急患と裏ボタン
委員たちによって集められた情報と、同時進行で行われたアンケートの結果を突き合せた結果、一校ごとにざっと十項目、市全体ではなんと五十近くに及ぶ、珍妙な裏校則の数々が明るみとなった。もっとも、その半数近くは時代の変化からかすでに伝承の範囲に収まっており、実際は十にも満たない共通の裏校則が青少年の合間にはびこっている、という具合にまとまった。
「――いやはや、子供というのはどうしてまあ、こういうくだらないことを考えついて、そのくせ守りたがるんでしょうなぁ。どうにも理解に苦しみます」
白髪頭のある委員の言葉に周囲の何人かが頷く。進行の関係で宮坂と並んで座っていた真樹は、委員たちのそんな反応を苦虫を嚙むような目でにらんでいた。
「――あんまり顔に出すなよ、啓ちゃん。気持ちはわかるが、穏便にな」
「わかってるよ。――日頃接する中に、ああいうタイプの人間がいないもんでね」
軽い咳払いののち背伸びをすると、真樹は頬を揉んで、表情をやわらげる。
子供のやることだから、といって片づける大人の側も、振り返ってみれば実にくだらない規則――というよりはマイルールのようなもの――を他人に押し付けたりしているではないか。社内でも、もとより社会的にも立場が上にある人間なら、少しぐらいは我が身を振り返るべきではないか……と、真樹は対岸を見て考えていた。
「それにしても、南中学のこの裏校則、ちょっと不思議な気がしますねぇ。あそこの学校、もうずいぶん前からブレザーになっているでしょう? なんでまたこんな時代がかったものが残っているんでしょうか」
四十がらみの女性委員の発言に、言われてみれば……という異口同音の輪唱が上がる。傘岡南中学の裏校則といえば、「一年生は学ランの裏ボタンを派手なものにしてはならない」――。
「――言われてみりゃぁ、変な話だよなぁ。これ、現役の裏校則、って扱いでアンケートにも記載があったやつだぜ」
宮坂が耳打ちすると、真樹はそうだったよな……と応じる。
「……何か意味がありそうな気がするのは、ちょっとした病気かな?」
「まさか! そういう探求心のある啓ちゃんがいればこそ、今度の話も進展があろうというものさ」
向かいの盛り上がりを気にも留めず、真樹はしばらく、現役扱いになっているその裏校則の、現状とかみ合っていない奇妙さに首をかしげていた。しかし、さすがの真樹でも徐々に騒がしさを増す議場で結論を出すことは出来ず、その日は解散となってしまった。
「――へーえ、南中にはそんなのがあるのか。たしかに変だよなぁ」
「新司、お前どう思う? 裏校則がいくらしょうもないといっても、そもそもない物の存在を明示すると思うか?」
「どうだろう……普通なら、廃止一択になりそうだよなぁ。だいたい、ブレザーじゃ裏ボタンもつけようがないでしょ」
「まったくその通りなんだよな……」
あくる日の午後、学校帰りに店に寄った甥をつれて、真樹は近場にある純喫茶へと入った。分厚いホットケーキとココアをエサに事情を打ち明け、現役中学生の新司に意見を乞うてみたものの、帰って来たのは至極当たり前な感覚の返答だけだった。
「兄ぃ、やっぱり研究のし過ぎなんじゃないの? なんでもかんでも意味ありげの見えるの、ちょーっと神経がマイってるんじゃないか」
「このぉ、言いたい放題言いやがって……」
フォーク片手の新司の、年相応な頬を指でひとしきりつつくと、真樹はぬるくなりだしたホットコーヒーを一口含み、ハムサンドへいらだち紛れにかじりついた。有線放送から流れてくるワルツと、不機嫌な真樹の動きがまるで合わず、向かいに座っていた新司は肩を揺らして笑い出してしまった。
「こいつ、人の気も知らないで……」
「ごめんごめん。でもさあ、たまにゃあ兄ぃ、息抜きが必要だと思うんだよなぁ。なんのかんのと忙しいじゃん、原稿書いたり、お店のことだったり……。そろそろ、坂東先生と飲みに行く必要があるんじゃないかなぁ?」
ココアのカップを吹き冷ます甥に、真樹は虚を突かれた思いだった。二十代も中盤を越した自分より、目の前にいる中学生のほうがよっぽど、よい生き方ということについて知っているような、そんな気がしたのである。
「――おい新司、まだ足りなきゃ、もう一つぐらい何か頼んでもいいぞ」
「珍しいなぁ、シブチンの兄ぃがそんなこと言うなんて」
「こいつめ……!」
やっぱり可愛げがないな、と認識しながらも、真樹は甥の何気ない一言がこの上なく嬉しかった。
新司が追加のクリームソーダを飲んで帰途につくと、真樹は坂東医院の閉まる頃合いを待って、向こうへ電話をかけることにした。二、三度のコールに続いて耳馴染みのある看護師の声がすると、真樹は電話の取次ぎを頼み、坂東医師を待った。
「代わりました、坂東です。真樹さん、ひょっとして……」
「そのひょっとして、ですよ。お忙しかったら別ですが、よかったら一杯、いかがですか?」
真樹の誘い賭けに坂東医師は、いただきもののブランデーがあるから、ひとつそれを皮切りにして、のちのちどこかへ繰り出さないか、と提案してきた。坂東医師の医院を兼ねた住まいの二階には、小じゃれたホームバーつきの応接間があり、知人たちの間では大変評判が高かった。
「それじゃあ、ちょっと買い出しをしてからそちらへ伺います。――はい、じゃあ七時に……」
電話を終えると、真樹は六時半を差す置時計をにらみ、大急ぎで身支度を始めた。戸締りを済ませ、傘岡駅の中にある輸入食品店でブランデーに合いそうな酒肴を買い求めると、真樹は市電へ飛び乗り、大通りから坂東医院を目指した。
ところが、停留所を降りて数歩いかないうちに、真樹は見覚えのある年配の女性に呼び止められてしまった。帰りがけらしい、坂東医院の看護師の一人である。
「ちょうどよかった。真樹さん、先生からのお言伝がありまして……」
「お言伝……?」
思わずポケットへ手を伸ばすと、坂東医師からの不在着信が三度来ていた。医者が約束の直前に慌てて電話をするとなれば、可能性はたった一つである。
「ひょっとして、急患ですか」
「ええ、そうなんです。――高校生なんですが、ひどい怪我でしてね。制服ごとバッサリやられてるんです。ケンカか何か、あったんじゃないでしょうか」
「高校生が、制服ごと……?」
店のロゴが刷り込まれた、茶色い紙袋を抱える手に汗がじわりと伝う。
「ちょっとお尋ねしますが、それは直接担ぎ込まれてきた患者でしたか?」
「そうなんです。何もウチでなくたって、大きな病院は近くにいろいろあるっていうのに……。先生、大急ぎで手術台の準備を始めてましたよ。かなり切った貼ったになるんじゃないでしょうか」
「なるほど、そいつは厄介でしたね……」
それだけ確かめると、真樹は看護師を見送り、そのまま近くの歩道をぶらぶらと歩き始めた。駅前のビル群を覆う夜空が、ネオンや電飾でかすかに明るくなっているのがよく見えた。空振りを食った真樹の足取りは、ひどく重いものであった。




