その5 少女の涙
─前回のあらすじ─
赤い蝶を追い、戦場跡地にて「神隠し」と呼ばれる現象に遭遇した冒険者と少女は、ノフィン統一戦争の兵士と出会う。
冒険者と少女は魔物へと堕ちた魔族と戦い、これに勝利する。
そして、冒険者と少女は、神隠しから元の場所へと戻ることができた。
自分と少女は赤い蝶を追い、とうとう戦場跡地を抜け出す事ができた。
しかし、あの神隠しともとれる出来事で身体が疲弊していたのだろう、腹の虫が頭に語りかけてきた頃、自分たちは近場に流れる小川で焚き火を起こし、野営をする事にした。
先程まで静寂に包まれ、生命の気配すらなかった戦場跡地とは打って変わり、パチパチと火花が弾ける焚き火の音を背に、翅を擦り奏でる虫の声と小川の流れるせせらぎが、寂しさを感じさせる黄昏を彩っていた。
そんな寂しさを感じさせる黄昏の中、自分は小川の側に座り、泳ぐ魚を見つめていた。
「誰かさーん、見つめてても魚は採れませんよーだ」
「……アンタか、何の用だ」
後ろから戯けた様子で語りかけてくる少女に、自分は視線を合わせず答える。
「んもー!用がないと話しかけちゃいけないの?」
「……当ててやろうか、神隠しで出会ったあの二人の事だろう」
「…………うん」
少女は図星だったのか、先程の活発さとは打って変わり、静かに返事をする。
そして自分の隣に座り、話を続ける。
「偽善、だよね……何人も人を殺めた人を救うなんてさ……」
「……そうだな」
「……ふふっ、君、随分ハッキリ言うんだね、少しは慰めてくれても良いじゃん」
「……偽善も善だ、誇れ」
自分は、小川を見つめながら、小さく呟く。
……殺して救うよりかは、ずっと立派な善だ。
少女にも、自分にさえ聞こえない声で、そう呟いた。
「……ありがと」
そう言って少女は、自分の肩に頭を預ける。
そんな少女に、自分は思わず声を上げる……「邪魔だ」と。
「えー!?何それ!今めっちゃいい雰囲気だったじゃーん!!」
「採った」
その言葉と共に自分は小川に手を突っ込み、魚を採る。
「えー!?すご!!素手で魚採っちゃった!?」
少女は先程のしおらしさとは打って変わり、今度は喧しい程に関心を示している。
「ねぇー!それどうやったの!?私にも教えてー!」
「簡単だ、泳いでる魚に向かって素早く手を突っ込むだけだ」
「マジ!?じゃ私もやる!」
そう言って少女は、靴を脱ぎ、小川の中へと入っていく。
「おい、危ないから戻って来い」
自分がそう言うと、少女は小川の中で立ち止まり、今にも泣きそうな顔でこちらへと振り向いた。
「……誰かさぁん、助けて」
「ッ!?」
自分は急いで立ち上がり、靴もそのままに少女の側へと駆け寄り、急いで少女を抱き抱え、岸へと急いだ。
「蝮に噛まれたのか!?急いで毒を吸い出さないとマズいぞ!」
「ううん、違う……魚踏んづけた」
「は?」
「めっちゃブチブチブチ!って感じのアレがして足の裏が気持ち悪い!しかもこれ絶対卵持ってた──「心配して損した!」
「キャア!?」
自分は少女を草場に転がし、靴に入った水を土に流す。
「もー!本当に気持ち悪かったんだから!マジで!最悪!ありえない!やっちまった!って感じだったんだから!」
「ングッ!ククク……なんだそりゃ」
「もしかして、笑った?今?」
少女は自分の顔を見ると、先ほどまで絶望した顔をしていたが、なぜだかニヤリと笑い、立ち上がって手を握り、開きを繰り返し、自分へと詰め寄る。
「へぇー?へぇ〜?君って笑えたんだ〜?笑ったら結構可愛い顔してんじゃーん?」
「おい、その手はなんだ……おい、やめろ!」
「やめなーい!おりゃ!ビス!ビス!ビスビスビスビスビス──」
そうしてしばらくの間、少女のビス攻撃は続いた──
