましてね。手術台をいつも綺麗にしていて助かりましたよ」

 運ばれてきた瓶ビールを真樹の手元へ注いでやりながら、坂東医師は先日の件を詫びる。対する真樹は、それがご商売じゃしょうがないです、と気に留めず、年上の友人の厚意をありがたく受け止めた。

「しかし、近頃にしちゃ珍しいですね。ケンカでもやったんでしょうか」

 軽い乾杯ののち、お通しをやりながらビールをなめていた真樹が坂東医師へ尋ねる。

「それが弱ったことに、周りにいたお友達がシドロモドロでしてね。とりあえず、暴力沙汰じゃなさそうなことだけは確かだったので、それ以上は聞きませんでした。ただ、ちょっと傷の様子がおかしかったのだけはどうも……」

「坂東先生。ご職業柄、秘密を守らねばならないのはよくわかっております。話したくないことはご無理に……」

 さすがにそれ以上は悪かろうと遠慮する素振りを見せた真樹だったが、坂東医師はためらう様子を見せず、実はですね、と前置いて話を始めた。

「今まで私が見た限り、あんな具合に服の上からバッサリ切れるような傷跡は見たことがない。なんというか、医者の常識を裏切るような、妙な怪我なんですよ。学生服の生地をバッサリ切って、その上真皮層スレスレで止まっているような傷が、非常に均一な斬られ方で体のあちこちにある……そんなもの、今まで見たことも聞いたこともない」

「要するに、皮膚の表面ギリギリのところで寸止め、というわけですか」

 日本刀などで斬りかかったのなら、そんな風に均一にはいかない。浅いところもあれば深いところもある、というのが相場である。たしかに坂東医師の言う通り、奇妙な斬られ方であった。

「いちおう、親御さんあてに治療の旨と請求書を送っておきました。おっつけ、落ち着いたその子たちからも詳しい事情が分かると思います。なに、きっとタネを明かせば、なんということがないかもしれません。とりあえず、今はゆっくり飲みましょうや――」

 そう言ってメニューを手に取ると、坂東医師はどれにします? と、刺身の写真が載ったページを真樹へと見せた。日増しに長くなる夜を楽しむように、書き入れ時の店の中は、一層そのにぎやかさを増していった――。


 数日過ぎて、三回目の会合を明日に控えた昼下がりのことである。客足のないのを幸いと帳簿をつけていた真樹は、かかってきた電話にペンを置き、受話器を取った。

「はいもしもし……ああ、坂東先生でしたか。どうかしました?」

 電話は坂東医師からで、相談したい急な用事が出来たから、医院を閉め次第そちらにお邪魔しても構わないか、というものだった。来訪時刻だけまとめると、昼がまだだという坂東医師のため、真樹は近所のそば屋へ天丼を二人前頼むことに決めた。

「突然すいません、どうにも私だけでは埒が明かなそうでしてね……」

 約束に時間に訪ねてきた坂東医師は、早くに届いて熱気の抜けかけた天丼を前に、おもむろに話を切り出した。

「――実は、先日の患者が怪我をした時の様子が分かったんですがね。どうもそれが、真樹さんが関わっていらっしゃる『裏校則』の件に一枚噛んでいそうなんです」

「なんですって」

 えび天をつかむ手元が危うくなるのを覚えながら、真樹はそっと箸置きの上に割りばしを戻す。

「手術を受けた学生さんや、当時いた同級生の子とその親御さんたちが一緒になって訪れてきたんですがね。どうもその子たちの話では、いきなりつむじ風のようなものに襲われた、というんですよ――」

「つむじ風ぇ?」

 突拍子もない話ではあったが、目の前にいる坂東医師がふざけているような素振りは見当たらない。真樹はなおも、話を引き出してゆく。

「で、いったいそれが僕の方の件とどういう具合に噛んでるんですか?」

「真樹さん。聞くところによると傘岡南中学の裏校則に、一年生は詰襟の裏ボタンを派手にしてはいけない……とかいう文言があるそうですね。彼らが口々に『高校生になってもダメだったんじゃないか』とか『南中のそばを近道しようなんて言うから……』と、そんなことを言うんですよ。もっとも、親御さんたちにバカバカしいことを言うな、と一蹴されていましたがね。でも、患者の服を脱がせたとき、私もたしかに見たんです。派手な麻雀牌の柄の裏ボタンを」

「――南中を出て間がない、新高校一年が被害を被った、という訳ですか? しかし、いくらなんでも……」

「ええ、にわかには信じがたい。僕もそう思っています。しかし、現実としてあの奇妙な切り傷を受けた患者は存在して、施術経過を撮った写真も存在するのです。真樹さん、いったいこれは、どういう具合に説明を付けたらいいんでしょうか」

 耳鳴りを催すような、重い沈黙が真珠堂の茶の間に横たわる。少しばかり手を付けた天丼が徐々に熱気を失ってゆく中、二人はまんじりともせず、ただただ困った顔で互いを見あっている。

