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とある地方銀行員の衝撃

地方銀行員で働く若手の心模様を表現してみました。

金融機関で働く者にとって、仕事中の私情・感情は破滅への入り口である。

東北地方のとある地方銀行に勤める私の持論だ。


多額の金銭を扱う経済のインフラに近い職業特性もあるが、安定を求めて道を選んできた者が歳を重ねた段階で公私混同する事は大きく道を外れかねないからだ。


東北というと夏は涼しそうだが、盆地だと熱がこもるため案外暑い。そして冬はもちろん耳や鼻が千切れそうになるほど寒いし雪も降る。物心ついた頃には、雪に対してわくわくした感情は抱かなくなっていた。楽しいことよりも大変なことの方がよっぽど多いのだ。


そんな理不尽な環境で生まれ育った私にとって、耐えること、感情を抑えることはそこまで難しいことではなかった。

真面目に勉強をして、公立の小中学校から高校は地元で一番の進学校に通い、地元にある国立大学へ進んだ。

そして4年前、めでたく生涯安泰の地方銀行への就職を果たしたのだ。


書いてしまえば順風満帆とも、平凡とも、つまらないともとれる私の人生だが、自分としてはとても気に入っている。

真面目にコツコツやる事が得意で、感情の起伏によって行動を左右されるような性分ではない自分にとって、そこそこにやっていれば困る事はない今の生き方は、大変心地良いものである。


大きな事件もないまま4年間銀行に勤めてきたが、最近困った事が起こっている。

なんと、人生ではじめて恋に落ちてしまったのだ。しかも直属の上司相手に。


今までの人生の中で、大きな感情の起伏がなかっただけに、誰かの一挙手一投足で毎日のように心が振り回される今の状況はかなり辛いものだ。

恋していたらいつでも楽しいだなんて大嘘だ。私情や感情を持ち込むべきでない場所においては、ただただしんどいだけである。


「今年から営業3部1課の課長になりました東海林です。ひがしにうみにはやしで、しょうじと読みます。ひとつ前の場所では人事企画部で社員教育を担当していました。課長として役割をいただいていますが、営業部門は3年ぶりで、皆さんに教えてもらう事ばかりかと思います。至らない点もあるかもしれませんが、みなさんと良い組織を作っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。」


2ヶ月前の4月、寒い冬が明けて雪もだいぶ溶け始めた頃、私たちの部署の課長として東海林さんはやってきた。

営業3部1課は正規社員7人と派遣社員2人の合計9人で成り立つ組織である。

他の部署と比べて、大きすぎも小さすぎもしない。そして組織を構成するメンバーも、担当する客先も、アクが強くて対応が難しすぎるという事はない。

東海林さんはかなり若くして課長に抜擢されている。きっと会社から期待されている人材なのだろう。大きな失敗をしてキャリアに傷がつく事はない、課長として経験が積めるポストとして私たちの部署が選ばれたのだ。


(おお、さすが期待されているだけあって、仕事が出来そう、かつ、働くのが好きそうだなあ…)


これが東海林さんに対する第一印象だった。


そして第二印象、第三印象、第四印象もずっと同じものだった。


一緒に仕事をしていると、判断の早さと視野の広さに圧倒されっぱなしだ。

営業現場は3年ぶりというが、わずか1ヶ月で現場感覚を取り戻し、自ら取引企業への交渉に出向いて難事案を解決している。そして同時にマネージャーとしての管理業務も怠らない。


私より8年長く勤めている計算になるが、自分があと8年でこんな姿になっている自信がない。


「地方銀行が本気で地域のことを考えれば、地域の社会課題は解決に向かう、自分たちが過ごす街をより良く出来る」


東海林さんは、ただの仕事マシーンではなく仕事に対する熱い想いや矜持も持っている。

組織で働く社会人として完璧な要素を持ち合わせていて素晴らしいな、と心から尊敬している。


私が恋に落ちたのは第一印象から第四印象を抱いたいずれのタイミングでもない。



私は見てしまったのだ。



東海林さんと取引先へ同席商談をしている時に、東海林さんがこっそりささくれをむいている姿を。

よく見たら、東海林さんの親指は両手ともにささくれだっていた。



さらに気付いてしまったのだ。


取引先でコーヒーが出された後には、必ずトイレに行っている事に。

自席ではいつも水を飲んでいるのでおそらくカフェインが体質に合わないのかもしれない。



そして決定的な場面に出会したのだ。


駅前の繁華街で友人と二次会で何気なく立ち寄った居酒屋に、1人カウンターで飲んでいる東海林さんがいた。お互い気を遣い合うのも嫌なので、気付かれないようにこっそりカウンター席から遠いテーブル席に座った。

2時間ほど友人と飲んでそろそろ帰ろうとお会計をしにカウンター近くを通ったら、まだ東海林さんがいた。

だいぶ飲んだ様子だ。

頬は紅潮し、背筋はいつものようにしゃんとせず今にも崩れそうで、目は潤んで…ん?


(え、泣いてる…!?)


なんと、東海林さんは1人飲みをして泣いていたのだ。

この瞬間、私の心に稲妻が落ちたのだ。

好き、かも…?とかそんな生温い感情ではない。

本当に恋に落ちる瞬間は、物理的にも衝撃を感じるぐらいの衝動なのだ。


今までの人生、人並み程度に気になる人が出来たり彼氏が出来たりした事もあったが、恋に落ちたのは今回が初めてだったのかもしれない。


仕事が出来すぎるほど出来る、

期待に応えすぎるほど応えられる、

部下に頼られすぎるほど頼られる、

そんな鋼のオフィスワーカーだと思っていた東海林さんは実は繊細で儚い存在なのかもしれない。



女性の活躍推進の動きが強まって来ている中、女性社員の割合が高い地方銀行でも、ここぞとばかりに舵を切っている。


もちろん実力が認められての事ではあるだろうが、最年少で東海林さんが管理職に抜擢されたのも、女性活躍推進が大きく背中を押した事は容易に推測出来る。


まだまだ古い考え方も残っているこの地域で、若い女性の管理職が負っている重責はどれほどのものだろうか。


私は戸惑っていた。

東海林さんが話すたび、動くたび、注目してしまう。

どうにか自分が東海林さんの特別な心の拠り所になりたいと思ってしまう。いつでも近くにいる存在になりたいと思ってしまう。

もっと東海林さんの心の中の柔らかい部分を知りたい。


こんな気持ちになったのは初めてだ。


自分が今まで安定を求め、平穏な日々を選択し続けて来たのに、そしてこれからもそうするつもりだったのに。

こんなに心が乱されてしまうものなのか。


そして自分が衝動的に恋に落ちた相手が同性だったという事実にも驚いた。

今まで同性愛者と自分との間には壁があると無意識に思っていた。

しかし、好きになる相手が同性だった、ただそれだけの事で簡単に壁の向こう側に行くのだと分かった。

何なら壁なんてものは元々存在していなかったのかもしれない。


金融機関で働く者にとって、仕事中の私情・感情は破滅への入り口である。

ましてや、相手が相手である。

自分の想いを悟られてしまったら、碌な結果にならない事を理解している。


(何度も寒い冬を耐えてきたじゃないか、我慢は私の得意分野じゃないか…)


何度も自分に言い聞かせて感情を抑える。


寒い冬は耐えられてきたが、この、心が湧き立つようなくすぐったさと煮え立つようなドロドロした感情にはしばらく振り回されそうだ。



6月になった今は雪はすっかり溶け切り、熱い夏を迎えようとしている。


私は今日も心を動かされないように、必死に数字と睨み合っている。





衝動的な恋、してみたいですか?

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