──「ね、その武器見ていい?」
小川で採った魚で腹を満たすと、少女が興味津々な様子で自分に提案をする。
自分は少女の提案に頷き承諾すると、少女に剣を持たせる。
「あれ?大きさの割に意外と軽いんだね」
「あぁ、一般的な剣と比較すると確かに一回り大きな剣だが、特殊な素材のお陰で片手でも扱えるほど軽い」
「特殊な素材?」
「血炭と呼ばれる、常夜の樹木を熱し、鉄の様に加工した木製の剣だ」
「へぇー、木製の剣……あれ?ね、常夜の樹木ってさ……私の記憶違いじゃなかったら……」
「太陽の光を浴びて木になった……純血のエルフだよ……ね?」
「そうだ、だからその剣、生きてるぞ」
「うそっ!?」
少女は自分の言葉を聞くと慌てて剣を落とし、距離を取る。
「……純血のエルフは陽の光を浴びて木になると、自我の殆どを失う、言い換えれば、木になる事は死ぬ事に近い」
「だから生きてると言っても、虫の様に反射的な自我しか持ち合わせていない」
そう言いながら、自分は少女が落とした剣を拾い上げると『斧になれ』と頭に浮かべ、剣に命令する。
すると剣が変形し、剣は斧へと姿を変えた。
「この剣は所持者の意思を読み取り、変形する」
「自我を持たない無機物ではできぬ芸当だ」
それを聞いた少女は、奇怪な物を見るかの様に斧をまじまじと見つめる。
「う〜んやっぱりコレ生きてるの?……すっごい不思議な感じ」
自分からすれば、少女の時を戻す力の方が奇怪に思えたが、口には出さなかった。
「自分の事を話したんだ、今度はアンタの事を聞かせてくれ」
「え〜なにそれ、私が聞いたのその剣の事じゃん」
「……武器は冒険者にとって身体の一部だ」
「うわ!ずっるーい!」
「ズルくて結構……それで質問だが、何故そんなにアンタは明るいんだ?」
「……なーんだ、そんな事聞くんだ」
「胸の大きさとか聞かれるかと思っちゃったぁ」
少女は自分の問いに、いつもの様に戯けた様子で微笑み、はぐらかす。
「フッ……また、はぐらかそうとしているな」
「アンタは回答に困ったり隠し事があると、そうやって戯ける癖がある、残念だがもうそれは通用しないぞ」
「うっ……人の癖を見抜くなんて……エッチ」
「言ってろ、さぁ答えて貰おうか」
「うーん……じゃあ言うけどさ、明るいって言うか、私、結構楽しいと思ってるんだよね、この旅」
「何故だ?」
「君がいるから」
「……何故、自分がこの旅に同行していたら楽しいんだ」
「なんでってそりゃ……」
少女は少し考える素振りを見せると、ニヤケながら答える。
「教えなーい!」
「……そうか、ならいい」
「ちょっと!ここはどうして?とか聞くところでしょ!」
「聞いて欲しいのか?」
「うっわ!うわー!乙女心がわかんない人!そりゃ聞いて欲しいでしょ!」
「……悪かったな、乙女心のわからん人間で」
「うむ!これからは反省したまえ!」
「ふっ、なんだそりゃ」
「あ!また笑った!」
少女は自分の笑みが面白かったのか、砕けた笑いを浮かべた。
そうして自分と少女は、日が暮れ、辺りが暗く染まるまで他愛もない話を続け、暫くして眠りについた。
──瞼を閉じ、暫くして意識を手放しかけたその瞬間……小川の流れる音と共に、突然嗚咽が聞こえてきた。
見ると、少女が身体を震わせ、泣いていた。
……少女の涙に、自分は心当たりがあった──
──『後悔しないのか?』
『え?なんで?』
『……この世界は、アンタやフローシフが思っているほど、価値のある物ではない……それをアンタは……』
『ふふーん、わかってないなぁ、君は』
『これまで後悔してきた人や、失われた人たち、そしてこれからの人が全員救われるんだよ』