 と、嫌な静寂が破るように、裏口のあたりで甲高い爆音が鳴り響いた。新聞店のスクーターが、夕刊を届けて立ち去って行ったのである。

「もう、そんな時間になるんですね」

 首を軽く回しながら、坂東医師はため息交じりに呟く。気が付けば、いつの間にか日も傾いている。真樹はいったんその場を離れ、刷って間のない、まだうっすらとぬくもりのある夕刊がちゃぶ台のそばへ置いた。そして、すっかり冷めてしまったた天丼に、ふたたび箸がつけられた。

 すすいだ丼を裏口へ置くと、真樹は坂東医師に灰皿を出し、夕刊をすすめた。そしてそのまま台所へ麦茶を取りに行き、花柄の入ったガラスのコップを二つ、ピッチャーと共に持ってくると、

「――真樹さん、とうとう二件目が起きましたよ」

「ええっ」

 神妙な面持ちの坂東医師に、真樹は慌ててそばへ近寄る。坂東医師が咥えたばこのまま示したのは、名刺サイズのほんの小さな地方欄の記事だった。


  高校生通り魔に襲われる 傘岡

 今朝未明、傘岡市南中学区の路上で「人が倒れている」という通報が、配達中の本紙配達員によって最寄りの交番へもたらされた。傘岡署の発表によると、被害者は近所に住む高校一年生のAさん(男)で、制服の上から刃物で斬りかかられた無数の傷跡が見受けられたものの、命に別状はないとのことである。


「南中学区……偶然にしちゃあ、ちょっと薬が効きすぎてますね」

 真樹のつぶやきに、坂東医師は吸いかけの外国たばこをそっと灰皿へ戻す。

「真樹さん、この件は一応、委員会のほうに共有をしておいた方がいいんじゃありませんか?」

「先生、僕もいま、同じことを考えてたんですよ。どういう理屈かはわからないが、この住所なら間違いなく、今度の被害者も南中の生徒だった人間のはずです。中学校以外の領域にも手を伸ばさないと、何人被害者が出るかわからない――」

「最悪、次は人死にが出てもおかしくはありませんね。あんな派手な斬られ方で、生きていられるのが不思議と言えば不思議ですから……」

 夕刊を握る坂東医師の手元へ力がこもる。真樹はすぐさま、手近に置いたコードレスをとり、宮坂へと電話をかけることにした。


「そんな馬鹿な……それじゃ、人間じゃない相手が出張ってきてるっていうのかい」

「まあ、そう思うのが普通だろうな。はいそうですか、という方がおかしいってもんだ」

 その夜、真珠堂の向かいにある大きな居酒屋へ宮坂を呼び出すと、真樹は第一の被害者についての情報、それから、夕刊に載った第二の被害者についての話を打ち明けた。当然の如く、宮坂の反応は渋いものであった。

「オレと坂東先生――その急患を引き受けたお医者は、これまでいろいろとみょうちくりんな事件を経験していてな。どう考えても幽霊がとりついたとしか思えないような騒動やら、カルト教団まがいの騒ぎにも足を踏み入れてるんだ。よく考えたら、命のあるのが不思議なくらいだよ」

「啓ちゃん、昔っからいろんなことに首突っ込むケがあったけど……相変わらずなんだなあ」

 突き出しのきゅうりとわかめの酢の物をつまみながら、宮坂は真樹の話を神妙に聞いている。信じろ、と言われて全ての話を飲み込むのは無理でも、長い付き合いの真樹が決して嘘を言っていないことを、宮坂は確信していた。

「じゃ、そうなると例の裏校則だけは、手つかずのまま放っておいた方がいいってことになるのかなあ」

「ああ。本当はいろいろ調べて、その奥にいる怪しいやつを引きずり出してやりたいが……ちょっと今度ばかりは手間が多いからな」

 行政も絡むからねえ、と応じる宮坂に、真樹はビールを手酌でやりながらまったくだ、と返す。

「委員会全体で共有したら、さすがに恐慌状態に陥るだろう。だからいちおう、これは芦田室長と我々だけで共有することに留めておこうと思うんだが……どうだい」

「うーむ、どうしたもんかなあ」

 しばらく腕組みをしていた宮坂は、両の手をほどいてから、難しそうだね、と呟く。

「そういう妖怪変化じみた話を信じるような人には見えないからねぇ。そんな人なら、まだオレの後輩のままでいたはずさ」

「世知辛いねえ、まったく……。それじゃあ、どうしろって言うんだい。さすがのオレでも、役所みたいな固い組織が相手じゃ、知恵が回らねえぜ」

「済まないなぁ、啓ちゃん。こんな委員会に引き入れていなけりゃ、よっぽど自由に調査ができただろうにさ」

「お前のせいじゃないよ、宮坂。しかしこれは、早急に善後策を考えねばならんな……」

 今日ばかりはコップを持つ手も重いまま、二人はゆっくりと盃を重ねていった。夜はもう、すっかり秋の気配を漂わせている。


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