『それをさ、私一人が頑張ればできるなんてとっても素敵じゃない!!』
──この旅が終われば、少女は死ぬ。
勇者として選ばれた彼女は、世界を救う為にその命を代償にする事となる。
詳しい方法はわからないが、少女が死ぬ事は確実な様だ。
それを聞いたのは昨晩だった。
──これ以上、絆されれば後悔する、触れるな。
自分の心は、警告していた。
これ以上、彼女に惹かれれば、必ず後悔すると。
やり方はどうあれ、目の前の彼女は、世界を救おうとしている。
……実際、神隠しの際には、自分でもできなかった方法で、あの二人を救った。
彼女のその光は、自分にとって眩しすぎた。
その眩しい光が、誘蛾灯に惹かれる蛾の様に、自分を惹きつけ、そして自分の心に一つの迷いを孕ませている。
「うっ……ヒグッ……うぅ……あぁ……」
「……」
自分は少女の悲痛な涙に、いたたまれない気持ちになり……自分は少女の背中をさすっていた。
──後悔など、もう、どうでもいい、目の前で彼女に泣かれてしまっては、自分は、選ばずにはいられなかった。
……自分は、彼女の光に触れることにした。
例えそれが、触れれば焼け落ちる光だと知っていても。
「……覚えてる?私を連れてた、あの二人の事」
暫く少女の背中をさすっていると、少女は涙を堪えながらぽつりぽつりと話し始めた。
「あの人たちは、私を救おうとして……あんな事になっちゃった……だから私は……あの人たちを……救いたい」
「じゃないと……私は……何のためにここまで生きてきたのか……わかんなくなっちゃうから」
世界を救う為にその命を捧げる……その行動は、側から見れば正しく、勇者という偉大な者に見えるのだろう。
しかし、涙を流し身体を震わせるその姿は、ただのか弱い少女そのものだった。
自分は、少女のように命を賭し、誰かを救えるほど大層な人間ではない……が、目の前で泣いている少女を差し出してまで保身に走るほど、下衆な人間ではない。
「……依頼は、ここで終わりだ」
自分は少女に伝える様に、そう呟いた。
「えっ……?」
自分は少女の前に腰を下ろし、少女に語りかける。
「フローシフの依頼は、自分の主義に反する」
「自分はアンタの様な少女を犠牲にしてまで、この生を続けるつもりはない」
「そして、アンタが望むなら、自分がフローシフの呪縛から解き放ってやる」
「自分が……なにを言ってるかわかってるの!?そんなことしたら殺されちゃうんだよ!?」
「どうして……これから死ぬ人にそんな……!」
「……以前までは、アンタをただ哀れな少女だと思っていた」
「だが、他愛もない話や、アンタの涙を見て、なにより、アンタの光に触れて、自分にとってアンタは──「やめて!!!」
少女が自分の言葉を遮り、大粒の涙を流しながら叫ぶ。
「もう……やめて、これ以上……君にそんな事言われたら……私の決意が鈍っちゃう……」
「──死にたくないって…………思っちゃうから……」
「お願いだから……私にとって君は……名前も知らない……誰かさんのままでいて…………お願い……」
「…………そうか」
──絞り出す様な少女の声が、暗闇の空に響き、消えていった。
─人間─
人間、それはノフィンに住む最も多くの種族であり、最も古い歴史を持つ種族である。彼らはアルマの様に獣の力を持たず、それでいてエルフの様に魔法を扱う事もできなかった。
なら何故、人間がこのノフィンで最も栄えたのかは、至極単純な理由だった。
彼らは、『知恵』を持っていたのだ。
アルマの様な獣の力を、人間は鉄や熱で身につけ、エルフの様な魔法を、自然の一部から見出すことができた。
そうして彼らはノフィンで最も栄え、そして最も多くの人間を殺したという、矛盾した種族となったのだ。